第25話

文字数 3,079文字

 土曜日の朝が来た。瑠璃はジーンズに黄色のスエットの上からカーキ色のダウンジャケットを着こんで頭にはジャイアンツの野球帽を被った格好で新宿駅に降り立った。轟太は補講があるため参加していない。今は九時半である。中央線を下りた瞬間は冷気が頬に突き刺さったのだがプラットフォームにまであふれかえる人の熱気ですぐに体は暖かさを取り戻した。それにしても凄い人である。白川からは多くて千人規模だろうと聞いていたので新宿駅のプラットフォームにまで人があふれかえることは想像もしていなかった。人々は手に都知事糾弾のプラカードをすでに抱きかかえた状態なので余計に身動きが取れなくなっている。JRの駅員が速やかに移動するようにアナウンスしているが身動きできない状況で誰もが戸惑っているばかりである。少しずつは移動できているのだが十時までに集合場所の西口のバス停前にたどり着けるかは疑問である。瑠璃はデモの準備のためにすでに集合場所に到着している栗林最愛に連絡を入れた。
「モアさん、人が多すぎて遅れそうなんだけど」
「瑠璃、分かっているわ。今、警備の警察の人と話をしてすぐに出発することに決めたの。都庁前の広場でシュプレヒコール上げる予定もキャンセルで中央公園にみんな集まることにしたから。瑠璃は後からついてきて。各地区のリーダーにもその旨連絡を入れておいたわ。近くにいるデモの参加者に伝えてくれないかしら」
「了解」
 先頭部隊はパトカーに先導される形で中央通りを進みだした。上空には警備のドローンが数台旋回しているのが見える。瑠璃はようやく新宿駅を出ることができたのだが西口は人の群れで溢れかえっている。すでに車は遮断され中央通りは地下道も含めて歩行者天国となってしまっている。だらだらと歩く人の群れからは様々な怒号が飛び交っている。
「福島ヤメロー!」
「人権を守れー」
「青木の総理絶対ダメー!!」
 それらの怒号にこたえるように「おー」とか「そうだそうだ」といった大声も聞こえてくる。瑠璃はただひたすら群衆に従ってついていくことしかできない。人にもみくちゃにされながら自分が歩く場所を確保するのが精いっぱいの様子である。空には報道用のドローンも飛んでいるので数えきれないくらいのドローンが羽音を唸らせながら旋回している。瑠璃は気づいていないのだがネットのライブニュースでは瑠璃のアップがたびたび流されている。上空からのドローン撮影の映像である。なぜ大勢の中から瑠璃を探し出せたのであろうか。それは遠目からもはっきりとわかるほど瑠璃の姿が輝いて見えるからである。体が発光しているのではないのだが引きの映像でも大群衆の中で瑠璃の顔だけが浮かび上がって見えるのである。ネット上ではお祭り騒ぎである。
「誰、この娘?」
「東京の女神さま?」
「光の国の美女!!」
「観音様の来迎である!」
 中央公園上空から都庁の向こうに新宿駅が見える映像に切り替わった。道路中を埋め尽くす人の群れだ。様々な色彩が緩慢に移動している。その中でも瑠璃の存在は見て取れるほど輝いている。
「あ、女神様見っけ!!」
「ほ、ほんとだ。光り輝いている」
「奇跡が起こりましたあ!!」
 ネット上ではお祭り騒ぎの中、昼を回ったころ自然消滅的にデモは終了したようである。ニュースサイトでは柚木クリスティーンが興奮を抑えられない様子でリポートしている。
「全国の皆さん、いや、全世界の皆さんご覧いただけたでしょうか。福島都知事解任のデモが今終了した模様です。推定参加者は優に十万人を超えたと思われます。この人々の声を都知事はどのように聞いたのでしょうか。今後の都知事の対応が問われることになりそうです。JCNの柚木が都庁前からお送りいたしました。では皆さん、よい週末を」

 週の明けた月曜日大手ニュース配信メディアから日曜日に行われた世論調査の結果が発表された。それによると大沼政権支持率は各社とも大幅に増えて四十パーセントを超え、五十パーセントに近い支持率の結果もあった。それに引き換え与党自由党の支持率はついに二十パーセントを切り十パーセント近くの物もあった。しかし野党の支持率は相変わらず一から四パーセントの間ですべて足しても十パーセントに満たない数字と低調な結果に終わった。国民の大沼広樹に対しての信頼度は持ち直して来ているのであるが既存政党への不信感というものは失墜したといわざるを得ない状況である。また次期総理候補として五十パーセントを超える支持率があったキャサリン青木であったが今回の世論調査で二十パーセント台まで落ち三枝英人官房長官の支持率と同レベルにまでなってしまった。これにより翌週の火曜日に控えた自由党総裁選挙の行方はどのようになるのかわからなくなり日本の政界は混とんとした状態に陥ったのである。
 その打開策であろうか、月曜日には謝罪及び退任会見が相次いだ。まず障害者総合ケアセンターの顧問、井上義男が一連の騒動を引き起こした責任者として謝罪し、顧問の座を年内いっぱいで退任する旨の会見を開いた。しかし国内では医師免許を持たないアメリカ人たちに医療行為をさせていたこと、および知的障害者に対しての同意を得ていない人体実験がなぜ行われたかについては内部調査中で現在回答できないという内容の会見であった。
 五葉重工業の社長小野寺勲も会見を開き、五葉グループとしては知的障害者への障害緩和のための総合医療センターという理念に共感し社会貢献の一環として資金提供していたものが結果として非合法な人体実験を生み出してしまったことへの道義的責任を痛感して謝罪するとし、自身は次の株主総会において社長職を辞職する旨の会見を行った。しかし自身やグループとしての事件への関与は否定したものであった。
 同じく月曜日には三澤彰人厚生労働大臣が一連の事件の道義的責任を取る形で辞任し次の内閣組閣までの間、三枝英人官房長官が兼任することとなった。また厚労省では柳田勝彦事務次官が罷免された。
 一連の謝罪会見が一段落した月曜日の午後、キャサリン青木がメディア向けの記者会見を開き、週末行われた新宿でのデモについては与党自由党への批判として重く受け止めると反省し、自身の事件への関与は全面的に否定した。また事件の詳細については調査中でコメントを控えるがSNS上での噂の一人歩きおよび根拠が明白でない民間人への誹謗中傷については強い懸念を表明した。さらに自身が総理になった暁には事件の真相究明に全力を尽くす旨の強い決意を述べたのであった。この会見は大手メディアによって編集されたものが配信され、世界中から視聴された。一日で視聴回数は一億回を超えるものとなり、ネット内では五代派による視聴回数水増し疑惑がいたるところで持ち上がることとなった。ネット内での次の総理候補としてのアンケートでも三枝官房長官をダブルスコアで引き離す結果となりこのアンケートにも疑惑の目が向けられるなど国民の多くは何が信じられることなのか判断しづらい状況に困惑の度を深めていった。
 さらにSNS上では障害者総合ケアセンター関連で五葉重工業やキャサリン青木と関連付ける会話を行うと、管理会社からユーザー規定に反するとの警告が出される状況が相次ぎいくつかのアカウントは停止にまで追い込まれたという情報が行きかった。ZOO ZOOタウン内でもこのうわさは広がり、隠語を用いてしか事件関連の話ができなくなっている状況にすでに突入してしまった。誰もが表現の自由について不信感を抱き始めたのである。
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