第6話

文字数 4,315文字

 二日連続で轟とのランチだ。周りの女子学生の視線が昨日以上にきついのがわかる。轟太はそのような女子学生たちのざわつきを一向に気にした様子もなく満面の笑顔で瑠璃と対峙している。
「瑠璃さん、インディーズ・ウェブには入れました?」
「島村さんでしょ。そうね。なぜか不思議な感じだったわ。それに白河さんと以前面識があったことも驚きだったけどね」
「白川さんと知り合いなんてすごいですね。どうやって知り合ったんですか」
「父の大学の時の後輩だったらしいわ。それよりこれからどうやればインディーズ・ウェブにはいれるの?」
「もう向こうのアバターとシンクロ取れてるはずですから簡単ですよ。今までと同じようにZOO ZOOタウンに入ればいいんです。よくは理解していないんですがインディーズ・ウェブはZOO ZOOタウン上に存在している仮想空間なんです」
「ZOO ZOOタウン自体が仮想空間でしょう?」
「そうです。仮想空間の中の仮想空間なんです」
「それでよく運営側に見つからないわね」
「それがリバーシブル・コンピューティングの成せる業ですかね。寄生している痕跡を残さない寄生体ですからやっかいですよね」
「それでインディーズ・ウェブにはどうやって行けるの?」
「自分のアバターを思い浮かべるだけで普通に移れていますね」
「ふーん、移るときはまた真っ白になるのかしら?」
「人によって違うみたいですよ。俺の場合はガツーンって衝撃の後にパっと画面が切り替わる感じですね」
「インディーズ・ウェブのアバターと一体になるとZOO ZOOタウンのアバターはどうなるの?」
「ログオフするようです。俺も自分のログ確認しましたがインディーズに入った時点でログオフするみたいですね」
「ふーん、よくわからないけどとにかくやってみるしかなさそうね。それでそろそろ夏休みだけど轟君どうするの?」
「長野の実家へ帰ります。実家いまだに有機農園やってますんでそこで米や野菜の世話します。瑠璃さんもどうですか。太陽のもとでの農作業とか今どきできない経験でしょう?」
 瑠璃は何とか轟との距離を保とうと試みるが次第に彼との会話に打ち解けていく自分も感じ始めていた。
「そうね、ちょっと面白いかも」

 夕食後入浴を済ませた瑠璃は裸にガウンを羽織っただけでヘッドセットを着けてベッドに横たわった。IMSを通して久しぶりにZOO ZOOタウンへと向かう。白河さんと連絡が取れなくなってからここに入る気がしなかったのでずいぶん久しぶりの訪問である。ZOO ZOOタウンは実際の街並みを再現しているのでショッピングやレストランでの注文もここで行うとデリバリーしてくれるので便利だ。今夜は瑠璃のマンションから見える夜の井の頭公園を散歩することにした。明かりが灯った夜の公園だが意外と人通りが多い。男女とも浴衣を着て歩いている人がほとんどだ。瑠璃も白地に百合の花が描かれた浴衣姿である。しばらく人の流れに従って歩道を歩いていると弁財天の前に出た。噴水の前のベンチが空いていたのでそこに腰かける。噴水で揺らぐ水面には高く上った三日月が揺らいでいる。瑠璃はその揺らぎ戯れる月を静かに見つめ続けていた。ふと長崎の実家にあった水鉢が浮かんできた。紫の花が開いたホテイアオイが一房浮かんでいる傍らに同じように三日月が揺らぎ戯れていた。瑠璃が世話していたメダカが作り出す水面の揺らぎである。高校生の瑠璃は同じように浴衣を着て揺れる月を縁側から眺めていた。
 突然肌に纏わりつく重たい湿った空気が感じられた。ブーゲンビリアの甘い香りも漂っている。巨大な蘇鉄とリュウゼツランが植わった庭には大きな水鉢がありホテイアオイの紫の花がそこから一本伸びている。水面には先ほどと同じように三日月が映っている。長崎の実家にいるようだ。うまくインディーズ・ウェブにログインできたらしい。瑠璃は縁側から庭先に降りて長崎港の夜景を眺めた。すると下駄の音が遠くに聞こえた。じっとしながら佇んでいるとだんだんとその下駄の音は近づいているようだ。どうやら今夜は訪問者があるらしい。
「こんばんは」
 紫の下地に菖蒲の花があしらわれた浴衣に黄色の帯を締め髪をアップにした細身の四十半ばくらいの女性が丁寧にあいさつした。手には竹籠を抱えその中には黄橙色に熟した枇杷が見られる。
「こんばんは」
 瑠璃も挨拶を交わした。
「ここはいいところね。長崎かしら。空気の濃さが違うわね」
「空気が澄んでいるんですよ。東シナ海からくる海風に埃のない空気が運ばれてくるのかもしれませんね。その分、昼間は日差しが厳しいですよ」
「夜でよかったわ。強い日差しは肌に悪いしね。枇杷もってきたの。一緒に食べましょうよ」
「ありがとうございます。お茶準備しますね」

 二人は並んで縁側に座り夏の宵と心地よい海風を愉しんでいる。
「私、栗林最愛(モア)、モアって呼んでくれる?」
「あ、私、島村瑠璃です。瑠璃って呼んでください」
「白川さんに頼まれてきたの。瑠璃にこのインディーズ・ウェブのこと説明してくれといわれたのよ」
「モアさん、ありがとうございます。私今気づいたんですけど、ここではお茶も飲めるし、枇杷も食べられるんですね。それに空気も感じるし匂いも嗅ぐことができます。実世界とほとんど変わらないんですね」
「そうね。そこがZOO ZOOタウンと大きく違うとこかしら。ヘッドギアから特殊な周波数の電波を出すことで私たちの脳へ直接そういった情報を送っているらしいの。私は詳しくはわかっていないけどね」
「このインディーズ・ウェブのそもそもの目的は何なのでしょうか」
「話長くなるわよ」
「はい」
 モアの説明によるとマイケル&ゴードン・パートナーズへICSSの買収を合意した白川久男はその後すぐに社長職も辞任し持ち株もすべて処分して三千億円の大金を手にして退社した。それ以降、ICSSで開発していた人格データ化のシステムを当時から考えていた別のアルゴリズムを使った上位概念で行う開発に着手したという。それは現在実用化の目途がついた脳のリバースエンジニアリングより得られた脳機能全体のシミュレーション技術を用いて脳のシナプスから発せられる情報をモニターして被験者の思考パターンをデータベース化しそれにより被験者の人格パターンをシミュレートする方法である。それを用いて仮想空間内で縄文時代より他文明からの侵略の影響を受けなかった日本人固有の人格を残そうという試みを行っているとのことだ。また被験者の体験した事象や空間を仮想空間内で実現させる試みも同時に行われている。瑠璃の長崎の家もそれにより仮想空間内で再構築されたものである。現在栗林最愛や轟太など十名程度の被験者でシステムの仮運営を行っている。最終的にはインディーズ・ウェブの管理を行う量子スーパーコンピューターで被験者から得られた日本人固有の情報に基づいてサイバー空間内に日本という空間を作り出し、また日本人の統合された大知を構築することにより自立型AIシステムを運営していこうという試みである。
「轟君から外人の悪口もさんざん言える言論の自由が保障された空間と聞いたんですけどそれも目的ですか?」
「太がそう言ったの?」
「ああ、そうです。轟君とはお知合いですか?」
「甥っ子よ。私の兄の息子なの」
「それではモアさんも長野の農家のご出身ですか。とてもそうは見えませんね」
「もうこっち長いからね。でも土いじり大好きなのよ。それで太が言ったのは多分、インディーズ・ウェブには今のところZOO ZOOタウンを経由してしか来ることができないのだけど、このサイバー空間内での行動のログがZOO ZOOタウンやIMS上に全く残らないという意味なんじゃないかしら」
「リバーシブル・コンピューティングですか。それとサイバー空間内のサイバー空間とか」
「そうよ。よく予習しているじゃないの」
「轟君から一応その説明は聞いています」
「日本文明と呼んだらいいのかしら。グローバリズムに侵されない日本人の固有の文化や生活をこのサイバー空間内に残したいのよ。そのために今のところここに入れる資格として、このコンセプトに賛同して機密を守れる人しかエントリーさせていないの。そのための人格確認を入会時に行っているのよ。だからここでの言動や行動は全くの自由。外人でも上司の悪口でも思う存分言えるのは間違いないわね」
「最近世の中ポリコレでうるさいですから、こういった空間があるとほっとしますね」
「そうね。ポリコレの締め付けもだんだんと強まってきているわね。今、与党内では大沼総理降ろしが進行中なの知ってる?」
「いいえ」
「大沼さんおろして安藤ジョナサンを総理にすることを五代礼三幹事長が企てているらしいわ。アメリカによる日本の乗っ取りが現実のものとなりつつあるのよ」
「初耳です。でもアメリカとは同盟国だからそこまで露骨にしなくても話し合いで解決できるんじゃないですか」
「どうも米国内の世論がうるさくてビッグテックによる遺伝子改変の人体改良を米国内でできそうにないのよ。知ってるでしょ、人権問題で行き過ぎてしまってたとえ脳や体に障害がある人を遺伝子改変して正常にする実験も人権上できないみたいなの。それで人権問題に緩い日本で障害者の実験をしたいらしいわ。そのために日本政府を完全に支配下に置きたいらしいの。今、富士電工が開発した行政支援AIマザーをアメリカのグレート・イーグルと連結させる話があるじゃない。あれが開始されれば日本の行政は完全に米国政府の管理下に置かれることになるそうよ」
「モアさん、どうしてそこまでの情報を知っているんですか」
「白川からの受け売りよ。大沼さんの秘書やっている宇梶実っていう人がいるのだけど彼元経産省の役人で白川がICSSやっているときに昵懇にしていた人らしいわ。そこからの情報ね」
「白河さんとはどのようなご関係なんですか」
「私?白川は元旦那。あの人女癖悪いでしょ。だから離婚してやったの。慰謝料もたっぷりとってね。まあその時には私、今の旦那とも出来ていたんだけど。金払いがいいところがあの人のいいところかな。それにまあ、顔やたくましい体も魅力的とはいえるかもね。あ、でも勘違いしないでね、私、白川とはもうなんもないから。瑠璃があの女ったらしと付き合っても全然平気」
「顔がいい?たくましいからだですか?」
「そうよ。違った」
「いいえ私の知ってる白河さんは禿げでぽっちゃりです」
「あなた白川とはどこで会ったの?」
「ZOO ZOOタウンです」
「そう、まあいいわ。いずれ本人見たら驚くでしょうね」
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