その16 POP

文字数 1,089文字

 まずはゲストたる三田くんの用事を優先し、(くだん)の本を捜し歩いた。
 結果は、見つからなかった。

「じゃあ、今度はわたしに付き合ってね」

 切り替えは早いが、三田くんも特に気にしない。
 三田くんはあの本というよりは、読書そのものに必要以上の執着は持たないようだ。
 ということは、神保町に来てみたい、というのが主目的だったらしい。

「結構買うね」

「うん」

 淡々と買い進める。
 振り出しの東京堂書店に戻って、また店内をぷらぷらしていると、三田くんがわたしのリュックをくいくいと引っ張った。
 無言で平台を指差す。
 なんだろうと思ってみると、☆型のPOPが立っていた。

”作者の本音が清々しい。自身の事実を曝け出してこそ、読者は救われる。・・・・no name”

 DVをテーマに描かれていた新刊小説の横に立てられている。

「まあ、”名無し”、なんて誰でも使う安易なものだろうから」

 三田くんはさらっと流しにかかる。
 けれどもやっぱりわたしには引っかかる。
 わたしはその小説を30秒ほどで、ざっ、と読む。
 ほとんど中身はない。唯一目に入って来たのは、「私がその母親です」という一行だけ。
 これが本当だとしたら、このPOP通りなのだろう。

「たぶん、この、”no name”、があの、”no name”、だよ」

「どうして?」

「直感」

 わたしはつかつかとレジに行く。

「あのPOPを書いた、”no name”、って店員さんですか?」

「ちょっとお待ちください」

 若い女性スタッフは後ろを振り返り、「あのPOPのことでお客様からご照会ですけど」と、中堅風の男性スタッフに質問している。
 その男性がわたしに応対してくれる。

「お客様、”no name”様は当店のスタッフではありません。当店はHPで新刊本のレビューやPOPを一般の方々から投稿していただく取り組みをしています。”no name”様も投稿して下さった方々のお1人です。同意を頂いてPOPとして使わせて頂いています」

「”no name”さんはよく投稿されるんですか?」

「ええと、公表されてるHPの話ですからお話しして差し支えないと思いますが・・・はい、そうですね。よくご投稿いただいてます。非常に鋭い視点をお持ちなので、よくPOPに使わせていただきます」

「小説のレビューが多いんですか」

「主に小説ですね。ですが、エッセーやノンフィクション、新書も読んでおられて幅広いですよ。本当に本がお好きな方のようですね」

「会われたことは?」

「ないですね。もしかしたらこのお店にもよくいらっしゃっているお客様かもしれませんが、投稿は匿名ですので」

「ありがとうございました」
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