歩いて来た先 2

文字数 2,941文字

 皇国の宝石姫と、それに従う金の魔術士と黒の騎士、そして白の魔物の噂が国を超えて広がるのに、指して時間はかからなかった。
 元より色付きの魔術士が表立って誰かに従う事など歴史上希少な事態であったし、イガルド自身自国では相当に有名な剣士であったようで、それが魔物の子を守る為に出奔した話は既に吟遊詩人に謳われる程に有名であったらしい。
 そして、魔物を従える王族など、色付きの魔術士を従える以上に類を見ない。
 広まった噂は、国民の支持を生む。
 王族の中では全く後ろ盾もなく元々の出生がそれ程有名でもない第三位王位継承者である彼女には、既に王位に絡む可能性は薄い筈だった。
 けれど、国民の支持が、それを揺るがす。
 それこそが、彼女自身の生命を、存在を危機にさらしていく。
 日を追うごとに彼女の命は、日々危険に晒される程になっていた。
 食事に毒が盛られている事は当たり前、入浴や就寝時なども決して安心出来る時間ではない。彼女自身さえいなくなればその従者を手に入れる術など幾らでもあると、王族という特殊な立場故に世間も人心も知らず勘違いした者も多かった故に、更に状況は悪化していた。
 その全てを、金の魔術士が、黒の騎士が、白の魔物が守る。
 けれど彼女はその安寧を、安穏と受け入れられるには、少しだけ聡過ぎた。
 だから彼女は、より良い方法を一人模索し続け、そして、見つけてしまった。

「失踪しようと思うの」
 ある日突然告げられた主人の言葉に、クリアもイガルドも、そしてシロも彼女を凝視した。
 彼女の方は、青の目を輝かせて真っ直ぐに二人を見つめ返す。
「ちょ、サフ、あの、いきなり何言ってるの?」
「どうした、いきなり」
 クリアも、イガルドも、決して笑い飛ばしはしなかったけれど、驚きは隠さなかった。
 その二人の前に、彼女は大きな書物を広げる。
 皇国の法律が記載されたそれは、王族であっても守らねばならぬ規律が記載されていた。
「私は、王位を継承するつもりは無いのに、皆はそれを分からない。それに、私が死んでしまえばクリアもイガルドもシロも自分たちに従うと思ってる人もいる。だから私は、王位継承の権利を放棄して、それで二人も自由にしてあげたいけど、普通には絶対許されないの、それは」
 王族は生まれつきの王族で、そして王位継承権を放棄する事は許されない。
 それは王族に生まれた故の義務であると定められている。
 書物のページを捲る彼女に、二人の従者は困った顔をして言う。
「サフ、僕らは僕ら自身の意思でサフを守ってるし、縛られてると思ってないんだけど?」
「俺は、サフが例え王族で無くなっても守ってやるけど?」
 足下では、シロがくうんと鳴いた。
 二人が、そしてこの魔物が本心で自分の傍にいようとしてくれている事を疑う気は彼女にも無かったが、それ故に彼等をこの国に縛り付けたくはなかった。しかし自身が王族の身である限り、二人は否応無くこの国という場所に縛られる事になる。彼女の自由と身の保証を盾に、望まぬ事も強いられる事が増えて行くだろう。
 彼女は、彼等をこの国から完全に解き放ちたかった。
 国と言う枷から。
「それじゃ、駄目なの。だって、二人が私につく限り、普通の方法ではこの国は私を手放さない。それだと二人はずっとこの国に縛られちゃう。この国も、私達の存在に依存してしまう。それじゃ、駄目」
「サフ…………」
「でも、此処に書いてあるの。王族が、己の意思で7年その役目を放棄すると、法に従い王族としての地位と権利の全てを失い一平民に戻るって。だから、私はそれをしようと思うの」
 彼女の決意は固く、その心の有り様を誰より理解していたのは二人だったから。
 はぁ、と二人が同時に溜息をつく。
「サフがそういうなら、仕方ないけど。でも、ちょっとだけ時間をくれないかな? 多分その方法をとるにしても色々前準備が必要だろうし」
「この場合は『任意による失踪』という事の証明が何より重要だろうな」
「クリア、イガルド! ありがとう!!」
 ぱぁ、と笑う彼女に二人の従者は苦笑いをして互いの顔を見ると、拳を合わせた。この頃にはもう親友と言っても過言ではなくなっていた二人が、良くやる仕草。時々はサフの手やシロの前足も加わってこつんと合わされる。
 彼等は皇国の城の中、仮初のモノであったとしても確かに家族だった。
 主従の関係を越えた絆でもって、結ばれた家族。
「僕らの大事なお姫様に頼まれちゃあね」
「俺たちはサフが望むのならそれを成すだけだ」
 そして、次の国家儀式の際に実行されるのだ。毎年一度華やかに行なわれる現国王の就任記念の祭典の中において、多くの国民の前で盛大に、誰もが解る形で。
 後に『宝石姫失踪宣言』と言われるようになる、彼等の一世一代の芝居が。

 国民達のつめかける巨大な建物の中。
 その大半は、噂の宝石姫とその従者である色の魔術士と魔物を従える戦士を見ようとやって来ていて、それまでは満員になる事も無かったのに彼等が現れるようになってからは毎年満員になっている。
 王の後ろに、王位継承順に並ぶ王子王女、そしてその後ろに従う直属の従者。
 様々な者達がいる中でも、やはり金の髪に青の目の少女の両脇に構える若い二人、金の魔術士と、黒の戦士の存在は際立っていた。
 静かに例年通りに進行して行く式典の中。
 二人の青年を従えた幼い王女が、国王がその年の教示を述べようと壇上に登っていたその最中に。用意された席から立ち上がる。突然の事に制止を掛けようとする他の者達を、金の称号を持つ魔術士の魔術が縛り自由を奪う。
 只一人動ける王女は、父である国王を追い抜き壇上に上がると、拡大音声の魔術が掛かった壇上に置いて高らかに宣言した。
「私、サファイア=マリア=ソーラレイスは、此所に宣言します。今より己の意思に基づきこの国から離れ7年の時を過ごし、その後、法の元において王族の地位を放棄します」
 高らかな宣言の後に会場の結界を破り飛び込んできたのは真白の獣。黒の戦士の擁する白の魔物であると誰もが咄嗟にそう考えた。
 現れたその獣の背中に王女は飛び乗り、あっという間に空の彼方に姿を消してしまう。
 しばらくの沈黙の後に起こったのは大きなざわめきと悲鳴で。
 王が、姿を消した王女を見上げ力が抜けたように座り込む。
「行っちゃったねぇ」
「そうだな」
 二人の従者は、王女を見送りながら互いの拳をぶつけ合う。
 彼等が選んだのは、二人がしばしの間国に縛られる事で彼女の行為を最大限に成功させる為に尽力する道だった。共に行き皇国からかけられるだろう多くの追っ手や、他国からも来るだろう魔の手から守る事も考えたけれども、それをするにはサフ自身が皇国を愛し過ぎていた。
 彼等が突然抜ける事で他国との力関係が崩れ、皇国の立場が危うくなると、幼い子どもは理解していた。
 それはもしかしたら現王よりも優れた統治者としての観察眼だったかもしれない。
 幼いながらにそこまで読んでいる王女が皇国から抜ける事はこの国に取って今後の大きな痛手になり得たけれども、しかし二人からすればこの国は母国でもないのでそんな未来は関係無い。
 ただ、自らの意思で未来を決めた大事な少女を見送るだけだった。
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