崩れていくもの 4

文字数 3,029文字

 基本的にサフの希望を優先してくれるアミルでも、さすがに薬の一件以降かなり容赦なく護りの魔術を強化してきた。本人曰く、「薬は体内に入っちまったら魔術じゃ殆ど、どうしようもねーんだから過敏になるに決まってるだろ』という事らしい。
 まず部屋の外で出来るだけ飲食しないよう指示された。
 これに関しては、自身の不覚である為にサフも大人しく従うしか無い。
 腕輪の護りの魔術は、空気の異常まで感知できるようになったらしい。アミルは人との接触そのものを防止したかったようだが、それでは訓練出来ないためそれだけはどうにか止めてもらった。
 すっかり過保護になってしまった少年を前に彼女は非常に複雑な気分になってしまったが、それを断るような勇気もなかった。自分の為に色々と心配してくれる彼の姿を見る事は、本当は少し、嬉しい部分もあったから。
 ただ、基本的に学校外に出ないサフに、自身の食事の用意をし続ける事は難しい。そうぼやいたら、少し考えた様子を見せた後でアミルはにやりと笑い「明日までにどうにかする」と言いきった。
 そんな翌日。

 サフは、学校入り口で固まっていた。
 用務員のおじさんに、客が来ていると言われ首を捻りながら入り口まで出向いた所で、相手の姿を確認した彼女は呆然と、立ち竦んでしまったのだ。
「サフ」
 にこやかに手を振るのは、最近毎日のように見ている相手である。
 ただし、見るのはいつも簡素な男物の軽装をした姿だったから、完全に魔術士の姿で、しかも少女らしい服装をしている所を見るのはとても久々な気がする。男と知っている今ですら、その姿に不自然さを感じないのが、いっそ見事であった。
 固まっているサフにアミルの方が近付いてくる。
「久しぶりっ会いたかったぁ!!」
 がばり。
 唐突に抱きしめられて一体自分に何が起こっているのだろうと自問自答。
 身長は殆ど変わらないから、目の前で彼の色素の薄い茶の髪が揺れている。
 学校入り口は、表向き唯一の出入り口という事もあって周囲にはそれなりに生徒達がいる。表向き抱き合うような形になってしまっている二人に、周囲がざわつくのも仕方のない話だ。抱き合う二人と誰もが遠巻きに見守っている。
「ああ、アミル? あの、ねぇ?」
「もう、もっと早く教えてくれなきゃ駄目じゃないの!!」
 戸惑う形で声をかければ、ぱっと離れたアミルは腰に手を当てて、持っていた大きな包みを掲げてみせた。
 五年も女子学校で過ごしてきただけあって、そうしている姿はやっぱり全く男には見えない。声変わりが起こっていないらしい高めの声が楽しそうに言葉を紡いでいく。何時も向けられている物と同じ、しかし少し異なる声音。
「ほら、今日から三食しっかり食べてもらうんだからね!」
 一体何がどうなってるんだ。
 問いかけたかったけれど、アミルの目がそれを禁じていた。いつの間にか目だけで会話が出来るようになっている事に驚く。
 押し付けられた大きな包みはずっしりと重い。
 戸惑ったままの彼女に、ふっと笑ったアミルが顔を寄せてきた。再度抱きしめられるような形になってびくりと身を震わせたサフの耳元に唇を寄せて、囁く。
「いいから、合わせろ」
 すとんと低く変わったいつもの声に、どきりとして頬が赤くなっていくのを感じる。
 そんな彼女は現在の状態が、周囲から見れば抱き合って、あまつさえキスをしているように見える事には全く気がついていない。そしてアミルの方はそれを理解した上でやっている事も、気づいていない。
 ただ顔が離れた時に、うんと頷いた。
「サフ?」
 知っている声に、振り返れば表情の無いクレイが少し離れた所に立っていた。
「知り合い?」
 小さな声で尋ねられるのを、うんと頷く。それを合図にするかのようにアミルが体を離した。
「こんな所で何やって」
「こんにちは、サフが何時もお世話になってます。彼女のアミルです」
(は!?)
 問いかけてくるクレイに、サフが何かを言う前にアミルがすらすらと答える。その言葉の内容に思わず絶句するのだが、言葉は発する前に握られた手によって遮られてしまった。何度か握られた事のある彼の手は、少しだけ大きくて、心までぎゅっと握ってくるような錯覚をする。
 不安は消えないし、落ち着かない気分にもなる。けれど、安心する手だった。
「彼女? マジで?」
「あ、うん」
 胡乱気に問いかけられるのに思わず頷いた。話を合わせろと言うアミルの言葉がしっかり頭の中に残っていたらしい彼女の反応に、満足げにアミルが笑う。
 その後、少しの会話をしてから、アミルは堂々と帰っていった。
 正規の手続き、そして入って良い場所を守るのであれば、女子学校の生徒であっても戦士学校を訪れる事は確かに可能であったが、それを実際に行った者は長い歴史の中でも殆どいない。戦士学校でその噂が広がるのはあっという間だった。

「とりあえずこれで、一線は引けただろ」
 その夜やってきた魔術士の少年は、手土産と称して持参してきた保存のきく料理の入った幾つかの弁当を、余った戸棚の中に放り込みながら話した。その戸棚は彼の手により常時冷気が漂う不思議な状態に変えられている。その方が長く保存出来るらしい。
 丁度食事の最中だったサフは、細やかに動くアミルの後ろ姿を見ながら思う。
 つくづく、男としては細かい上、世話焼きだ。
 皿を空にした後で彼女は問いかけた。
「一線って?」
「お前にそういう気は無いって言う意思表示。まぁ、無理矢理やろうなんて馬鹿には通用しねーかもしれねーけど、余計な心配事が少しは減るんじゃねーか?」
 その頃には戸棚に食料も入れ終えて、既に女子学校の寮で食事は終わらせてきたらしいアミルは彼女の寝台の上で意味も無くごろごろと寝転がりながら答える。話がどこで切れていたのかはしっかり覚えていたらしかった。
「でも、アミルは大丈夫なの?」
「何が」
「ここで噂になるってことは、すぐに女子学校にも噂が広がるんじゃないの?」
 サフは、自分自身の事なら仕方ないと思えるが、男子学校と女子学校は隣接しているだけあって生徒同士にも独自の情報網がある。そうしてアミルの方にも噂が広がるのは、迷惑なのではないだろうか。しかも女子学校は確か、家柄のいい子が多いから男子学校よりそういう規律は厳しいと訊いている。
 皿を片付けながら不安点を問いかけた彼女に、寝台に転がったままアミルは不敵な笑いを返してきた。
「ソレは大丈夫。こっちはもう公認だから」
「は?」
「お前、俺の婚約者だから」
 先生にそう言ってあるし、周りにも言ってあるから問題ない。
 何でも無い事のようにさらりと告げられた言葉に、ふぅんと聞き流した彼女は、少し後に言葉が頭の中にはっきりと入った頃、思わず悲鳴のような声を上げた。持っている洗い終わった皿ががしゃん、と音を立てて足下に落ちたが、運の良い事に割れなかった。
「何!? 今、何言って……どういうこと?」
「さぁね」
 くすりと笑う声。
 それにぞわりと全身撫でられたかのような感覚がした。
 勢い良く振り返った寝台には、既にアミルの姿は無くて、へなっと彼女はその場でへたりこむ。
(何をどうしたら、こ、婚約者とか公認になるのっ!?)
 彼が何を考えて、何を望んでいるのか、全く分からない。分かるのはいつも助けようとしてくれている事と、自分の中での彼の存在が大きくなっていっていることだけで。それ以上はもう気づきたく無いと、サフは思っていた。
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