第32話

文字数 3,956文字

 轟太の元へ島村瑠璃の祖父の弟にあたる大叔父の家族から連絡があった。轟としては一刻も早く瑠璃を島村家の墓に入れてやりたかったのであるが、墓を管理している大叔父が階段から転んで尾骶骨骨折で入院しており、話をできるような状態ではないので大叔父の退院を待って訪問してくれとのことであった。轟太はその連絡を待っていたのであるが、一月の中旬になってようやくその連絡が来たのである。轟太は大学の試験が終わる一月の最終週に瑠璃の故郷の長崎を訪問することになった。土曜日の朝、大村湾に浮かぶ長崎空港に降り立つと瑠璃にとっては、はとこに当たる純子が迎えに来ていた。純子は瑠璃よりも若く、太と同年代かと思われた。ジャガードスカートに黒いワンピースその上にスタジアムジャンパーという爽快ないでたちである。車は純子が自身で運転しおまけにマニュアルトランスミッションのスズキのコンパクトカーである。今どき珍しく特に女子の運転というのは天然記念物並みである。
「うち、運転好きやけん」
 と純子は言い放つと太がシートベルトを締めると同時に車を荒っぽく発信させた。
「轟さんというたっけ。最初どうします?うちに行くか、瑠璃ちゃんちに行ってもよかよ」
 そっけない純子の言葉だが嫌われてはなさそうなので轟太は安心した。
「まずは瑠璃さんの大叔父さんに挨拶させてください」
「うん。わかった」
 車は高速に入り長崎市内を目指した。
 瑠璃の大叔父家族は長崎市を流れる中島川の川沿いに立つマンションの八階に住んでいる。純子はそこで両親と大叔父の祖父四人と住んでいるそうだ。兄が一人いるそうだが今は福岡で仕事をしているので家にはいないそうである。純子が運転しながら思いついたように話し出した。
「うち、本当は瑠璃ちゃんの葬儀に行くつもりやったと。でも父親が過激派の葬式にはいかんでよかっていうもんやけん東京にいけんかったとよ。ごめんね」
「そうですか、お父さんは怒っているんですか」
「今はだいぶ落ち着いとるばってん、ニュースではあんまり良かこと言いよらんけん、どうやろかね。太さんも瑠璃ちゃんと同じ活動ばしよりんさっと?」
「俺はあんまり熱心ではなかったんですよ。でもあの日は瑠璃さんと一緒でした」
「太さんは瑠璃ちゃんの彼氏やろか?」
「ええ、そうです。結婚も申し込んでいました」
「まあ!」
 純子はマンションの駐車場に車を荒っぽく止めて骨壺を抱えた轟太を伴って自宅のある八階に向かった。ドアを開けると純子の母親が出迎えた。
「まあ、轟さん、遠かとこよう来んさった。どうぞ入ってちょうだい」
「おじゃまします」
 母親は奥に声をかけて轟太を家の中へ案内した。
「あんた、おじいちゃん、轟さんが見えんなさったとよ」
中に入ると居間のソファーに純子の祖父、その右隣に父親が腰かけて轟を待ち構えていた。轟太は骨箱を床に置こうとしたが純子の母親から仏壇のある部屋へ案内されて仏壇の前に瑠璃の骨箱を静かに置いた。
「瑠璃ちゃん、お帰り」
 純子はそう小さくいって焼香した。その後母親と父親も続いて焼香し轟太はその姿を後ろから静かに眺めていた。瑠璃はあんまり歓迎されていないようだと思った。母親方の祖父母からは墓はこちらにあるからと体よく押し付けられた大叔父の家族である。受け入れてくれるだけ感謝しないといけないのだろうが瑠璃のことを思うと悲しくなった。いっそ長野の実家の墓に入れてやりたいと何度思ったことだろう。焼香を済ますと再び居間に戻る。母親がお茶を出してくれた。そして大叔父が轟太に向かって話したのである。
「轟さんといったかな。あんたのこと、ニュースの画面で見とったとよ。瑠璃んこと大切にしてくれてありがとう。本当にあんたにゃ感謝しとっとばい」
 引き続き大叔父が話を続ける・
「うちも瑠璃とはそうそう親しくしとったわけじゃなかと。そいばってん瑠璃の身内はここが一番近かかけん墓の面倒ば見ることに決めたとばい」
「ありがとうございます。瑠璃さんも喜んでいると思います」
「あんたも居心地が良くないやろうけん、率直に話ばして早く終わらせた方が良かやろう」
「はい?」
「瑠璃の遺産の相続の話たい」
「はい、遺産相続ですか。お、俺は部外者だと思います」
「なんば言うとね。あんた瑠璃の内縁の夫やろ」
「いいえ、結婚の約束はしましたが俺が大学卒業するまでおあずけでした」
「よかよか。あんたは瑠璃の内縁の夫たい。そいで長崎の家はこん純子に相続させて、家の管理や墓掃除ばやらせることで良かやろう。東京の瑠璃の家はあんたが引き取ってくださらんか」
「じいちゃん、そげんこと急に言うても純子も轟さんも困るやろう」
 純子の父親が驚いたように叫んだ。
「ばってん、こいが一番良か方法たい。瑠璃もそいで満足やろう。純子、どげん思う?」
「うん。瑠璃ちゃんはそいでよかやろうけど、うちや轟さんは困るとよ。まだ学生やけん税金払えんよ」
「税金はじいちゃんが弁護士と話して何とかすったい。轟さんもそいで良かね」
「はあ、そんなこと考えてもいなかったんで少し考えさせてください」
「今夜一晩考えたらよか。あんた今日は泊まるとこはあっとね」
「いえ、まだ決めていませんができれば瑠璃さんの実家にお邪魔できないかと考えていました」
「そいは良か考えたい、純子、後から轟さん案内してあげんね」
 その後大叔父の家族と暫し在りし日の瑠璃について話をした後で轟太は純子の運転で瑠璃の実家へと向かった。骨箱も一緒にもっていき瑠璃を実家で一晩過ごさせることにした。純子は丘の上の空き地に車を止めると轟太を促して外へ出る。轟太は荷物を抱えて純子は骨箱を抱えて空き地から石段を下っていった。少し下るとそこには蘇鉄やリュウゼツランが植わった古い和風の木造の家があった。そこが瑠璃が高校生まで住んだ家である。遥か向こうには長崎港が青空の下に輝いて見えている。潮風が少々肌に突き刺さるようで肌寒い。その家の玄関の引き戸を開けた。玄関の土間を上がると目の前は畳が敷かれた床の間がある居間だ。その横には絨毯が敷かれた洋間にダイニングテーブルが置かれている。洋間の先は縁側になっていてその廊下を渡った先に瑠璃の部屋があると純子が説明してくれた。太は荷物を洋間において瑠璃の部屋へと向かった。庭に面した部屋だ。太はその部屋の前に立ちガラス戸をゆっくりと横にスライドさせた。心なしか瑠璃の匂いがしてくるようだ。その場に佇んでいると思わず涙がこぼれそうになった。その様子をじっと見ていた純子は太に向かって優しく話しかけた。
「太さん、晩御飯何がいい?私皿うどん作ろうかと思っとるけど、そいでよかね?」
「純子さん、ありがとう。そいでよかよ」
「あはは、太さん、長崎弁上手くなったね」
 純子は一時間ばかり買い物に行くといって轟太を一人にしてくれた。太は瑠璃のベッドに横たわり黙って天井の染みを見つめていた。瑠璃さん、お帰り。この部屋なつかしいかな?そう思うと瑠璃が近くで太君ありがとうと言っているような気がした。長崎は西の方にあるので東京と比べると一時間ほど日の入りが遅いようだ。それでも五時過ぎには辺りは暗くなってくる。そんなことを思っていると寝入ってしまったようだ。
 どこかから女の人が歌っている声が聞こえる。そしてじゅうじゅうと何かを炒めている音。肉が焼ける匂いもしてきた。ここはどこだろうと戸惑いながら太は目覚めた。そしてだんだんと意識が戻ってきた。瑠璃の部屋だ。そしてはとこの純子が夕食の準備をしているようである。起き上がりキッチンへと向かう。
「純子さん、ありがとう」
「あ、太さん、起きたの。瑠璃ちゃんとお話しできたのかな?」
「いや、話は出来なかったけど、なぜか近くで見守っている気がする」
「きっと瑠璃ちゃん喜んでいるはずよ。太さんが部屋に来てくれたんだから」
 純子は皿うどんを作るとダイニングへ運び太と一緒に食べた。食べながらお互いが知っている瑠璃との思い出を語り合った。そして十時過ぎには明日の朝十時に迎えに来るから黒い服着て待っててねと言って自宅へと戻ったのであった。純子が去った後、太は庭に出て長崎の夜景を一人眺めてみた。東京よりも南にあるといえど長崎の冬は寒い。東京とさほど気温は変わらないようである。十一年前の春の日にここで祖父と交わした別れの儀式のようなものを瑠璃が話したことを思い出した。そして同じように語りかけてみた。瑠璃、愛しているよ、と。
 翌朝純子が迎えに来ると二人で島村家の墓のある墓地まで車で向かった。ついたころにはすでに坊さんが来ていて島村家の人々も到着していた。昨日はいなかった純子の兄の啓介も福岡から駆け付けていたので挨拶を互いに交わした。その後、読経が始まり瑠璃を納骨することができた。しゃがんで墓の中に入り瑠璃の骨壺を祖父と祖母の横に納めた。中から出ると一陣の風が頬に吹き付けてきた。太の心に温かい何かが触れてきたと感じた。澄み渡った冬の空気を通して向こうには英彦山が聳え立っているのが眺められる。この日のこの時の気持ちは永遠に残っていくのだなと太はふと思った。瑠璃の大叔父は太に向かって話しかけた。
「轟さん、おいはもうあんたと会うことは無かと思う。あんたはまだ若かけん自分の幸せば見つけんといかんたい。もうこの墓に来る必要は無かばってん、時には瑠璃のことを思い出してくれんね。あんたしか瑠璃のことを思うてくれる人はこの世にはおらんけん」
 太は無言でうなずいた。その後、太は純子の案内で瑠璃が通った中学や高校の近くまで訪れて学生時代の瑠璃に思いをはせた。その後、中華街や大浦天主堂などの観光地を巡りもう一泊瑠璃の実家に止まって翌朝の飛行機で東京へと戻った。
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