第21話

文字数 5,828文字

 翌日に杉本から報告を受けた柚木は、その日の夜十時に白川とインディーズ・ウェブで会うことになった。柚木はアポの時間に送られてきたインビテーションに従って進んでいくとホテルの最上階のバーにたどり着いた。東京の夜景が見渡せる窓際のソファーに男が三人グラスを傾けている姿が見えた。他にはバーテンダーと接客の若い男の子以外、人は見当たらない。その三人の中に白川の姿を認めると柚木は静かに近づいていった。
「こんばんは」
柚木が声をかける。
「柚木さん、こんばんは。今日は紹介したい人がいてね」
 白川が応対する。他の二人は立ち上がって柚木に窓際の席を進めた。
「こちらは大沼総理の秘書の宇梶さん、そしてこちらは内調の玉木さんだ。玉木さんは陸自から内調に出向しているところだ」
「こんばんは。初めまして、柚木です」
 柚木は挨拶を済ませるとボーイにグラスホッパーを注文した。
 白川は京都で行われているデモを東京で行うためにどうすべきかを話していたところだと柚木に説明した。孫京都府知事が提案している移民受け入れ計画は東京にはないのでデモを行うための大義名分が必要なのだが、決め手になる案件が見つからず困っているといった状況である。仮想通貨グローバルポケットの普及について、その反対をデモの目的としようと考えてはいたのであるが、その弊害について都民から理解を得られるのは困難であり、さらに自由な経済活動を阻害するものとして反発が予想されるとの結論であった。ボーイがカクテルを運んできたので柚木は軽くグラスを傾けて乾杯し一口飲んだ。
「おいしい。ここでは実際に飲むよりもおいしく味わえますね。感激だわ」
「一番いいバーテンダーに作ってもらっているからさ」
「私、この世界にはまっちゃいそうだわ。それでデモの大義名分の話だけど私が今つかんでいる八王子の障害者施設の違法な人体実験はどうかしら」
 玉木が興味を示して
「具体的にどのような事案なのでしょうか」
 柚木は簡単に川崎の知的障害者施設から身寄りのない四人の患者が八王子の山奥にある障害者総合ケアセンターに転院させられており、表向きの施設の中には該当患者が見当たらないこと、地下に秘密の設備があってそこでその患者たちに何かが行われているらしいこと、そしてそのケアセンターにひと月ほど前にアメリカ人らしい男女数名が訪問したまま行方が分からなくなっていることなどを説明した。それを受けて宇梶が補足説明を行った。
「その障害者総合ケアセンターは五葉重工業が主な出資者となって知的障害者の障害度緩和のための新しい食事療法とかケアのやり方とかを研究する目的で作られていますね。地下で秘密裏に行われている人体実験については聞いたことはありませんが、おそらく総理はご存じないと思いますが五代幹事長が絡んでいるのかもしれませんね」
「アメリカ人らしき人たちはどのように考えればいいのでしょうか」
「あくまでも推測ですが五代幹事長が絡んでいる五葉工重工の案件であればユニ・グローブ社の線が浮かんできますね」
「そこで行われている人体実験とはどんなものでしょうか」
 ここで玉木が何かひらめいたように話し出した。
「米軍から聞いたことがあるのですが、脳とAIを直接つないでAI内にある膨大な情報を直接脳内に送り込む実験、また赤外線や電磁波を用いた特殊カメラでとらえた映像を肉眼で見た映像とオーバーラップさせて暗視や透視映像を脳内に送り込む実験などの計画があったようです。ただしこの計画は人体実験を伴うもので被験者のリスクが大きすぎるためにアメリカ国内では認可が下りていなかったと思います。しかし同じような計画は中国やロシアでも行われているのではないかと噂されています。それで米軍の技術的優位性が保たれるのかの議論が国防総省で行われているといった話は聞こえてきています」
 白川がそれに続いて発言した。
「ナノボットを使用した遺伝子書き換えによる脳機能の改善などは考えられないのかな。技術的には十分に実現できるレベルまでナノボットの極小化も進んでいるし脳のリバースエンジニアリングも視覚や聴覚といった感覚を制御するところまでは解明できたといったリポートを読んだ記憶はあるんだが」
「理論的には実現可能なのかもしれません。しかし被験者を募っての人体実験を行えるかといった点ではまだでしょう。動物実験などでの臨床試験での確認が先でしょうね」
「中露で行われている可能性は」
「あくまでも可能性ですが否定はできませんね。しかし脳の機能というものはまだ十分解明できているのか、例えば、我々の心とか自我とか言われるものがどのように形成されているのかは解明されていません。解明されているのは五感の情報処理にあたる分野でその情報を総合的にどう処理しているのかまでは、いくつかの仮説はあるにせよいまだ定説までは至っていない状況です」
 柚木が玉木の説明を受けて疑問を口にした。
「そのような状況で例えばユニ・グローブ社や五葉重工が極秘裏にそれも日本で研究を行わないといけない理由はなんでしょうか」
 一同黙り込むが宇梶がしばしの沈黙の後、口を開いた。
「日本で行う理由は、五代幹事長が大きな理由でしょうね。現マッコイ政権ではそのような大胆な人体実験はできないでしょう。露見すれば大問題となります。そうなれば仮にエイミー・ディキンソンの政権になってもそのような実験は困難でしょうね。おそらくユニ・グローブの背後にいる国際金融グループもリスクが大きいと考えているのでしょう。その点五代幹事長は官僚機構や大手メディアすべて抑えていますので露見するリスクは少ないと考えられます」
「でもそうまでして日本でリスクの高い人体実験を行うことの目的は何かしら?軍事的優位性?」
 玉木が意を決したように話し出した。
「これはあくまでも私個人の推測ですが今、アメリカのスペース・バッファロー社で火星のテラフォーミングの試みが行われていますよね。計画では五年以内に人類の移住が始まるとのことです。人類の火星移住に向けた準備のための実験とは考えられないでしょうか。火星移住に適した人体改造などが考えられます。軍事目的であれば米軍のハッキング能力により、たとえ中露が先行していても軍事的優位性を脅かすことはないでしょう。それにロシアの技術は優れたものがありますが彼らには資金がありませんのでこの方面で大きくリードすることはまずできないでしょう。中国はまだまだ先進技術開発能力については大きな疑問があります。やはり軍事目的というよりは火星でのプレゼンスのための研究と考えられないでしょうか」
 宇梶も思い出したように発言した。
「そうですね。現在五葉重工はアメリカの北西部で自前の宇宙基地建設を計画しているといった報告もありますね」
 白川が徐に口をはさんだ。
「火星移住計画も視野に入れているんだろうけど、もっと即物的な目標と考えられないか?」
「と、いうと?」
「例えば遺伝子書き換えによる人体の若返りとか。向こうの金持ちのお年寄り連中が長生きするためにね」
「おそらくその両方とも考えることができるのではないでしょうか」
「すると八王子の地下で行われていることはGNR(遺伝子工学、超微細工学およびロボット工学(AI))の総合的な実験かもしれないね」
 柚木が口を挟んだ。
「それをデモの大義名分とするには何らかの証拠が必要です。障害者総合ケアセンターの地下施設へ行って実験現場を押さえないといけないでしょうね。そうすればその現場をニュースで配信して世論を喚起できると思うんだけど」
 白川が宇梶に尋ねた。
「宇梶さん、大沼さんに頼んでマッコイ大統領の協力が得られないかな。マッコイにとってもエイミー・ディキンソンの背後にいる組織の謀略をさらすことができれば大統領選をひっくり返せると思うんだが。特に施設に入ったアメリカ人たちの素性は向こうの協力がないと得られないと思う」
「そうですね。選挙人選挙までが勝負ですね。何とか二週間くらいを目途にプレス発表してデモへつなげて五代幹事長への追及までできれば大沼総理続投の線も出てきます。総理へはこれから連絡して明日中に首脳会議を設定してもらうように手配します」
「わかった。そうしてもらえますか。明日の同じ時間にまたここで話しましょう。私の方からインビテーション送ります」
「了解です。それでは」
 玉木と宇梶がバールームから退出した。柚木は白木と共に残っている。白木の計画や島村の状況などまだ確認したいことがある。

「白川さん、瑠璃ちゃん元気にしてる?」
「元気だよ。今、渡辺座主の下でずっと座禅組んで瞑想に耽っているようだ。面白いことに普通は実社会に戻るときにインディーズからログアウトしてアバターもいなくなってしまうんだけど、彼女の場合アバターを残したまま実社会に戻れるらしい。そして彼女はその間もずっとアバターとシンクロ続けているようなんだよ。なぜそういうことができるのかはわからないけど、渡辺座主の話では彼女が瞑想時に悟りの境地にまで至ったのかもしれないということらしい。ただ実世界とは違った仮想社会での悟りの世界じゃないかってね。今、私が構築しようとしているインディーズ・ウェブ内での統合管理システム、これは日本政府のマザーに対抗するものなんだけど、それに心を持たせるためにインディーズ内での人々の行動や言動をビッグデータとして収集している。そのデータに基づいて徐々にこのシステムの心となる元データを入力しているところだけれど、島村さんはどうもそのシステムの心とシンクロしているらしい。インディーズ・ウェブに訪問しているほかのメンバーに確認とったんだが彼女以外ではこのようなシンクロは見られないようだね。彼女はここでは特別な存在になっていくようだ」
「瑠璃ちゃんには重荷じゃないかしら。本人は少しおとなしくて人付き合いに奥手のところがあるけどいたって今どきの女の子ですよ。ちょっとかわいそうじゃないのかしら。それでメンバーの数は今どのくらいまで集まってきているの?」
「今、五万人くらいかな。渡辺座主のおかげだね。天台宗の宗徒中心に徐々にインディーズへの参加者が増えている。こちらはその対応のためにサーバー増設とかで相当忙しいんだ」
「大沼総理の任期はもう一月ないですからその間に大沼政府でやってほしいことはやってもらわないといけないですね。さしあたり再来週の週末にデモ行う場合、今日の内容だと五代幹事長と五葉重工のユニ・グローブ社との結びつきがメインのテーマになりそうです。でも間に合うのでしょうか。そうなれば相当インパクトのあるテーマですし、五代幹事長を退けてキャサリン青木の総理就任阻止は可能に思えるんですけどね」
「その件は宇梶さんと玉木さんに任せる以外ないね。私が今行っているインディーズ・ウェブ内での仮想世界の構築にはあと半年くらいはかかりそうだから、それまでは大沼総理とマッコイ大統領でいて欲しいんだけどね。そのためにはできることはするつもりではあるけれど、政治は私の得意分野ではないからね。一つできるとすれば柚木さんが今関わっているJCNのプログラムの支援であればできそうだけどね」
「白川さん、ありがとうございます。社長にその旨伝えますね。私の方では知り合いのルポライターにお願いして八王子のケアセンターの調査をお願いしていますので、何かわかれば週刊春秋で発表できるかとは思います」
「それは強い味方になりそうだね。そうすれば東京でのデモの人数がより増えることになるだろう。彼らがケアセンターに行く時に一緒に行ってもらえるといいかもしれないね」
「私たちのスタッフも同行することになりそうです。一つ質問があるんですが」
「何でしょう?」
「ここで食べたり飲んだりした場合、実世界の体にも影響してくるんでしょうか?」
「感覚は共有しているから体験したことは実世界の体でも反応はしているよ。でも実際には食べたり飲んだりしていないので実世界で栄養の補給は取らないといけない。そうしなければ体力が落ちることになるね。最もダイエットするにはいい方法かもしれないけど体力を落とさないように注意は必要になってくるだろうね」
「この仮想世界での経済活動も考えているんでしょうか」
「いい質問だね。今のところはここでいくら飲食してもタダだよ。でも、例えば本格的にシステムが始動した場合、実社会ともリンクさせる形でここでの経済活動を行うことは考えている。例えばここで買い物すると実世界で部屋に届くようなシステムを考えているけど、使い勝手についてはみんなで考えたほうがいいのかもしれない。実社会でも情報の流通がメインになってきているから、その点ではここと実社会と上手くリンクできるんではないのかな」
「面白そうですね。例えばここはどういった場所になるんですか。見たところ新宿の高層タワーの様ですけど」
「ここはまだ試験的に作った場所でこの部屋から外へはまだ出ることができないね。要人向けの接待の場所として考えている。今の季節だと富士山も見ることができるからいい場所じゃないかな」
「いろんな場所を作ることができるんでしょうか」
「ある程度のモデルがあればAIで構築することは難しくない。柚木さんはどんな場所がお好みかな?」
「私なら江戸時代の江戸の武家屋敷がいいですね。庭に築山や池があって鶴や朱鷺がいれば最高です」
「面白そうだね。柚木さんのリクエストであれば作ってみたいね。何かモデルのようなものある?」
「イメージとしては小石川後楽園かしら。できれば江戸城の天守閣があればうれしいですね」
「うん。だんだんとイメージが湧いてきた。VIPの接待は江戸城の天守閣でやるのも面白いかもしれないね」
 窓の外には新宿から多摩方面への夜景が広がり奥多摩の山々が半月の月あかりに照らされて黒々とそびえているのが見える。街の明かりがきらめく宝石のような輝きを発している中、眼下には八王子方面へ向かう、または都心へと向かう車のライトが首都高に沿って幾重にも連なっている。窓にはその夜景を眺める自分の姿が夜景の中に半透明になって映し出されている。実世界で新宿の高層ビル群から眺める夜景と違いが判らない。柚木は白川が作り出しているこの世界の奥深さを痛感せずにはいられなかった。
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