第11話

文字数 2,815文字

 席を立った座主の渡辺はそのまま奥にある貴賓を迎える座敷へと向かった。渡辺が座敷へ入るとそこには軽登山のいでたちの総理秘書宇梶実の姿があった。
「宇梶さんといったかな、遠いところをこの暑い中ご苦労様じゃったな」
「いいえ、座主こそわざわざお時間を作っていただき誠に恐縮でございます」
「して、用向きは何かな。京都の仏教界では孫知事の移民計画撤廃を確認するまでは後に引くつもりはありませんがのう」
「座主、ここだけの話とご了解いただきたいのですが総理は今回のデモに反対しておりません。逆に支援をしていきたいという所存で御座います」
「権力者が反権力を打ち上げている団体に支援とは片腹痛いわ、はっはっはっは」
 宇梶は昨今の日米の政治動向を説明した。来る米大統領選挙ではエイミー・ディキンソンの圧勝が予測されること。それにより大沼総理が退任し後任にキャサリン青木が総理となり、ディキンソン新大統領の外国首脳会談の第一号として青木との会談が予定されていることなどだ。
「事情は分かるが青い目をしているとはいえキャサリン青木も日本人。日本の総理になる以上、国益に沿って国政と外交を担うのが本分じゃろう。そこに人種の差があるとは思えぬが如何に」
「大沼が恐れているのは青木政権が五代幹事長の傀儡政権となることです。詳しくは話せませんがそうなった場合、我が国に対して国際資本の影響が強まることとなります。座主、ご内密にしていただきたいのですがエイミー・ディキンソンの下で自衛隊を米軍の参加に置こうという計画も国際資本が考えているらしいといった噂があります」
 その言葉に渡辺座主は決断すべき時が来ているのを悟ったのであった。
「ふむ、相分かった。それで総理はどうなさるおつもりじゃな」
「おそらく総理退陣後、下野なさることと思われます。それを見越しての今回のデモ支援とお考え下さい」
「我ら仏教徒は仏の教えに従って行動起こすまでのこと。総理がご支援したいのであれば勝手になさるのがよろしいとしか申せませんな」
 そして渡辺座主は続けた。
「まあ、楽になさるがよろしい。今回の件は私の胸に秘めておくと総理にお伝えくだされ。そして、我が国の民も考えを同じにするものが多くいるということを忘れるでないとお伝えくだされ」
 そう言い残して去っていく渡辺に深々と頭を下げる宇梶であった。蝉時雨がここぞとばかりうち騒いでいる中、低音で穏やかな旋律を伴った声明の響きが宇梶の耳に心地よく残った。

 柚木クリスティーンの案内で二条城と八坂神社を観光した島村瑠璃と轟太は四条大橋で夏の風物詩である川床と鴨川に沿って等間隔に並んだカップルの姿を暮れ行く宵のひと時と共に楽しんだ後、四条通にある柚木のお気に入りの小料理屋に入った。すでに個室を予約してあったようである。
「今日はお疲れさま、朝早くから天台座主のあの威厳にフルボッコ状態だったけど何とかお役は果たせたようね」
「そうですね。柚木さんも突然の依頼にかかわらず快くご案内していただいて大変感謝しています」
「瑠璃さんも、柚木さんもそう社交的にならずにもっとパっと行きましょうよ。とりあえずお疲れさんです。乾杯」
「乾杯」
「もう、島村さんでしょ。かんぱあい」
 三人とも肩の荷が下りたくつろいだ状態で京都の地ビールを堪能している。突き出しは鱧胡瓜と酢のものである。ほのかに夏を感じさせる舌ざわりで臭みのないあっさりとした味わいが口の中に行き渡っている。
「白川さんとはどのようなご関係なんですか」
 島村が柚木に尋ねた。
「クリスティーンって呼んでちょうだい。私もあなたたちのこと瑠璃と太って呼ぶから」
「ええ、クリスティーン、分かったわ。それで?」
「瑠璃、心配しないで。お仕事の関係だけよ。白川さんがICSSの社長やっているときに一回だけインタビューしたことがあったのよ。その時、知ってるでしょ。私メジャーな配信局で右斜め四十五度の女で有名だったじゃない。白川さんも快く引き受けてくれてね。それ以来の関係。あくまでもお仕事での関係だけど、彼のあの圧倒的な存在感というものには魅せられたことは確かね。それ以来おりにつれAIについて勉強させてもらったんだけど、私がああなっちゃったでしょ。そのうち彼も大変なことになって連絡つかずにいたんだけど、この前、彼から突然連絡来てね。あの京都御所でのデモのリポートで私を見て連絡をくれたの。それで突然、天台座主を紹介してくれって言われたときはびっくりしたわ」
「クリスティーン、ありがとう。あなたと白川さんの関係のことじゃなくてあなたがどこまでインディーズ・ウェブについて知っているのかを知りたいのよ」
 柚木は意地悪く島村を横目で見て
「ふーん、インディーズ・ウェブのことは白川さんから大体聞いているわよ。それに私もあなたたちと同じメンバーよ、すでに」
「そ、そうなんすっか。俺嬉しいです。一緒に頑張りましょう」
「それで、太と瑠璃は白川さんとどうやって知り合ったの?」
「俺は、叔母さんが白川さんの元嫁なんですよ。それで小さいころ遊んでもらっていました。叔母が離婚した後しばらく関係途絶えていたんですけど、今年の四月かな。叔母から白川さんが会いたがっているって連絡があったんで会ってみると有無を言わさず、インディーズ・ウェブに協力しろって引きずり込まれたんです。以上です」
 いつもの通り何ともあけっぴろげな説明ではあるがとても分かりやすい。
「瑠璃は?」
「瑠璃さんは俺のゼミの助手やっている人で白川さんに島村っていうきれいな助手の人が憧れの存在だって言ったら、ぜひ会ってみたいと言われてインディーズに誘ったんです」
 柚木が轟に笑みを浮かべながら訪ねた。
「太、あなただったら付き合う女の子に不自由しないでしょ。それとも年上の女がいいのかな?」
「瑠璃さんみたいに知的だけどかわいい人っていないっすよ」
「もう、島村さんでしょ。いつも言っているじゃない。でも轟君の言っていることは本当よ。ただ白川さんは私の父の後輩にあたる人みたいでそれで会いたがったんだと思うわ」
「瑠璃のお父さんって?」
「もうずいぶん前に母と一緒にいなくなったの。AIのアルゴリズムの研究やっていたらしいんです。いなくなった当初は警察も探してくれたんだけど結局見つからなくてね。でも心配しないで。ずいぶん前の話だし、私にとっては思い出の一つ」
「お父さんの名前なんというの」
「譲、島村譲。東工大の研究員だったの」
「ごめんなさいね。でも覚えておくわ。何か力になることあるかもしれないし。鱧の天ぷらが来たわ。さあ食べましょうよ」
 鱧のコースである。鱧料理は京都の夏の定番である。島村のリクエストで柚木がここの女将さんに特別に準備してもらったものだった。そのあと会話は柚木が今、京都で行っている古都再発見プロジェクトの話題に移り三人とも深まる京都の夏の宵を愉しんだのであった。
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