歩いて来た先 3

文字数 3,482文字

 彼女がシロに乗って送り出されたのは、見た事も無いような何も無い場所だった。空も大地もはっきりとしないその場所には、家だけがぽつんとあって、それで漸くその辺りが大地なのだろうと想像は出来たけれども、それまで城で暮らしていた彼女からしても明らかに普通でないと解るその場所に、空の上で発動したクリアの転移魔術によって降り立った。
 出迎えたのは長い銀色の髪の青年。
 年齢がよく解らないが、酷く整った顔をした背の高いその青年は父である国王よりも威厳があって、彼女は最早誰の助けも無い場所に来たのだと心の底から思い知る。
 今後7年、国から逃げ続けなければならない。
「君が、クリアの言っていたサファイアか」
「はい」
 目の前のヒトは、事前のクリアの言葉ではこれからしばらく自身の保護者となる存在で、信頼の置ける相手だということだったから彼女は素直に頷いた。
「魔物よ。そなたは戻れ。この場でそなたは長居出来ぬ」
 シロの方に向かいそう淡々と告げる青年を一瞥し、白の魔物はすり、とその身を少しだけ彼女に触れた後にすっと姿を消した。
 完全に二人きりとなってしまった。青年は彼女に手を差し伸べる。
「おいで。何も無い所だが、案内しよう。これからしばらく君は此所で暮らすのだから」
「あの、お名前は?」
「ふむ…………特に無い。好きに呼べば良い」
「じゃあ、おじさま?」
 そう呼ぶと、青年は肩を震わせて笑い始めた。
 何も無いその世界で、彼女がおじさまと呼ぶその存在との暮らしは、それから何年か続いたと思う。最初こそ家しかなかったその世界は住む中でいつの間にか少しずつ色々なものが増えて行き、彼女はそこで色々な知識と能力を身につける事になる。
 例えば、闘う為の術。それまでにもイガルドに教わっていたその方法を、更に高めてくれたのは彼女がおじさまと呼ぶようになったその青年で、イガルドは中々してくれなかった実践的な訓練を完璧に叩き込んでくれたのは彼だった。
 時々その場所にはクリアやイガルド達からの手紙が届く事もあったし、彼女も主に頼めば返事を出す事が出来た。
 他にも、竜を見たり、背中に羽が生えた人間のような(おじさまの話では違うモノであるらしい)不思議な存在を見たり、その存在達をもてなし話したり、その場所では様々な体験をした。
 やがて社会勉強として戦士学校に送り込まれるまで、彼女はそこで沢山のものをもらったのだ。


「あー、あの、サフ?」
 それまでずっと大人しくサフの話に耳を傾けていたアミルは恐る恐る初めて口を挟んだ。というよりも挟まずにいられなかった、という方が近い。声を掛けた彼に、当人の話通りなら恐らく世界で有数の有名人になっている件の宝石姫、サフは青の目を瞬かせる。
 同じ年齢にしては幼い姿で、性別も解り辛い少女だ。それは恐らく次元の狭間の主が何らかの術を掛けているからなのだろう。それもアミルすら欺くようなモノを。
 だがサフ自身はそんな事を知らない。
 それ程までにあの難解な存在がこの少女に心を砕いているのか、それとも彼女が虚ろだからこその特別措置なのかは解らない。ただ、兎に角アミル等に比べ破格の措置がとられている事には違いない。
「何?」
「社会勉強で? 此所に?」
「うん。そう言ってたけど」
 ならもっと社会常識を教えておけっ!! と内心思わず彼が叫ぶのも仕方ない。王女生活から次元の狭間限定の生活にそのまま移行していたとなれば、あの世間知らずさも頷ける。
 しかも問題はそれだけではない。
「竜を、見た? それに、羽が生えたヤツを、見たって?」
「うん」
「…………俺以外のヤツにはそんな事言っちゃ駄目だぞ……」
「?」
 恐らく羽が生えた方は、伝承が確かならば破幻杖を寄越した天使なのだろう。次元の狭間の主との交流があるらしい事はつい最近知ったアミルだったけれども、まさかサフとまで交流があったとは知らずに頭を抱える。
 それを知らないサフは何やら疲れたように頭を抱えたアミルを前に首を傾げるばかりだ。
 次元の狭間の主からその辺の事に関しては何も教わっておらず、そもそもあの場所が次元の狭間と呼ばれる特別な場所であった事も、彼の人が魔術士の頂点に立つ存在であった事すら彼女は知らないまま。
 魔術士からすれば途方も無い扱いをされている事を、彼女だけが理解していない。



 全部話終わった後で、最後に言えることは一つだけ。
「約束の、7年が過ぎるまで後半年とちょっとなんだ…………でも、僕のせいでクリア達は結局皇国に縛られたまま。もうこれ以上誰かに迷惑をかけたくないんだよ」
 彼女が願うのは、ただ平穏に全てが終わる事で。
 彼女が望むのは、彼等が払ってくれた自分がいないまま拘束された時間の恩返しを、その後にする事だ。
 そこにそれ以上他の誰かの犠牲が払われる事は、望まない。それなのにアミルが傍にいると心を赦しそうになってしまう。頼ってしまいそうになる。そんな自分が一番怖かった。
 クリアのような強い魔術士であるアミル。
 これがその辺にいるような平均的な魔術士ならば気にもならないし、能力不足を理由に冷たくあしらう事も出来たかもしれない。けれどアミルはもしかしたらクリアよりも強いかもしれない。それ程の魔術士だ。
 拒絶しきれない。それ所か、守られてばかりだ。
 そんな自分を畏れている。
「サフ」
 部屋に唯一の椅子に座って、アミルが名前を呼んでくる。
 赤みがかった紫の目が真っ直ぐにサフを見ている。何もかもを見抜くような鋭さで。
「サフが一番したい事は何?」
「それは…………王族を辞めて、クリア達を自由にしたい。今の歪んだ状況をどうにかしたい」
 狂った政治情勢を戻す為には、皇国に色の称号を持つ魔術士が、魔物を従える戦士がいてはならない。この数年様子を見ていたけれども、やはり彼等二人の存在の為か、皇国は以前のような安定して他国とも共存する体勢が崩れている。
 不相応な力が、過分な干渉に至っていて、皇国の周囲は常に不穏な状態だ。
 それは力を従えている彼女が抜けても尚変わっていないまま、続いている。やはり王族が持つべき従者ではないのだ、彼等は。
 ただ、そこに歯止めをかけているのが幸か不幸か、サフの宣言した7年失踪宣言だった。
 今は皇国に従っている二人は、あくまで宝石姫に忠誠を誓う者達であるのは当時から周知の事実だった。宝石姫が王族である7年という時間の間は自動的に皇国所属となっているが、王族でなくなれば皇国との関係性は失われる。
 その期日が迫るにつれ、皇国の動きは抑制され、周辺国も様子を伺うだけで済ませる。
 この分ならば二人が自由になって後、特定国に属しさえしなければ現在の不穏な状況は時間によって解消されて行くだろうと彼女は読んでいた。
 戦士学校からは出ないようにとおじさまから言われていたから外にこそ出なかったけれども、解る範囲での世界情勢は何時も調べていたし、時折おじさま経由で届くクリア達からの手紙やおじさまからの手紙等で色々と知っている事は多かったのだ。
 曇った表情で望みを言ったサフに、魔術士の少年は笑う。
「なら迷うな。俺を使え」
「でも、アミルに何も返せないのに」
 見返りも無く誰かに動いてもらえる程己に価値があるとは思っていない。ましてや、アミル程の魔術士を雇えるような価値のあるモノ等提供出来る筈も無い。
 彼女のその思考は常に利害関係を前提に動く施政者の思考そのもので、一般的でない事に本人は気付いていない。アミルの方は何となく気付いていたけれど、彼女の出自を考えれば当然予測出来たから敢えてその部分には触れないで笑ったままサフを指す。
「今はまだお前は皇国の最大捜索対象であり他国にとっても最高の切り札、宝石姫サファイアだろう」
「うん」
「なら、今は成すべき事を成せばいい。それが終わったら、今度は俺の『用事』に付き合ってもらうから、それで相殺だ」
 笑うアミルに、サフは首を傾げる。
 酷く無防備な子どもの顔をして、じっと少年を見上げて。
「何? 用事って」
「俺は世界中の魔術書を読んでみたいんだよ。その中には多分、普通では入れないような場所にあるものもあるだろう。そういうものを読む時に、元であっても王族が一緒にいれば楽だと思わないか?」
「…………世界中って……何時、終わるの?」
「さぁ?」
 大仰に疑問を示したアミルは、顔こそ笑っていたけれど。
「それって、釣り合ってる?」
「さぁな? まぁ、明らかにこっちの要求の方が無茶なら、サフは遠慮せずに俺を巻き込んでいいって事だよ」
 やはり、優しかった。
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