追われている者 3

文字数 2,930文字

 日の当らない洞窟の中という事もあるのだろう。流れる水は、肌を引き裂きそうな程に冷たい。しかも長い間洞窟の中を削って来たのだろう水流によってつくられただろう水路には、よじ上れそうな場所が中々見つからずに、しばらく流された後でようやく見つけた窪みへアミルは魔術を使ってざばりと水から出て移動する。
 水蛇は、既に息の根を止めた。焦っていたから手加減する間もなく、恐らく痛みを感じる前に絶命しただろう。そこからサフを救い出したが、水の流れは早く、かなり流されてしまった。救いは、水は洞窟の奥に流れているから後戻りはしていない点だろう。
 背中の荷物は何とか死守したが、邪魔な杖は無くしてしまった。
(まぁ、追っ手が撒けたと思えば、悪く無いか?)
 人が数人は寝られそうな窪みに着地して、アミルは一息つく。
 腕の中には意識を失ったままのサフがいるが、呼吸はしているので問題ない。水に引き込まれた瞬間に、どうやら気を失ってしまったらしかった。事前に張っていた結界の効力で、水は飲まずに済んだらしい。服が水を吸っている事を考慮して尚、軽いような気がする少年の体にドキリとした。
 とりあえずこれ以上体を冷やしても拙いと、サフは抱えたままで壁を背にして腰を下ろし、窪みの周りに結界を張ると共に、傍に火を出現させる。魔術の火は本物の火とは異なって、種が無くても魔力さえあれば燃やし続けられるのが利点だった。
「サフ、サフ?」
 肩を揺らせば、直ぐに金糸に彩られた瞼が震えて、ゆっくり青の目が姿を現した。
 火に照らされた少年の顔が、ぼんやりとアミルを見る。焦点の合わない目が艶かしくて、更にドキリとアミルの鼓動が乱れた。
「アミル?」
「うん。目覚めはどう?」
「! ごごご、ごめんっ? あれ、僕、何で」
「水蛇に水の中引き摺り込まれたの。まぁ、お陰で追っ手からは逃れたけどね」
 我に返って膝の上から転がり降りたサフの動きを苦笑して見守りながら、アミルは前髪から落ちてくる水滴を払う。ぽたぽたと落ちてくる水滴に、濡れて全身にべったりとくっついた服が不快で、少し眉を顰める。魔術の火も、中々服を乾かすには至らない。
「アミルが助けて?」
「うん。まぁ、大した事な」
 くしゅっ、と言いかけてくしゃみが零れた。全身ぶるりと震わせたアミルに、はっと少年が表情を曇らせる。
「駄目だよ! 服、脱いで乾かさないと風邪引くっ」
 彼の言う事は正しいのだが、ここで脱げばほぼ確実に性別がバレるアミルからすればその親切に応える訳もいかない。それに、普通に考えて女が男の前であっさりと服を脱ぐなど、有り得ない。だから苦笑いしながら、首を横に振る。
「大丈夫だから、気にしな」
 くしゅ。
 タイミング悪く、更にくしゃみを零したアミルに、怒ったような顔をしたサフが詰め寄った。
「大丈夫じゃないでしょ! 本当に風邪引くから、ほら、脱いで」
「え、ちょっと、待っ」
(おいまさか俺襲われてるのかっ!?)
 幾ら美少年顔とはいえ、男であればその可能性も皆無ではない。理性ではそれも分かっていたのだが、ここまで一緒に旅してきた中でサフはそれをしないだろうという妙な確信があったから、信じられない。しかもこんな事になって尚、サフからは色欲一つ感じられない。
 信じたく無いせいか、体の上にのしかかられるような体勢になって尚、呆然としてしまったアミルは、魔術を使うという簡単な対処方法すら思い付かない程混乱していた。
 一応抵抗してみるのだが、体術では相手の方が遥かに上である。
 そして何だかよく分からないうちにアミルの服は脱がされてしまう。それこそ乱暴にされた感覚は一切なく、気づけば濡れていて脱ぎ難い筈の服がするりと脱がされていた。
 さすがに上着だけでも脱がされてしまえば、いくら成長を止めているからといっても、その違いは分かってしまう。
「え?」
 きょとり、と青の目が、アミルを見下ろす。少年が手に持っていた濡れた服が、ぽたりと落ちた。
「嘘? アミルって、女の子じゃ、ない? え? だってそんな、え!?」
(まぁ、しょうがねぇよな、こうなっちゃ)
 動揺するサフの様子に、長年隠していた事があっさりとバレてしまった虚しさと、開き直りからこみ上げてくる愉悦を感じながら、その原因となった相手をアミルは見上げた。一応、女子魔術学校に入学するにあたってバレてはならないなどという約束は無かったから、問題は無い。
 はぁ、と溜め息が出る。
 一番最初にバレる相手が、全ての元凶とは皮肉なものだと、笑いたくなる。
 だが、悪い気分ではなかった。
「残念だったな、女じゃなくて」
 一声かけると、ふらり、体をふらつかせたサフが、よろよろと、火を挟んでアミルの対角線にまで離れて、ぺたりと座り込んでしまう。綺麗なその顔は、何処か怯えたような様子でもあり、アミルの方は微妙に機嫌が悪くなる。
(そこまで嫌がらなくてもいいだろ)
 性別が違っていただけで、と思ってしまうのは、同じ男であるサフを色々気にかけていたから余計なのだ。
「ほ、本当に、男?」
「そうだよ。色々あってな」
「全然気づかなかっ」
 くしゅん。
 その時小さく響いたのは、アミルのものではなくて。
 はっと顔色を青くしたサフが、顔を逸らせた。全身濡れているのは、アミルだけではない。少年の金の髪からは雫がぽたぽたと零れ続けているし、濡れていない部分など一つもない。ゆっくりとサフの全身をゆっくりと見回したアミルはにやり、と笑う。
 さっきまで少女を演じていたはずの魔術士の少年の表情を目の当たりにしたサフはびくりと身を震わせた。
「服着てると風邪引くよなぁ?」
「いいいや、僕大丈夫だし」
「俺も大丈夫だったんだけどさー、誰かさんに脱がされたんだよなー。俺だけなんて不公平じゃねぇ?」
 性別がバレた途端に口調を男に戻したアミルがじりじり詰め寄るのを、同じくじりじりとサフが逃げる。これでは埒が明かない上に、本気で抵抗されればかなわない事は分かっているアミルは、猾いと分かっていたがぱちりと指を鳴らした。
 その途端、びくりと大きく身震いして少年の動きが止まる。
 ごく小さな魔術でも、抵抗力の皆無なサフにかけるのは簡単過ぎて。
 動こうとしても動けない体に、サフが驚愕に目を潤ませて、迫るアミルを見上げる。
「さーて、覚悟してもらおうか」
 伸ばされたアミルの手に、動きを完全に拘束された少年が抵抗する術など無く、あっさりと着ていた服を上から脱がされてしまう。それは子どもの服を脱がせるよりも簡単で。
 報復を終えたアミルは、それこそさっきのサフの如く呆然と相手を見下ろした。
 綺麗な金の髪に、青の瞳。美しい弧を描く眉に長い睫、今は寒さからか青がかっている唇は、何時もなら柔らかそうな桃色。陶磁のような滑らかな肌に整った顔立ちをした、その相手。服の下にあった、滑らかで真っ白な肌の描く、その柔らかい曲線は。
 男のものとは、異なる。
 ごくり、とアミルは唾を飲む。
「お前、女、だったの?」
「そうだよっ!!」
 余りの驚愕に魔術を解いてしまったアミルに、サフが振りかぶった荷物の入った大きな鞄が顔面へと飛んで来たが、避ける間もなくそのまま殴打され、転倒した。
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