崩れていくもの 2

文字数 2,621文字

 普通に女の子として暮らしていたならば、きっとこんな事は無かったのだろうとサフは思う。
 男の中に紛れ込んでいるから目立つのであって、女の子の中に入ったならばそこまで目立つ事も無い普通の存在であったのだろうと考えている。それをアミルが知れば「やっぱお前はなにも分かっちゃいねーんだよ」と呆れたように笑うだろう事は知らない。
 だが、それは許されない事だった。
 少なくとも十七までは。
 夜、自室に戻って来たサフは、入学して以降ずっと戸棚の奥に仕舞い込んでいた小さな小箱をどうしても取り出してみたい衝動にかられ、気づけば小箱を手にしていた。もう何年も存在すら忘れていた入学時に唯一持って来た過去の品であるそれは、昔と変わらない布で覆われた姿で彼女の目の前に現れた。
 寝台に座り、それを開く。
 中に入っているのは指輪と、何枚かの紙切れだけだ。
 指輪は彼女の母親の形見であり、同時に彼女の身分を示すもの。そして紙切れには全て、絵画と呼称するには精巧すぎる描写の絵が入っている。それらは全て、サフの幼い頃に面倒を見てくれていた魔術士が得意としていた『写実』という魔術により作られたもの。光を焼き付かせる事により、まるで目で見ているのと同じ絵を紙に描くものだった。
 サフが手にしたのはその紙切れ達で、そこには過去の彼女、そして彼女が残して来た大切な二人の姿がある。見てしまえばきっと会いたくなるから、辛くなるから、これまで彼女はずっとそれを見ようとは思わず、実際仕舞い込んで見なかった。
 それなのに今手にとってしまったのは、自身の過去への感傷が大きかった。
 写真の中の幼いサフは、間違いなく女の子として笑っている。

「この場所に居たら、僕でもサフを護りきれないかもしれない」
「勿論、俺らは命を賭けたって良いと思ってる。けど、本当に命賭けたところで、その後独り残してしまったら、結局護れなかった事になってしまう。そんなのは、嫌だな」
 二人は、そう言った。きっと悩んだ末の結論だったのだろう。
 見知らぬ場所に行く事に不安が無いというのは嘘になる。けれど、それ以上に二人にこれ以上迷惑をかけ続ける事はもっと堪えられない。だから、笑って大丈夫だと言った。

 全て、自分で選択して、今に至っている。
 後悔はしない。それは、ここまで生きて来た中で助けてくれた沢山の人たちを裏切る行為だった。
「うお、かっわ」
 突然直ぐ傍で聞こえた声に、全く気配に気づいていなかった彼女はびくりと全身を震わせた。その拍子に手から紙が何枚かはらはらと落ちたのを、隣から覗き込んでいた少年が素早く全て拾い上げる。
 サフの部屋に突然現れられる者など、一人しかいない。
 拾い上げた紙の全てを、アミルはまじまじと見ていた。
「あ、アミルっ、それ、返して!」
 誰かに見せるつもりは全く無かったそれを、アミルに見られて顔に血が一気に昇ってしまった。恐らく真っ赤になっているだろう顔を隠す事も忘れて、サフは彼の手の中に収まっている過去の自分の姿を回収しようと手を伸ばしたけれど、写真から目を逸らす事なくアミルはするりとそれを躱してしまう。
 生粋の魔術士であるアミルは、しかし意外に動きが俊敏で勘も良くて、本人に自覚はなさそうだが普通の男相手であればまず負けないだろう程度に強い。
「なぁこれサフだろ? だよな!?」
「そうだけどっ、早く返してよ!」
 返してもらおうと飛びつくサフに、するすると躱すアミルの動きは中々筋が良いものだと言えるが、今の彼女にそんな事に気づく余裕はない。
 そしてアミルの方はやたら楽しそうな表情で穴があきそうな程、紙を見ている。
 その様子が余計、サフを恥ずかしい気分にさせるのだとは恐らく気づいていない。
「待って、もうちょっと見せてくんねぇ? うあぁ、可愛いなぁ」
「ちょっ、待っ、や、杖っ!!」
 楽しそうに紙を見ながら心底からという様子で感嘆する様子の彼を見ていられなくなった彼女はとうとう、破幻杖を召還してしまった。間髪置かずに発生させた魔術の刃をアミルの首元にぐいっと押し付ける。
 そして低い声で命じた。
「かえして」
「ごめんなさい」
 顔を引き攣らせたアミルが紙を差し出すのを、乱暴に奪い取ってようやく彼女は杖の刃を彼の首元から消した。
 苦笑いをしながら片手で首元を摩る少年は、しかし気分を害した様子もなくその場にぺたりと腰を下ろす。丁度置かれている座布団が彼を受け止めた。
 その間にサフは取り戻した紙を小箱に仕舞い込む。
「あーぁ。もうちょっと見たかったなぁ可愛かったのに」
 残念そうに笑う様子からは、たった今、刃を首元に押し付けられていた事への不満などは全く無いようだった。
 けれど自分でした事ながらサフの方は刃で脅してしまった事への罪悪感にかられてしまう。夢中で取り返そうとしていたとはいえ、元々不用意に紙を見ていたのはサフ自身だったし、常のアミルを考えれば興味を持つことは予想の範囲内だったはずだ。
 小箱を戸棚の奥に仕舞った後、サフはアミルに振り返ると頭を下げた。
「ごめん。やりすぎた」
 手の中の杖は、元々アミルより貸されているもので、こんな事に使うべきものではない。
 恐る恐る顔を上げた所で彼女が見たのは、呆れたような顔をして自分を見る少年だった。同じ歳のはずなのに戦士学校の同級生とは全く異なる、女に見紛うような繊細な顔立ちをした彼は紫水晶の目を柔らかくしてサフを見上げている。
 こういう時、彼は同じ歳の筈なのにひどく大人びて見える。
「違うだろ。やり過ぎたのは俺だ。全く、なんて顔してんだよ」
 ひょいっと立ち上がったアミルが近付いてくると、ぽんと頭に手を置かれた。
「ま、何かあったらそうやってその杖使ってくれよ? たまには使わないと錆びるかもしんねーから」
「錆びるのっ!?」
「かもな」
 くしゃくしゃと頭を乱暴に掻き撫でられる。いつもの自信が溢れた笑顔を見た瞬間に、気を使われたのだと気がついた。いつもそうやって彼は素早くこちらの感情を読みとって、思い詰める前に手を差し伸べてくれる。
 どうしようもなく、甘やかされているような気がした。
 いや、恐らく気のせいではない。
 そういう部分は、まるで、幼い頃から彼女の面倒を見てくれていた魔術士のようでもある。
 だから余計に迷惑をかけたく無いと、サフは少し伏目になって両手を握りしめた。その様子を、不安そうにアミルが見ている事も気づかずに。
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