ロックオン

文字数 5,843文字

 前期テスト最終日。
木場野(きばの)、ノート何度もアリガトな」
 同じ語学クラスのサイタが、通りすがりに俺の座る机を指先で軽く叩く。
 人の輪に積極的に入る経験が少なかったし、それほど他人に興味もなかった。
 だから、名前なんか知ったことかって、ずっと思っていたけれど。
 萌黄(もえぎ)さんから「最低の礼儀よ」と言われたので、苗字ぐらいは覚えるようにしている。
「どういたしまして。ラッシュに慣れなくて乗り過ごしたとか聞いたら、気の毒になるじゃん」
「その”じゃん語”って憧れるわ。えっと、ありがとじゃん」
「そんな使い方はしねぇぞ」
 サイタは北陸地方の出身で、大学沿線の下町に下宿しているという人懐っこい男だ。
「そこまで一緒に帰ろう。木場野(きばの)はこのままサークル?今度聞かせてよ」
 俺のトランペットケースを指さしたサイタの人の良さそうな顔が、さらに柔和に緩む。
「演奏会にはぜひ。でも、今日はサークルじゃなくて、高校が一緒だったヤツと組んでるバンドのほう」
「カッコイイなぁ。ライブとかすんの?」
「そこまではちょっとね。まだ人数少ないし」
「え?木場野(きばの)君って、バンドもやってるの?」
 背後からいきなり声をかけてきたのは、同じサークルに所属する天海(あまみ)だ。
 そういやコイツも、この講義取ってたっけと思いだす。
「じゃあ、今日はこっちに来ないんだ。みんな寂しがるね、イケメンがいないと」
「俺はべつにイケメンじゃねぇし、演奏に関係ねぇだろ」
 顔にしか用がないって言われたみたいで、大変に不快。
 それに、キモいってハブられた時間が長かったせいか、自分の顔のことはよくわからない。
 「精悍な顔になったね」ってほめてくれる萌黄(もえぎ)さんがいれば(最近、「可愛い顔してもダメだからねっ」って怒られるほうが多いけど)、ほかのヤツにどう思われようが興味はない。
 どんな毀誉褒貶も、萌黄(もえぎ)さんがくれた言葉の前では戯言(たわごと)の類。
「イケメンじゃないって、それ本気で言ってんの?」
 サイタが呆れた笑顔で俺を見上げてくる。
「おまえ、謙遜も過ぎると嫌味だぞ。じゃあな、おれもこれからサークルだから」
「サイタのサークルってなんだっけ」
「落研」
「ライブに行くわ」
「ライブ言うな。寄席と言え」
 笑いながら手を振るサイタと別れて正門へ向かうと、天海(あまみ)がくっついてきた。
「部室、こっちじゃねぇだろ」
木場野(きばの)くんのバンド、メンバーって募集中なの?」
「募集はしてない」
「え?だって、足りてないんでしょう?」
「知らない」
「知らないって、自分のバンドのことじゃないのっ」
 天海(あまみ)がムッとしてるけど、なんで俺たちのバンドのことでムキになってんのか意味不明。
「集めんのは、ほかのヤツが担当してる」
 リョータから「ヨースケはトランペット吹いてればいいよ」と言ってもらっている。
 苦手に配慮してくれる、いい仲間たちだなと思うけど。
 「ヨースケの”たたみかけ”が出るとヤバい」「口を開くと(ののし)るか惚気(のろけ)るかだから、黙らせとけ」って、ほかのヤツらとコソコソ話していたのには、納得がいかない。
「ふーぅん……。夏休みの合宿には参加するでしょ?」
「そのつもり」
「よかった、じゃあね。あ、明日は来るの?」
「なんで?」

注目してるからさ、木場野(きばの)君のペット」
「あ、そ」
 どうでもよくて聞き流してしまったけれど、もう少し警戒しておくべきだった。
 あとからそう後悔するほど、このときの俺は油断していたと思う。


 今日借りるスタジオの最寄り駅につくと、改札を出たところでリョータが待っていた。
「ヨースケお久~」
 隣にはテナーサックスの古河(ふるかわ)と、パーカスの松乃(まつの)もいる。
「お待たせ」
「オレの大学でトロンボーンやってるヤツいるから、今度、連れてくる。広島弁が最初びっくりするかもだけど、いいヤツだよ」
「お、いいじゃん」
「そういや今日、じゃん語に憧れるとか言われた」
「ああ、方言なんだってな」
「ま、どうでもいいじゃん」
「そういうワケにもいかないじゃん」
「そういやさ」
 真顔になったリョータが俺を見上げた。
「ゆっきー先輩、入ってくれるって?」
「考えてみるって」
「やった!」
 リョータよりも先に、松乃(まつの)の顔がみるみる輝いていく。
「あのふわふわの見た目でパンチのある音出すから、ギャップがいいよな、ゆっきー先輩のペットって」
「キバノ的には、これってOKラインなの?」
 古河(ふるかわ)が恐る恐るといった感じでオレの様子をうかがってるけど、そんなに警戒することあるか?
松乃(まつの)萌黄(もえぎ)さんのトランペット崇拝者だから」
「下心があったら?」
「は?」
 思わず尖ってしまった声に、周りの連中がザっと一歩下がる。
「下心、あんの?」
「な、ないないない!ヘンなこと言うなよぉ、古河(ふるかわ)~」
「じょ、冗談だって、キバノ。だいたい、あんなにお前のこと大事にしてるゆっきー先輩とどうこうなろうなんてヤツ、オレらの代にいないって」
 萌黄(もえぎ)さんが「お前のこと大事にしてる」。
 「大事にしてる」……。
 「大事にして」もらってる!
 古河(ふるかわ)の一言が、祝福の鐘のごとく脳内にリフレインする。
「機嫌、直ったね」
「一瞬だったな」
「ナイス、古河(ふるかわ)
「キバノが牙出しかけたのも、古河(ふるかわ)のせいだけどね」
 周りが何か言ってるけど、思い出の天使(もえぎさん)が、スライドショーとなって再生されている俺の耳には入らない。
「ああ、そういえば」
 天使ついでに悪魔(バフォメット)を思い出した俺は、改めてみんなを見渡す。
「アイ子先輩が、クラリネットはいらないのって笑ってたよ。アルトサックスもイケるぞって」
「え、鬼のパイセン、違った鬼龍院(きりゅういん)先輩、時間あるの?」
「ないらしいけど、

出演ならしてあげるよって」
「友情……?裏がありそうな」
「むしろ裏しかなさそうな」
「ゆっきー先輩に対する友情じゃない?鬼龍院(きりゅういん)先輩のクラって、自由でステキだと思うけどなぁ。一緒に演奏するの、楽しいと思うけど」
「「「松乃(まつの)は心広すぎっ」」」
 松乃(まつの)以外の、全員の声がそろった。


「てな感じ」
「ふふっ」
 仕事帰りの萌黄(もえぎ)さんと待ち合わせて、ファミレスで一緒に夕飯を食べるなんて、これ、なんて天国だろう。
「アイ子さんって、社内バンドではどっち吹いてるの?」
「サックスのほう。高校のときはクラが足りなくて、そっち回っただけだから」
「へぇ~。なんでもできるね、アイ子さんって」
 本当に優秀な大先輩だなぁ。
 ……性格には少々難ありだけど。
「そんなことないわよ?あの子、愛想笑いとかオブラートに包むとか、唯々諾々とか苦手よ」
「苦手ってか、やんないじゃん。そんなこと」
 だってバフォメットだしと思っていたら。
「まあ、そうだけど、ひとりだけいるかな」
 萌黄(もえぎ)さんの意外な一言に、食事をする手が止まる。
「いる?何が?」
「アイ子が”攻撃する”も”逃げる”コマンドも諦めて、”従う”を選択する相手」
「ウソだろ。それ、ただのUMAだよ」
 もしくは、バフォメットの上に君臨する大魔王。
「馬じゃないわよ?」
「わかってるよ。ウマいこと言ったみたいな顔しない」
「ウマいシャレがウマれたと思ったけど」
「ダジャレじゃん」
「駄はいりません」
「見解の相違がウマらないね」
「ウマず(たゆ)まず努力していかないと」
 なんて、こんな言葉遊びをポンポンできるのも萌黄(もえぎ)さんだけで、ホントに好きだなぁって思う。
「まあ、そのうち会うと思うけど」
「え?」 
「そういえば、サークルの夏合宿はいつから?その前にデートしたいね」
 何か恐ろし気なことを言われた気がするけど、意識は「デート」に持っていかれてしまった。
「したい!こないだ言ってた水族館とか行かない?」
「いいね。合宿の日程に響かないようにすると、今週末とかかな。急すぎる?空いてる?」
「急すぎないし空いてる」
 萌黄(もえぎ)さんと会うためなら、ほかの予定なんか、あったとしても即効キャンセルするに決まっている。
「あー、8月入ったらすぐ合宿だなぁ」
「何日までだっけ」
「十日。……長すぎじゃない?サークル、やめようかな」
「こらこら。自分のバンドのためでもあるって言ってたじゃない」
萌黄(もえぎ)さん、入ってくれるだろ?」
「そう頻繁には、練習に参加できないかもしれないけど。それでもいい?」
「もちろん」
「そうね。お邪魔じゃなければ、参加させてもらおうかな」
「邪魔なわけない。みんな、松乃(まつの)なんかとくに喜ぶよ」
「あのコのドラム迫力あるから、一緒のセッションは楽しそう。……もちろん、羊介(ようすけ)くんと一緒に演奏できることが、一番嬉しいよ」
「う、うん」
 子供っぽい嫉妬が、それもすぐにバレたらしくて、ちょっと恥ずかしい。

「これからどうする?疲れてるなら、帰る?」
 ファミレスを出たところで、時間を確認しながら聞いてみる。
 ホントはもっと一緒にいたいけど、一週間働きづめの萌黄(もえぎ)さんに、無理はさせたくない。
 とはいえ、もうちょっと一緒にいたい気持ちはあるから、ダメもとで聞いてみる。
「お茶でもする?」
「そうねぇ」
 言葉を濁すということは、今日はお疲れなのかな。
 がっかりしながらいつもの改札まで送ろうとすると、途中でぴたりとその足が止まった。
「どうしたの?」
「えっと、私、こっちだから」
 見慣れたペアリングをはめた手が、「地下鉄入り口」と書かれた表示を指している。
「……ん?」
 たしかに萌黄(もえぎ)さんの使う路線は、途中で地下鉄と乗り入れしているけど。
 直通で帰れるのに乗り換えする理由がわからなくて、まじまじとその顔を見つめてしまう。
「なんで?」
「えっとね、引っ越したから」
「えっ?!……いつ?」
「半月前くらいかな」
「……どうして黙ってたの?」
 その間に電話もしてるし、メッセージも交換してるのにって思ったら、自分でもちょっとびっくりするくらい声のトーンが下がった。
 でも、萌黄(もえぎ)さんの表情は隠し事をしていたというより、イタズラを仕掛けようとする小さな子みたい。
「ふふっ、驚かせたかったら。羊介(ようすけ)くん、うちのお客様第一号になりませんか?」
「……え、オキャクサマ?モエギさんのウチって、第一号とか、ってか、ひとり暮らし?」
 なんか、カタコトでシドロモドロになったけど、それは致し方ないと思う。
「ドッキリ大成功?羊介(ようすけ)くん、お茶するならうちに来ない?やっと部屋の片づけが終わったの」
 照れ笑いをする萌黄(もえぎ)さんは、キラキラのプレゼントみたいだったんだから。

 萌黄(もえぎ)さんの職場の駅からは4つ目。
 駅から徒歩5分ほどの、比較的新しいオートロックマンションの5階の角部屋。
「お、おじゃまします」
「はい、スリッパどうぞ」
「うちってスリッパないんだ。ラッキーが(かじ)るから」
 なんて言いながら足をつっこむと、かかとが少しはみ出してしまう。
「あ、やっぱりちょっと小さかったね。次は、もっと大きいスリッパを用意しておくから。今日はそれでガマンして」
 「次は」。
 なんてステキな言葉なんだろう!
 また来てもいいんだな!!
 緩む顔をなんとか引き締めて、玄関からすぐのダイニングに上がった。
 その奥のスライドドアを開けると、萌黄(もえぎ)さんの部屋がぱっと目に入ってくる。
 円形のダークブラウンのラグの上に置かれた、ウッド調のローテーブル。
 その脇には深緑のローチェアとクッション。
 ベッド脇のチェストの上には、オレンジ色のバラのプリザーブドフラワーが飾ってある。
「あれ、見覚えない?」
「あのバラ?」
羊介(ようすけ)くんが演奏会でくれたバラだよ。プリザーブドにしたの」
萌黄(もえぎ)さんが?」
「キットが売ってるの。嬉しかった気持ちを、そのまま閉じ込めておきたかったから」
「……萌黄(もえぎ)さん」
 もお、なんでそんなカワイイこと言うかな。
 心臓が痛いんだけど。
「適当に座って。イスでもクッションでも。コーヒーは、もう飲めるもんね。紅茶のほうがいい?」
「コーヒーがいい。今なら勉強会、コーヒーショップでもできるし」
「んふふ。誘拐犯には間違えられないかな?」
 懐かしい話に笑いながら、萌黄(もえぎ)さんは電気ケトルのスイッチを入れる。
「どうして、急にひとり暮らし始めたの?」
「仕事の時間が不規則なことが続いて、ちょっと実家は遠いなって思ったの。……広すぎるし」
「え、なんて?」
 カップを出すために俺に背中を向けちゃったから、萌黄(もえぎ)さんの声が遠くなった。 
「ここは近くに大きい公園があって、休日は楽器を演奏してる人もいるんだよ。環境、抜群でしょう?私の実家の周りは家ばかりだもの。羊介(ようすけ)くんのおうちは、近所にあの原っぱがあるからいいね」
「じゃあ、明日もその公園って行くの?」
「時間があればね。今は街探検が面白くて。小さなパン屋さんがカフェをやってたりするんだよ。今度、羊介(ようすけ)くんも一緒に行く?」
 ダイニングから戻ってきた萌黄(もえぎ)さんは無邪気に笑っているけれど、俺はもうそれどころじゃない。
「……それって、泊ってっていいってこと?明日、一緒に連れてってくれるの?」
 隣に座った恋人の腰に腕を回して顔を近づけると、たちまち顔を赤くした萌黄(もえぎ)さんの目が丸くなる。
「だって、泊るって言ってきてないでしょ、おうちの人に」
「んなの俺は男だから、下宿してるヤツんとこ泊るって電話すれば、それで済むよ。……いいの?泊って」
「え、あの、ん?」
 萌黄(もえぎ)さんはコンランしている!
 こういうステータスの萌黄(もえぎ)さんは思考力が落ちる。
 多分、イヤではないはずだ。
 迷ってることがあって、「ダメ」の理由を探してる。
 もちろん俺は、その理由にたどり着かせるつもりはない。
 ひとり暮らしの部屋に男を上がらせたりして、本当に困ったうっかり屋さんだ。
 俺はもう、「男の子」じゃないってわかってる?
萌黄(もえぎ)さんは、俺がここにいたらイヤなの?」
「イヤじゃないけど、ん……」
 もうそれ以上言葉が出ないように、考えられないように。
 俺は萌黄(もえぎ)さんの唇を塞いだ。
 あの蛍の夜から、もう幾度目だろう。
 萌黄(もえぎ)さんが溶けちゃうキスも覚えた俺の腕のなかで、大好きな人の体の力が抜けていく。
 リクライニングのギアを解除して、柔らかくてあったかい萌黄(もえぎ)さんの体をイスに押し付けると、呼吸さえ奪うように唇を重ねた。
 萌黄(もえぎ)さんの吐息と甘い鼻声が、俺から理性を奪っていく。
「泊ってっていい?だめ?俺のことキライ?」
「キライな、わけ」
「じゃあ、いいよね」
 うなずく以外の選択肢を与えなかった俺は、あとでこってり叱られるかもしれない。
 萌黄(もえぎ)さんに無理はさせたくない、なんて思っていた俺の配慮どこ行った?とも思うけれど。
 でも、このまま帰るなんて絶対できないって、心とカラダの全部が叫んでいるんだから。
 ごめんね。
 諦めて、萌黄(もえぎ)さん。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み