第8話

文字数 2,991文字

 ネットのニュースでは二百人程度の袈裟を着た禿頭の一団が烏丸通を北へ上っている姿が映し出されている。比叡山の僧侶たちの一団である。先頭には大僧都熊田春樹の姿が見られる。周りには府政は古都の文化を守れといったプラカードが掲げられている。
 事の発端は昨年十二月の川崎での日本人による外国人スーパーへの襲撃事件を受けて出された内閣官房長官談話による。それにより外国人永住者に対して地方自治に限定し選挙権及び被選挙権を与えるということが打ち上げられた。その後で憲法違反の可能性が大いに疑われるにもかかわらず国会で与野党ともまともな論議をせずに三月末に臨時国会で法案を通してしまったのである。その後の地方首長選挙で台湾系帰化人孫英玲が京都府知事選挙で現職であった川上博を破って初当選したのである。京都府民は必ずしも孫を支持していたのではなかったが国会における外国人永住者に対しての公民権認可に伴う権利拡大を毎日のようにメディアで流されたことと、公示二日前の現職知事川上の外国企業からの不正献金というビッグニュースが流されたことにより一挙に流れは孫英玲へと流れてしまい彼女が京都府知事の座を射止めたのである。結局、川上への不正献金は立件されることもなくデマだった可能性が高くなった。そういったメディアによるあからさまな世論誘導により誕生した孫府政であり、そのことに対して京都府民の何とも抑えがたい政治とメディアへの不満というものが潜在的に蓄積されていたのである。そういった中で孫による外国人百万人受け入れとそれに伴う外国人永住者に対しての権利拡大、および差別撲滅の法案が府議会へ提出された。府政への抗議の声がネットを通じて徐々に高まり、それは比叡山と府内の仏教界に対して反孫府政へと向かう強い影響を及ぼした。千年の都京都の府民は天皇がこの地を去った後も神社仏閣とともに日本の魂の故郷として日本文化を継承してきたという自負がある。天台座主渡辺利光により今回のデモの提案がなされたのである。まずは少人数で初めて国民世論の喚起を促そうという試みだ。デモは毎週日曜日に行うことが確認されその旨、京都府警への届け出がなされている。デモの内容が古都の文化を守れということで外国人差別に当たらないので現法制下では孫知事としてもこの民主主義下における府民の権利を阻止することはできない状況である。

 大沼総理はこのニュースを首相官邸で驚きを感じながら眺めていた。
世界は今、大きく変革しようとしているその只中にある。AIによる管理体制が徐々に構築され、現在はAIの判断を取捨選択しながら人の手により社会が運営されているが遅くとも十年後には人の選択が入り込む余地がなくなる時代が迫ってきている。その状況下で世界ではAIによるどのような管理社会を構築するのかで様々な考え方に分かれて激しい主導権争いが水面下で行われていることは間違いない。現在中国大陸で起こっている混乱はその主導権争いが顕在化しているにすぎない。国際資本による中国市場を完全に取り込むために仕掛けられた内乱であるとか、共産党による国際資本の存在を顕在化させ、それに反発する国民の不満を励起させて内乱を越させている陰謀とか様々な解釈が世界中で行われている。大沼自身はかの大陸で歴史上繰り返されてきた政権争いが現在も行われているにすぎないと冷ややかに見ている。そこに崇高な目的は微塵もなく単なる覇権争いである。また最終的には絶えることのない紛争に疲弊した人民の心にその戦力を温存している共産党が入り込んで一気に制圧するのではないかとも大沼は予測している。それが三年先なのか五年先なのかの時間の問題にしかすぎない。そのようなAI社会の構築と隣国の状況下で十年先、五十年先でも日本人の心を失わずに日本という国をどう存続させるかが彼にとっては今、直面している大きな試練である。
翻ってアメリカ合衆国の状況は大沼の盟友であるクリストファー・マッコイ大統領が何とか国際資本の影響を最小のものとして、伝統的な政策である家族を重視した民衆の幸福を第一に考える社会に向けて戦っている最中であり、大沼もその考えに同調している。しかし世界金融の支配をもくろむ国際資本はこのAI革命をその好機と捉え反マッコイの旗印を鮮明にし、その目的のためには手段を択ばない状況である。EUが一つの市場としてその存在を確実なものとし国際資本の入り込む余地が限定されている中で、国際資本はその生存を賭けてアメリカ市場を掌握し、その上でEUとの政治的交渉でその市場に徐々に侵攻することを選んでいるようである。それができなければ一方のグローバル的存在である共産独裁主義の理念に世界が侵略されてしまう可能性が否定できない。その中でより国民側に立つマッコイが大統領選で勝利するのか国際資本の代弁者であるエイミー・ディキンソンが勝つのかによって世界の政治経済及び軍事動向が大きく左右されることになる。
大沼はこのデモの様子を眺めながら昨夜の五代幹事長との立ち話を思い浮かべた。五代の話によるとキャサリン青木や安藤ジョナサンは、こよなく日本文化を愛する日本人であって決して国際資本の意向を受けて日本文化を破壊するつもりはなく、大沼を政権内でしっかり支えてその政策の実現に貢献したいとのことであり、大沼降ろしを目論んでいないとのことであった。その話を聞いて大沼は苦笑せざるを得なかった。青木も安藤も五代の勢力下にあるのは間違いなく、本人たちがどのように考えようと結局は五代の方針に従わざるを得ない。この五代幹事長自体が歴代内閣に対し最大の影響力を行使してきた人物でありその強さは国際資本との強い繋がりから来ているのは自明の理である。五代が現在大沼の政権を支えているのは大沼とマッコイの良好な関係が大きな理由であり、それにより北米市場での利権を最大のものとするのが彼の目論見である。エイミー・ディキンソンが次期大統領になれば大沼は総理の座から降ろされるであろうことは認識している。政治とはそんなものである。
大沼にとって思うように行動できない総理の座はそれほど重要なものではなくなってきている。先日、皇居で今上天皇に内奏した際、国内と中国、アメリカおよびEUといった世界状況一般の説明をしたのだが陛下は特にイギリスの動向とTPP諸国の今後について強い興味を示され、また穏やかではあるが力強いお声で日本の国益を最優先と考えたいとおっしゃられたことが強く印象に残っている。大沼の解釈では日本の国益とは天皇を中心として国民がその自由と福祉を享受できる国の在り方であり、その実現のために同じ国柄である英国と共にTPP域内の諸国と一体となり世界で重要な一極を占めることだというものである。むろん大沼もその考えに異論はない。問題なのは総理大臣といえども日本をその方向に向かわせる手段が限られていることである。思想的に賛同する国もあろうが具体的な社会システムをどのようにして他の勢力から域内を守りまとめつつ発展させていくかの具体的な手段がないことが問題なのである。
そのような思いを巡らしながら比叡山の僧侶たちのデモを眺める大沼の中には、歴史的にも影響力があった比叡山の力というものが上手く活かせないかとふと心の中を過ぎるのであった。
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