追われている者 2

文字数 3,956文字

 入ってすぐは外の光が届いていたが、足早に進むとすぐに光も少なくなり、人が歩く為に整えられていない洞窟の中では歩く事も難しくなった。ごつごつとした岩場の足下に少し足を取られたアミルは、直ぐに魔術で視界を整える。
「あ、アミル、暗い」
「うん、分かってる」
 アミルに手を取られるままのサフにも、同じように魔術をかけた。闇に慣れない視界が一気に、暗いながらも全て把握出来るものになったのに驚いてサフが感嘆の声を上げる。そんな様子を見る事も無くアミルはどんどん先へと進む。
 あっさりと使ったものの、アミルが今使ったのは人の体に作用する高等魔術である。本当なら光の魔術でも使えば済むしそちらの方が楽であったが、暗い洞窟の中ではそれこそ自分たちの現在地を示すようなもので、それでは何の為に洞窟の中に逃げ込んだのか分からない。
 恐らく追って来ている者達は、洞窟の中に入ってくるだろうとアミルは予測している。こんな所まで追って来る者達が、魔物が跋扈する洞窟だからといって引き返すとは思い辛かった。
「凄いね、魔術ってこんな事も出来るんだぁ」
「あー、そうね。でも誰でも出来るって訳じゃないから」
「ふぅん? ねぇアミル、でも光出す方が早いんじゃないの?」
「そうだけど、でもそうしたら魔物達が寄ってくるよ、多分。それでいいの?」
「そっかぁ。そうだね」
 暢気に話す、その声も本当ならば小さくして欲しいが、さすがにそれを求めたら勘付かれる恐れもあってアミルは注意出来なかった。そして少し見遣ったサフの顔が、ふわりと笑っている事に安堵する。
 肝が据わっているのか認識が足りないのか、洞窟の中に入ってすらサフは緊張した様子が無い。
 確かにサフは戦士としては非常に強い部類に入るのだろう。だが、『虚ろ』であるが故に魔術に対する抵抗力は皆無に等しく、更には不安定である筈。なればこそ、この存在を守れるのは自分しかいないのだとアミルは気を引き締める。不意に魔術などかけられないよう、こそりとサフの周囲に結界を張った。
 呪文も動作も必要としない、独特かつ高度な己の魔術士としての腕がこれ程役に立ち続けるのは初めてである。
 そうして二人、課題の目標である魔術草がある筈の洞窟の奥を目指した。
 最初こそ静かだったが、考えていた魔物の遭遇も中々訪れず、面白くも無い洞窟の中を歩き続けるうちに何となく会話が生まれる。緊張は消えないが、何も起こらないのでは暇を持て余しているようなものだった。
「アミルってさ、卒業後の進路は決まってるの?」
 幾つかの会話の後に、サフがぽつりと問いかけてくる。
 卒業を控えたこの時期であれば、誰の間でもよくなされているものだ。
「決まって無いよ。多分、家に帰るかな」
「嘘!? アミルなら色んな所から引く手数多でしょ? 何で」
(そりゃ俺が実際は女じゃなくて、男で『色付き』だからだろ)
 そうは思うが、そのまま言う事も出来ずアミルは苦笑いで返した。
「だって私、どっかに仕えるって性に合わないから。多分世界中ふらふらしてると思うな、将来。で、そういうサフはどうなの?」
 驚いた顔をするサフに、返した答えはそれでも真実で。本当なら適当に誤摩化せばいい筈のその問いに何故か真面目に答えてしまったアミルは、照れ臭さに話の矛先をサフへと向けた。色々な所から引く手数多というのであればサフも同様の筈である。
 問われた少年が息を飲むのをサフは感じて、隣を見る。
 金の髪の向こうの青の目が、不安そうに揺れていた。予想外の反応に思わず観察するアミルの前で、サフは泣きそうな顔をして笑う。
「うん、どうしようかなって思ってる所。何処かに仕える事は出来ないし、帰れないから」
「家、無いの?」
「あるけど、でも、帰れない。迎えてくれる人はいるけど、でも、これ以上僕の為に拘束するなんて事、出来ないから。約束なんだ、僕が十七になったら自由にしていいって。でも、僕が帰ったらきっとあの二人は僕と一緒にいてくれるから、だから」
 どこか夢の中に居るような様子でサフは言う。あの二人、というのが親兄弟ではなさそうだとアミルは思ったけれど、余りの普段の様子と異なる姿に、それ以上問う事も憚られた。まるで叱られた子どものような、あまりに不安そうな姿に言葉を失う。
 世間知らずの無邪気な少年のもう一つの姿。
「そうだね、僕も、世界をふらふらしているかもね」
「その時は一緒に行こうか?」
 提案したのは無意識だった。サフが『虚ろ』であるとか、自分が『色付き』だからとか、ましてや性別を誤摩化している事さえ忘れたままでアミルは問いかけていた。
 くすり、とサフが笑う。そこにさっきまでの不安そうな陰りは無い。
「うん。それもいいかもしれないね」
 肯定してもらえた事が、酷く嬉しいなんて。
(俺、何考えてんだろな?)
「そうそう。サフみたいな世間知らずが一人なんかでふらふらしてたら、あっという間に身ぐるみ剥がされちゃうからね!」
 嬉しさを隠そうと、態とからかうような言葉を吐いて、アミルは握っていた杖を意味も無くぶんぶん振った。その顔は赤いが、魔術で強化されていても色の識別は弱い為に、それが隣を歩く少年に見えてしまう事は無かった。
 そうしている間に、少しだけ開けた空洞のような場所に出る。天井が高く、空洞の半分は、崖で切れて下には黒々とした水がざぁざぁと音を立てながら流れている。洞窟は奥に行く程地下に入っている事から、水は奥へと流れている事になる。
 ぴくり、とサフが肩を揺らす。
 一瞬で少年が緊張したのに気づいてアミルが隣を見るのと、サフが立ち止まったのはほぼ同時だった。数歩たたらを踏んで、アミルも立ち止まる。
「サフ?」
「ごめん、アミル。迷惑かけるみたいだ」
 ぎり、と拳を握りしめて言う少年の表情に、アミルは見覚えがあった。狙われているかもしれないと話をした後の、あの表情。そしてようやくアミルの方も、追いかけてくる者達の気配が近くにまで迫っていた事に気がつく。
 情けない事に、洞窟の中に入ればアミル自身も魔物達や閉鎖空間の影響を受けて、察知能力が減退する事を失念していた。それに比べてサフの気配察知能力にはそんな事は関係無い。そして、近付いているものが魔物なのか人間なのかの区別すらつくらしい。
 戦士としての能力が高いのだ。けれどこの場では少し恨めしいとアミルは思う。出来れば気づいて欲しく無かった。
(拙いな。向こうはそこそこ使えるらしい魔術士がいる)
 さっき結界を破った者。魔術士であれば『虚ろ』であるサフと接触させる訳にはいかない。
 アミルは杖を握りしめる。
「バカ」
 そしてもう片方の手でサフの頭を叩いた。ぺち、と軽快な音を立てて金の髪が揺れるのを、綺麗な青の目が大きく見開かれるのを、満足感で見守る。
「ちょっと、アミル?」
「前に言ったよ、次に迷惑なんて言ったら殴るよって。罰としてこの場は任せてくれない?」
「でも、向こうは複数だよ!」
「私を誰だと思ってるのかな、サフは。これでも学校一なんですけど」
(ついでに『色付き』で男なんですけど)
 恐らく追っ手が来るだろう方向に目を向け、背後にサフを庇う形をとった。万が一にも、向こうの魔術士とサフを接触させる訳にはいかない。小さく息を吐いて、早々に決着をつける為に魔術を一気に組み上げる。向かってくるもの達も同じつもりなのか、濃い魔術の気配がした。
 勝負は一瞬だろう。それでも確率上、アミルが負ける事はまず無い。
 暗い向こう側から、光が近寄って来て、ゆっくりと人の姿が見え始める。人影は3つ、その中の一つが杖を持っているから、それが魔術士なのだろう。全て男で、光に照らされた顔は、あまり人相が良いとは言えないものばかりだった。
 それでも、こんな所まで追ってくるだけあって、これまでにやって来た者達よりは少しだけ腕が立ちそうである事は雰囲気で分かる。
「こんなとこまでご苦労様、と言えばいいのかしらね?」
「それだけの価値があるからな」
 にやりと笑って問いかけるアミルに、男の一人が肩を竦めて言う。その背後では、もう一人の男が剣を抜きながらにやにや笑っていた。ただし、魔術士の方は少し顔色を悪くしている。アミルが組み上げた魔術の内容が伝わっているからだ。
 腕が良ければそれだけ、格の違いへの理解が高い事になる。
 向こうの魔術士が使おうとしているものより遥かに大きな魔術を、アミルは用意したのだ。牽制の為だけに、しかも一瞬で。
 魔術士以外の男達の関心は、アミルではなく背後のサフへと向けられていた。やはり、サフの追っ手なのかとアミルは溜め息をつく。
「人違いでこんなとこまで来られるのも迷惑なんですけど?」
「はっ! 人違い? 空々しい誤摩化しだなお嬢ちゃん。そんな格好をさせれば大人の目を誤摩化せるとでも思ったんなら大間違いだぜ?」
(俺を女だの思ってる時点で充分誤摩化されてるじゃねーか)
 呆れて、何と言い返そうかアミルが考えた一瞬。
 背後より盛大な水音と共に突然巨大な気配が出現して、背筋が凍り付いた。位置的に現れたそれを真っ先に目にしただろうアミルと対峙している男達が、驚愕に顔をゆがめてひぃぃっと声を上げながら腰を抜かすのを見たアミルは背後を振り返り、再度背筋を凍らせる。
 水蛇、と呼ばれる魔物がいる。
 人の数十倍はあろうかというソレの、とぐろに捲かれた状態のサフが、水の中に引き摺り込まれていく所だった。サフも抵抗しているが、水蛇のあまりの大きさに意味を成していない。。
「マジかよっ!!」
 我に返ったアミルが駆け出すのと、ざぶんと水音を立ててサフの姿が水蛇と共に水の中に消えるのがほぼ同時。
 アミルの方も迷う事無く後を追って、水の中に飛び込んだ。
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