第28話

文字数 4,026文字

 運営側がざわついている。どうしたのかを確認すると日比谷通りにとどまっていた群衆の一部が先の方へ進んでいるということである。どこを目指しているのか定かではないが皇居を目指しているのであれば大事であるという説明がなされた。それを受けて島村瑠璃は彼らを止めようと皇居前広場へと向かった。轟太も彼女と同行した。そのあとを追って町田総合病院の看護師である早川仁美が続いた。機動隊が出動するなら負傷者が出るかもしれないと考えたからである。予想にたがわず群衆の一部は皇居を目指しているようだ。島村瑠璃は必死で群衆に向かって日比谷公園に戻るように説得した。
「皆さん、皇居前広場でのデモは許可されていません。至急日比谷公園にお戻りください」
 群衆からは島村瑠璃の説得に対して反論の声が上がった。
「日比谷に入れないんだから仕方ないだろう」
「道を開けろ、邪魔するな」
「皇居を目指せえ!!」
「天皇は不当な人体実験の責任を取って退位せよ!!」
「天皇は謝罪せよお!!」
 皇居前広場に向かった群衆は殆ど暴徒化しているようだ。島村瑠璃の必死の訴えも届いていないようである。瑠璃は天皇批判のシュプレヒコールに大きな違和感を抱いた。この人たちは何者だろう。私たち、多くのデモ参加者とは異なる目的でデモに参加しているのではないか。ひょっとしたら過激派なのかもしれない。瑠璃は必死になって彼らを阻止しようとする。轟太も早川仁美も同様である。他にも運営側から行進を止めようと応援が駆け付けたが多勢に無勢であった。群衆の圧力に押されて彼らに混じって皇居前広場についてしまった。
 皇居前広場では群衆が皇居に向かったという情報を受けて機動隊が緊急出動していた。二重橋前の坂道の上で対峙している。暴徒と化した群衆は機動隊に向かって何か叫んでいる。
「デモは民衆の権利だ!公権力は即刻退去せよお!!」
「民衆の権利を守れえ‼」
「天皇は不当な人体実験の責任を取れえ!!」
「天皇制はんたーい!」
「謝罪!謝罪!謝罪しろお‼」
 群衆は坂道前の立ち入り禁止を示す柵の前まで押し寄せている。何もわからずについてきた群衆も次々に入ってくるので圧力で前に押しやられる。島村瑠璃たちも最前列に近いところで立ち往生している状況である。
「皇居に入れろお‼」
「天皇は民衆のために働けえ‼」
 群衆は狂ったように二重橋前で叫び続けている。坂道の上にいる機動隊は盾をかまえて皇居への侵入を絶対阻止する陣形を整えている。機動隊員たちの緊張が伝わってくるようだ。これ以上進むと機動隊から威嚇射撃があるかもしれない。島村瑠璃は必死にこれ以上進まないように注意した。それでも群衆の圧力は止まらない。一歩ずつ前へと向かっている。大変危険な状態だ。その瞬間一発の銃声がとどろいた。
「バアアン‼」
群衆はその爆発音で凍り付いた。そして静寂が訪れた。機動隊員たちはその銃声に反応して陣形をさらに固め中には銃口を群衆に向けている姿も認められる。そのわずかな時間の中で一人の若者が柵の中に飛び込んだ。カーキ色のダウンジャケットを着てジーンズにスニーカーのいでたちである。ずんぐりとした体形だ。柵の中に入った彼はよろよろとしながら前へ進みだした。何かぶつぶつとつぶやいているようだ。瑠璃は若者を止めようと柵を乗り越えて若者に大声で声をかけた。
「ダメえええ、戻りなさああい‼」
 その瞬間若者はダウンジャケットの内側に右手を突っ込み何かを取り出そうとしている。機動隊員たちは若者に向けて銃口を向けている。次の瞬間若者がダウンジャケットから右手を引き出した。その手には短銃が握られている。ベレッタ92だ。後ろの群衆は静まり返って何が起ころうとしているのか固唾を呑んで見守っている。静けさの中、瑠璃の悲鳴がひときわ目立った。
「いやあ、やめてえ、やめなさあい!!」
 若者はゆらゆらと足取りをふらつかせ、ゆっくりと銃を構えようとしている。
 第一機動隊小隊長の三上静香警部補は目の前でフラフラと歩いているおそらく十代と思われる若者に対し戸惑いを覚えていた。昨夜の大隊長の指示では過激派がデモに混じって皇居前でテロ活動を行うというものであった。武器の使用も考えられその場合は射殺してもよいとの許可が出ている。確かに群衆の中から威嚇射撃でリボルバーの発砲があり目の前の若者はダウンジャケットから短銃を取り出そうとしているようだ。しかし明らかにこの若者は場馴れしているようには見えず足元もふらついている。自分が何をしようとしているのかはっきりとした目的も持っていないようだ。射殺して彼の人生を終わらせることは果たして正解であろうか。彼は単なる末端の鉄砲玉にしかすぎず射殺してしまえば組織の上のほうまで行き着けないであろう。ここは発砲能力を奪うだけでいいのではないか。
「君島、被疑者の右肩に照準を合わせろ」
「はい」
 君島は一番の狙撃手であり彼の腕であればH&Kの狙撃銃で間違いなく右肩を狙える。
 百瀬健太郎は意識もうろうとした中、右手に掴んだ銃をダウンジャケットから取り出そうとしていた。昨夜の今泉との計画では田代と二人でこの場所に立っているはずであった。田代は空に向けて発砲した後、百瀬に向かっていくぞといったはずだ。でもここにいるのは百瀬一人である。体中が震えている。どうしてこうなってしまったんだろう。新潟の田舎からやっと東京に出てこられたのに。新入生セミナーで声かけてきた綾瀬先輩が悪いんだ。大きなおっぱいでかわいい顔して僕を誘ってくるから騙されたんだ。革命なんてどうでもいいことなのに、みんなちやほや持ち上げてくれるから僕は何かできると勘違いしてしまった。目の前では黒い服を着た機動隊が盾の向こうで僕を狙っているじゃないか。どうしよう。おかあさん。百瀬は体の震えが止まらない。立っているのも難しい。それでも精一杯の力を振り絞って銃を構えた。でもだめだ、機動隊の顔を見られない。綾瀬先輩、僕を頑張ったねと褒めてくださいね。震えながら引き金に指をかけた。怖くて目を瞑ってしまう。頭が重たい。誰かが後ろで叫んでいる。女の人のようだ。
 瑠璃は前にいる若者に向かって必死に叫び続けた。
「君、戻りなさい。早く戻りなさい。機動隊はあなたを狙っているわ。死にたいの」
 瑠璃の必死の叫びにもかかわらず若者は震えながらダウンジャケットから何かを取り出したようだ。銃の様である。本物だろうかと、とっさに瑠璃は思った。そして若者は震えながら銃を構えている。腰は引けて頭も下がってみっともない構えだ。なんという最悪の状況だろう。私たちの真剣なデモ行為をテロに利用するなんて。何をこの若者は考えているのだろう。体が大げさに震えているではないか。そんな状態で何ができるというのだ。情けない若者。上空にはドローンが数台止まっているのが見える。報道だろうか。警視庁のものかもしれない。瑠璃は意を決して若者の行動を阻止することにした。そして一歩前に踏み出した。
 三上小隊長は目の前の男が銃を構えて震える指先で引き金を引こうとしているのを確認すると狙撃手に命令した。
「撃て!」
「シュッ」
 発砲音が耳に届いた。それと同時に若者が倒れこんだ。撃たれたのだろうか。その瞬間、瑠璃は体に強い衝撃を覚えた。踏み出して前に傾いた体が衝撃と共に後ろへ激しく叩きつけられた。目の前にはどんよりとした鈍色の空が見える。瑠璃はそろそろ降ってきそうだなと思った。左胸が熱い。なぜかしら意識が遠のいていっているようだ。だんだんと朦朧としてくる。周りには人が集まってきているようだ。ざわざわしている。うるさいなと瑠璃は思った。静かに寝かせてもらえないのかしら。ぼんやりと考えていると懐かしい両親の顔が瑠璃に微笑んでくれている。そしてばあちゃんの顔、じいちゃんの顔、愛しているよって言ってくれた時の顔だ、じいちゃん、瑠璃も愛しているよって言いたかったのにすぐに部屋に戻った時のじいちゃんの悲しそうでいて瑠璃のことを誇らしそうに見つめていたじいちゃんの顔、そして烏帽子を被ったふくよかな白河さん、ほんとの白川さんは筋肉質でハンサムなナイス・ミドルなのに、このふくよかな白河さんが愛おしかった。胸がとても熱いのにとても寒い。体中が冷たくなっているようだ。もう何も見えなくなってきている。誰かが、必死に私の名前を呼んでいる。この声は誰だろう。そうだ。太君。私の年下のかわいい恋人。痩せていてハンサムで長髪な学内の女子大生にモテモテの恋人。太君、今朝は一緒にお風呂に入ったね。洗いっこもしたよね。太君のアレ名前みたいに太くて、たくましかったよ。太、元気でね。強く生きるのよ。私のことは忘れて取り巻きの中から一番合う子を選んで幸せになってね。私、太のことずっと見守っているから。瑠璃はだんだんと目の前が真っ白になっていき、意識も薄れていくのを感じた。
 瑠璃が撃たれた。轟太は目の前で撃たれて倒れこんだ瑠璃に駆け寄った。早川仁美もすぐに駆け付けて止血を行おうとしている。しかし銃弾は心臓を打ち抜いたようで流血が止まらない。瑠璃の回りは古くてくすんだ緋毛氈が広げられたようにどんどんと赤黒く染まっていった。早川は血が止まらないにもかかわらず泣きながら一生懸命瑠璃に止血を施している。前の方では機動隊員が駆け付け若者を拘束している。そして瑠璃たちに駆け寄り無線で救急車の要請をしているようだ。太は瑠璃の横に片膝ついて必死に瑠璃の名前を叫んでいる。一瞬、瑠璃の両眼がうっすらと開いた。そして太の存在を確認すると力のない声でそれでも振り絞るように太に話しかけた。
「太、げんきでね。つ・よ・・・・く・・・・・・い・・・・・・」
 瑠璃の瞳は静かに閉じられそれ以上その口から言葉が発せられることはなかった。太は早川を押しのけ瑠璃の上半身を抱き起して叫び続けていた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み