増えていく不安 3
文字数 2,407文字
夜、早々に寝台の中に潜り込んだサフは、枕を抱きしめて眠ろうとしていた。
昼間のクレイの言葉が頭の中から離れない。時間と共に不安は膨れ上がって、何時もは余り気にしない部屋の戸締まりすら、何度も確認してしまったし、開けっ放しにしている事も多い窓もしっかりと鍵を閉めた。アミルから借りている杖まで持ち出した。今更だと思うけれど、不安は消えない。
今日ばかりは、出来ればアミルには来て欲しく無いと思った。来たら、不安をぶつけてしまうかもしれない。それに昼間見たクレイの目と、アミルを重ねてしまいそうだった。
けれど祈りは届かない。
何時ものように、気配は唐突に部屋の中に現れる。
「あれ? もう寝てるのか?」
何時もと異なり部屋の中が真っ暗であったのを不審がるアミルの声がした。
高く無い、けれど低すぎない、その独特の声はもう誰何する必要も無い程に頭の中に染み込んでいて、それこそ学校の中で何年も一緒に居るような者達よりもずっと印象に残っていて、だからこそ泣きたくなって彼女は身じろぎする。
同時に起こった衣擦れの音で、彼もサフの所在には直ぐに気づいたらしかった。
「サフ? 大丈夫か?」
重ならない。
実際にこうやってアミルが現れるからこそ気づく。彼と、クレイは重ならない。確かにクレイはアミルに似ていると思ったけれど、アミルは、違う。
(僕が、違う)
自分の中の位置が、全く異なっている。こうして、そばに居るただそれだけで安心してしまいそうになる感情は、クレイ相手では抱かなかったものだ。布団の中で無意識に右手の腕輪を握りしめていた、その行為からも分かるべきだった。
頼っている。
誰にも頼ってはならないと自分に何度も言い聞かせて来たのに、そこをするりと避けてアミルは自分の中に入り込んでしまっている。
「寝たフリってのは、頂けないな?」
寝台に近寄ってくる。責めているような言葉なのに、その声は優しい。アミルはいつもそうだ。言葉はかなり乱暴なのに、中の響きは何時も優しい。怒っている時ですら優しい。それは、昔彼女を世話してくれいた人たちと似ていて、だからいつの間にか気を許してしまう。
「何か、あったのか?」
ぎしり、と音がしてアミルが寝台の端に座ったのが分かった。
最早寝たフリをする意味も無く、サフは布団を被ったままで起き上がる。抱いたままの杖がしゃらん、と鳴る。「ミノムシじゃねーんだから」とアミルが呆れたように笑ったけれど、まだ布団の中から出る勇気はなかった。今、何時もの顔で彼と向き合える自信が無かった。
沈黙が続いたのは、アミルが言葉を待ってくれたからだろう。
しばらく呼吸を整えて、ようやくサフは口を開く。
「今日、教えてもらったんだ」
「うん」
告白された事は、無意識に伏せていた。何か、非常に拙い事になりそうな気がしたから。
「卒業までにね、僕を無理矢理どうにかしてしまおうって思ってる人が、学校にいっぱいいるんだって。人によっては、複数でどうにかしようってしてるって。どうしようかなって。ここまで来て女だってバレるのは、嫌だなと思って」
本当に考えているのは話した内容とは少し異なるものだったけれど、
クレイに教えてもらった事だけ、伝えた。途切れ途切れに話すその間、アミルは全く口を挟まなかった。布団で覆われた視界では、彼がどういう表情をしているのか分からない。
「サフ」
静かに名前を呼ばれた。
その声に耳を傾けた瞬間を狙うかのように、布団が少し剥がされて視界が開かれる。寝台に座っている魔術士の綺麗な、そして真剣な顔が考えていた以上に目の前にあって、どくりと一度心臓が鳴った。赤みがかった紫という珍しい色彩の目が、真っ直ぐに彼女を見ている。
どう答えれば良いのかも分からないサフがただ見つめ返すのを、アミルの手が伸びて来て頭をくしゃりと撫でた。
「俺が、そんな事させねぇよ」
(何でアミルは、そんなに)
当たり前のように、助けとして伸ばされる手。彼の言葉を聞いた瞬間に、心に染みのように広がったのは後悔だった。何のためらいも無く助けようとしてくれるけれど、自分自身にそんな価値はないと、考えているから。
それなのに、今こうやって触れられているだけで、落ち着かないのに安心する。そんな自分が罪深い存在のように感じた。
力がある魔術士だからというだけではなく、きっと彼は守ってくれる。
だからこそ、言うべきではなかったのだ。
「でも大丈夫だよっ、僕だってそうそう簡単に」
「サフ」
あえて明るい声で誤摩化そうとしたのも、静かな彼の一言に遮られてしまった。
頭に置かれたアミルの手がするっと滑って、頬に移る。
「お前が強いのは俺も知ってる。でもな、そもそもお前は女なんだから、万が一ってのはあっちゃなんねーだろ。それに、俺が嫌なんだよサフがそんな目に遭うのは。だから、守らせろ。俺の事もバレないようにすっから」
真っ暗な部屋の中でも、闇に慣れた目は彼の姿をはっきりと映し出す。
酷く真剣な顔をしていた。
心配しているのは、バレる事よりも、そうやって守られる事で依存していきそうな自分自身。現に彼には本来関係無い筈の自分の問題を話してしまった。言えば、今までの傾向からしても、こうして彼が手を差し伸べてくる事など解りきっていたのに。
一人で生きていこうと決めたのは、戦士学校に入る前。それ以降、この先ずっと一人きりで生きていく事を覚悟してきたのに。
「とりあえずこの部屋には結界張って。あとはその腕輪の護りも強化しとくか。でー、出来れば破幻杖持ち歩けりゃあいいんだけどな。さすがにそれは無理だろうから、とりあえず何かあったら俺を呼べ。呼ばれれば来るから、絶対に」
(駄目だ。呼んじゃ、駄目だ)
重ねられていく言葉に、サフは心の中で繰り返す。
今更かもしれなかったが、これ以上自分に巻き込ませては、関わらせては駄目だと言い聞かせた。
昼間のクレイの言葉が頭の中から離れない。時間と共に不安は膨れ上がって、何時もは余り気にしない部屋の戸締まりすら、何度も確認してしまったし、開けっ放しにしている事も多い窓もしっかりと鍵を閉めた。アミルから借りている杖まで持ち出した。今更だと思うけれど、不安は消えない。
今日ばかりは、出来ればアミルには来て欲しく無いと思った。来たら、不安をぶつけてしまうかもしれない。それに昼間見たクレイの目と、アミルを重ねてしまいそうだった。
けれど祈りは届かない。
何時ものように、気配は唐突に部屋の中に現れる。
「あれ? もう寝てるのか?」
何時もと異なり部屋の中が真っ暗であったのを不審がるアミルの声がした。
高く無い、けれど低すぎない、その独特の声はもう誰何する必要も無い程に頭の中に染み込んでいて、それこそ学校の中で何年も一緒に居るような者達よりもずっと印象に残っていて、だからこそ泣きたくなって彼女は身じろぎする。
同時に起こった衣擦れの音で、彼もサフの所在には直ぐに気づいたらしかった。
「サフ? 大丈夫か?」
重ならない。
実際にこうやってアミルが現れるからこそ気づく。彼と、クレイは重ならない。確かにクレイはアミルに似ていると思ったけれど、アミルは、違う。
(僕が、違う)
自分の中の位置が、全く異なっている。こうして、そばに居るただそれだけで安心してしまいそうになる感情は、クレイ相手では抱かなかったものだ。布団の中で無意識に右手の腕輪を握りしめていた、その行為からも分かるべきだった。
頼っている。
誰にも頼ってはならないと自分に何度も言い聞かせて来たのに、そこをするりと避けてアミルは自分の中に入り込んでしまっている。
「寝たフリってのは、頂けないな?」
寝台に近寄ってくる。責めているような言葉なのに、その声は優しい。アミルはいつもそうだ。言葉はかなり乱暴なのに、中の響きは何時も優しい。怒っている時ですら優しい。それは、昔彼女を世話してくれいた人たちと似ていて、だからいつの間にか気を許してしまう。
「何か、あったのか?」
ぎしり、と音がしてアミルが寝台の端に座ったのが分かった。
最早寝たフリをする意味も無く、サフは布団を被ったままで起き上がる。抱いたままの杖がしゃらん、と鳴る。「ミノムシじゃねーんだから」とアミルが呆れたように笑ったけれど、まだ布団の中から出る勇気はなかった。今、何時もの顔で彼と向き合える自信が無かった。
沈黙が続いたのは、アミルが言葉を待ってくれたからだろう。
しばらく呼吸を整えて、ようやくサフは口を開く。
「今日、教えてもらったんだ」
「うん」
告白された事は、無意識に伏せていた。何か、非常に拙い事になりそうな気がしたから。
「卒業までにね、僕を無理矢理どうにかしてしまおうって思ってる人が、学校にいっぱいいるんだって。人によっては、複数でどうにかしようってしてるって。どうしようかなって。ここまで来て女だってバレるのは、嫌だなと思って」
本当に考えているのは話した内容とは少し異なるものだったけれど、
クレイに教えてもらった事だけ、伝えた。途切れ途切れに話すその間、アミルは全く口を挟まなかった。布団で覆われた視界では、彼がどういう表情をしているのか分からない。
「サフ」
静かに名前を呼ばれた。
その声に耳を傾けた瞬間を狙うかのように、布団が少し剥がされて視界が開かれる。寝台に座っている魔術士の綺麗な、そして真剣な顔が考えていた以上に目の前にあって、どくりと一度心臓が鳴った。赤みがかった紫という珍しい色彩の目が、真っ直ぐに彼女を見ている。
どう答えれば良いのかも分からないサフがただ見つめ返すのを、アミルの手が伸びて来て頭をくしゃりと撫でた。
「俺が、そんな事させねぇよ」
(何でアミルは、そんなに)
当たり前のように、助けとして伸ばされる手。彼の言葉を聞いた瞬間に、心に染みのように広がったのは後悔だった。何のためらいも無く助けようとしてくれるけれど、自分自身にそんな価値はないと、考えているから。
それなのに、今こうやって触れられているだけで、落ち着かないのに安心する。そんな自分が罪深い存在のように感じた。
力がある魔術士だからというだけではなく、きっと彼は守ってくれる。
だからこそ、言うべきではなかったのだ。
「でも大丈夫だよっ、僕だってそうそう簡単に」
「サフ」
あえて明るい声で誤摩化そうとしたのも、静かな彼の一言に遮られてしまった。
頭に置かれたアミルの手がするっと滑って、頬に移る。
「お前が強いのは俺も知ってる。でもな、そもそもお前は女なんだから、万が一ってのはあっちゃなんねーだろ。それに、俺が嫌なんだよサフがそんな目に遭うのは。だから、守らせろ。俺の事もバレないようにすっから」
真っ暗な部屋の中でも、闇に慣れた目は彼の姿をはっきりと映し出す。
酷く真剣な顔をしていた。
心配しているのは、バレる事よりも、そうやって守られる事で依存していきそうな自分自身。現に彼には本来関係無い筈の自分の問題を話してしまった。言えば、今までの傾向からしても、こうして彼が手を差し伸べてくる事など解りきっていたのに。
一人で生きていこうと決めたのは、戦士学校に入る前。それ以降、この先ずっと一人きりで生きていく事を覚悟してきたのに。
「とりあえずこの部屋には結界張って。あとはその腕輪の護りも強化しとくか。でー、出来れば破幻杖持ち歩けりゃあいいんだけどな。さすがにそれは無理だろうから、とりあえず何かあったら俺を呼べ。呼ばれれば来るから、絶対に」
(駄目だ。呼んじゃ、駄目だ)
重ねられていく言葉に、サフは心の中で繰り返す。
今更かもしれなかったが、これ以上自分に巻き込ませては、関わらせては駄目だと言い聞かせた。