第13話

文字数 5,091文字

 元陸上自衛隊幕僚長の荒木昇は満月のもとに蒼く照らされた比叡山延暦寺の大書院の茶室で天台座主渡辺利光と対峙していた。
 話は一週間前に遡る。目黒にある風林山大昌寺の住職より荒木の元へ連絡があった。それによると座主の渡辺が内密に会いたいとのことであった。渡辺とは天台宗の会合で二度ほど面識があったので人を介しての密会の要請にただならぬ事態を予感した荒木は一週間後の日曜日の午後十時に参内する旨住職に返答したのであった。一週間も間をあけたのは京都中が僧侶のデモで大騒ぎになっている間に叡山に徒歩で登ろうと考えたからである。そのほうが人目を避けやすいからだ。京都中がデモで騒がしい午後一時に京都駅へ降り立った荒木は二条城などを見学して時間をつぶした。その後午後八時に比叡の麓坂本駅に降り立ち登山服に着替えて登山道を延暦寺へと向かった。途中で時間調整をして十時丁度に大書院を訪れ、今、天台座主と対峙しているのである。
「座主、ご無沙汰しております。座主に置かれましては達者なことでなりよりでございますな」
「荒木さん、遠いところご足労おかけして申し訳ない。ちと、あなたに相談したいことがあっての」
「願ってもないお言葉です。この荒木でできることでありましたなら何なりとお申し付けください」
「荒木将軍、いや元統合幕僚長であったな。あなたは日本のために命を捧げる覚悟は出来ておるかいのう」
 渡辺は柔らかいが隙のない冷徹さを覚えさせる眼光にてしっかりと荒木を見据えていた。荒木もその視線を受け止めて渡辺を、いやその背後に存在する名もなき人たちの思いを見るかのように答えた。
「大僧正、わたくし十八の年より防衛大学に進んで以来この身はこの国のために捧げてきました。退役して数年たちますがこの決意は微塵も変わっておりませんぞ」
「荒木さん、すまんのう。しかし事はそれほど重大な事なんでな。あなたの意思を確かめさせてもらいたいのじゃ」
「大僧正、お言葉ですが愚問ですぞ」
「愚問とな。はっはっは。たとえ米軍と対峙することになっても愚問といえるのかな」
 荒木はその一言に絶句した。しかしそのあと、うっすらと笑みを浮かべて、言い放った。
「ええ、愚問です。この命は祖国とそこに住む国民に捧げております」
 荒木の確かな決意を確認すると渡辺座主は白川が行っているインディーズ・ウェブ上での活動の説明をし、そして天台宗の僧侶が仮想空間内でどのようにしてその活動を支援していくかの概要を話した。
「大僧正、そのインディーズ・ウェブ内での活動はわかりますが現実社会での展開はどうなさるという計画なのですか?」
「そのことじゃがのお、今京都で行っておるデモを首都圏にも拡大させようと思っておるのじゃ。仮想空間内での同輩たちを中心に徐々に拡大していく考えじゃ」
「平和的なデモであれば警察権力でも武力行使で阻止することはできないのではないでしょうか」
 渡辺座主はそれに答えて大沼総理の秘書宇梶との話の内容を説明した。その内容を静かに聞いていた荒木の頬が徐々に紅潮していった。
「私のところへも自衛隊が米軍の完全傘下に置かれる計画の噂は入ってきています。次期大統領にエイミー・ディキンソンが就任することになれば自衛隊どころか米国による日本の取り込みが一挙に進むということになりかねませんね」
「それが一番憂慮すべきことだのう。しかしその場合は国際資本に完全に支配されたアメリカが日本を支配することになると読んでおる。そうなれば民主主義は徐々に後退し全体主義国家になるやもしれんのお」
「座主、誠におっしゃる通りです。して、私に具体的にどうせよと」
「朝霞の方に情報将校として任務しておる玉木大輔三等陸佐がおるのじゃがご存じかな」
「玉木はよく知っております。二十年ほど前に彼が入隊したときに私の部隊におりました」
「彼をインディーズ・ウェブに招待したいのじゃ。これは私というより白川さんの依頼じゃな。彼にこの仮想社会の理念を理解してもらったうえで実行部隊のリーダーになってもらえんだろうかの」
「玉木であればまず問題ないと考えますが、やっかいなことは陸自に勤務した状態ではほぼそのような行動は不可能な事でしょうか」
「ならば、彼を内閣の情報顧問として内閣情報調査局に配属してはどうか。大沼総理に依頼することはできるかと思うが」
「大沼総理をそこまで信じてもよろしいのでしょうか」
「私も知らなかったことなんじゃが大沼総理の秘書、宇梶さんはすでにインディーズ・ウェブのメンバーで白川さんと共に行動を共にしておるので総理の一挙手一投足はこちら側には筒抜けじゃ。仮に総理に不審な動きがあるようじゃとその監視役にもなるので都合がよいと思うが如何かのう」
「それであれば私も安心して玉木を内調に出向させることに賛成できます」
「理解してもろうて感謝しますぞ将軍。今宵は満月でな。叡山の月夜を存分に楽しんでくだされ」
「座主、私も年取りましてな。月見よりは寝かせてくださらんか」
「将軍も年取ったのお。まあ私が無理言うたから仕方ないか。別室に床を準備させておるのでくつろがれよ。今宵は誠にご足労な事であったのお。天台座主として感謝いたしますぞ」
 満月が叡山の深い森を静かに照らしている中、渡辺と荒木の会話はまだまだ続くのであった。

 柚木クリスティーンは中野の商業ビルの五階にある彼女の個人事務所で早川仁美という町田の病院に勤める看護師と会っていた。柚木が今契約しているジャパン・コミュニケーション・ネットワーク(JCN)の方へ京都のデモについて東京でも行いたい旨のメールで早川が送ったのである。メールで説明されている早川のプロフィールに真剣な思いが込められているようで柚木は若干戸惑いながら早川と会ってみることにした。柚木にとっても東京でデモを起こす際に協力者を探していたことは事実であったので彼女がそれに参加出来得る人物かどうかも確かめたかった。また彼女が協力者として十分な資質を持っているのであれば彼女のインタビューを白川に見せてインディーズ・ウェブへ誘うことの同意を取るつもりでもあった。四十平米ほどの彼女の個人事務所はいたってシンプルなもので彼女の仕事机と応接セットそれと簡単なキッチン設備といった構成だ。応接セットはパテーションで区切られて横に観葉植物が置かれている。彼女はJCNのカメラマン、森本とアシスタントの飯島にサポートを依頼して早川とのインタビューを録画することにした。その旨早川に断ったのだが早川は顔にモザイクをかけて音声も変えることを条件に出してきた。その直向でどこか鬼気迫る様子に柚木は戸惑いながらも彼女の条件を快諾してインタビューを進めることにしたのである。
「それでは始めましょうか。あなたのことを特定できる情報は後からわからないように処理するのでここではすべての情報をお話ししていただけますか」
「はい、わかりました。そうします」
「まず、あなたご自身のことをお聞かせください」
「早川仁美、二十四歳です。現在町田総合病院の第二外科で看護師をやっています」
「看護師さんですか。どれくらいやられていらっしゃるのでしょうか」
「看護大学を卒業してから今の病院に入ったので二年になります」
「ありがとうございます。それで今日は京都のデモを東京でも行いたいというお話でしたけれど、どのような理由からかお聞かせ願えますか」
「あの、熊田大僧都のお話に感動したことがきっかけで私も勇気をもって人に話をしないといけないと考えました」
「そうですか。でも京都の移民計画に反対するデモを東京で行うことの必然性はどの様に考えていらっしゃるのでしょうか」
「あの、熊田大僧都のデモを東京で行いたいというのは柚木さんに会って話をしたかったからです。もちろん東京でデモを行って熊田大僧都を支援したい気持ちもあるのですが、今日はもっと重大な問題を告発したいんです。そのために同僚にも伝えずに勇気を振り絞ってここに来ました」
柚木はカメラマンやアシスタントの落胆した表情に気付いたが早川に続けるように促した。
「私の病院で知的障害者への定期検診を月一度行っているのですが今年に入って入園している障害者の方が次々に退園しているんです。重度の知的障害者の方たちばかりで治癒の見込みがない人たちです。退園することが、それも何人も次々に退園することがおかしいことなんです」
 柚木は直感的にスクープの匂いを嗅ぎ取ったようである。彼女の瞳に獲物を追い詰めていく狩人のような煌きが宿ってきている。
「その施設は何というところかしら」
「川崎にある幸寿園。山の中にひっそりと建っています」
「そのいなくなった人たちのこと詳しくわかるかしら」
「八歳の男の子で城戸孝明君、二十六歳の女性、水瀬薫さん、六十五歳の男性で根岸琢磨さん、八十三歳の女性木村照子さんです。この人たち皆さん身寄りのない人たちなんですよ」
「身寄りのない人たちが入園できるのかしら」
「ほかの施設にいらっしゃった様なのですが親類の方がいなくなってしまって居場所がなくなった人たちを幸寿園さんが引き取ったようです」
「それでは幸寿園はボランティアで知的障害者の人たちのお世話をしていたのかしら」
「最初は政府からの援助で行っていると聞いていたんですがどうも五葉重工が支援をしているようです。そんな噂があります」
 スタッフたちがざわつき始めてきた。カメラマンの森本の表情にも彼が乗ってきているときの熱量の多さがあらわれている。そのカメラワークはどのような表情も見逃さないといった張り詰めた動きへと変わってきているのが体全体を通して発せられている。早川仁美が続けて
「その五葉重工には別の噂があるんです。五葉工業はアメリカのIT企業の依頼で神奈川の山奥に遺伝子書き換えの研究所を極秘裏に作ったというものです。そこで知的障害者に対して人体実験を行っているという噂です。あ、これはあくまでも噂ですよ。でもその研究所に神奈川県の脳神経外科の先生たちが引き抜かれたというかなり信憑性の高い話もあります」
「でもそのような研究ならどうしてアメリカで行わないのかしら?日本でそれも五葉重工のもとで行っていればその成果をアメリカで独り占めできないのじゃないの?」
「そうなんですが中国やロシアそれにEUは人権意識の低い東欧ですでに被験者への試験は行われているようなんです。アメリカでは人権意識が強すぎてそれができないので五葉重工と組んだようです。五葉重工はあの実力者の五代幹事長と関係が深いので人権問題を回避して極秘裏に進めているんじゃないかとの噂です」
「よくできた話ね。一つ伺ってもいいかしら。あなた確か二十四歳の看護師さんよね。どうしてそんな政財界の闇にかかわる部分までご存じなのかしら」
「あ、すみません。この話は私が考えたんじゃなくて婦長さんが話していたことの受け売りです。婦長さんは顔が広くていろんな病院から情報を仕入れているみたいです」
「ふーん、興味深い話ね。それで私に何をしてほしいのかしら」
「柚木さんに暴いて欲しいんです。この闇の部分を。いくら知的障害者だからと言ってこのような人権を無視したことが行われていいはずがありません。そのうえ一流企業や政治家がそれにかかわっているなんて人間として恥ずかしいです」
「早川さん、あなたの言いたいことわかったわ。これからは私たちに任せてちょうだい」
「柚木さん、私もお手伝いしたいです」
「そうね。それじゃあ、そのいなくなった人たちが幸寿園の前にはどこにいたか調べることはできるかしら」
「カルテを調べればわかると思います」
「それじゃあ、今夜あなたのアドレスに招待状送るから、そこで今後どうやって行くか詳しく話しましょう。招待状開いてくれれば私とそこで会えるようにしておくわ」
「わかりました。柚木さんから来たメールを開けばいいんですね」
「ええ、心配しなくて大丈夫よ。変なウイルス仕込んであるわけじゃないから」
 取材が終わって早川仁美が退出した後アシスタントの飯島がつぶやいた。
「柚木さん、これって大スクープですね」
 カメラマンの森本がたしなめるように話した。
「柚木さん、まずは現場の取材行って真偽のほどを確かめてからにしたほうがいいですよ。あまりにも大きすぎるスクープです。僕たちの首どころか命に係わるかもしれないですよ」
「そうね。そうしましょう。この先にエミリー・ディキンソンやキャサリン青木と五代礼三の企んでいるものが見えてくるかもしれないわね」
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