目の前で蠢くもの 1

文字数 2,538文字

 アミルが公式に戦士学校を訪れた翌日。
 サフは、アミルの言っていた「一線」を身をもって味わう事になった。
 戦士学校には、よく言えば無邪気で悪く言えば遠慮や気遣いの無い少年達も存在していて、そういう者達の一部がからかいがてら、普段はあまり話す事の無いサフの元へ何名かやってきたのだ。その者達の多くが同じような感想を向けてきた。
 曰く、女に興味があったんだな、と。
 どこか嬉しそうに言われるその言葉に、彼女は複雑な気分になりつつ「そりゃ僕だって男だからねぇ」と無難な言葉を返すばかりであったが、男に興味の無い健全な彼ら曰く、サフはあまりに色恋沙汰に興味が無さ過ぎて女は駄目なんじゃないかという噂まであったらしかった。
 元が女である故に、確かに男同士で交わされるそういう話からは退け腰な部分がこれまであった事は否めないのだが、その結果としてもしかしたら男に告白されたり襲われたりという弊害が発生していたのかもしれないと、改めて彼女は気づかされた。
「で、どこまで進んでんだよー?」
 完全に面白がっている風体で問いかけてくるのは、常に上位五位以内には食い込んでいる同級生で、彼女と同じ金の髪と茶の瞳を持っている。見た目だけであればもう二十代に見えない事も無い大人っぽい風貌で、身長はサフより遥かに高かった。
 顔が整っているだけにそれなりにモテるという話も知っている。本人もそれを隠そうとしない。名を、エドガーという。
 彼は自身が浮き名を流しているだけあってか、他人のそういう話を聞くのも好きなようで、噂が広まって以降は良く声をかけてくれるようになった。話す様子がアミルと似ているせいか、サフも避ける気が起きずに相手をしている。
「どこまでって」
 廊下でエドガーに捕まって、そのまま訓練でも一緒にしようかという事で歩きながら問われた事に、彼女はよく分からずに首を傾げた。それに対し彼はにやりと笑って肩に腕を回してくる。
「なーにとぼけてんだよ? ん? お前ら、この前の課題も一緒に行ったんだろう?」
「そうだけど」
「服を脱ぐぐらいまでいっちゃってんじゃねーのかってことだよ」
 その言葉に、課題の中で互いの性別が分かってしまったときの事が思い出されてしまった。先にサフが仕掛けてしまった事であるが、服を脱がせたときのアミルの肌と、そして自分が脱がされてしまった出来事がはっきりと思い出されて、彼女の顔が一気に赤に染まる。
 覗き込んでいたエドガーが、それにひゅう、と口笛を吹いた。
「その様子じゃ、いっちゃってるな? だろ? あーいいねぇ!!」
「もう、エドガー!!」
「ははは。恥ずかしがるような事じゃねーだろ。年頃なら当然ってな」
 肩を竦めて言うエドガーからは悪意は全く感じられずに、だからサフは遣る瀬無いような気持ちになってしまう。
 エドガーに肩を組まれたままで歩く道すがら、不意に彼女は視線を感じた。
 振り返るが、誰もいない。
「迷惑な話だよな。ま、お前なら大丈夫なんだろうが」
 前を見たままでエドガーが小声で囁く。どうやらサフの身辺の事情も、そして今の視線も全て気づいているようだった。知っているからといって深入りしようとか、助けようとか、そういう方向に持って行く訳でもなく、天気の話でもするような顔で。
 恐らくこれが普通の人間の反応なのだ。
 やはりそう考えればアミルは深入りし過ぎている。だが、それに何度も助けられている。
(また、アミルの事考えてる)
「おいおい。何考えてんだ? 彼女の事かぁ?」
「うん」
 不意に尋ねられた事に素直に答えてしまったサフを、呆れたようにエドガーは見たけれど、何も突っ込んでくる事は無かった。

 エドガーとの訓練も終えて、ついでに夕食を一緒にと誘われたサフだったが丁重にその申し出を断った。
 彼を疑った訳ではないが、さすがに連日あの手この手で狙われ続けていれば、いくら彼女でも用心深くなるのである。それでも一緒に寮に帰るくらいであれば断る理由も無く、二人で廊下を歩きながら他愛無い話をしていた所で、向かう先に見知った顔がいる事にサフは気づいて首を傾げた。
 壁にもたれたクレイが、彼女と目が合った瞬間に壁から離れて近寄ってくる。
「あのさ、サフ。明日時間あるか?」
「あるけど。訓練?」
「あ、うん。特別棟予約したんだ。この前やったけど、でもせっかくなら一度おもいっきり手合わせしたくなって」
 特別棟は、サフが連日呼び出されている訓練室とは少し異なっている。
 校舎内の一室である訓練室とは違い、特別棟は一棟全てが訓練用の空間として作られている。防音は元より衝撃にも強い造りで建てられたそこは広く、中でどれだけ激しい訓練が行われようと支障が無いようになっているが、使用には特別な許可が必要になってくる。
 提出書類の面倒さなどもあって、普通訓練に使おうとは思わない場所でもある。
「いいけど」
 断る理由も無い。
 サフが頷くと、クレイは「それじゃ昼過ぎくらいに」と踵を返して去っていった。
 まさかそれだけの用の為に、さっきの場所で待っていたのだろうかと考えながらクレイを見送るサフの肩に、不意に重みがかかる。一体何なのだと見上げた彼女は、物言いたげな顔をしたエドガーの横顔を見る事になった。彼の目は真っ直ぐに去っていくクレイの背中に向かっている。
「あのさぁ、あんまこんな事俺も言いたく無いんだけどさ」
 少しの沈黙の後で、エドガーは話す。
「あんまり、アイツに気を許さねー方がいいと思うぞ、俺は」
「エドガー?」
 何故? と問うたサフに、彼は曖昧に笑うだけで理由を語る事は無かった。

 どうもしっくりとこない。
 昼間のエドガーの話に落ち着かない気分になったサフは、その夜いつものように姿を現したアミルにそれを相談しようとして、寸前で思いとどまった。最近、そうやってアミルに何でもかんでも話しては心配をかけたり手間をかけたりしている。
 根拠も無い、理由もはっきりしないような事なのだから、
 何かを言いかけ、しかし言葉を噤んだ彼女に気づいて、少年は不思議そうに声を掛ける。
「サフ、どうした?」
「何でも無い」
 だから、問いかけられた言葉には、笑って答えた。
 それで誤摩化せていると、彼女は思っていた。
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