第23話

文字数 6,768文字

 島村瑠璃と轟太が奈良で暫しの休息を愉しんでいる間、八王子の山奥では二十名ほどの人影が闇の中に静かに溶け込んでいた。晩秋の八王子の山奥は紅葉の盛りは過ぎて落葉が始まっているのだが深い闇に包まれているのでその景観を楽しむこともできない。ただ凍てついた空気が肌を刺すばかりである。山肌の向こうには障害者総合ケアセンターの明かりが漏れているのだが彼らの処までは届かないほどの薄明りである。
「リーンリーンリーンリーン」
「ピピピッピ、ピピピッピ」
「ジッジ、ジッジ、ジッジ、ジッジ」
 深い静寂の中、秋の虫たちの競演が辺りに染み渡っている。
その場所から少し下った国道にはバンが道路際に待機している。中には柚木クリスティーンが彼女のクルーたちと待機していた。後部座席には黒いフライトジャケットに身を包んだルポライターの杉本照男の姿も見える。その杉本が口を開いた。
「クリちゃん、今何時?」
「九時五分前よ」
「そっか、俺ちょっとそこで星見てくるわ」
 そう言いながら杉本は車を降りて道路際で煙草を吸い始めた。計画では二十一時丁度に玉木大輔率いる別動隊によりこの辺一帯の電力供給を五分間遮断することになっている。その間に自衛隊特殊作戦群(SFGp)が配電設備棟より侵入して地下四階まで攻め込む手筈となっている。大沼総理とマッコイ大統領が緊急で極秘の会談を行ったのはわずか三日前である。その後事態は急展開し米軍とCIAの協力の下、障害者総合ケアセンターの概要がわかってきた。マッコイ政権でもエイミー・ディキンソン次期大統領が深く関与しているであろうこの施設については極秘裏に調査を進めていたところであったので大沼総理との会談で日米協力の下、今宵の急襲作戦がわずか二日で計画され実行に移されることになった。マッコイ、大沼とも政権維持がいたって不利な状況にあるので限られた時間の中でこの急襲作戦を行って八王子の障害者総合ケアセンターの全容を暴露することにより活路を見出そうとしているのである。CIAの調査による総合ケアセンターへの米国からの来訪者の情報がシェアされた。それによるとユニ・グローブ社傘下の研究機関より精神科医、遺伝子工学者、ナノボット技術者、バイオ研究者など、十名のアメリカ人科学者がここで極秘の実験を行っているとのことである。そのほかに重要な点は五名の外国人傭兵が実験施設の警護のために配置されているとのことだ。その傭兵グループのリーダーであるフランス人アンリ・フェレールは実戦経験十分な要注意人物であり、彼が急襲時にいるかいないかで味方側の犠牲者の数が相当違ってくるということだ。CIAの情報では毎週末に二班に分かれて外出しており、最初の班は金曜日の午後五時から翌午後五時まで、二番目の班は土曜日の午後六時から翌日曜日の午後六時までである。CIAからの情報では金曜日に外出した者は米国人学者五名と傭兵二人でその中にアンリ・フェレールも含まれていたということなので必然的に今回の急襲作戦では彼と対峙することになる。計画では柚木たちは二十一時丁度に待機場所を出発して障害者総合ケアセンターまでそのまま車を向かわせることになっている。五分ほど時間がかかるがその間にSFGpによる制圧は終了している計画である。柚木たちはそこで待機して急襲班からの指示を待ち、制圧後に地下四階まで侵入して急襲現場の報告をライブで流すことになっている。一方外出した残りの学者と傭兵たちにはそれぞれ内閣調査局と警視庁からの尾行がつけられSFGpの行動開始と同時に身柄拘束する計画である。傭兵メンバー三名についてはSATも導入して身柄確保する予定である。障害者総合ケアセンター地下三階と四階の見取り図は杉本がタイ人ナデートから得た情報と米国の偵察衛星で取られた建設時の画像から詳細なものが作成されている。
 急襲作戦は二十一時丁度に電力遮断と同時に配電設備棟から侵入し一挙に地下三階の駐車場まで向かい、そこで六名待機、残り十二名で地下四階まで進むことになっている。六名は傭兵担当で、傭兵に対しては射殺許可が下りている。残り六名で科学者の拘束と被験者たちの保護任務といったものである。傭兵を殲滅して制圧後に柚木たちへの侵入許可が下りることになっている。柚木たちは地下三階でSFGpと合流してその中の二名が柚木たちを地下四階へ案内する手筈となっている。

「リリリリリ」
秋の虫たちの競演が静寂の中続いている。アメリカ大使館員スコット・グレンは耳障りなそのノイズを気にしながら時間の到来をひたすら待ち続けた。彼の横にはCIAのエージェント、マイケル・ゴードンがしゃがみこんでいる。闇に溶け込んで存在感が感じられない。マイケル・ゴードンの話では外出した五名の科学者は行動を共にして今は八王子の居酒屋で食事をしているとのことである。三名の傭兵のうち二人はガールズバーで酒を飲み、残りの一人はタイマッサージの店で施術中であるようだ。その様子からは普段の週末の行動の様でこちらの計画が発覚している可能性は低いとの観測である。それであればこちらの作戦はスムーズに完了する可能性が高い。最重要事項は科学者たちを生きたまま拘束し、実験設備と研究資料を無傷のまま確保することである。幸いにも科学者たちのリーダー、ジェーン・マックガヴァンは八王子の居酒屋に居て二十一時丁度に拘束されることになっている。そうなれば傭兵のリーダー、アンリ・フェレールは彼女に指示を仰げず独自の判断をするまでに二分はかかるだろう。二分あればスコットたちは地下四階まで到着できる。すでに急襲メンバーは暗視スコープを装着してフル装備で待機しているのでアンリ・フェレールの準備が整うまでに制圧できるはずだ。そうなれば被験者も設備も完全なまま確保できるはずである。
ふと虫たちの鳴き声が止んだ。そして山陰に見えていた建物の明かりが突然消えて漆黒の闇が辺りを支配した。
GO!  SFGpのリーダーの声がした。一同敏速に山を駆け下り配電設備棟へ到着した。予定通り停電によりここの扉はロックが外れている。そのまま中に侵入する。ここまで十五秒ほどである。そのまま奥へと進み地下へ通じる非常階段を慎重に開ける。ここもロックが外れている。どうやら中からの襲撃はなさそうだ。そのまま一同慎重にしかし敏速に一挙に地下三階の駐車場まで駆け下りた。ここまでの所要時間は一分である。計画通り六名のSFGp隊員を駐車場に配置して残りは地下四階の秘密実験室へと向かう。スコットは科学者拘束と被験者保護のグループに従い、CIAエージェントのマイケル・ゴードンは傭兵殲滅部隊へと合流する。
 地下四階の扉の前で停止し中の様子をうかがう。熱感知装置の反応では右手にある被験者の宿泊部屋に五名の反応がある。全員ベッドに横たわっている。被験者はすでに就寝しているようだ。その区画にはほかに人は感知されていない。慎重に扉を開けて中の様子を確認する。敵はこの区画には潜んでいないようだ。確認後素早く入室しドアに二人残して警備に当たらせ、残りのうち二人を被験者保護のために残して他は前方ドアまで敏速に前進する。ドアの前で中の様子を探索する。実験椅子に三人拘束されている。これは被験者であろう。またベッドに一人横たわっているようである。これも被験者であろう。部屋の隅には五人一塊になってうずくまっているのが検出された。これは科学者グループであるに違いない。ドアの正面の奥まったところに大柄な人間が一人立って銃をもって構えているようである。そしてドアの右手奥にこれも大柄な人間が一人立って銃を構えているのが検知された。爆破要員によりドアを爆破する準備が三十秒で行われ、SFGpリーダーによる合図で殲滅作戦が開始される。
「GO!」
 合図と同時にドドーンと爆破音が響き同時にSFGp狙撃員により前方の傭兵への発砲が行われる。
「バババババッ」
合計五発の発砲がなされた。発砲と同時に一人が横滑りに室内へ侵入し右横の傭兵へ向けてと発砲する。
「バババッ」
どうやら全弾命中したようだ。二人とも倒れこんで動かない。それを確認した後でリーダーにより科学者の身柄拘束班へ入室の指示がなされ全員が中に素早くなだれ込んだ。隅にしゃがみこんでいる五人の科学者を確認する。抵抗の様子はなさそうだ。リーダーは用心深く室内を探索するが他に異常は認められない。計画は予定通り五分以内で味方側の死傷者を出すことなく成功裏に終了したことになる。SFGp隊員により科学者たちが拘束され被験者たちが保護されるのを確認するとリーダーにより報道グループの入室許可の指令が発せられた。

JCNの緊急ネット配信が始まった。五分前に登録ユーザーへの緊急告知を行ってSNSで広めてくれるように依頼している。緊急配信が始まるとすでに視聴者は五万人を超えていた。すでに停電状態は修復されたようで照明に照らされたむき出しのコンクリートの駐車場が映し出されている。大型のバンが奥のほうに一台停車している以外は広い空間が、周りのざわついた気配と共に映し出されている。そして画面は切り替わり柚木クリスティーンの顔を強張らせた姿が映しだされた。
「皆さんこんばんは、柚木クリスティーンです。今、私がいる場所は八王子の山奥にある障害者総合ケアセンターの地下三階の駐車場です。この駐車場はVIP専用となっており地下二階の駐車場から専用カードを所持している人のみがエレベーターを使って降りてこられるようになっています。今夜はここよりさらに下の地下四階で起きた事件についてご報告いたします。地下四階では秘密裏に知的障害者に対しての外科的処置を含む医療実験が行われていた疑いがあります。今からその現場へ向かってみます」
 柚木はカメラから顔を離すと下へ向かう階段を下りて行った。そのあとをカメラが続く。まるでデパートの階段を思わせるような広い階段がLEDの照明に灯されて続いている。柚木が踊り場を曲がってさらに下に進むとその先には開け放たれた扉が見えてきた。
「ご視聴いただいている皆さんに警告させていただきたいことがございます。この配信は緊急の生配信ですので画像の加工ができません。銃撃戦が行われたと報告が入ってきておりますので鮮血や遺体が映るかもしれないことをご了承ください」
 説明の後、柚木は扉の中に進んだ。右手には黒い戦闘服と暗視カメラで顔を隠したSFGpの隊員に保護された被験者が映し出された。被験者は何が起こったのかわからないようでただぼんやりと柚木たちを眺めているようである。さらに進んでいくと被験者の一人が柚木を指さして急に大声で笑いだした。広い空間にその笑い声は大きく響くことになり画面越しに見ていた視聴者にさらなる緊張感をもたらした。そして実験室の扉の前に立った柚木はカメラの前に向かって話し出した。
「皆さん、ここから先が問題となっている実験が行われた研究施設がある場所です。重ねて申し上げますが鮮血や遺体が映し出される可能性があります。御気分が悪くなるようでしたら画面を見ないようにしてください」
 柚木は意を決したように爆発により半ば壊れてしまった扉を開けた。そしてカメラが中を映し出すと目の前に上半身裸で弾倉ベルトを体に巻き付けて右手に機関銃を抱えたまま血まみれに倒れこんでいる男が映し出された。カメラは慌てて右に向けるとそこにも迷彩服を血だらけにして狙撃銃を構えたまま絶命している男が画面いっぱいに映し出された。ライブの視聴者の数はここで三十万を超えだした。画面は柚木に戻り、柚木が現場のリポートを始めた。施術台には頭に様々な配線がなされたバンドを巻かれた被験者が映し出されている。八十代かと思われる婦人である。彼女は薄いピンクの入院服を着て両手両足を施術台に拘束されたまま驚愕した表情でカメラを眺めている。その向こうには似たような施術台に二十代と思われる女性が同じように手足を拘束されて座っている。彼女の頭には毛髪がなく頭には配線が施されたバンドが装着され彼女のうなじには何本かの針が差し込まれている。針は彼女の横に設置された機器に接続されている。そこから彼女の脊髄に何かが注入されているようである。彼女は意識が朦朧としているのだろうか虚ろな目でカメラを見つめている。カメラがさらに奥へと進むとガラス張りの中で六十代くらいの裸の男が体中に何本ものチューブを差し込まれている姿が映し出された。そのチューブは横に置かれたいくつもの機器に接続されている。二本のチューブは赤く染まっており、血液を機器を通して循環させているかのようである。そしてカメラは部屋の隅で拘束されているアメリカ人と思われる男女の姿を映し出した。柚木はその一人一人について名前と所属先を報告した。前もって彼らの情報は玉木を通して入手している。玉木はおそらくアメリカ大使館からその情報を得たのであろう。彼らは全員日本での医療関係の免許を持っていないので無免許での医療行為を行った罪でとりあえず起訴されることになる。おそらくCIA立ち合いで内調が取り調べを行うことになるのであろう。彼女はさらに外出していた五人のアメリカ人学者と三人の傭兵の身柄拘束を追加情報として報告した。さらに警視庁により障害者総合ケアセンターのセンター長である角田沙織が医療法違反により逮捕されたと報告した。
「今回の事件はまさに人権を無視した科学者による非人道的な人体実験です。ことはそれだけではなく彼ら学者たちを支援している組織の解明とその目的は何なのかまで踏み込まなければなりません。この国の司法がどこまでその闇の部分の解明ができるのか私たちメディアは注目していきたいと思います。人権を重視し自由で開かれた中で、もしこういった実験が必要であるならば、動物実験などで多くのデータを蓄積していった後で人体への影響を最小のものとしたうえでボランティアを募って行うのべきであり、その場合は私たちも科学の発展を支援できるでしょう。しかしこのような人権を無視して判断能力のない被験者に人体実験を施すことは断じて許容できるものではありません。私たちメディアはこのような非人道的研究とそれを支援している組織をその目的まで含めて解明していくという強い決意を世界中の皆さんと共有していかなければならないと考えます。そのような強い決意を私たちは持って立ち上がるべきではないでしょうか。JCN柚木が八王子よりお送りいたしました」
この中継は自動翻訳により全世界に配信されている。この時点で視聴者は五百万人を超した状況であった。
世界中にこのニュースは駆け巡ることになった。世界中の主力なニュースメディアでは柚木のライブを引用した速報を流した。またSNSを通してアメリカ人科学者たちの素性も暴露され、次期アメリカ大統領に内定しているエイミー・ディキンソンの逮捕された科学者たちが所属しているユニ・グローブ社との関係も暴露されていった。加えて五葉重工業とユニ・グローブ社の関係も深い考察がなされ軌道エレベーターや火星移住に関して人体改造の実験が行われていたのだという噂がネット上を飛び交った。しかしアメリカの大手メディアはグリズリーニュース以外は事件の概要を簡単に述べる程度でそれ以外は沈黙を決め込んだ。また日本の大手メディアはニュース自体を全く流さなかった。ネット内ではお祭り騒ぎの最中にもかかわらずである。そして明けた日曜日の朝十時に週刊春秋が杉本照男署名の記事を配信した。
配信ではこの事件の概要の詳細のほか、五葉重工業とユニ・グローブ社の宇宙開発に関しての計画詳細が報告され、それに関して日本の与党の大物政治家が宇宙開発計画に絡んでいること、また次期首相候補と目される人物がアメリカの大物政治家と組んで障害者総合ケアセンターの支援を裏で行っていたことの詳細が報告された。さらに与党大物政治家と地方自治体の知事たちとの関係を暴露して外国人二千万人受け入れの計画が暗に示された。その上、外国人移民計画と八王子での非人道的な人体実験の関係性を考察した後、中国における黒戸問題を提起し、それと移民受け入れと人体実験の関連性を匂わせる記事の内容であった。ここに至って日本のネット上では反五代幹事長と反キャサリン青木の運動が始まり、アメリカではエイミー・ディキンソンが次期大統領としてふさわしいかの疑問が提起されるに至ったのだが大手メディアではその動向を完全に黙殺するといった事態に陥りネット中心に反メディアの動きも同時に動き出すことになったのである。
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