そのままでと願う(2018 笑顔の日)

文字数 2,271文字

 彼女はよく笑う。
 意味もなく、という訳ではない。些細なことでも笑う理由を見出して笑っている事が多い。
 比べ、実はあまり表情を変える癖のないアミルにとって、それはとても不思議だった。もちろん女子校に長くいた為、女子の中にはそういう子もいるというのは知っているけれど、そういう子たちの多くは些細な理由の部分に「他者の存在」が大きく関わっていた。
 つまりまぁ、その場をうまく流すための笑いだ。愛想笑いともいう。
 それを悪いとは思わない。むしろ健気な努力であるし、アミルだって当時は多用していたし、世渡りをする上で会得しておくにこしたことがない技能だろう。
 が、現在アミルが共に旅をしている元・王女様は、愛想笑いの方を知らない少女である。
 誰の視線もなくても笑ってる事が多いし(それを目撃している彼の視線は別にして)、本当に小さな事ですぐ笑う。風の精霊が気まぐれにその髪を乱暴に撫でただけで笑う。髪が乱されたと怒るのではなく、笑う。
 そこに作った感情がないのは精霊の反応からも明らかで、それがわかるからこそ、彼にはちょっと不思議な感じがするのだ。
「サフはよく笑うよな」
 だからある時、ふっとそんな言葉が口から出ていた。
 責める気もなくからかう気もない、単なる事実確認のようなそれに、丁度道の端に咲いていた花に向けて笑っていた少女が振り返る。
「そうかな?」
「……俺に比べれば、そうだろ」
 なんとなく学校の誰かと比べるのは気が引けて、自分を比較対象に出せば、サフはあぁ、と頷いた。
「そうだねぇ。アミルと比べればそうかも」
 愛想笑いはともかく、日常でそこまで表情筋を使わない少年のことは、彼女もわかっているらしい。
「それ、昔からだろ? そういう誰かが近くにいたのか?」
 少女の半生はおよそのところは知っている。平穏というにはちょっとあれこれあった中、そんな癖がつく程度にサフの周囲でよく笑っていた誰かがいたのだろうか、とアミルは思ったのだ。
 子どもは、思う以上に周囲を見ながら育つ。
 彼があまり表情を動かさない方なのは、主に育ててくれた存在の影響だ。一応人間らしさに配慮して彼を育ててくれたけれど、細かい表情の機微に関してはやはり難しかったのだろう。そして今、愛想笑いを覚えているのは学校での学習によるものだ。
 学校にいたのは彼女も同じだが、男子の戦士学校でそんなものが身につくと思えない。
 その前は、次元の狭間だ……あの年齢不詳の存在がそんなものが身につくくらい常日頃笑ってるとか、想像だけで背筋に悪寒がはしる。ありえないだろう、さすがに。
 そうなれば可能性があるのはその前……王女であった頃に近くにいた誰かの影響、だと思われる。
「うーん。お母さんはよく笑ってたと思うよ。後は、クリアだね」
 その名は知っている。
 皇国の王女を守る金の術士。現在世界で最も有名な術士の一人。会ったことはないが、サフの様子から相当彼女が懐いていたのは疑いようがない。
 雇い主と側近という関係上、笑顔を向けられる機会は多かったのかもしれない。だがそれが単なる愛想笑いならば、この意外に聡い少女は見抜いていたのではないだろうか。
「よく笑う人だったのか」
 会う前にどんな人だったのかを知りたくて、機会があれば彼女が皇国に向かう理由である二人の男に関してはよく尋ねていたから、この時もそれだと思ったのだろう。サフは特に気にとめる事もなく教えてくれる。
「えーっとね。よく笑うようになった人、だね」
「ようになった……?」
 その微妙な言い回しに首を傾げれば、少女は珍しく苦笑のような表情をした。
「クリアはね。僕の前に現れた時から笑ってたけど、最初は結構失敗してたんだよ」
「無理やり笑ってた、ってことか?」
「んー、ちょっと違うと思う。本人はきっと、ちゃんと笑おうと思ってたよ。でもなんていうか、笑い慣れてなかったのかな? 下手な真似っこみたいになってた」
 懐かしそうにそう教えてくれる。
 慣れない表情をある日突然作ることの難しさはアミルも知っていたので、彼女が言おうとしている事はわかるような気がした。きっと女子校に入った頃のアミルだって似たようなものだっただろう。
「だからね。僕は笑っていようって思ったよ」
 でも、とサフが懐かしそうな顔をする。
「あっという間にクリアは今のクリアになったから、子どもの余計な気遣いだったかもしれないけどね」
「そんなことないだろ」
 まだ相手に会った事はないが、きっとサフは本人にそれを言う事は無いのだろう。過去を知らないアミル相手にだからこそ喋っている。それでも、例えクリア本人であっても否定しただろうと思うのだ。
 笑い慣れてなかったらしいその人が笑おうと努力した理由。
 本当に笑えるようになった理由。
 そのどっちもに、きっと彼女は深く関わっているし、こういう少女だったからこその結果なのだろう。サフに言う気がない限り、例えアミル自身がクリアと出会った後であっても本人に確かめる日は来ないだろうが、目の前で、よく笑う生き様を残している少女を見ていればわかる。
 人は良くも悪くも伝え合う生き物だ。
 きっとこの先、アミルが今より表情が増えたとして、無意識だろうとそれは自分の選択である。
 彼女のそばにいるということを選択した、その結果だ。
「まぁ、俺の前で無理に笑う必要はないけどな」
「そんなことしないよ」
 変なの、と笑ったサフに、つられるように彼も口の端を上げた。
 どちらかといえば、そんなことをさせる日が来ないようにするのが自分の希望なのだ、と再確認しつつ。
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