女子魔術学校のアミル 1

文字数 4,650文字

「ごきげんよう、アミル様」
「ごきげんよう」
 廊下の向こうより歩いて来て優雅に会釈した同級生に対し、同じように会釈を返しながら挨拶をするアミルは、表面上綺麗な笑顔こそ保っていたが、内心苛々している。落ち着かない。せめて人の居ない場所に行こうと、アミルは毎日のように通っている自習室へと、自然に足が向かっていた。
 自習室はいい。個室だし、と思う。
 一体何故自分はこんな所に居なくてはならないのだろう、とアミルは何度目か数える事も厭わしい疑問を今日も頭の中で繰り返していた。その先に続く言葉はいつも同じ…………こんな、性別を偽ってまで何故、である。
 全寮制の女子魔術学校。通称、魔女校。
 百年以上前から続くこの学校は大陸中に知られた、所謂古株で名門と呼べる魔術学校の一つである。歴代には有名な女性魔術士を多く輩出しているし、その中には世界最高の力を持つとされる『色付き』の魔術士も含まれている程だ。
 中では常に三百程の生徒達が、日々勉学に勤しんでいる。
 勿論、生徒は女ばかりの花園であるのだが、そこの生徒として入学以来常に学年一位の座を守り続けるアミルは、実のところ立派な男であった。男であるが、勿論この学校に在籍するからには女の姿をして女のフリをしている訳で、それが非常に情けない。
 別に居たくて居る訳ではない。
 これは、魔術士の長とも呼ばれる「次元の狭間の主」による命令であり、類稀な魔力量と素質によって、入学前より秘かに「色」を拝領しているアミルですら逆らう事の出来ないものであったのだから。そうでなければこんな女だらけの所やってられるか、と苦々しくアミルは思いながら、ようやく辿り着いた自習室のドアを開ける。
 石の扉を開いた向こうは、小さなドアが並ぶ狭い廊下が続く。その中の空いている所に飛び込めば一先ず独りにはなれる。
 正常な男である故に女の子が嫌いという訳ではないのだが、しかしこう毎日のように女だけに囲まれる生活(教師には一部男も居るけれども)といい、性別を隠し通さなければならない状況といい、独りになる以外緊張感が抜けないとなれば、どんなにアミル自身の意思が強いとしても挫けそうになる。
 空き部屋に飛び込んで、アミルはふうと大きな溜め息をつきながら、ずるずると扉を背にして座り込んだ。
 自習する為に用意されたこの部屋は、魔術により防音も完璧であるが、更に完全を期す為にアミルは小さく結界を張る。張り終えてようやく、肩の力が抜けた。
「…………あと一年、いや半年……」
 長い前髪を少しかきあげて、呻く。

 この学校に入ったのが、12歳。10の頃に史上最年少で『色付き』となった(らしい)から、その直ぐ後である。
 魔術士の最高の位とされる『色付き』は、魔術士のギルドや、ましてや国が選ぶものではない。「次元の狭間の主」が何らかの方法で選定し指名するものである。齢何歳かも不明で、その名の通り次元の狭間に住んでいるその人は、アミルが今居るような世界とは一線を画した場所におり、常に世界を見ている。
 アミルが知っているその人は非常に若い男の姿をしていたけれど、それが遥か昔からその名で呼ばれている本人か、あるいは途中で代替わりが起こっているのか、詳しい事は何一つ不明である。只、とにかく魔術士に取っては彼が始祖とも言われる存在である。
 アミルも、ある日突然次元の狭間に呼び出され、色を拝領した。
 赤のアミル。
 何を基準に色を指定しているかは不明であるが、その色はその日からアミルのものとなった。普段は隠しているけれど、首に掛けた鎖の先では、『色付き』を証明する「赤の魔石」が揺れている。
 これにより、アミルは魔術士の中で最高峰の能力を持つと証明されると同時に、全ての魔術士に対し「次元の狭間の主」の代行者としての多くの権利を振りかざし、また幾つかの義務を果たさなければならない資格が与えられた事になる。その頃はまだ幼い頃から住む屋敷の中で他にする事も無く、ただ残された魔術書を読むだけの日々を過ごしていたアミルからしてみれば称号を得るなど寝耳に水の事態でもあった。
 何も考えず読みあさった魔術書が、生まれ持った素養が、置かれた特殊な環境が、一般の「魔術士」をいつの間にか超え『色付き』を得るに至ったのだと、感情の読めないその人に告げられて尚、信じられる事ではなかった。
 先など考えてなかった。ただ、生きていただけだ。
 それでも、拒否権など無いその資格はその日からアミルのものとなり、けれど生活は変わらなかった。証明と資格にしかならない『色』を得た所で、変わる訳が無かった。得たからといって世界中に名を公表されるわけではなかったし、現にアミルも自分以外にもいるらしい『色付き』の顔など知らない。名乗り出なければ、ひっそりと暮らして行ける。
 何も望んでいなかったから、アミルは『色付き』になった後もそれまで同様ただ魔術書を読み漁る日々を暮らしていた。
 12になった頃、また突然次元の狭間に呼び出された。
 長い衣に、腰までも届くだろう銀の長い髪。新緑色の瞳をした、人外に思える程に整った顔をしたその人は、前と同じように表情が無く人形のようだった。次元の狭間と呼ばれているその場所も以前と全く変わらず荒野のままで、びゅうびゅうと風が吹いていた。その中で、アミルは風に髪をかき乱されるけれど、その人の髪も衣も全く動かない。
 二年経っても姿の変わらない「次元の狭間の主」は、いきなりこう言ったのだ。
「暇そうだな」
 その言葉に、アミルは「いえ、別に」と答えた。時間は確かに多くあったが、あればあるだけ魔術書を読む事に費やしているから、暇という感覚もなかった。だが、相手は構わず話を続けた。
「お前は放っておけば死ぬまで彼所にいそうだ」
 そのつもりは無かった。多分、読む魔術書が無くなれば他に行く日もあるだろう。屋敷を捨てはしないが、出かけるくらいはする筈だ。
 アミルのような『色付き』は、こうあらねばならないという規定はない。
 答えを返そうとしたアミルだったが、相手はその隙を与える事無く言葉を続ける。
「お前に命を与える」
 冷たい目をして、全ての魔術士の長は言った。
「北にある女子魔術学校に入学し、卒業してこい」
「あの、俺男ですけど」
「知っている」
 思わず反論したが、気分を害した様子も無いかの人は、じろりとアミルの全身を見た。
 栗色の髪に、赤にも見える紫かかった目。何時も魔術書に読みふけって外に殆ど出ない為に、肌は白かったし、腕は細かった。当時は同年代の友人など居なかったアミルは知らなかったが、同年代の男と比べれば華奢で身長だって低かったし、元々の母親似である繊細な顔立ちもあって女に見えない事も無かった。そんな状態だった。
 だからか、彼はアミルを見直した後に直ぐ「問題ないだろう」と言いきった。
 さっとアミルの顔が青くなる。
 いくら容姿や状況にこだわりが無いとはいえ、さすがに女子学校に入れと言われて直ぐ了承出来る程人生を捨てた覚えは無かった。
「いや、さすがにちょっと無理じゃないですか? それにもしバレたら」
「お前も色を持っているならその程度自分で誤摩化せ。変幻など幾らでも可能だろう」
「大体、何故俺が」
 尚も言い募ろうとしたアミルを制したのは、「次元の狭間の主」の冷たい視線だった。
 ぞくりと背筋に寒いものがはしり言葉を失ったアミルに、かの人は強い口調で言ったのだ。「これは命令だ」と。
 そしてアミルは、望まないまま、女子魔術学校に入学した。

 女子魔術学校の課程は五年。その間、留年はあっても飛び級などは無く、五年して成績に問題なければ自動的に卒業出来る。後半年もすれば、最高学年であるアミルは卒業が出来て、この場所から解放される事が確定しているのだ。
 命令した当人も卒業後に対しての命令はしなかったから、卒業すれば自由にして良いらしい。
 ただ残念ながら仮に卒業しても、誰にも明かせないこの経歴は、人生の汚点以外になりそうもなかった。
 長い五年だった。
 入学して以降、気の抜ける日など一度も無かった。唯一の救いは全寮制の女子魔術学校では最高の成績を収めていれば個室を与えられる事で、当然アミルは五年間その座を誰にも譲り渡さなかった。真実が明るみにでる恐れを考えれば、間違っても渡せる訳が無い。
 しかも、入学時はまだ良かったが、歳を重ねる毎に性別の違いは少しずつ大きくなっていく。身長はまだしも、体格・顔つきの変化は誤摩化すのも難しい。仕方なく、15の頃に成長を止めた。これには「次元の狭間の主」に協力してもらった。体の影響を考えれば良く無い事だったが、どうしようもない。
 そこまでさせて尚、こんな理不尽な命令をされた理由は明かされず、アミルとしては非常に不愉快だったのだが、この状況も後半年で終わる。
「長ぇよなぁ、後半年」
 はぁ、と溜め息が洩れる。
 この学校は、歴史が古いだけに魔術書も多く、その点ではアミルを喜ばせたが、しかし性別を誤摩化し続けるリスクはあまりに大きかった。
 声変わりする前に成長を止めた為に未だ高い声も、華奢な手足も、女物の服が似合ってしまう顔も、全てがアミルをげんなりとさせるには十分で、さすがに17となった今では早く元の、堂々と男の姿で居られる状態に戻りたいと言うのが大きな願いだった。
 その先の未来が空虚で望むものなど何もなくても、それは今までの人生と変わる事が無いので問題ない。
 卒業後は、歴代最優秀の成績を叩き出し続けているアミルには多くの引き合いの手があるのだが、そのどれも「女のアミル」に対するものとなれば、受けられる訳も無いのだ。
 もちろん感じる空虚さに、先の不安は皆無ではなかったが、それよりも何よりも男の生活を取り戻す事が最優先である。
 扉にもたれて座り込むという、とても行儀の悪い姿勢であったアミルだったが、とりあえず課題でもやっておこうと肩にかけた鞄を前に出して中を覗き込み、数日後に、非常に面倒な課題が待っていた事を思い出し、更に気分はどんより落ち込んだ。
 女子魔術学校の隣には、男子戦士学校が存在する。
 女子校と男子校が隣接というのも珍しいが、これはそれぞれの創設者が非常に近しい間柄だったかららしい。そんな事はアミルからすればどうでも良い事だったが、その昔からの奇縁の為か、両校には卒業前に課されるある共通の課題が存在した。
 それが「各校一名づつで組を作り、指定された品を用意する」というもの。大抵が一〜二ヶ月は掛かる程度の課題となっていて、しかも半月はかかる先にある場所でしか手に入らない希少な魔術材料の採取が中心となっている。要は、野外訓練のようなもの。両校の生徒はこれをこなして、ようやく卒業となる。
 今現在女子校の最上級生は、自分がどんな男と組むのかというそれだけで話題騒然、休み時間ともなればあちこちで浮き足立ったひそひそとした話し声が聞こえてくる程だ。何せ一ヶ月以上も寝食を共にする相手である。気に入るに越した事は無い。
 アミルからしてみれば地獄でしかないこの訓練の組み合わせは、成績順となっている。
 万年一位であるアミルの相手は当然、あちらの一位であり、アミルも名前だけなら既に知っていた。
「サフ、ねぇ」
 見ず知らずの男と、性別を隠したまま、二ヶ月は一緒に行動しなければならないのかと、考えれば考える程にアミルの気分は落ち込んで行くのだった。
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