目の前で蠢くもの 2

文字数 2,711文字

 翌日、サフはクレイとの約束を守って昼過ぎに特別室の扉を開けた。
 数える程しか利用した事の無いその部屋の扉をゆっくりと開けば、中はただ広いだけの空間が広がっている。邪魔にならないようにだろう、他の部屋と異なり訓練用の道具などは殆ど無く、床は伸縮性のある柔らかい素材で、一歩踏み入れるだけでふかっとしているのが伝わる。
 そのまま中に入って扉を閉めた。
(おかしい)
 部屋の中に気配を感じないのに、感覚的にぞわりとする不快な物を感じている己に、彼女が無意識に警戒感を強めたその瞬間。
 パキンッ
「え!?」
 固い棒が折れたかのような音が、右腕から響いた。
 驚いて手首を見た彼女の目に映ったのは、アミルからもらった腕輪に嵌っている青の石に大きなヒビが入っている様。宝石に詳しい訳ではないが、知らない訳でもない彼女の目からして、ガラス玉ではないその石が突然割れたらしかった。
 次いで周囲に視線を動かしたサフが見たのは、自分の周囲にうっすら箱状に出来上がっている、半透明の光る緑の壁。
 それは恐らくアミルが腕輪に施したという、護りの魔術に間違いない。呆然と、サフはその壁を見る。
「護り? でも、何で」
「小賢しいなぁ。そんなもの持ってたなんて。防がれちゃったじゃん」
 独り言のように呟いた彼女の言葉を遮るかのように部屋の中に響いたのは、知らない男の声。声を追うようにそちらに目をやったサフは、さっきまで誰もいなかった部屋の中に見知らぬ杖を持った男と、そしてここで合う予定だったクレイがいる事を確認する。
 見通しの良い部屋の中、見落としたなどとは考えられない。
 恐らく、魔術で姿を眩ましていたのだと、サフは推定する。それならば部屋に入った瞬間のあの違和感にも説明が出来た。
「そいつ、彼女が魔術学校の主席だからな。そいつが渡したんじゃねーかな」
「へぇ。すげー魔術掛かってるし、相当高そうな魔術道具じゃん。たかが魔術学校の生徒如きに自作する技術があるとも思えねーし、彼女金持ちかね」
 クレイの言葉に、魔術士らしいその男はにやりと嫌な笑いを浮かべながらサフの周囲に出来上がっている魔術の壁を眺めている。
 魔術を物に込めるには、相当の技量が必要とされるらしいのは彼女も知っていた。魔術を熟知し、尚且つ物の許容量なども見極めが難しい。精度問わず魔術道具を作成出来るだけでも充分食べて行けるだけの技能である。そして魔術の事は詳しく分からないが、今腕輪によって発動したらしい魔術はかなり高度のものなのだろう。
 アミルがあっさりと成し遂げる大抵の事は、殆どの魔術士にとって規格外の事だ。
 だが今の状況はそれどころではなくて。
「クレイ、どういう事?」
 ただ一人、事情を分かっていそうな男にサフは問いかける。
 考えられる可能性はあった。けれどそれを認めたく無い気持ちの方が大きくて、まっすぐ同級生の顔を睨んだ彼女に、クレイは酷薄な笑みを浮かべてみせた。昨日までの彼には無かった表情に、すぅっと背筋に悪寒がはしる。
「俺は、欲しいモノは手段を選ばねーんだ。お前の彼女だって、男にやられたのを知れば嫌がるんじゃねーの?」
 くつくつと笑う、その表情が怖い。
 目の中にあるのは狂気だ。情欲というよりも、ただの、狂気。
「お前ときたら、隙は見せないし、薬は強いし、残る手段ってことで魔術士も雇ったんだぜ?」
「まぁ俺もね、お金さえ貰えるんなら大抵の事はね、する方だから。それにしても、まぁ、エラい美人の男がいたもんだね。しかも金髪青目って、もし女ならコレ、失踪王女と一緒じゃん?」
 ソッチの方がいい金になるんだよなーそういえば、とぼやく雇われ魔術士。
「おい。戯事はいいからアレをさっさとどうにかしろ」
 サフの周囲を覆う防壁を指して、その魔術士の男をクレイは怒鳴りつけた。
 特別室を用意したのは、他に邪魔の入らない場所で彼女を害するつもりであった事と、この魔術士を引き入れ易い場所だったからなのだろうとサフは推測する。特別室は敷地の端にあるから、外からの侵入が最も容易い場所の一つだ。
 魔術士の方は、黒の髪をかりかりと掻いた後に杖を掲げる。
「へいへい。貰ったお金分はやるさね」
「お前には高い金を払ってるんだからな!」
(拙い、どうしよう)
 戦士であるサフは、人に対してであればどうにでもする自信がある。けれど魔術士となるとまた話が異なってくるのだ。魔術に対する抵抗は、普通の人間にはおおよそ不可能である。だが手段が無い訳ではない。
 例えばアミルが相手なら、彼は魔術をまるで息をするように素早く使用するからこんな仮定すら無意味なのだが、殆どの魔術士は魔術を行使するまでに呪文や動作で時間が発生する。
 最も良いのは魔術を使わせる前に、その時間を利用し倒してしまう事だが、今この状態では魔術士を倒そうとしてもクレイに阻まれるだろう。そして阻まれている間に魔術が完成しては意味が無い。
 不意に、脳内にいつかのアミルの言葉が過る。
 とりあえず何かあったら俺を呼べ。呼ばれれば来るから、絶対に。
(駄目。駄目だ。それは、駄目)
 アミルは力のある魔術士だ。だからきっと、ああ言ったなら、呼べば本当に来てしまうだろう。当たり前のように、守ろうとしてくれるだろう。それが確信出来る。
 バシンっ、と防壁が大きく揺れたのが分かった。
 だが、まだ壊れないのを見て魔術士が舌打ちして、更に呪文を紡ぐ。
 どれだけアミルが力のある魔術を腕輪に込めていたのだとしても、強度に限りがある筈だった。魔術道具とはそういうものだ。
 バシンっ、と更に大きな音。それと同時にみしっと防壁が揺れたのを確かに彼女は感じた。
 魔術士もそれを分かっているのだろう、今度は勝ち誇ったように呪文を紡ぎ始めたのを見て、彼女は拳を握りしめる。防壁が割れた瞬間に、まずクレイを仕留める事に決めた。魔術士の方は雇われだ。主を仕留めた後に、買収でもしようと乱暴に考える。
 バシィィィっ
 防壁が完全に破られた。その瞬間に飛び出そうとしたサフだったが、しかし動けなかった。
 目の前に背中がある。
 たった今まで無かったその、見覚えのある背中。茶の髪。見慣れないローブ姿であっても、見間違えない後ろ頭。
「だから、呼べって言っただろ」
 そう一言。詰るでも無く、怒るでも無く言われた言葉に、泣きたくなった。
 彼は、彼女が考えるよりも遥かに力を持った魔術士で、出会った頃から人一倍気遣いする人で、口は悪いけれど優しい人で、だから騙せる筈が無かったのだ。例え呼ばれなくても、現れてしまうのだ。目の前に、護ろうとして。
「アミル」
 名を呼んだのは、彼が現れてからだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み