第36話

文字数 2,512文字

 選挙戦に入ると不安な世相を反映したのか天候も不順で暖かな日差しの春の日が続いたかと思うと大雨が降り、また急激に温度が下がり靖国神社が満開の桜で華やかな春を纏った最中に大雪が降るといったように大荒れの状態となったのである。福島陣営は与党自由党を中心に国の在り方を問う選挙と位置付けて日本と私たちの暮らしを守れというキャッチフレーズの下展開していった。その問いかけにこたえるように野党陣営も自主投票という形で応じたのである。福島百合子の応援には青木総理のみならず五代礼三自らも駆け付け都内の激戦区と予想される地域で応援演説を行った。また野党第一党新民党の党首に返り咲いた白麗美も応援に駆け付け同じ壇上に与野党の重鎮が揃って登ったのである。この様子は連日ネットニュースで繰り返し配信されて自由党と野党新民党支持者を中心に着々と票を固めていった。さらに五代は追い打ちをかけるように柚木クリスティーンの過去の不倫問題を取り上げ、不倫相手の妻を自死に追い詰めたことをことさら強調して彼女に対し主婦の敵であるということを白麗美に語らせるという戦術をとった。それにより十パーセント台だった福島の支持率は三十五パーセントまで伸び、柚木と五ポイント差までに詰め寄ったのである。
対する柚木陣営は政官財の癒着により行政改革が一向に進まない現実を訴えた。そして現在行われようとしている人権を尊重しない国際市場派により破壊されようとしている日本の文化や伝統を守ろうと切々と有権者に問うたのである。さらに柚木の不倫により自死したと福島陣営が柚木を誹謗しているその不倫相手の妻の娘、都内の大学に在籍している、を柚木の応援に駆け付けさせたのであった。彼女は東京に大雪が降った日に初登場して彼女への支援を訴えた。彼女は柚木に対しては母親を苦しめた女として許すことはできないが、母親の死は直接的にはメディアの執拗な取材攻勢であり、それにより精神的に母親が追い込まれたことが原因であるといったのである。それに加えて、真実を語ろうとしない現在の政治とメディアに対しての不信感を訴えて、既存の確立してしまったシステムの弊害が都民や国民の夢の実現を妨害しているとして柚木を応援して新しい国造りに参加しようと演説した。彼女の若さで力溢れる演説は福島陣営のどちらかといえば老獪なイメージのあるものと比較すると、都民に対して新鮮で明るい明日を思わせるものであった。彼女の応援により、柚木の支持率はじわじわと再び上昇したのであった。

その週の金曜日の午後八時に大沼広樹は永田町のホテルの最上階にあるVIPルームで五代礼三幹事長と二人だけで対峙していた。ちなみに二人とも第四十六回衆議院選挙で初当選した同期である。大沼は代々続いた政治家の家系で祖父の大沼大樹は総理大臣を二期務めている。いわゆる政界のプリンスであった。大学卒業後、大手電子機器メーカーに五年間勤務したのちに父親の大沼広之代議士の秘書を務めている。父親の議員引退後その基盤を引き継ぐ形で第四十六回衆議院選挙に初当選し今日に至っている。その一方で五代礼三は地元神奈川で大手自動車会社の二次下請け企業に十五年間勤めた後自動車労連の支持を受け、神奈川県議として政治家としてのキャリアを始めた。県議を二期務めた後、新民党の推薦で衆議院議員に挑戦するも落選し、その後自由党に鞍替えして初当選したいわゆるたたき上げの代議士である。そういった背景があるのでお互いに二人だけで対峙するのは今回が初めてである。ちなみに五代が大沼より九歳年上である。
「大沼さん、キャサリン青木と火曜日にあったそうじゃないか。何を話したんだ」
「さすが五代さんですね。耳が早い。青木には誰がなるにせよ次期都知事をしっかりと支えて都政に混乱をきたすことがないようにしてくれと話しただけですよ」
大沼の発言の後、暫し沈黙が続いた。その間二人の間では目に見えないが大きな火花が行き交っていたようである。五代の双眸は虚偽の言葉を見逃すことがない様にしっかりと大沼の顔を捉えていた。対する大沼も五代の視線を全体で受け止めて力強く跳ね返すようにその表情にうっすらとした笑みを浮かべている。数秒の対峙が続いた後、五代は大沼から目をそらして夜景を眺めた。
「柚木の背後にいるものが誰だかわからんかったのだが、まさかあんただったとはね。大いに驚いたよ。自由で開かれた市場というのはあんたの主張ではなかったのかね」
再び長い沈黙が訪れた。空調で適温に調節されている部屋であるが、重くて張り詰めた空気が二人に纏わりつきそこだけ冷え冷えとした空間を作り出しているかのようだ。そして今度は大沼が五代から視線をずらして室内を眺めまわしながら言葉を放った。
「私の立ち位置は常に国益重視だよ。五代さん、あなたと同じだ。ただし目指している方向は違っているようだがね」
 五代はその発言を冷ややかに受け止め、まるで勝ったかのような満面の笑みを浮かべながら大沼に向かって告げる。二人の周りから張り詰めた空気が氷解して再び熱気が彼らの周りを包み込み、それにより二人の顔が紅潮していくのが見て取れる。
「米国を敵に回すことになるぞ。そうなればあんたの再登板は無くなることになるな」
「米国も一枚岩ではないでしょう。それにあなたは私を切り捨てた時からすでに結論は出していたとみているがね」
 その言葉をもって会談は打ち切られたようだ。大沼は席を立って静かに部屋から出ていった。大沼が部屋から出て行った後、五代は席から立ちあがって窓際に向かい東京の夜景に目を向けた。大都会のさんざめく光の中に黒くて大きな空間が広がっている。普遍でありかつ不動の存在の周りを欲望の光が取り囲んでいる。五代はその光景を見守りながら静かに煙草に火をつけたのであった。

 選挙戦は熾烈さを極め、メディアではその女同士の戦いを連日はやし立てた。多くの識者といわれる人たちが登場しては何の責任も取るつもりもない、無責任なコメントを垂れ流していた。そのような状況であるにもかかわらず柚木の支持率は福島に十ポイントの差をつけて投票日を迎えたのである。
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