その10 何も起こらない
文字数 1,113文字
びっくりするぐらいに真っ平な日常。
本来はこれこそがわたしの憧れだったはず。
小学校の頃のわたしは、”異常”、の連続が日常だったので。
あまり具体的ないじめの内容を思い出すと、うつ病が再発しそうで怖いから、イメージだけちょっと思い出したところでやめておく。
こういった作業を深夜に繰り返す。
そもそも、わたしがやろうとしているいじめの研究においては、冷静で客観的な態度がないと、成果が得られないだろう。
”いじめの根絶”、という成果が目的ではなく、単に目先の憂さ晴らしや昔のいじめをリセットしたいだけならば、その辺の、”復讐”、や、”和解”、をテーマにしたマンガやドラマでも見ていればいいだろう。
でも、根本の解決にはなりっこない。大体、安易な夢物語を提示されたところで却って絶望してしまう。
「そんな訳、あるか」
って。
わたしがイメージする解決、っていうのは、ゴータマ・ブッダが生老病死を根こそぎ救おうとしたのと同じ類の解決。”解脱”、と言っても過言ではない。一旦いじめの関係から抜け出せたとしても、大人であるはずの社会人たちの間にすら子供じみたいじめが横行する世の中。
再発しない、と誰が保証してくれるっていうの。
「エレファントカシマシって、凄いんだよ」
と言って、三田くんが教えてくれたことには、「何にも変わらない自分」、みたいな歌詞の曲があるらしい。
ずばり、”ろくでなし”、って曲名なんだそうだ。
わたしの高校生活は「何も変わらない」毎日。
早朝覚醒をして「つらい」と泣く母親をなだめ、寝不足のまま母親と自分のために朝食を作り。
”超”、はつかないけれども一応都立ではランクが上位の進学校に自転車で登校して授業を受け。
たまに、三田くんと喋り。
下校途中でスーパーに寄って買い物をし。
晩御飯を作り、母親と2人して無言で夕飯を食べ。
1人で後片付けをしてから洗濯、風呂をわかし。
その後で予習・復習をし。
ブログを書いて、寝る。
火、木、日は、地味なハンバーガー屋でバイトをし。
土曜日は神保町とポピーに通い。
まあ、土曜日に三田くんがポピーでバイトしてる、っていうのが結構自分にとっては変化がある方なのかもしれないけど。
これが、わたしの今の日常。
小学校の時の、一瞬として弛緩することのない日々から見たら夢のようなもの、かもしれない。
なのに。
この奇妙で不可解なブログを書くわたしが、本音の部分なんだろう。
だって。
社会に出て、またあの頃みたいになるなんて、耐えられないから。
根こそぎの救いが欲しい。
そんなことを考えて書いた日のブログに対し、
わたしの日常を波立たせるコメントが入って来た。
本来はこれこそがわたしの憧れだったはず。
小学校の頃のわたしは、”異常”、の連続が日常だったので。
あまり具体的ないじめの内容を思い出すと、うつ病が再発しそうで怖いから、イメージだけちょっと思い出したところでやめておく。
こういった作業を深夜に繰り返す。
そもそも、わたしがやろうとしているいじめの研究においては、冷静で客観的な態度がないと、成果が得られないだろう。
”いじめの根絶”、という成果が目的ではなく、単に目先の憂さ晴らしや昔のいじめをリセットしたいだけならば、その辺の、”復讐”、や、”和解”、をテーマにしたマンガやドラマでも見ていればいいだろう。
でも、根本の解決にはなりっこない。大体、安易な夢物語を提示されたところで却って絶望してしまう。
「そんな訳、あるか」
って。
わたしがイメージする解決、っていうのは、ゴータマ・ブッダが生老病死を根こそぎ救おうとしたのと同じ類の解決。”解脱”、と言っても過言ではない。一旦いじめの関係から抜け出せたとしても、大人であるはずの社会人たちの間にすら子供じみたいじめが横行する世の中。
再発しない、と誰が保証してくれるっていうの。
「エレファントカシマシって、凄いんだよ」
と言って、三田くんが教えてくれたことには、「何にも変わらない自分」、みたいな歌詞の曲があるらしい。
ずばり、”ろくでなし”、って曲名なんだそうだ。
わたしの高校生活は「何も変わらない」毎日。
早朝覚醒をして「つらい」と泣く母親をなだめ、寝不足のまま母親と自分のために朝食を作り。
”超”、はつかないけれども一応都立ではランクが上位の進学校に自転車で登校して授業を受け。
たまに、三田くんと喋り。
下校途中でスーパーに寄って買い物をし。
晩御飯を作り、母親と2人して無言で夕飯を食べ。
1人で後片付けをしてから洗濯、風呂をわかし。
その後で予習・復習をし。
ブログを書いて、寝る。
火、木、日は、地味なハンバーガー屋でバイトをし。
土曜日は神保町とポピーに通い。
まあ、土曜日に三田くんがポピーでバイトしてる、っていうのが結構自分にとっては変化がある方なのかもしれないけど。
これが、わたしの今の日常。
小学校の時の、一瞬として弛緩することのない日々から見たら夢のようなもの、かもしれない。
なのに。
この奇妙で不可解なブログを書くわたしが、本音の部分なんだろう。
だって。
社会に出て、またあの頃みたいになるなんて、耐えられないから。
根こそぎの救いが欲しい。
そんなことを考えて書いた日のブログに対し、
わたしの日常を波立たせるコメントが入って来た。