第3話 まるで戦場のよう 最終章

文字数 1,651文字

「ガシャン!」

その日の夜10時ごろ、信子が避難していた心の家で窓ガラスが割れる音がした。

その時、家にいたのは心と母親、それに信子だった。

心と信子は暴走ダンプカー殺人事件の容疑者とみられる光男が来たと直感した。

光男の行方が分からなくなったことは知っていたので、念のため避難は続けていたが、心の家まで危険に晒されることは想定していなかった。どうやら、信子がつけられていたようだ。

「ガチャッ」

光男とみられる不審者は庭に面したサッシ窓のカギを開けて居間に入ってきた。信子ら3人は息をひそめてキッチンに隠れていた。

不審者が突然大声をあげた。

「おい! ○○新聞の女記者、そこにいるんだろ。出てこい!目撃者はみんな始末してやる!」

明らかに光男の声だが、昼間に支局で会った光男とはまったく別の人格になったと思わせる声だ。
光男はだんだん近づいてくる。

「僕が出ていく」
心が光男を追い払うため出ていこうとするのを信子が必死に止めていた。
「出ていくと危ない!心さん」

「おっと、そちらで声がしたぞ。覚悟しな」
光男がさらに近づいてきた。

万事休すと思ったその時に、

「エイ!」

鋭い蹴りが光男の胸に炸裂し、光男は5メートルほど吹っ飛んで失神した。

蹴りを入れたのは、なんと母親の岬だった。

「お母さん!すごい!」
信子は目を丸くして、すっくと立った岬の姿を見つめていた。
岬は沖縄空手のチャンピオンだった。

「空手を喧嘩に使っちゃいけないんだけど、今日の場合は命を守るためだからね。でも、久しぶりの蹴り、うまく決まってよかった」
岬はホッとした表情でみんなの無事を喜んでいた。

光男は不法侵入などで警察に逮捕された。当然、暴走ダンプカー殺人事件でも取り調べが行われた。

3か月後、光男の裁判員裁判が始まり、信子も取材のため傍聴した。

裁判では事件の異常性と、光男被告の言動におかしいところもあり、精神鑑定が行われることになった。光男の場合、一人の人間に全く別の人格が複数存在する「多重人格(現在は「解離性同一症)」が疑われた。

精神鑑定が決まった時、信子は光男がかつて支局を訪れたときに話した内容を思い出していた。

こう言っていた。

「私は4年前の事件の精神鑑定で、井田敏明の心神喪失が認められたことには疑問を持っているんです。確かに敏明は精神障害で通院歴がありますが、退院後は異常な行動などはなかったと複数の人が証言しています。敏明は精神障害を装って罪を免れようとした疑いが強いと思うんです。もちろん心神喪失の場合、無罪とする刑法も知っていますし、精神障害が治った人に罰を与えることはしてはならないと思います。でも、私の最愛の妻は無残に殺され、一方で妻を殺した男は病院を2~3年で退院し普通に生活している。それを見ると、憎しみの気持ちがどんどん湧き上がってくるのです」
光男は最後に次のように言った。
「もし、私が重大な犯罪を犯したら、敏明を見習って精神障害のまねでもしましょうか?」

支局で光男が話した言葉を思い出した信子は、光男の精神障害が本当なのか演技なのか、分からなくなってきた。

精神鑑定の専門家は「いくら異常を装っても、専門家は様々な検査を行って調べるので、嘘を見抜くことができます」と語る。

しかし、ひょっとしたら、光男はこの4年間、精神障害について学び、どのようにしてだますか研究し、同じように精神障害を装ってダンプカーを暴走させ4人を殺害するという異常な犯罪を犯すことで4年前の復讐をしようとしていたのではいか? そして、それを実行しているのではないか? 

そう思って退廷する光男の方を見た信子はぞっとした。光男が信子に向かって微かに目くばせしたのだ。それはほかの人には分からないほどの微かな仕草だったが、信子には分かった。

光男はこの復讐を成功することが出来るのか。
それとも異常を装った愚かな犯罪者となってしまうのか。

その前に、そもそも、光男はいま正常なのか異常なのか。

信子は人が人を裁く難しさを思い知らされた。
    
        (第3話おわり)









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