第1話

文字数 2,395文字


師走の第二日曜日の午後一時、川崎のたちばな通りでは千人規模の集団デモが行われていた。鈍色にくすんで立ち込めた低い雲からは、ちらほらと粉雪が舞い落ちてきていた。
 デモ参加者はそれぞれ厚手のパーカーなどを着込んで時折シュプレヒコールをあげながらぞろぞろと歩いている。手に持ったプラカードには「市政を日本人に取り戻せ」と書かれているのが見える。デモの集団の中ほどにベイスターズのキャップを深くかぶり、そこから亜麻色のポニーテールを垂らしグレーのダウンジャケットにジーンズとスニーカーといったいでたちの女がいた。地味な服装であるが真っ黒のサングラスに赤いルージュが際立っている。女は明和大学3年生の綾瀬朋美である。彼女は大学内で民主革命連合のサブリーダー的存在である。
 デモの集団がインド人経営のスーパームンバイの前に来ると綾瀬は集団に向かって叫んだ。
「ここは日本人の客に法外な値段で売りつけている邦人差別のスーパーです」
 集団の歩みが止まった。
「日本人差別やめろー!」
「差別はんたーい!」
 集団は大声でシュプレヒコールを上げながら店の前に集まりだした。後ろの方でのろのろと並走しているパトカーのスピーカーからルートから外れないようにと叫んでいるのが聞こえてきた。

 スーパーの中ではインド人の店員たちが店の前での糾弾に対して少し怯えているようだ。店員の一人が携帯端末でどこかへ連絡しようとしている。その時である。アポロキャップを深々とかぶりマスクで顔を隠した一人の男が店員から端末を奪い取った。そして同じような格好をしたもう一人の男がレジに駆け寄りスタジアムジャンパーの中から短銃を取り出してレジにいた店員にその銃口を向けた。
「ゲイウォーチアン」
 インド人の店員は何を言われているかわからないまま手を挙げて呟いた。
「ドゥブナーリ!」
 別の男がレジに回り込み有り金をつかみ取りだした。グループの他の男たちは金属バットを振り回して雑然と品物が並べられている店内を手当たり次第に破壊し始めた。インド人の店員たちは恐怖に慄いた顔で悲鳴をあげながらスーパーから逃げ出そうとしたが、店の前では綾瀬朋美に先導されたデモの集団が立ちふさがっていて外へ出ることができなかった。
 異変に気付いた警官が慌てて店に近づこうとしたのだがデモの集団が壁となって店に入ることはできなかった。
 店内で略奪行為を行っていたグループは店を一通り破壊した後で満足げにスーパーの裏口から出ていった。デモの集団に邪魔されて前に進めなかった警官が集団を押しのけて何とか店内に入ったときには暴徒たちは地下駐車場からビルの反対側の出口を通って逃げ出した後だった。
 その時デモの集団からは綾瀬朋美を含む数人のデモ参加者の姿も消えていた。

 照明が落とされた店内では重低音のベースのリズムにピアノが軽快なコードを奏でそれに合わせてラップミュージックが流れている。店内に設けられたDJブースからのライブパフォーマンスだ。
今日のお買い得
無くなっちまったらお気の毒
早いもん勝ちだよレイディーズ
競え麗しきウォリアーズ yo

まずは雲仙高原牛
霜降りエレガントなサーロイン和牛
グラム七百八十円
次は能登の寒ブリ
荒れた日本海のお久しぶり
切り身二つで四百八十円
栃木の新作ストリベリー
その名もおいしいルージュきらりー
冬のデザートこれで決まり―
出血大サービスの三百えーん
Lights on プリーズ
 
 紹介されたおすすめ品の棚にスポットライトが当たると客の間から歓声が起こった。ここは吉祥寺にある高級スーパーITSUWAYAの店内である。ここでは毎週日曜日の午後五時よりDJによるお買い得品のライブパフォーマンスが行われている。DJブースの前でDJに向かって手を振っている女がいた。DJもそれに笑顔で答えているようだ。女は細身の体に赤のワンピース、その上からチェスターコートを身に着けて、セミロングのボブに薄めの化粧をした二十代後半である。名前は島村瑠璃という。武蔵野市にある星城大学の歴史情報工学研究科の研究員である。ゼミ生の牧隼人からここでDJパフォーマンスをやるので見に来てくれと誘われていたのでショッピングもかねて訪れたという次第である。格安で人工培養肉や魚介類などの食材が入手できる現在、自然育成の食材を扱う高級スーパーITSUWAYAは島村瑠璃にとって敷居が高い場所である。社会的に食料用の家畜に対しての批判が強まってきている中、このようなスーパーの存在は少々疑問でもある。瑠璃はおすすめ品のルージュきらりという苺を一パックと生の牛乳を手にしてレジに向かった。画像処理を行うレジの台に商品を並べて瑠璃の携帯端末をレジにかざすと携帯端末画面に商品名と値段が表示される。その画面をOKするだけで買い物は終了だ。瑠璃は商品をバッグに入れてレジの左側にあるDJブースへ向かった。中では牧隼人がDJマキとしてまだパフォーマンスしていたので目で挨拶だけして瑠璃はITSUWAYAを出た。

店を出ると師走の乾いて冷たい空気が容赦なく頬に突き刺さってくる。すっかり暗くなった空にはクリスマスシーズンの週末を彩るかのように粉雪が舞い踊っている。瑠璃は携帯端末を取り出して部屋にいるエルを呼び出した。
「エル、今から帰るから熱いホットチョコレート用意してくれる?」
 エルは彼女が使っているAIバディの呼称だ。AIバディはクラウド上にある彼女のインテリジェント・マネージメント・システム(IMS)に存在している。そこで彼女が身に着けているインテリジェント端末を通して常に彼女とつながっている。また人工筋肉と人工皮膚を持ったヒューマノイドとして彼女の部屋に常時いる存在でもある。
「OK、瑠璃。あなたが家に着く頃にはダイニングテーブルの上に準備しておくわね」
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