世間知らずの少年 3

文字数 2,750文字

 真夜中、ふいにアミルは目が覚めてしまった。
 小さな物音がしたような気がしたのだが、真っ暗な宿の部屋の中ではそれらしい原因も見つからない。気のせいかと思って再度眠ろうかと思ったアミルだったが、次にはっきりとした魔術の気配を感じて直ぐに気を張りつめた。
(これは、眠りか?)
 多少強化されているらしいその魔術の気配を、正確に読み取る。
 魔術は、より大きな魔力を持つものに対しては効果が薄くなって行く。周囲を破壊するようなものならまだしも、アミルのような『色付き』に対して成功するこの手の魔術など、ほぼ無いに等しい。それがどんなに強化されていようが関係無い程に、普通の魔術士と『色付き』の差は大きい。
 だが。
「おい、サフ!」
 隣の寝台で眠るサフの方は完全に術中に入っていた。『虚ろ』は、身の内に魔力が無い事で全く抵抗力を持たないから、何らかの防御魔術でも持たせていない限り直ぐに掛かってしまう。当然今この時も、アミルが乱暴に肩を揺らしても起きる気配は全く無かった。寝起きは良い少年なので、明らかに術に掛かっているのが分かる。
 何が起こっているか分からないが、魔術を使用されているのなら、起こしても戦力にはならないどころか余計な手間がかかる可能性もある。そう判断してアミルはサフはそのままにしておく事にした。動かない相手を守る方が余程容易い。
(全く、こいつは)
 すやすや大人しく眠り続けるサフの金の髪をくしゃり、と撫でてアミルはどうせ起きないのなら、とサフの寝台の隅に腰を下ろした。ぎしりと寝台が大きく動いても起きる気配はない。その寝顔だけ見れば、まるで子どものようだと思う無邪気さだった。思わずずれていた布団をかけ直してあげる程には。
 周囲を守るように、結界の魔術を張る。
 相手に魔術士がいるのであれば『虚ろ』であるサフに指一本触れられる訳にはいかない。
 アミルの魔術が完成したのと同時くらいで、部屋の唯一の入り口である木の扉がかちゃり、と動いた。鍵は閉めている筈だったが、何らかの方法で開けられたらしい。魔術士がいるのであれば、鍵開けくらいは簡単である。
 部屋は暗いが、さっきまで寝ていた分、夜目は効く状態のアミルは開いて行く扉をじぃっと見守った。
 そこから顔を出したのは。
「何だ、お前らかよ」
「んなっ!? おい、起きてるじゃねーかよ!」
 今日少し見た覚えのある顔にガックリと肩を落としてアミルがぼやいたのを、入って来た男の方は酷く仰天した様子で背後の方に苦情をつけた。そちらに魔術士がいるらしい。入って来た男といえば、昼間サフに投げ飛ばされた一人である。
 あの後のサフの話からは、人身売買絡みの誘拐なのか、サフの見た目に騙され不埒な行為をしようとしていたのかは不明だった。何にせよ碌な人間ではないだろうと考えていたが、こんな犯罪行為までするとは、というのがアミルの正直な所だ。
(そんなにコイツは高値で売れるのかね)
 傍にある金糸を何となく撫でながら、入って来た男をねめつける。
「何の用だよ、こっちは寝てんだけど」
 完全に素で応対してしまうのは、もう二度と会わないような対応をしようとアミルが決めているからでもある。声をかけられた男の方は、手にした短剣をアミルに対し突きつけるような形で部屋に入ってくる。その後ろからはローブを羽織った男が続く。これが魔術士なのだろう。
「うるせぇ! 大人しくその女を渡しゃあいいんだよ!!」
 女。誰が、と思わず考える。普通に考えて、アミルが引き渡せるのはこの、傍らで寝入っている人間一人しかないのだが。
「いや、こいつ、男だぞ?」
(コイツ女と間違われて襲われてたのかよ。つくづく女顔だな)
 上手く事が進まないからか苛立っている男の姿と、その発言内容に呆れながらもアミルは黙って魔術を一瞬で組み上げる。基本的に呪文の詠唱だの、動作だのが魔術の行使において一般的であるが、実際は魔術を真の意味で理解し深淵を理解しているならそれらは不要なのだ。
 それこそ、会話をしながらでも魔術は使える。
 意識さえあればどんな時ですら可能。
 こればかりは生まれ持つ魔力以上に、知識と経験と深淵に対する理解が必要な事であったが、アミルはその辺も充分に備えている。若くして『色付き』となったのは、そのせいもあるのだ。
「んなわきゃねぇだろ! 見え透いた嘘をつくんじゃねぇ」
「そんな嘘ついてどうすんだよ」
「そうか、コイツに掛かってる賞金を独り占めしようってんだろ! そうはいかねぇぞ!! こっちには魔術士がいるんだからな」
(おいおい。賞金までかかってんのかよ。一体ナニしてんだサフは。いや、女だってんだからサフに似た女が賞金首なのか?)
 目の前で喚く男はそれ以上の説明をしてくれそうに無い。アミルは苦笑いしながら、男が自慢げに指し示した連れであるらしい魔術士の方を見遣る。ローブを羽織ったその男は、人相の悪い顔を更に酷い顔色に変えて、がたがたと震えていた。
 同じ魔術士であるなら、組み上がった魔術を見るだけで相手の力量くらい判断出来て当然である。しかも今アミルが使おうとしているものは、触れるものを全て引き裂く凶暴なもの。女子魔術学校の中で全力で魔術を使って来れなかった反動もあって、容赦は一切ない。
 あと一つで完成するのが明らかなそれを前に、並の魔術士が正気を保つ事さえ難しい筈だった。
「おい、この女やっちまってくれ!」
 何も知らない男が言うのを、魔術士の男はぶんぶんと頭を振って否定をする。
 その様子からは、もう一秒もここに居たく無いらしい様子が伝わって来て、懸命だとアミルは思う。
「おい!?」
「お、おお。俺はもう降りる!! こんなっ、こんな化け物がいるなんて、聞いてたらこんな依頼受けなかった!」
「化け物たぁ言ってくれるじゃねーか」
「ひぃぃっ!!」
 にやりと笑ってアミルが言えば、魔術士は涙まで流して逃げて行った。
「なっ!? おい、何だよ!」
 それを追いかけるように男も部屋から出て行って、そして直ぐに静寂が訪れる。
 結局使わずに済んだ魔術を霧散させ、アミルは大きな溜め息一つついて寝台から立ち上がると、開けっ放しにされてしまった部屋の扉をパタンと閉めた。ついでに魔術で朝まで誰も入れないように封印をする。今来た者達が戻ってくるとは思えないが、他の誰かが来る可能性は充分にあった。
 ついでに部屋全体にも結界を張ってようやく、安堵する。
 窓の外を見ればまだ朝も見えない程真夜中で、片方の寝台では何も知らない少年がすやすやと穏やかな寝息を立てていた。それほど強い魔術ではないから朝になれば普通に起きてくるだろう。
 もう一度、サフの寝る寝台の傍に歩きよったアミルは、無邪気な寝顔にもう一度溜め息をついた。
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