第40話

文字数 2,785文字

 同日午後八時二分、開票率一パーセントの段階で柚木クリスティーン当確の速報が各大手メディアから流された。中野にある柚木の選挙事務所に押し掛けていたメディアを前にして柚木クリスティーンは支持者と共にダルマの右目に目を入れる儀式を行った。周りはすべて笑顔と歓喜に満ち溢れ東京の、いや日本の、いや世界の歴史が大きく変わろうとしている大転換点を今、歴史の証人として目撃しているのだという自負にかられたメディアの報道がその喚起を増幅し、このニュースは早朝のワシントン、すでに日曜日が始まっているロンドン、パリ、ベルリン、そしてニュー・デリーや北京といった世界の主要都市で同時発信的に流され世界中の人々は来るべき新しい世界へ胸を躍らせたのである。柚木クリスティーンを囲んで轟太がいた。彼は学生ボランティアとして柚木の街頭演説全てに同道し民衆の動向の分析を行った。また彼の叔母である栗林最愛の姿もあった。晴れやかでまぶしい笑顔を振りまいている。彼女はテロの首謀者という誤認逮捕時に支え続けた夫の反対にもかかわらず柚木クリスティーンの選挙活動を連日のごとく支援し続けた一人である。町田総合病院の看護師である早川仁美の顔もあった。感激のあまり始終鳴き通しで化粧が崩れていながらも晴れやかな笑顔で万歳三唱をしている。そして柚木のクルー、アシスタントの飯島、音声の福田そしてカメラマンの森本の姿も見える。それぞれ疲れは見て取れるが一仕事やり切ったという大きな満足感をその体中で表現していた。そして禿頭の支援者たちの姿も目立った。渡辺天台座主に支援を要請された関東の天台宗の僧侶たちである。その中に混じって熊田大僧都の笑顔も画面いっぱいの大写しで確認された。そして大手メディアの報道部門に促されて柚木クリスティーンの当選のあいさつが始まったのである。柚木はその端正な顔立ちからは程遠く歓喜に顔を崩して大きな声でまず都民と支援者たちに感謝の意を述べた。
「都民の皆さん、そして日本国の皆さん、さらに今世界中で私たちの選挙を見守ってくれた皆さん、柚木クリスティーンです。この度東京都知事への当確の発表がありました。正式には当選後、都知事就任時に私の今後の政策などについてご報告させていただきたいと思います。まずは今宵、皆さんの温かいご支援により当確まで至ったことについて深い感謝の意を述べさせていただきたいと思います。皆さん、大変ありがとうございました。今回の事件は世界の歴史に記載される出来事ではないかと勝手に考えています。既存の国家の在り方に対して多くの都民の皆様が疑問を共有してくれました。私、柚木クリスティーンは皆様のその熱い心と共に都政をそして日本という国を変えていきたいとここに誓います。皆さん、本当にありがとうございました」
 柚木の彫りの深い横顔から、緊張で強張った表情の中にうっすらと笑みがこぼれる瞬間を各メディアのカメラは見逃すはずもなかった。この笑みを見た多くの民衆は来るべき未来は今までとは違った、より民衆の心を反映したものになってほしいという期待を込めてその熱い思いを共有したのであった。
 この柚木のメッセージを聞いた多くの国民は明治維新に次ぐ新しい政治が生まれるのだという期待を抱いてその夜はいたるところで夜更けまで語り合う姿が見られたのであった。

 一夜明けた月曜日の早朝、各メディアは都知事選の結果の発表を行った。それは投票率が七十六パーセント、柚木クリスティーンの獲得票は四百二十三万票で福島百合子は二百五十三万票との結果であった。その結果を受けて青木総理は皇居へと向かった。内奏のためである。そこで今上天皇と総理大臣の間に交わされた会話の内容はしばらく待たねばならない。いずれ歴史が語ってくれることになるのであろう。その日の午後三時に今上陛下は緊急の記者会見を行い、会見はネットニュースによりライブで世界中に発信されることとなった。その内容は柚木クリスティーンの東京都知事就任に対して関連事項の遂行が関係各部署により速やかに滞りなく行われることを希求するとの発言であった。そして都知事就任に対し異例のことではあるがその公約通りに東京都の独立を目指すのであればその行政権を君主として任命する用意があることを発表した。その後、青木総理大臣も午後五時に緊急記者会見を行い、柚木次期東京都知事が東京都の日本国からの独立を望み、かつ、都民がそれを支持するのであれば日本国総理大臣として受け入れのために柚木次期都知事と話し合う用意があることを発表した。歴史は動いたのである。またその日の深夜に五代礼三幹事長が次の衆議院選挙には出馬しない旨の発表を行った。理由は高齢のためであり後進に道を譲りたいという事実上の引退宣言がひっそりとなされた。その翌日副知事から業務引き継ぎを終えた柚木クリスティーンは正式に東京都知事就任のあいさつを都議会で行い、公約通り東京都の日本からの独立を遂行する旨の所信表明を行った。都議会では反対意見が数多く噴出したが都議会与党自由党により都の独立に関しては独立の是非を問う都民投票を行うことを条件に都の独立について知事に一任することが可決された。その可決を受けて自衛隊の権藤忠文統合幕僚長が外国特派員による共同記者会見で日本自衛隊は天皇陛下と日本国総理大臣の決定に従い今後も任務を遂行していく旨の発表を行った。柚木都知事はその後、都独立の是非を問う投票を一月後のゴールデンウィーク明けに行うこと、独立に際しては今上陛下を東京都国の君主として位置づけること、そして柚木クリスティーンが総理大臣として東京都国の行政を担いかつ、日本国から引き継いだ自衛隊を東京都国軍として指揮し、その下で国内の行政一般を担う内務大臣として大沼広樹を任命し、外交は公約通り日本国に一任して安藤ジョナサン日本国外務大臣を東京都国外務大臣として任命する旨の発表を行った。また東京都国の憲法発布は十月一日とし半年後の翌年四月一日に施工される日程の発表を行った。
 海外からは柚木の勝利に対しおおむね賛同するコメントが寄せられたが、その時点で東京都国の承認を言明したのは同盟国であるイギリス王国連邦のみであった。アメリカ合衆国の反応は独自の外交機関を有しない東京都国に否定的であるがマッコイ前大統領は合衆国政府の消極的な対応を非難し、その発言は過半数に至る合衆国国民の賛同を得ている状況である。国連は東京都国自体が国連加盟に消極的なこともあり、東京都国関連の質問に対しては一切ノー・コメントを貫いているが匿名としての発言では新しい国の在り方として非常に興味を持っている旨のものもあるようである。
 このようにして比較的反発が少ない中、柚木都知事は東京都独立へ向けて大きく舵を切ったのであった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み