第12話

文字数 2,395文字

 島村たちが京都での一夜を愉しんでいるころ比叡山の座主渡辺はインディーズ・ウェブへエントリーし白川と対坐していた。目の前では白や薄紅色の蓮の花がその花弁を閉じ、その水面には半月が雲間に見え隠れしながら揺らいでいる。その池に浮かんだ唐風の四阿(あずまや)の中で渡辺と白川は池を眺めながら対峙しているのであった。渡辺座主は黄金色の法衣といった装いである。対して白川久男は白のタキシードといったいで立ちだ。盛夏の纏わりつく湿気の中、一陣のそよ風が二人を過ぎった。
「白川さん、拙僧にどのような事をお望みかな」
「御坊、この日本という国と民を導いてくれないでしょうか」
 白川の説明は今朝訪問した三人の若者たちが話した内容に沿っていた。そのうえで白川はAIに人格を持たせるために必要なのは日本人が古来尊重してきた和の心が最終的に重要な変数という説明をした。その言葉に渡辺は深い同意を覚えるのを否定できなかった。AIの考えにも、単に合理主義的に最善を導き出すのでなくそこに人間が長い歴史の間に多くの過ちを犯しながら育ていつくしんできた心が必要だというのだ。渡辺自身は今世界がどのように変化しているのか決して敏感に認識しているわけではなかったが、ある日突然一方的に押し付けられる正義というものに大いなる憤りというものを感じていたのは事実である。その正義とは渡辺たちが千年以上を通して守り続けてきた心というものをいともたやすく踏みにじって、メディアを使い大いに喧伝している様に思われる。それに対して強い違和感を抱いていたのも事実である。渡辺はそのような考えを逡巡させながら白川に尋ねた。
「白川さん、その考えには深い同情を覚えるが具体的にどのような行動を拙僧に求めているのかお聞かせ願いたい」
「御坊、まず仏教界からこのインディーズ上で指導者足り得る二十人ばかりの人を早急に選び出すことが重要です。その指導者の下に多くの人をこのインディーズ上で教え諭していただきたい。そうなれば彼、彼女らに同調者を募らせ、この仮想世界にて一つの纏った主義に基づく集団が形成されます。その上で現実の社会に我々の気持ちを訴えかけることを考えております。そうなればこの日本の行く末を変えることができるのではないでしょうか」
「一つ確認したい。あなたはその現実社会で指導者になりたいのか」
「御坊、答えは否です。私は指導者の地位を望んではいません。その気概もありませんし指導者にはもっと若い人がなるべきでしょう。そういった意味で御坊に面会させた三人の若者は適格者たり得ると考えますがいかがか」
 その言葉に渡辺座主は満足げに苦笑いしながら答えた。
「白川さん、道は長いのう。されどあなたのお気持ちしっかりと受け給わり申した。拙僧も微力ながら尽力するとご理解くだされ」
「御坊、ご理解いただき大変感謝いたします」
「白川さん、現実社会にて自治を行うには自衛の手段も必要であろう。どのようにお考えか」
「あくまでも平和的手段で自治を確保すべきではないでしょうか」
「平和的手段で行うことには賛同するが、権力が武力の行使に至った場合、対抗する術がないのではないか?」
「そこまでは考えておりませんでした。私としてはAIマザーの攻略ができれば自治権を保持できるのではないかと考えていました」
「白川さん、仮想社会で自治を確保できても現実社会で実現できない限り夢、幻の砂上の楼閣にすぎないことを心されよ。その点、叡山の僧は昔から自治を守るにはどうすればよいかよく知っておる」
「そうですね。以前、陸自の情報部門からシステム開発の相談を受けたことがあります。その際応対した担当者は尊敬に値する人物でしたので彼に相談してみるのは可能かもしれません」
「そのものの名前と所属はわかるかの?拙僧も陸自の元幕僚長とは知古の間柄でな。彼にでも相談してみよう」

 町田の居酒屋黒木屋のテーブル席では早川仁美が看護師の先輩たちとレモンサワーの杯を上げていた。
「新谷先輩、やはりあの幸寿園どう考えてもおかしいと思いませんか?木村のおばあちゃんもいなくなっちゃいましたよ。あのおばあちゃんも身寄りのない独り者だったじゃないですか。きっとユニ・グローブ社の人体実験にされているんですよ」
「仁美ちゃん、あんまり大声で騒がない」
「でもいくら知的障害者といえ、人権問題じゃないですか!」
同僚の日向真知子も口を開く。
「先輩、先生たちに話しても曖昧にされるだけなのはおかしいと思いませんか?」
「真知子、先生たちも深い事情を知らないようだわ。私も相談したけれど触らぬ神に祟りなしって感じだったわね」
「それじゃあ、この事に口を噤んで違法な人体実験を見逃せってことですか」
「違法とは限らないからそのような言い方は慎むべきね。でも病院関係者は頼りにならないのは確かね。理事長が五代幹事長と入魂(じっこん)の間柄だからうちの病院以外に告発すべきじゃないかしら」
「この間、比叡山のお坊さんたちのデモのリポートやっていた柚木クリスティーン一度うちの病院に取材に来たことあったじゃないですか。彼女に相談するのはどうですか?」
「そう、それいい考えかもしれないわね。でもどうやってコンタクトとる?メールだとユニ・グローブの検閲に引っかかるかもしれないわよ。そうなったら危ないわ」
「そんなにやばい状態になっているんですか」
「噂だけどユニ・グローブ社の案件で内部告発した人たちが姿を消しているらしいわよ。あくまでも都市伝説めいた噂だけどね」
「それじゃあ、人体実験の件ではなくて京都のデモの件で相談したいとかでメール打つのはどうでしょうか」
「それで会ってもらえるかしら」
 早川仁美は目の前で人がいなくなっている現実に憤るも、なす術が思いつかず途方に暮れていたのであるが同僚たちとの会話により道が開けていくような感触を持ちつつあった。
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