第7話

文字数 4,152文字

 赤坂の日本料理屋である。日本庭園を見渡せる個室に政権与党自由党の幹事長五代礼三が鱧の梅肉あえに箸を着けているところだ。こぢんまりとして痩せた体系であるが鋭い眼光の持ち主である。その前には比較的若手の二人が同席している。財務大臣兼副総理の青木キャサリン・ストイコヴィッチと外務大臣の安藤ジョナサン・コネリーである。
「大沼総理の意向はどうだね」
 五代が訪ねると青木が即座に返答した。
「総理はやはりアメリカの要請であるグレート・イーグルとマザーの連携を受け入れることはなさそうですね」
 グレート・イーグルは米国政府により開発された国内行政全般にわたりAIが行政支援を行うシステムである。一方マザーは日本政府が開発した行政支援AIの呼称である。この二つはあくまでも支援システムでありAIによって最適と判断された結論を提案するものだが最終判断は人によって行われているのが現状だ。二つのシステムともビッグデータを使用した深層学習によって結果が出力されている。AIシステムでの判断過程が不明確なために閣僚や官僚双方から国民への説明責任が果たせないとその使用について大きな疑問が投げかけられている。それに対し米国政府ではAIに人格を持たせることにより説明させようとの取り組みが行われているのだが利権主義とキリスト教的慈愛の精神を並列させることが困難な状況で度重なるAIの暴走という結果にしか至っていないのが現状である。一方日本の取り組みでは東工大の情報工学科石井琢磨による結果が出力された後その深層学習の過程に対してリバーシブル・コンピューティングを導入することにより決定過程の説明を行わせようとの試みであり一定の成果が出始めている状況である。
「アメリカの意向はマザーとの連携ではなく石井君が行っているリバーシブル・コンピューティングへの共同開発だろう。グレート・イーグルとマザーとの連携など日米双方の国民の支持が得られるはずがないのは先方もわかっていることなのじゃないかね」
「大沼総理も同様にお考えです。共同開発となった場合、その果実がすべて国際資本に吸い取られることを懸念しておられます」
「困ったものだねえ。この話蹴った場合、想定される米国側の対応をどう見ているのかな」
 安藤外務大臣が説明する。
「この問題の背景には国際資本とその背景に蠢く国際金融の世界戦略にあります。現在中国が大混乱のさなかにあり今後数年事態の収束が見込めないのでその間に日本と台湾、特に台湾ですね。そこを抑えて混乱収束後の中国を一挙に国際金融の支配地域にする意向です。それに反して現在の呉亮政権を支えているのが保守党のクリストファー・マッコイ大統領と大沼総理なのですが、マッコイ大統領の再選は難しいようです。革新党のエイミー・ディキンソン上院議員が大統領になると一気に流れが変わり大沼総理も対米外交の見直しは迫られることになりそうです」
「世論の支持ではマッコイが優勢なのではないのかね」
「マッコイ大統領の娘婿の中国企業との一大スキャンダルが準備されているという情報が入ってきています」
「火のないところにガソリンぶちまけて大火事を起こすというんだな。大体了解した。まあ、この件は大沼君の案件だから彼がどう処理するのか見物させてもらうわ。それで、今日私を呼び出した件とは何かね」
 青木が説明する。
「幹事長もご存じだと思いますが、幹事長と組んで私と安藤大臣が大沼総理降ろしを企てているという怪文書が出回っています」
 安藤が続ける。
「私は日本にルーツを持たない帰化人ですが日本を我が国の文化を愛しています。議員になったのも国際社会の中で日本の地位を高めたいと考えたからです。そのような考えの持ち主である大沼総理を尊重しています。大沼総理を追い落とすことは全く考えておりません」
「この怪文書が出たことで私たちと大沼総理の関係がとても難しいものになってきています。幹事長のお力添えで関係修復お願いできませんでしょうか」
「安藤君が総理候補だったよな。君は総理大臣になりたくないのかね」
「今は、大沼総理を支えて行くことが私の責務と考えています」
「はっはっは、青いねえ、君たちは。総理の地位を狙っているのならその青さは犬にでも食わせるべきだな。今回の件は、私が総理に話しておこう」
 その時、料理屋の女将が外から声をかけた。
「お連れの方が参ったようです」
 五代が答える。
「おう、入ってもらえ。今日は君たちに紹介したい人がいてねえ」
 入ってきたのは六十過ぎのダークグレーのスーツを着た男である。ロマンスグレーの短髪にこれもグレーの口ひげを生やし、その所作に隙を感じさせない雰囲気を漂わせ、静かに部屋に入ってきた。青木と安藤の前に来ると静かに会釈した。
「五葉重工業の小野寺と申します」
 五葉重工業は先ほど話の合った東工大の石井教授のスポンサーでもあり、現在行っている宇宙ビジネスの拠点としてアメリカの北西部を狙っているとの業界の噂がある会社であり、小野寺はそこの代表を務める人物だ。
「今日は五代先生にお願いして青木副総理、安藤大臣とお目にかかる機会をいただきまして大変光栄に存じております」
 小野寺のその爬虫類にも似た無表情な目がかすかに妖しく光ったようである。
「僕は後の予定があるのでこれで失礼するよ」
 五代は一声放つと座を立った。

 朝霞駐屯地中央情報隊所属の玉木大輔三等陸佐はスコット・グレン、アメリカ大使館所属武官とともに八ヶ岳を目指している。スコットは玉木が米国防省へ駐在武官として配属されて以来の間柄である。話は二週間前に遡る。七月一日付でアメリカ大使館付の武官として赴任してきたスコット・グレンは旧交のある玉木に連絡を取りサンノーホテルにて家族ぐるみの夕食会を取った。その会食の時スコットより個人的に話をしたいということだったので今回の八ヶ岳登山に至っている。御泉水自然園へ車を止めて七合目登山口より瓦礫の登山道を黙々と歩を進める。将軍平で一休みし後は急勾配を一気に蓼科山まで登る。二時間半ほどの行程だ。山頂は岩だらけで独特な雰囲気で自然の雄大さに圧倒される。澄んだ青空の下で真夏の日光が目に痛いほどだ。三百六十度の大パノラマで遠く南北アルプスの山々が見渡せる。玉木は水筒から熱いコーヒーを注ぎスコットに進めた。周りに登山者はいない。スコットは雄大な自然をじっくりと堪能し、そして独り言のように話し出した。
「ダイ、俺はこの国が好きだ。この起伏にとんだ自然をとても気に入っている。今日はあくまでも個人として、君と話をしたいと考えている」
「スコット、そりゃどうも。日本人として誇らしい。それで話ってのは何だい」
 スコットは振り返り玉木の顔を確認するように言った。
「電子機器は持っているか?」
「いや、スマホも車に置いてきたし、時計も手巻きのオメガだ。ここで遭難しても自力で助かるしかない状況だよ」
「ダイ、陸自でも噂にはなっているかと思うが自衛隊を米軍の完全傘下に置くという計画が密かに進んでいる」
 玉木は笑顔から徐々に顔をしかめてスコットから目を反らし返答した。
「ああ、あくまでも噂の段階だけどな」
「どんな噂だい?」
 玉木はスコットの真意を測るように彼を凝視して、そして覚悟を決めたように話し始めた。
「スコット、これはあくまでも陸自内での噂だ。何か始まっているわけじゃない。そのつもりで聞いてくれ」
「OK」
 玉木の話では現在内乱状態に陥っている中国国内の状況はあと数年、長ければ五年ほど続くことになるという。中国国内のAI統合型システムが西側のそれと形態が違うために変数が多すぎて精度の高い予測が出せないためである。米軍が最も恐れていることは中国国内の混乱に乗じて日本国内の米軍基地への核攻撃にある。その場合の交渉相手が中国にいないことなのだ。日本国内に潜在的に潜んでいるスパイの暗躍により中国軍が日本領域に攻め込んだ場合の致命的な対応の遅れも大きな懸案材料となっている。それで自衛隊を米軍の完全な指揮下に置いて日本政府の合意なしに駐留米軍司令官の指揮下に置くというものだ。噂の出どころはわからないが自衛隊の情報部の分析でも不測の事態への対処の致命的な遅れが現行システム上起こり得るので噂は信憑性をもって広がっているとのことである。
「ダイ、おおむねその理解であっている。現在の中国内の混乱の原因は国際金融が仕掛けたトラップだということも理解されているのか?」
「ああ、そのようだな」
 玉木はそのような分析が自衛隊中央情報局からのレポートで上がってきていることは知っていたが一方、中国共産党が国際金融に掛けたトラップという分析については黙っていることにし、作り笑いを浮かべて話した。
「それで米軍の将校さんが陸自三佐にそのような話をすることがどういう理由からなのかな?」
「ダイ、最初に話したろう。これは俺の個人的な話だって。陸軍を代表してここにきているわけじゃない」
「スコット、友人としての忠告は大変ありがたいんだが、俺にどうしろと?」
「俺にも何がベストなのかはわからん。俺は現大統領を支持しているし、彼が再選されればこのことは単なる計画だけで終わると思っている。ただ知っているかい?マッコイ大統領の娘婿のスコットの大スキャンダルの件は?写真付きで近々ボストン・タイムズが発表するらしい。よくできた合成写真らしいがあれが出ると一挙に大統領選の状況がひっくり返される。エイミー・ディキンソンが次期大統領になると今言った件が具体化する可能性が否定できないんだよ。よくわからないのはこの写真が中国から出ているらしいということだ。親中的なマッコイのほうが中国にとっても有利なはずなんだけどな」
「ご忠告しっかりと受け止めるよ。しかし誰に相談したものかなあ」
「ダイ、防衛大臣の徳大寺はやめとけよ。彼はキャサリン青木とつながっていてビッグテックと国際資本と相当深い関係にあるという報告が米軍内で上がってきている」
「スコット、俺は単なる中間管理職だぜ。社長に会えるわけがないだろう」
「ははは、そうだな」
 夏の心地よい風が蓼科山の上を旋回しそれに抗うように一羽の隼が駆け抜けていった。
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