第27話

文字数 4,681文字

 東京稲城市にある倉庫の地下である。ここに秘密の射撃練習場がある。過激派団体に使用されている場所だ。そこに二人の若者が短銃の試射を行っている。一人はずんぐりとした体形の若者で百瀬健太郎十九歳、明和経済大学の一年生だ。もう一人はスリムな長身である田代智樹20歳、平成電気通信大学の三年生だ。二人は民主革命連合に所属しているいわゆる過激派グループの構成員である。その背後には五十をとうに超えている男が二人の射撃訓練を見守っている。今泉幸人だ。民主革命連合(民革連)の幹部である。
「百瀬、もっと脇を占めてしっかりと狙いをつけろ。
 怒号が飛び交う。パン、パンと銃声がとどろく。二人とも的を外しているようだ。今泉はゆっくり二人に近づいて行った。
「もう、それくらいにしとけ。今日はスポンサーから支援が入ったから今から飲みに行くぞ。明日はしっかりと落ち着いて行動してくれよ」
 今泉は二人を連れて倉庫を出る。辺りを確認するがどうやら公安は見張っていないようだ。彼らもデモ騒ぎで今泉の処まで手が回らないのかもしれない。今泉のグループは新民党の田代健司から要請を受けて東京でのデモに三十人ほど人を出している。これは単なる平和的なデモ要員の要請であった。しかし今週に入ると別の組織から、おそらく外国勢力だと思われるが、から接触がありデモの最中に騒ぎを起こして欲しいとのことである。謝礼が五百万円と破格の好条件であったので、民革連の名前を売り出すにはいい機会だと考えて快諾したのであった。予定では学生二人がデモの最中に発砲してデモを攪乱させるだけのものであった。単なるアルバイト感覚で大金が入るので今夜は太っ腹である。そのまま二人を連れて夜の街に消えていった。

 同じころ轟太は島村瑠璃の部屋にいた。試験が今日終わって解放感でいっぱいである。明日土曜日は瑠璃と一緒に日比谷公園でのデモに参加するのでゆっくりできるのは今夜しかない。本当は吉祥寺に繰り出したかったのであるが最近瑠璃がネット上で女神さまと崇められて顔ばれもしているので二人で落ち着いて外を歩けないという困った問題が起きてしまったのである。それでも武蔵境にある彼のアパートよりは井の頭公園が見渡せる瑠璃の部屋は快適で眺望もよい。残念ながら公園の木々は冬支度が終わって枝がむき出しの枯れた景観であるのは季節柄仕方がないことである。
 瑠璃は料理をしないのであるがフードマシンで大概のものは調理できる。しかし太の本物の肉が食べたいといった要望で瑠璃は近くのレストラン、プリミ・バチから宅配してもらうことにした。イタリアンの店だ。前菜とパスタ、メインは太がサーロインステーキで瑠璃がラムロースにした。二人でソファーに座り明かりを落としたリビングから夜景を眺めゆっくりワインを飲んでいるとほどなくドローン宅配がベランダに到着した。そのままリビングまで運んでもらう。食事を皿に移し替えるとちょっとしたレストランの雰囲気が出てくる。二人で夜景を見ながら食事をした。食事は申し分なくとてもイタリアンで二人はワインの心地よい酔いとオリーブオイルの滑らかな青さが柔らかい赤身の肉を品よく仕立て上げている味わいがもたらす愉悦のひと時を堪能した。食事が終わると瑠璃が昔の映画が見たいというので映画配信のメニューから椿三十郎を選んだ。白黒の相当古い映画である。瑠璃にとってはこの映画は故郷の長崎で祖父と一緒に見た楽しかった日々の思い出の映画である。どことなく愛嬌のあるいかつい浪人役が主演の三船敏郎だ。侍たちが部屋の中に集まって敵に聞こえてはまずいので声を出さずに喜び踊りまくる場面が滑稽で面白い。そしてラストの決闘の場面一太刀で相手を切り倒し、その胸元から鮮血がほとばしり出る場面、もっとも白黒なので黒い液体が噴出しているのだが、そしてあばよと去って行く。たまらなく日本男子のカッコよさが出ている映画だ。映画が終わるとどちらからともなく体をまさぐりあった。柔らかい瑠璃の体は太の指がやさしく触れるたびに敏感に反応している。瑠璃も太の引き締まった細身の体に触れて優しく愛撫する。ゆっくりと官能の囁きが二人をいざないどちらからともなく服を脱ぎ始め、お互いを確かめ合うように愛撫する。そしてソファーの上で二つの感情はもつれあい絡み合った。このまま二人繋がったまま時が止まるといいのだけれども、時は残酷にも止まることなく静かに流れ過ぎて行くのであった。

 土曜日の午前十時、芝公園前に集まった群衆は日比谷通りを日比谷公園に向けて歩き始めた。警察により道路は封鎖され大群衆が行進を始めた。鈍(にび)色(いろ)の雲がどんよりと不安が充満している世の中の気持ちを反映しているかのように低く立ち込めている。いくつものメディアのカメラが群衆を追っている。上空にはメディアや警察のドローンが舞っている。そのような中でのゆっくりとした行進であるが参加している人々の顔には笑顔があふれ、どこかお祭り気分で浮付いた雰囲気があることは否定できない。多くの若者たちがカップルで参加している。歴史的なイベントに参加することによって自分たちも何か大きな存在になったかのような気持ちの高ぶりが見て取れるほどだ。その中に島村瑠璃と轟太の顔もあった。二人とも他のカップルたちと同じ様に自分たちで国を動かすことができるのではないかといった高揚感をその表情に浮かべながら歩いている。
「福島都知事はすぐに辞任せよお!」
「おおー!」
「国は八王子の虐待の解明をしろお!」
「そうだ、そうだあ!!」
 シュプレヒコールが続く中、大群衆がゆっくりと日比谷通りを移動していった。日比谷公園の噴水広場にはメディアがデモの群衆を待ち構えていた。その中には柚木クリスティーンの姿があった。
「ここ日比谷公園の噴水広場は静まり返っています。事前に警視庁により入場規制が行われたためここではいつもとは違う土曜日の朝の光景が展開されています。あ、今、デモの先頭集団が噴水広場に入ってきたようです。ご覧ください。手にプラカードを掲げています。プラカードには福島都知事の辞任という言葉が赤い文字で大きく書かれています。八王子の障害者総合ケアセンターでの不正人体実験の解明を求める言葉も見られます。そのようなプラカードを掲げ群衆が続々とここ噴水広場に集合してきています」
 柚木の言葉通り群衆は続々と噴水広場に入ってきている。おそらく参加者全員が入ることはできないほど群衆は膨れ上がっている。運営側によって広場に整列するように促されているのが見て取れる。デモも三回目になると運営側も慣れてきたのか手順もスムーズになされているようだ。
「ご覧ください。群衆は乱れることなくこの広場に整列しています。その中で都知事辞任のシュプレヒコールが次々と叫ばれています。この声を都知事はどう聞いているのでしょうか」
 島村瑠璃と轟太も噴水広場に入ることができた。二人はすぐに運営側が待機している野外音楽堂へと進んだ。舞台の上から見る群衆はすさまじいばかりの熱気を放っている。天気予報によれば今日の最高気温が六度ということであるが人々の放つ熱量で寒さは全く感じられない。
「瑠璃さん、凄い人の山ですね。俺、こんだけの人見たことないっす」
 轟太も群衆の熱気に押されて相当気持ちが昂っているようである。瑠璃も興奮を抑えられない様子で話した。
「本当にこれだけの人が集まっているところ上から眺めると壮観だわ」
 群衆の入場はとどまることなく続いている。恐らくここに入りきれない人たちが多数出るはずだ。島村瑠璃はどのように対処するのか運営と相談することにした。ここのリーダーは井尻浩というリタイアした男性だ。
「井尻さん、この広場にはとても入りきれないようですがどのように対処するんですか」
「ああ、島村さんか。警察にはテニス場や草地広場を使う許可を取っているからそこに誘導するつもりだよ。そこでも入りきらなかったら日比谷通りに待機してもらう以外ないね。皇居に入ると不味いことになるからそれだけは避けないといけない」
「皇居には入れてもらえないんですか」
「ええ、警察から許可なく皇居前で集会してはいけないと厳しく言われている。最悪の場合機動隊が出動して大ごとになるっていうんだ」
「わかりました。私は何すればいいですか」
「島村さんはアイドルだから壇上で群衆に顔を見せてくれていれば十分だよ」
 話している間にも噴水前広場は人で埋まってきているので運営側によりテニス場や草地広場に誘導している。島村瑠璃はネットニュースをモニターしていたのだがその姿をドローンカメラでとらえられて、自分の姿がアップで映し出されているのを見ると少し恥ずかしい気持ちになった。再び群衆に向けて手を振りながら笑顔を振りまいた。群衆はそれにこたえるように「女神様あ」とか「瑠璃様あ」とか歓声を上げている。その姿はネットを通して全世界に配信されているのである。
 デモの群衆はまだ尽きることなく日比谷公園に入場しているのだがテニス場も埋まってきているようだ。恐らくここの群衆は十万人を超えていそうである。島村瑠璃は七月から始まったインディーズ・ウェブとの関りから半年がたったことを思い出した。その半年の間に起こった様々なこと、栗林最愛との出会い、柚木クリスティーンとの出会い、そのあと一緒に天台座主渡辺と会談したこと、轟太の実家で過ごした日々、そして天台座主渡辺の下で行ったインディーズ・ウェブ内での修行、その修業がもたらした至福の喜びと、そこから始まる瑠璃の至高への渇望、そしてデモに参加した後で起こった瑠璃の全世界的な人気アイドル化、思い辿ればすべて夢の様であった。これらのことがわずか半年で起きたことが瑠璃には何か超越的なものの導きにより起こされたことと思う以外なかった。そして想像もしていなかった轟太への愛情。瑠璃は自分のことについてはファザコンならぬジジコンと認識していたのだがまさか七歳も年下の男の子と恋愛関係に陥るとは想像だにしなかったことである。瑠璃はこれからどこに向かおうとしているのかと考えた。それを思うとわくわくするようでもあり大いに不安でもある。個人的にもそうであるがこの国の将来、いや世界がどこへ向かおうとしているのかを考えると暗鬱な気持ちが込上がってくるのを抑えることができない。青木キャサリンやエイミー・ディキンソンが目指しているものは一見人種差別のない平等な社会と思われるが、実態は個々人のアイデンティティを奪うことにより民衆の自我を押さえつけて支配しようという全体主義を目指しているのではないかという悪夢のように思われる。そのような社会は全く魅力的でないと瑠璃は考える。やはりそれぞれの文化や伝統の上に瑠璃自身が存在している以上、その延長線上に人権重視や人種差別の撲滅は来るべきものである。それでなければそれぞれの国や地域に属している人たちに幸福をもたらすことはないであろう。それが現在瑠璃が至った結論である。そのために瑠璃はここにいるのだ。分不相応に皆からアイドル扱いされていることは大いに不満であるが、それでも世界がそれを求めているのであれば甘んじてその役割を演じようといった決意は彼女の中で既になされている。そのうえでいかにして多くの人々から彼女の考えに対しての賛同を得るのかが今後の彼女にとって重要な目標となるであろう、そのような考えが彼女の中で徐々に芽生えつつあった。
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