目の前で蠢くもの 4

文字数 2,590文字

「さーてコイツら、どうしてやろうかね?」
 最早被っていた猫は何処に行ったのか。
 完全に人の悪い顔をしているアミルは、正直女の子として見るにはかなり無理があるような気がしたけれど、クレイ達が居る場所で指摘するのもさすがに問題があるような気がしてサフはそれに対しては見ないフリをした。
 薄笑を浮かべたまま、魔術の結界の中閉じ込められているクレイと魔術士の方へとアミルが歩み寄っていくのを、彼女も後ろから追いかける。さっきからのアミルの様子は怒っていた当初と比べて平常の状態に戻っているように見えたけれど、だからこそ底知れない不安が沸き上がるのだ。
 すっかり猫かぶりを止めている様子すら、不安を煽る。
 結界の中のクレイはまだ何か騒いでいて、一緒に閉じ込められている魔術士は迷惑そうに顔を歪めていた。
「あ、あのアミル、クレイ達にこっちの声って」
「聞こえてるよ。面倒くさいから向こうの声は聞こえないようにしてっけど」
 なぁ、と覗き込むアミルに、クレイが憎悪の眼差しを向ける。
 その視線を受けて、魔術士の少年は煽るかのように笑いかけた。光の加減で赤に見える目が、酷薄なものをたたえているのをサフから見る事は出来ない。
「相手が、悪かったな。言っておくけど、もう二度とこんなマネが出来るような危険性を放置しておく程甘くないし、放置しないで済む為の手段はあるんだ、実は」
「何、するの?」
「コイツらの記憶を操作する。とりあえず」
 そう言ってアミルはクレイを親指で示し。
「この馬鹿からサフに関する感情を、全部消す」
 その言葉に、クレイの顔色がさっと青くなり、そして雇われ魔術士の方が何かを叫ぶ。その目は只、驚愕ばかりを浮かべてアミルを見ていた。ぱくぱくと口を動かして何かを言っているのは分かるのだが、何を言っているのかは分からない。
 魔術の事はよく知らないけれど、記憶を操作したりするなどサフは聞いた事が無かった。
「そんな事、出来るの?」
「まぁな。一応技術は持ってるし権利も持ってるっていった所か。此処で仕置きした所で、こんな事起こす馬鹿はどっかで逆恨みして繰り返しかねないからな。記憶から弄った方が根本的解決になるだろ。あんま好きな手段じゃねーけど、万が一を考えればその方がいい」
 何故か、クレイではなくその傍にいる雇われ魔術士の方が頭を抱えた。
 がっくりと肩を落とし何か言っているようだが、勿論その声が聞こえる事は無い。その様子を面白そうに眺めながら、アミルはぱちりと指を鳴らした。その音を合図に、かくっと糸が切れた操り人形のようにクレイがその場に崩れ落ちる。
「目覚めたら、アイツの中からサフに対する感情と起因する記憶は消えてる。認識としてはまぁ、普通の知り合いだな。卒業までにそれがさっきまでのような状態になるのは、無理だろう」
 あっさりと、彼は言い放つ。
 ほんの一瞬で魔術は終了したらしい。記憶を操作するという魔術がどれほどのものかサフは知らないが、アミルにかかればどんな魔術も、あっさりと使えてしまう。本人は大して自慢もしないし気にしていないようだが、実際は相当な腕なのだろう。結界の中に閉じ込められたままの魔術士が怯えた顔をしていた。
 ついでにと、更にアミルが指を鳴らすのと同時、その魔術士も崩れ落ちる。
 全てが一瞬の出来事で、サフはただ見ているだけで、終わった。

 感情や記憶を操作され気を失った二人はそのままにアミルが結界を解いた所までは彼女も理解したが、次の瞬間に視界の様子が一変した事まではついて行けなかった。それが見慣れた自分の部屋である事を理解するのに数秒、そしてアミルの魔術で転移したらしい事を理解するのに数秒かかる。
 今までのアミルは、彼女を連れて転移するときは殆ど先にそれを教えてくれていた。だが、今回は一言の合図も無かったから、驚いたのだ。
 何か言おうと彼を見たサフは、言葉に詰まる。
 一緒に部屋の中に転移して来たアミルは、今までに見た事が無い程、感情の無い目をしていた。視線が合った瞬間にぞくりと、背筋に悪寒がはしる程にその表情は硬い。思わず手の中の破幻杖を握りしめるサフに、少しの沈黙の後で彼が口を開く。
「そんなに、俺を呼びたくなかったか?」
 じっと、逸らされる事無く向けられた目が、ガラス玉のようだった。
 少しの言葉だけで、彼が何を言いたいのかが分かってしまう。結局呼ばなかったその名を、現れてからようやく呼んだ名を、呼びたくなかったかと言われれば彼女は是と答えるしか無い。けれどその答は言ってはいけないような気がして、視線を床に逸らせる。
 迷惑を、掛けたくなかった。
 それに、自分で対処に困る事態に遭遇した時に、いつの間にか真っ先にアミルの存在が浮かぶようになっていた。そんな自分にサフは何より恐怖していたのだ。だからこそ、決して名前を呼ばない。呼んでしまえば最後、もう戻れないような気がした。
「俺は、頼りない?」
 違う。逆だからこそ、呼べない。
「俺に関わられるのが、嫌?」
 嫌悪は無かったが、恐怖は消えなかった。
「でも、悪いけど、やめてやらねーよ? 俺は、万が一の事がある方が嫌だ。あんな奴らに、サフが傷つけられるなんて耐えられねーし」
 それでサフに嫌われても。
 最後の一言が小さく、けれどはっきりと聞こえて思わず顔を上げた彼女の視界に入ったのは、どこか打ちのめされたような顔をしたアミルだった。視線が会った瞬間にその表情はすっと消されたけれど、見てしまったそれはサフの中に刻まれるように残る。
 ずきずきと胸が疼く。
 傷つけてしまったのだと、訳も無く彼女は悟った。この、酷く優しくて強い魔術士の少年に、自分の身勝手な考えの結果そんな顔をさせてしまった。
 彼にそんな顔をさせてまで、一体何を守ろうというのか。
「ごめんなさい」
 するりと、サフの口から言葉が飛び出して。
「全部、話す」
 告げた言葉に、アミルが驚いたように目を見開いた。
 その表情がもしかしたらこの後、別のものに変わって、そして今後こんな風に話す事も出来なくなるのかもしれなかったけれど。
 覚悟は、アミルのあの顔を見た瞬間に決まっていた。
 たとえそれで彼に今後距離を置かれたとしても、これ以上傷つけずに済むのであれば本望で、それによって自身が寂しいと思ったとしても傷つけるよりはずっとましだと思えたから。
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