第1話 あなたに逢いたくて 第2章

文字数 2,742文字

警察の検視が終わったので、浜田は第1版の締め切りに間に合うように原稿を送った。すでに10時を過ぎていたので、今夜はこちらに泊まることになった。過疎地でホテルや旅館などはほとんどないところだが、運よく町営の宿泊施設が空いており泊まることが出来た。

食事はキャンセル分が残っていたとして、施設が新鮮な刺身を出してくれた。昼前から何も食べていなくて空腹だったが、信子は1時間ほど前に悲惨な遺体を見たばかりだったので、箸はあまり進まなかった。

 食事が終わり自分の部屋に行く前に、信子が浜田に聞いた。
「浜田さん、きょうは遺体の検視を見ることができましたけど、普通は見せてくれないんでしょう。」
 浜田はちょっと考えた後こう答えた。
「ああ、普通はだめだよ。でも名前は言えないけど、ある責任者に『新人の研修をいまやっているんだけど、遺体に耐えられるかどうかいい機会なので、ちょっと見せてくれない』と頼んだんだ。その責任者は『本当はダメなんだけど、お互い様ということもあるので、まあいいか』と言って許可してくれて現場にも連絡してくれたんだ。
 ここからは真面目な話だけど、このことは誰にも言ったらいけないよ。例え社長から聞かれてもね。もし公になったら相手の警察官が困ることになる。研修で習ったように「情報源は秘匿」しなければならない。今回は初めてだったんで、ある程度説明したけど、今後はこんな質問は無しだよ。」

翌日の午前5時前、信子は浜田にたたき起こされ、女性の遺体が発見された現場に向かった。途中、B警察署の前を通ったが、昨夜遅くまで明かりがついていた署内も今は当直付近が明るいほかは真っ暗で、人の出入りもなさそうで静まり返っていた。

「きのうは検視の様子を見たの初めてだったと思うけど、どうだった?」
運転しながら浜田が聞いてきた。
「もちろん初めてです。以前の私でしたらとても見られなかったと思います。でも、浜田さんがおっしゃったように『仕事』だと気を張り詰めていたら大丈夫でした」
「そうか、よく頑張ったね、ノブちゃん。新人記者の中には遺体を見て、青ざめて卒倒する人や、気分が悪くなってもどす人もいる。ノブちゃんを試すようで申し訳なかったけど合格だ。遺体に限らず現場では見られるものは自分の目で見て確かめることが大事なんだ。そうすれば、仮に相手が噓をついたり隠したりしても騙されなくて済む。これからもいろんな遺体を見る機会もあるだろうが、今言ったことを心掛けて」

遺体の発見現場は警察署から車で30分ぐらい行ったところの山道である。B町はかつては漁業でにぎわったこともあったが、今は人口も最盛期の4分の一程度に減少し、このままでは消滅してしまう「限界集落」と呼ばれる地区も多い。

山道を車で進んでいくと、夜明け前でまだ薄暗い中、うっすらと霧がかかり始め、なんとも幻想的である。
現場に着くまで、すれ違った車は1台もなかった。

「浜田さん、こんな寂しいところ、夜中に来たくはないですね」
信子は思わずつぶやいた。

現場は山道の途中のカーブ脇に車が2~3台停められるぐらいの空き地がある場所である。きれいな海岸線がよく見える場所で、普段も観光客などが車を停めて写真撮影をする姿を見かける場所だそうだ。

現場には証拠保全のため警察官が1人立っていた。軽自動車のパトカーも止まっており中で仮眠している警察官もいるようだ。2人が乗ってきた取材車は新聞社の小旗が取り付けられており、報道関係者と分かるようになっている。「立ち入り禁止」の看板の前に立つ警察官に軽く会釈し、女性が見つかったという崖の近くまで進んだ。警察官も横目でちらちらとこちらの様子を伺っている。崖下を覗き込んでみる。空き地と崖の間には転落防止用の柵が設置されており、簡単に転落しそうな場所ではないが、自殺のため飛び降りるような断崖でもない。

「ノブちゃん。写真撮っといて!」
記者であることを忘れて現場の崖を眺めていた信子は慌ててカメラバッグを取りに車に戻った。

その時、もう1台の車が空き地に入ってきた。遺体で見つかった吉岡さんと同じK県のナンバーである。中年の女性が運転していて後部座席には若い男性が乗っている。どうやら親子のようだ。空き地に停めた車の中で中年の女性と若い男性は窓の外を見ながら何か話している。声は聞こえないがかなり興奮している様子だ。

警察官、浜田、信子の3人が注視している中、車の後部座席から若い男性が降りてきて崖のほうに歩いてきた。男性はかなり若く高校生ぐらいで周囲を確認しながら何か一人でしゃべっている。そのあとから母親らしい女性がおろおろしながらついてくる。異様な光景に気付いた警察官は無線で連絡したようだ。パトカーの中で仮眠していたもう一人の警察官も飛び起きて駆けつける。緊張した面持ちで警察官は男性に近づき話しかけた。

「どうしたんですか?」
男性は警察官から質問されたことにびっくりしたのか、しどろもどろになりながら答えた。
「えっ・・・あの・・・ここなんです。ここだってことが分かったんです。」
「ここというのはどういうことですか?」
警察官はさらに詰問するような口調に変わる。
「いえ・・・あの・・・ここでみつかったんでしょう?」
「何がですか?」
「じ・・女性の遺体です」
「女性のお知り合いですか?」
そこに母親とみられる女性が口をはさんで
「私たちは、この女性のことは全く知らないんです」
「お母さまですか?」
「は、はい。この子がどうしても現場に行きたいので、連れて行ってほしいというもんですから」
「どちらからですか?」
「K県です。」
「そんな遠くから来られたんですか? それもこんな時間に」

親子と警察官のやり取りを浜田記者と私は近くで聞いていたが、2~3分もすると近くに待機していたのだろうパトカーがさらに2台現れ、現場は騒然となった。

「ノブちゃん!カメラ!」
浜田記者は私の手からカメラをひったくると、この不審な親子の写真を撮り始めた。すると、警察官はここではまずいと思ったんだろう。親子をパトカーに乗せ、あっという間に現場からいなくなった。行先は多分警察署だろうということで、我々もすぐにパトカーを追いかけた。浜田記者もパトカー並みの猛スピードで車を走らせ10分ほどで警察署に到着した。浜田記者も興奮しているようだったが、大きく呼吸してから私に言った。

「ひょっとしたらスクープになるかもしれない。あの少年は女性の変死について何か知っているかもしれない。。他社はこのことを知らないから他社に気付かれないようにしなければならないよ」

スクープの可能性に浜田と信子の興奮は高まった。  

                              (つづく)

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