想いを抱く者 4

文字数 2,691文字

 歴代の『色付き』達は、全く良く出来た人間ばかりだったのだとアミルはぐったりと岩壁に凭れ掛かりながら考えていた。ゴツゴツとしたそこは居心地は良く無いけれど、力を使い果たした故に重苦しい倦怠感に襲われている今の状態では、体勢を直すのも面倒だった。
 恵まれた能力故に、今まで力を使い果たす事など一度も経験が無かった。人を見聞きして知ってはいたが、実際に経験すると二度と体験したく無いものだと心底から思う。それほどの、疲労感だった。
 しかし、生きている。
 目の前には、竜の死骸。
 焦げた地面の上、まばらに残る魔術草と、完全に焼け焦げた竜の遺体が転がっている。人の数十倍はある巨体は、既に原型を留めていない。それでも、竜の亡骸は確か相当な金額の魔術材料だったとアミルは考える。
 だが、金になるとはいえ、竜などとは二度と対峙したく無い。
(こんな事するくらいなら、『色付き』返上してーなぁ。にしても昔の『色付き』はよく、どいつもこいつも大人しく竜退治なんてやったもんだ)
 どうでもいい事をつらつらと考えているのは、何か考えていないと意識を失ってしまいそうだったからだ。
 そしてここで意識を手放せば、恐らく今辛うじて維持している魔術全てが消えてしまうだろう。視界を維持している魔術、気配を誤摩化す魔術。竜がこの辺の魔物を一掃しているらしいといえど、サフもまだ寝ている状態でそれら魔術が切れるのは、さすがに拙いと思われた。
(そういや、そろそろサフは起きるか?)
 あれから、アミルの感覚では二時間程経っている。魔力抵抗の無いサフに軽くかけただけの眠りの魔術は、普通の人間であれば三十分もすれば起きるような軽いものだった。
 そんな考えに呼応するように、少し離れた所で小さな音がした。首を回す力すら残っていないが、アミルはそれでも表情を綻ばせる。
 一度は死の深淵さえ見えた、その中にはあの少女も入っていたのだ。自分一人の力ではないとはいえ守りきれたという安心感がゆっくりこみ上げてくる。
「アミルっ!?」
 現在アミルのいる場所、竜が住み着いていたらしい最奥の空洞からは、そこに繋がる廊下にいるサフが見えないように、サフのいる場所からもアミルは見えない。けれど名を叫ばれた時に籠った悲壮な響きに、どきりとする。直ぐに気配を追ったのだろう、廊下からサフが飛び出してくる。
 そして近くの壁沿いに座り込んでいるアミルを見つけると、走り寄って来た。
 目の前まで来て全身の様子がはっきり分かったのだろう、何時もは綺麗な弧を描いている眉がきゅっと顰められたのを見て、彼は失敗したなぁと思う。
 全身傷だらけであるし、服もあちこち破けたり焦げたりしている。しかも身動きの取れない状態で、心配するななんて言葉も説得力が無い。
「アミル、竜は」
 掠れたサフの声に、目の動きだけで死骸の位置を指し示した。
 振り返ってそれを確認した少女は、再度アミルの方を見た時、大きな青の目を潤ませていた。その様子にギクリとしたアミルは次にくるものを身構えて待つ。
 すぅ、と息をのむ音の後。
「馬鹿ぁぁぁっ!!」
 耳を塞ぐ力も無い為に、思いっきり鼓膜を刺激したその声は、わんわんと空洞の中を反響していった。
 がくりと座り込んだサフの両手がアミルの服の襟首に掛かったが、それ以上は動く事が無かった。そして目の前で俯いた少女の表情は見えず、ただ金の髪だけがアミルの視界を塞ぐ。
「馬鹿、馬鹿、アミルの大馬鹿っ」
(お前なぁ)
 重苦しい倦怠感を堪え一言言い返そうかと思ったアミルであったが、自分を掴んでいるサフの腕が、目の前の肩が震えている事に気づくと、言おうとした言葉も忘れてしまった。ぽたり、と体の前に投げ出した手の上に雫まで落ちて来てしまえば、残るのはバツの悪さばかりになる。
 泣かせようと思ったわけではなかった。
「そりゃっ、たしかに、竜なんて僕、役に立たないかもしれないけどっ! だからって、み、見守らせてもくれないなんて、酷いっ。僕だって、ちゃんと、い、言ってくれれば、大人しくしてたのにっ」
「サフ」
 震えている体を抱きしめるような力も無く、名を呼ぶしか出来ない。
「こんな、ボロボロ、なって」
「うん」
「傷、いっぱい」
「悪かった」
「御礼なんて、言わないっ」
「あぁ。俺が、勝手にしただけ」
(泣く女にゃ勝てねぇって、本当だな)
 アミルがいた女子魔術学校では、処世術として涙を身に付けている女もいた。それが悪いとは思わないが、アミルとしては自分がそれで動揺するとも思えなかった。しかし、今こうやって目の前で泣いているサフを前にして、途方に暮れている。
 何を言われても、腹を立てる余裕すらない。思うのは、どうにか泣き止んでくれないかという事ばかりで、気の利いた言葉一つ思い付かなかった。
 わぁっと本格的に泣き出されてしまえば、神にすら祈りたくなる。
「つっ、次やったら、怒るからねっ」
(今だって怒ってんじゃねぇか)
「分かった!?」
「あぁ、分かったよ。次は、しない」
(次って、もう二度と竜なんて相手したくねーけどな)
 がば、としがみついて泣き出され、色々な場所の傷がズキズキ痛んだが、抱きしめられない現状で一番近くにある方法が他にある訳でもなく、泣き止ませる方法も思い付かないアミルは仕方なくそのままの状態に甘んじる事にした。
 ただ、体の痛みはかなりのものだったが、気分は悪く無かった。
 しばらくこのままでいたかったが、限界は確実に近付いて来ている。その前に言うべき事があった。
「あのさ、サフ」
「何っ」
「悪いんだが、そろそろ俺も限界なんだ。もうすぐ、眠っちまう。多分一日くらい寝てると思う」
 ゆっくりと顔を上げたサフと、ようやく目が合った。
 涙でぐしゃぐしゃになっているその顔を確認して、アミルは苦笑いする。酷い顔であったが、可愛く無いわけでもない。むしろ泣いてまでそれなりに可愛らしいというのも厄介だと、思う。これで動けていたら、きっと色々していた。
「力を使い切ったんでしょ。馬鹿」
「あぁ。で、俺が寝たら全部魔術が切れちまうから。視界もきかなくなるし、結界も無くなる。ただ、竜がいたから、魔物はいないだろうけどさ。追って来た奴らも間違いなくここまでは来れないだろうし」
 口調が早くなるのは、近付いて来ている限界をひしひしと感じている為。
「だから、今の内に火をつけるなり、しとけ。とりあえず飯は勝手に食ってていいから、俺が起きるまでここを動くな」
「分かった」
 ひっく、と涙の余韻の残る様子ながら頷いたサフに。
 安心したアミルは、急速に意識が遠のいていくのを感じた。
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