その30 スリーピング

文字数 894文字

 視線をずらしてリビングのテーブルを見ると、錠剤を包んであったラミネートの殻が大量に散らばっている。前にも一度あった。
 睡眠導入剤を2週間分、一気飲みしたのだ。
 
 迂闊だった。
 と、いうより、わたしの致命的なミスだ。

 わたしは母親が病院から帰るとすぐに薬を取り上げ、一日分ずつ渡していた。残りは鞄にしまい学校に持って行くぐらい念を入れてた。
 昨日に限って病院の日だったのにすぐに取り上げなかったわたしが悪い。

 結果が、これだ。

 わたしの日常がやや好転しつつあったので浮かれてしまってた。

 今は、母親の状態を確認するのも面倒な程、疲労困憊している。
 倒れてるのを見下ろしたまま、スマホを出し、119番する。

「火災ですか、救急ですか」

「救急です」

「どうされました?」

「母が睡眠導入剤を大量に飲んでしまいました。今、倒れて動けない状態です」

「分かりました。救急車を1台向かわせます」

 わたしは冷静に住所を告げる。そして、マンションの5階であることを伝えた。

「エレベーターは広いですか?」

「いえ、古いマンションなので狭いです。でも、ストレッチャーはぎりぎり入ります」

 前もそうだった。

 さて、何もせずに待つのも芸が無い。
 わたしはトイレのドアを、がん、と開け、うつ伏せのままの母親をずるずると引き摺る。
 右頬を下にして便座に顔を乗せさせ、母親の鼻を指できゅっとつまんだ。ぶはっ、と口が開いたので、人差し指と中指をぐっと喉の奥まで突っ込む。
 相手が痛いかどうかなんて気にしてらんない。指先の感触がとても気持ち悪い。

「ごえええ」

 少し、吐いた。左手が汚物と胃酸の熱とでとても不快だ。
 反対の手で母親の背中をどんどん叩く。
 薬を吐かせるという目的以外に、はっきり言って憎しみもこもっている。
”余計なことして”、というのが本音だ。
 けれども今となってはわたしの唯一の法律上の保護者だ。未成年のわたしが彼女を失った場合、この先の人生を生きにくくなることは目に見えている。
 
 なぜか三田くんとノネちゃんの顔が浮かぶ。

 彼らとの日常を、まだ手放したくはない。

 サイレンが聞こえてきた。

 下まで迎えに行かなきゃ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み