追われている者 4

文字数 3,042文字

 魔術の火が、煌煌と照らす。
 そう広くも無い窪みの中、火の上にはアミルが魔術で浮き上がらせた服が揺れ、乾燥するのを待っている。そしてたった二人、その中にいる人間はそれぞれ火を挟んだ対角線上に壁を向いて座っていた。
 背中に感じるのは炎の温かさ以上に、火の向こう側に居るだろう少女の気配で、それが気になってしょうがない自分にアミルは情けなくなる。さっきまで少年だと、同じ男だと思っていたのに、女の子と分かった途端に全身で相手を意識している。男だと思っていたときとは比較にならない。
(しょうがねーよ、な?)
 女でもおかしくないだけの容姿をしているとは思っていたが、男だと思っているのと、女だと思っているのでは大きく違う。
 しかも、結果だけ見ればアミルがサフを襲った形になる。先にやられた報復で服を脱がせただけだが、男に服を脱がされたというのは女の子にとって相当堪える事態ではないだろうか? もしかして嫌われたかもしれないと思った瞬間、心にすぅっと冷たいものがはしった。男だと思っていたという言い訳が通じるだろうかと、真剣にアミルは考える。男同士なら笑い事で済む内容も、性別が違えば立派な犯罪だという事くらい、分かっていた。
 だが、考える課程で見てしまったサフの肌を思い出して、思考を停止させた。
 それをもう何度も繰り返している。その間、サフの反応が怖くて声が掛けられない。思考の悪循環に陥っている。
 続いていた静寂を破ったのは、ずっと黙っていたサフの方だった。
「アミルって、本名?」
 静かな声が聞こえた瞬間、終わりの無い回廊を巡っていたアミルの思考が一瞬にして浮き上がる。ドキドキと鼓動が早くなった。
「あ、うん、そうだけど」
 返事をしながら、話しかけてもらえた事に酷く安堵している自分にアミルは驚く。このまま学校に帰るまで会話も無かったら、多分神経が保たなかっただろうと思う。
 ちらりと振り返れば、火の向こうにいるサフはまだ背中を向けたままで、それでも火に照らされた白い背中にどきりとして再び壁の方を向く。幸い少女は彼が振り返った事に気づかなかったようだった。
「サフは、本名じゃない、よな? サフってこの辺なら男名だし」
「うん。昔、呼ばれてた徒名を使ってる。アミルの名前は、女でもおかしくないし、珍しいね。あんまり聞いた事ない」
「この辺の出身じゃないからな」
 ぽつ、ぽつと会話が続くのに、アミルは安心する。
 聞こえてくる、少し高いサフの声。少女だったと知って以降であれば、女の声としか思えない。どちらにせよ、容姿と同じで綺麗な声だとアミルは思う。今まで周囲で聞いて来たような騒がしい姦しさとは異なる響きがある。
(結局、俺はコイツが気に入ってるんだ)
 だから、距離を置かれたく無いし、出来れば近寄りたい。そんな風に誰かを思うのは、生まれて初めてのことだった。『虚ろ』だというのは、恐らく関係無い。だから、こんな所で嫌われて、その後関われなくなるのは非常に遠慮したい所であった。
「なぁ、怒ってる?」
「ううん。アミルは、僕が女だって、知らなかったんでしょ?」
「知ってたらあんな事、しねえよ」
 即答すれば、くすりと背後から笑い声がした。その響きが優しく聞こえて、一々動揺する自分の心臓をアミルは厭わしく思う。それまでも十分気にしていたけれど、少女だと分かった瞬間に一挙一動に翻弄されて、ずっと動揺している。
 これでもずっと、女のフリをしているとはいえ女の中で暮らしているのに。
 まさか女相手にそんな反応するとは思わなかったと、アミルは心の底から思う。
「そうだよね。だったらいいよ。それに僕さ、アミルに色々気にしてもらってたでしょ? アミルは女の子だから、色々気遣いが細かいんだと思ってたんだけど、でも違ったんだね。だからきっと、アミルは、優しいんだ」
 言われた瞬間、顔に血が上るのをアミルは感じた。背中を向けていて良かった。
 天然なのか、何なのか。嬉しいを通り越して、何だか腹が立ってくる。この、少年のフリをした少女は、一体何処まで世間知らずなのだろうと。傍に居るのが同年代の男である事を知った上で、そんな言葉を吐くのはあまりにも無防備が過ぎると、少女のフリをしていた少年からすれば、思う。しかも、現在どちらも殆ど裸なのだ。
 これでよく戦士学校で無事にやってこれたものだと、本当に感動すら覚える。
「だから僕はアミルを信じるよ」
 小さく呟かれたその言葉が、ゆっくりと心の中に染み込んで、心底嬉しいと思えた。
 向けられた信頼が、それにより向けられる言葉が、この少女から告げられる事が嬉しいと思う。こんな風に何のてらいもなく言えてしまう彼女だからこそ、アミルからすれば眩しかった。
「訊かないのか?」
「何を」
「何で、俺がこんな事してるのか」
「問わない」
 だから、サフが望むのなら真実を告げるのも良いかと思った。けれど、問いかけた言葉に返って来たのははっきりとした否定。
「だって、僕は言えないから。だから、アミルに訊くなんて、出来るわけない。それに、アミルは今までも何度も僕を助けてくれたから、それで十分だ」
(本当に、何でコイツは、こんなに)
 裏を返せば、サフは自分の事を話す気はまだ無い、と言っている。
 それでも彼女の言葉に泣きそうになって、アミルは、背中を向けていて本当に良かったと思う。
 恐らく、アミルがこんな状況に置かれている元凶が自分であると、知ればきっとこの少女は心を痛めるのだろう。どうすれば償えるのかとか、そんな事を言い出しかねない。だから、この先もそれを告げようとは思わないだろうという確信がアミルにはある。
 そして、同時に原因が彼女で良かったと、思ってしまうのだ。
 長い時間、不本意な状況に置かれた、その理由となる存在が、サフで良かった。心底、アミルはそう思った。
 態と音を立てて立ち上がった。それに対しびくりと少女の体が揺れるのを横目で確認したけれど、何も言わずにアミルは魔術で適当に空にたゆたわせていた自分の上着の一つをとって、乾燥具合を確かめる。完全とは言わないが、充分に乾いている事を確認出来たので、それを羽織るとパチリと指を鳴らす。
 浮かんでいた中で、サフの着ていた服だけがすうっと飛んでぱたりと少女の上に落ちた。
 金の髪が布の中に消えて、突然の事に吃驚したらしい声がしたが、気にせずアミルは他の服も手にとって素早く身に付ける。
「アミル? ねぇ、これ」
「一つだけ確認させてくれ。あいつらが追ってる女ってのは、サフで間違いないのか?」
 背を向けたのは、着替えを見ないため。
 衣擦れの音がするのを、アミルはただ返事を待って沈黙を保つ。
 少しの間の後で、サフが小さな嘆息と共に言葉を並べる。
「絶対に、とは言えない。でも、心当たりはある。だから、人間違いだとは言いきれない。詳しい事は言えないけど、ごめん、もっと早くアミルに言えれば良かったのに」
「それ以上は言うな」
 途中でアミルは遮った。振り返れば、服を着終わっているサフが、青の目を瞬かせながら、ちょこんと座っている。少年としても綺麗な部類に入ったその姿は、少女と分かった今でさえ全く遜色無く、可愛らしいとアミルに思わせる。
 今詳しい事を言ってもらえなくとも構わない。言ってもらえるようになるまで深入りすればいい。
 既に、アミルは彼女を見捨てる気は無くなっている。女であるなら余計に、気になって仕方ない。それが正直な気持ちであった。
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