第3話

文字数 2,689文字

 月曜の朝八時である。首相官邸の執務室に閣僚及び官僚が昨日起こった川崎の暴動についての詳細と、その対応方針を確認するために集まった。三枝秀人官房長官により昨日午後一時から『日本人の手による川崎市の行政を』というスローガンを掲げた全国から集まった総数千名がたちばな通りでデモを行ったのだが、一部暴徒化したグループがインド人が経営するスーパーで打ち壊し行為を行ったこと、その際、神奈川県警は打ちこわし行為を阻止できずに単に眺めているだけだったと配信メディア各社が政権批判を展開している旨の説明を行った。官房長官の説明を受けて青木キャサリン・ストイコヴィッチ財務大臣兼副総理が発言した。
「総理、現在はグローバル社会の下で外国籍の市民に対しても行政への参加を認めるというのが世界の政治の潮流です。アメリカでもすでに国政レベルで優秀な外国籍の長官は誕生しています。EU諸国でも同様の中、日本だけがこのような偏見を持った社会で外国籍の人間に対して攻撃的になっていると諸外国は見ています。日本の恥です。直ちにこのような暴徒に対しては厳罰で以って対処するべきです」
 ちなみに彼女は両親とも帰化した米系日本人であり、金髪で青い目をした女性初の財務大臣である。ハーヴァード・ロースクールを首席で卒業といった経歴であり、当選三回目で四十歳にして財務大臣として初入閣している。与党の間では国際資本によるゴリ押し人事ともっぱら噂されている人物だ。
 青木財務大臣の発言に対し三枝官房長官が反論した。
「襲撃にあったスーパーですが日常的に移民に対しての優先販売が目立つと地域住民からクレームが上がっている問題の場所です。また襲撃を先導したデモグループには台北に拠点を持つ反社会的組織ドラゴン・クローの傘下の者がいたと報告があります。神奈川では最近インド系と華人系との勢力争いが進行中です。問題があったスーパーは高額のプリペイドカードを現金で購入するといった資金洗浄に日常的に利用されている場所です。今回のデモが華人グループによりこの資金洗浄の拠点襲撃に利用されたとの見方が強い状況です」
「それと今回のデモは別の話です。問題なのは移民たちの人権を数の力でねじ伏せようとしている国民の不寛容な態度にあるのでしょう」
 青木の発言を援助するように安藤ジョナサン・コネリー外務大臣が発言した。
「総理、現在米国政府と国連から移民保護について人権上非常に遺憾との非難声明が外務省に届いています。移民に対しての権利保全を再度官邸から発するべきです」
 安藤は英系帰化人である。京都の大学へ留学中に日本人女性と結婚しその際、帰化して日本国籍を得ている。日本をこよなく愛している人物でありイギリス政府はもちろんだがアメリカでも割と親日的な保守党との強いパイプを生かしてアメリカの対日政策へ影響を与えられることが彼の強みである。安藤は続けて
「総理、ここは財務大臣の発言のように日本政府として国民の排他的なデモ行動は認められないと国内外へ向けて発信すべきです」
 この発言を受けて大沼広樹総理大臣が疑問を呈した。
「それは民主主義の原則に反することになるのではないかね。デモによる民意の発動は憲法で保障された国民の権利のはずだ。」
「総理、現在先進諸国においては、そもそもマジョリティーが数の力でマイノリティーを抑え込むことに対しての厳罰化が主流です。仮にデモが民主的に行われていても、その行動は厳罰に値する行いと捉えるべきです。加えて今回は不幸にもインド人に怪我人が出ています。総理、重ねて進言します。すぐに国内外に向けて発信すべきです。今回のデモは遺憾であると」
 総理の大沼はこの青木の発言に沈黙したままだった。

 総理官邸で川崎暴動の件が話し合われた同日午前十時、白川久男は緊急役員会議に出社していた。ほかの役員はすべてオンライン参加である。議題は台湾系ファンド、東海雑技集団有限公司から敵対的買収をかけられた彼の会社に対し支援を提案している国際金融傘下のファンド、マイケル&ゴードン・パートナーズの提案を受け入れるかについてである。白川は十年前クラウド上ですべての電子機器を制御するソフトを開発する会社Intelligent Cloud Support System (ICSS)という会社を立ち上げた。立ち上げ当初は三人で始めた会社であったが現在、従業員五百名で売り上げ五千億円の規模にまで成長させている。現在彼の会社では人格のデータ化の開発を行っており、そのノウハウを狙った企業が台湾系ファンドを通して買収工作を仕掛けたというところだ。それに対しマイケル&ゴードン・パートナーズの提案はICSSの現経営陣の保全の代わりに完全子会社化を求めているのである。当然開発中の人格のデータ化についての特許もマイケル&ゴードン・パートナーズに所属することになる。白川はマイケル&ゴードン・パートナーズの提案に難色を示しているのだが、他の役員たちは経営権が確保できるマイケル&ゴードン・パートナーズの提案を受け入れることに全員賛成している。白川は事態を打開できる他の案もなく役員たちの決定に従う以外ない状況に陥った。
 会議の後、白川は副社長兼CFOの門田アイリーン悦子にマイケル&ゴードン・パートナーズとの交渉を一任し、自身は長期休暇に入る旨を告げて会社を後にした。
 外に出ると師走の冷たい北風が待ち受けていた。白川は自分の立場を思い知らされたように自嘲気味に笑うと、さてこれからどうしようかと思いをめぐらした。まず気付いたことは空腹であるということであった。昼食には少々早い時間であったが行きつけの蕎麦屋へ向かった。昼前なので客は少なかった。白川はそこで暖かい蕎麦と天ぷらのセットを頼んだ。蕎麦はしっかりとこしが強く、濃いめの出汁が冷え切った心身に染み渡っていき、心が和らいでいくのが実感できる。白川はここに来るのも最後になりそうだと思いながらサクサクとした大きめの海老天の味を愉しんだ。
 食後、白川は落ち着ける場所を求めて皇居東御苑へと向かった。月曜日だが寒い師走の時期なので訪問客はほとんど見当たらない。二の丸庭園にひとりでに足は向かい、そこの池の前の四阿に腰を下ろした。遠く都会の喧騒は聞こえてくるが気にならない程度である。寒いのが難点ではあるが一人で静かに考え事をするには悪くない場所だ。池には白鷺が二羽、彫刻のように佇んでいる。白川はその姿をぼんやりと眺めながら今まで起こったこと、そして今後起こるであろうことに静かに思いを巡らせた。
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