邂逅

文字数 4,386文字

 家庭の問題は膠着状態が続いているものの、萌黄(もえぎ)の高校生活は、穏やかに過ぎていくように見えた。
 だが、萌黄(もえぎ)からデートの話を聞くたびに、市島の評価がダダ下がりになるアイ子である。
「え、またイッチーとお昼ご飯食べるの?」
「うん、話があるんだって」
 ランチバッグを片手に教室を出ていこうとする萌黄(もえぎ)の二の腕をつかんで、アイ子はイスに座らせた。
「アタシが一緒じゃダメだって?アタシとが嫌なら、部室でみんなと食べるのは?」
「ふたりがいいって。……せっかくカレカノになったから」
 一見ラブラブな彼氏の言い分に聞こえるし、市島は萌黄(もえぎ)のことをずいぶんと気に入ってるんだな、とは思う。
 周囲に人の絶えないヤツではあるが、常に目の届くところに置きたがるような、独占欲を見せる相手は、ほかにいないみたいだから。
 ただ、そのやり方がどうにも信用ならない。
 お気に入りのオモチャを(くわ)えて逃げて、隠れて穴を掘って埋めてしまう犬みたいだとアイ子は思うのだ。
 それは萌黄(もえぎ)を大切にしてるのとは、違うんじゃないかと。
「ふーん。ねえ、今度の週末、一緒に映画行くって言ってたじゃん」
「……うん」
 返答にわずかに戸惑う間があったのをアイ子は見逃さない。
「嫌なら行くのやめなよ。アタシのせいにしていいからさ」
「嫌、……では、ないけど」
「でも、嬉しくもないんでしょ、その顔は」
「嬉しくない、わけでもないよ。ただ……。ふたりで出かけると、少し強引になるから……」
「また、無理やりキスされそうになった?」
「ちょっと!しっ」
 萌黄(もえぎ)は慌ててアイ子の口を塞ぎ、焦るように立ち上がると「じゃあね」と教室を出ていってしまった。
「……しくったな」
 萌黄(もえぎ)を見送りながらアイ子はつぶやく。
(聞き方を間違えた。照れ屋の萌黄(もえぎ)にキスネタはダメだったか)
 カレカノといっても、戸惑いのほうが大きいように見える萌黄(もえぎ)が不安だ。
 本音を話してもらいたいが、萌黄(もえぎ)自身が気づいていない可能性すらある。
 「考えすぎだよ」と言われたが、この目で確かめてみないことには納得がいかない。
 けれど、市島は何気なくアイ子を遠ざけるのが巧みで、本当にムカツク。
 ふたりが同じトランペットパートなのも痛い状況だ。
 
 悩んで、答えが出なくて。
 取りあえず話をしなくてはとアイ子が思った、その日の放課後。
 「部活がないから、久しぶりにアイスでも食べて帰ろうよ」とアイ子は萌黄(もえぎ)を誘ったのだが。
「トランペット修理に出すから、楽器店についてきてって言ってるの。市島くんが」
「えぇ~?アイツのペット、調子よさそうだったけど」
「後輩くんのみたい。時間がないらしくて、市島くんが代わりに行ってあげるんだって」
「絶対ウソだね。ヤツはそんなキャラじゃない」
「……ずいぶん言ってくれるじゃねぇか、鬼龍院」
「げぇ」
 いつの間にか教室に入ってきていた市島が、アイ子をジロリとにらんでから萌黄(もえぎ)のカバンをつかむ。
「時間なくなるから行くぞ」
「自分で持つから返して。……じゃあね、アイ子」
「あ、ちょ」
 アイ子の呼びかけなど無視した市島は、萌黄(もえぎ)の手をつかむと足を速め、あっという間に教室を出ていってしまった。
 その場に残されたアイ子は、引きずられるようにして消えた萌黄(もえぎ)を心配することしかできない。
(……無理してるっぽいけどなぁ) 
 学校を出るときも、乗換駅のターミナルステーションの改札を出るときも。
 モヤモヤした気持ちは消えず、明日はどんな手を使っても、お弁当を一緒に食べようとアイ子が考えていたとき。
 背後から肩を叩かれて、振り返ったアイ子はそのまま固まった。
「やあ、久しぶりだね」
 濃紺のスーツが異様に似合っている美丈夫が、温和を絵に描いたような笑顔でアイ子を見下ろしている。
「はあ、お久しぶりデス」
 とっさに一歩下がって、アイ子は逃げの姿勢を取った。
萌黄(もえぎ)からお忙しいと伺っています。どうぞお体お気をつけて」
 「はい、さようなら」と続けたかったのに。
 雑踏を避けるふりをした美丈夫、千草(ちぐさ)がアイ子の進路を塞いだ。
「仕事で直帰できる日に妹の友人に会えるなんて、こんな偶然もなかなかないよね」
(ウソつけ、アンタが偶然とか絶対ないだろ)
 アイ子は心の中で悪態をつく。
「でも、ちょうどよかった。お願いしたいことがあるんだ。確かに最近

萌黄(もえぎ)とすれ違ってばかりだから。ちょっとだけ、学校での様子を聞かせてほしいのだけれど」
 耳に心地のよい、優しい低音での「お願い」ではあるが、「YES」以外の答えは求めていない圧を感じた。
「やだ、あの人カッコイ~」
「え、相手って高校生?年の差カップル?」
(いや、ちょっと)
 はしゃぎながら横を通り過ぎていく、女子大生らしき集団をアイ子はにらむ。
(なわけないだろっ。どう見たってインコー条例違反でしょーが!通報、通報してくれい!)
「優しそうな人だね」
(そう見せかけるのが詐欺師の手!)
「あー、あのコってば、超進学校の校章つけてるじゃん。カテキョかな?」
「うらやましぃ」
(警戒心を持てー!)
 大丈夫だろうか、このキラキラ女子たちはとアイ子が心配したところで。
「んふふ」
 含み笑う千草(ちぐさ)の声に、アイ子はびくりと顔を上げる。
「他人の心配をしている場合かな」
(エスパー?!しかも悪役のセリフっ)
「そんな嫌そうな顔をしなくても。それだけ視線を動かしていたら、何を考えているかなんて筒抜けだよ」
(す、すでに魔王状態だと?!)
 心の準備をさせてほしいと恐れおののくアイ子に、魔王が一歩距離を詰めてきた。
「ちょっと君の力を貸してほしいんだ。そんなに時間は取らせないから」
「いや、契約とかしませんよ?」
 魔王の手下になりたくないアイ子は、なんとか距離を取ろうと後ずさる。
「ほら、ぶつかっちゃうよ。……契約?報酬が必要ということ?面白いことを言うね」
 アイ子の手首をつかんで引き戻す魔王に、その深められた笑顔に。
 いっそ気を失って倒れてしまいたいと思ったのだが。
「君が気にかけていることと、僕の心配が一致しているのではないかと思って、声をかけたのだけれど」
 一転、真顔になった魔王に、アイ子は逃げ腰だった姿勢を戻す。
「解決はまだ遠いが、家庭的には小康状態を保っている。なのに萌黄(もえぎ)の顔色が冴えないのは、交友関係のせいじゃないかと思っているんだ。この間、うちで泊まり込みの試験勉強をしていたときに、君は萌黄(もえぎ)に言っていただろう。”無理してつき合ってもイイコトないよ”って。……気をつけていたのに。いつの間にか、悪い虫が寄生していたとはね」
「む、虫、デスか」
 「悪い虫」と発した声の不穏さにアイ子は実感した。
 真顔でお怒りの魔王ほど、怖いものはないと。


「んで連れてかれたのがさー」
 肘をついたアイ子さんは、そのままお行儀悪くグラスを傾けた。
「シティホテルのラウンジで、制服姿の女子高生が浮くのなんのって」
「親族に付き添われた子供ってポジションだから、いいんじゃないんですか」
「立場的にはそうでも、雰囲気があからさまに魔王と子分だからさ」
 やや、契約しないとか言っておいて、その時点で子分に成り下がってるとは。
 そこでバフォメットになったんですね、という言葉も俺は飲み込んだ。
「しかも、”話を聞く”とか”力を貸す”とか、そんな穏やかなもんじゃないからね。尋問だよ、尋問」
 アイ子さんの目が、チベットスナギツネのように細められた。


 学校帰りに寄るコーヒーショップとは、中身もカップも明らかにグレードが違う。
 しかも、一緒に運ばれたデザートプレートには、可愛らしいデコレーションが施されたケーキも鎮座していた。
 そんなステキな貢物を前にして、ふかふかのソファに浅く腰掛けたアイ子は、すでに燃え尽きそうである。
「そう、その市島というコは……」
 洗練された所作で、千草(ちぐさ)がコーヒーカップを傾けた。
「周りの目がなくなると、態度が豹変するということかな」
(あああ~、マジでしくった~)
 アイ子は苦い気持ちでケーキにフォークを入れる。
 席に着いたとたんに始まった尋問中、「ふたりっきりになるのは、ためらうみたいなんですよね」と言っただけなのに。
(弁護士になったって聞いてたけど、実は刑事なんじゃないの)
 わしわしとケーキを食べながら、アイ子はもっと慎重に言葉を選ぼうと決意する。
「もし、君だったらどうする?」
「なにがですか?」
「彼から告白されたら」
「正気を疑います。ヤツとは水と油なんで」
「君と水と油。……そうなんだ。深くつき合うには、クセのある人物ってことか」
「根っから悪いヤツではないですよ。友だちも多いし、けっこうモテるし。ただ……、雰囲気を作るのが上手いから」
「雰囲気?」
 真剣に問う千草(ちぐさ)のまなざしに、アイ子は握っていたフォークを皿に置いた。
「判断も的確だし、決断も早い。だけど、自分の意に添うような結論が出るように、みんなを誘導しがちなとこがあるかなって。そのやり方はベターなときもあるけど、人間関係って、本来そういうもんじゃないでしょう?言葉を尽くして、お互いの心を育てるもんじゃないかと思うんですよ」
「そうだね。その意見には賛成だ」
 ゆったりとした口調で、千草(ちぐさ)が深くうなずく。
「……アイツは、萌黄(もえぎ)のどこが好きなのかなぁ……。そもそも」
 アイ子は一番引っかかっている点を思い出すが、萌黄(もえぎ)本人の了解もないのに、さすがに口には出せないなと思い直した。
「そもそも?」
「あ、いや、なんでもないです」
「そもそも、その悪い虫君は、萌黄(もえぎ)にきちんとした告白をしているのかな」
 おどけたように笑いながら、千草(ちぐさ)が足を組み替える。
「きちんとした?」
「好きだと、自分の気持ちを萌黄(もえぎ)に告げているのかな」
「!」
 

そのものズバリを指摘されて、アイ子の目が泳いだ。
「ああ、やっぱりね」
「やっぱりって?」
「だって、常に自分が優位に立ちたい、主導権を握りたいと思うような、そういう気質の虫なんだろう?相手より先に、自分の心情を吐露するのは嫌なんじゃないかと思ってね」
「……優位に、立ちたい」
 ずっとくすぶっていたアイ子の違和感が、とたんにクリアになっていく。
「人目があるところでは理性的に振る舞うのに、ふたりきりになると豹変する。それは」
 千草が太く短い息を吐いた。
「モラハラ予備軍と言ってもいいだろう」
「それ、萌黄(もえぎ)に伝えたら」
「今は無駄かもしれないね」
「どうしてですか?」
「それほど好きでもなさそうだけれど、それなりに浮かれているみたいだから。人生初カレカノってやつに。君の説得も、あまり効果がないんだろう?僕は最近、兄とも呼んでもらえなくなっちゃったからね」
「……」
 「もうひとりの妹に、大人げない態度取ってるからだろ」とツッコミたかったが、それは他所(よそ)さまのご家庭の話である。
 (わきま)えているアイ子は自重して口をつぐんだ。
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