第8話 亡霊の片腕

文字数 2,389文字

6月10日午前6時10分。

S県T市の小浜地区で大規模な土石流が発生。
7世帯12人が行方不明になった。

「今年もこの季節がやってきた・・・」

○○新聞S支局では信子が合羽や雨靴などの雨具や連絡用のハンディトーキー(小型無線)、フィルム送り用の封筒など雨季の災害取材に必要なものを取材車に積み込んでいた。

「おはよう。ノブちゃん」

ベテラン記者、浜田も元気な声で支局に到着した。

「準備終ってるね。さあ、行こうか。あれっ? 新人くんはまだ?」

「お、おはようございます!」

そこに駆け込んできたのが、4月に採用されたばかりの新人記者、青木祐一郎である。

青木は180センチ近くの長身でやせ型。明るく活発な印象で女の子にもモテそうな性格だが、ちょっぴり軽いイメージかなとも信子は感じた。

「さあ、これで揃った。2〜3日は帰れないかもしれないが頑張って取材しよう。ノブちゃんと青木くん。災害現場の取材で一番大事なことは分かっているね」

2人は揃って答えた。

「はい、安全第一、危ないところには近寄らない」

雨はまだ降り続いている。
雨の中、取材車は3人を載せてT市に向かった。

今年は梅雨に入る前の5月の連休後から毎日のように雨が続いていた。S県を含む地域では、6月1日に梅雨に入ってからも雨は降り続き、信子や浜田は

「これだけ雨が続けば。いつ土砂災害が起きてもおかしくないな」
と話し憂鬱な日々が続いていた。

そして、6月10日、今年もまた発生したのだ。

土砂災害はS県を含む3県で発生した。とりわけS県T市の災害は行方不明者の数も多く、取材が集中した、現場近くにはテレビの中継車もずらりと並んでいた。

土石流は猛烈な力で集落の住宅を破壊、押し流し、山の斜面は一部住宅の残骸が見えるほかは上流から流れてきた大量の土砂で覆われていた。信子は災害の悲惨な状況に息をのんだ。

「ノブちゃん」

誰かが自分の名前を呼んだ。

地元テレビ局のアナウンサー、前屋敷みなみだった。

「みなみちゃん、きょうは中継?」

近寄ってきたみなみに信子が聞いたが、みなみは浮かない顔をしていた。

「どうしたの? みなみちゃん」

「私はT市の出身なの知ってるでしょう。だから、この小浜地区にも知り合いがいてね、行方不明のリストに入っているみたいなの。ひょっとしたら、どこかに行って留守・・・だったらいいんだけど・・・」

みなみは知り合いの消息を気にしながら、現場からの中継などをこなさなければならないという。信子は
「お互いに頑張ろう」
と励ましあって別れた。


信子と浜田は二手に分かれて、浜田と新人の青木が上流域で捜索の模様を、信子は下流域で被災住民や周辺住民の声を取材することなった。

小浜地区では7世帯12人が行方不明になり、懸命の救出作業が行なわれた。信子が取材しているときにも、壊れた住宅の中などから次々と住民が救出され、その家の関係者らしい人たちが担架に駆け寄る姿が見られた。救出とはいっても土砂の力は強大で、助かった人はいなかった。

しばらくすると浜田が青木と一緒に上流域から降りてきた。

「どうたんですか?」
信子が聞くと、

「いやー、青木くんが突然、悲惨な状態の御遺体を見てしまってね。大丈夫かなと思って青木くんを見ると、案の定、顔は真っ青で、口を押さえていて今にも吐きそうだったんで、急いで降りてきたんだ」

青木はハンカチで口を押さえながら小声で

「すみません浜田さん。俺がだらしなくて・・・」
と謝った。

「そんなことないよ青木くん。誰だってあんな状態の御遺体を見ればショックを受けるさ。気にすることないよ」

浜田は優しく慰めた。


その日のうちに、行方不明者12人のうち8人が救出されたが、いずれも助からなかった。

救助作業は夜を徹して行なわれ、信子たちは明日まで同じ態勢で取材することになった。

翌朝までに更に2人が遺体で見つかり、残るはこの集落では一番はずれの一軒家に住む老夫婦2人だけとなった。救出作業はこの家の周辺を中心に集中的に行われ、翌日の昼過ぎまでに2人とも家の近くから相次いで遺体で見つかった。

災害現場では行方不明者の捜索救出が最優先される。小浜地区では発生から2日目で行方不明者が全て見つかったので現場では一区切りついた形となった。

必要な取材も終わったので、信子らは他の記者と交代して、一旦支局に帰ることになった。

地元テレビ局のアナウンサー、みなみも一段落したのか、信子の所にやってきた。

「お疲れさま。ノブちゃんも徹夜だったんでしょう」
「うん、みなみちゃんも中継ご苦労様でした。これで帰れるね」
「うん、あっ!そちらは新人さん?」
そう言って、みなみは青木に挨拶した。

青木もみなみと同じS県出身である。
「あ、青木祐一郎と言います。
 △△ テレビ の前屋敷さんですよね。わあ!実物のほうが数倍かわいいですね」

「あら、若いのに口がお上手。でも、支局に来てすぐにこんな災害があって大変だったでしょう?」

「ええ・・・でも頑張って取材しています」
アナウンサーのみなみに憧れがあったのだろうか、青木は取材の疲れを忘れて元気に答えていた。

「ああ、そうだ。ノブちゃん。昨日わたしが話していた知り合いだけど、丁度旅行に行っていて無事だったんだ」
「それはよかった!」
「あっ、それからさっき消防の人に聞いたんだけど行方不明者の数が合わないと言っていたよ」

「えっ!?」

信子は消防指揮所に走った。


数が合わないのは、最後に見つかった老夫婦の家だった。

近所の住民の話などから、この老夫婦は先の大戦で1人息子や親戚を亡くし、訪れる知人もなく、2人で静かに暮らしていた。その家の残骸の近くで性別は不明だが、大人の右腕が見つかったのだ。

この腕の持ち主は誰なのか?
生きているのか亡くなっているのか。
2人が亡くなった今となっては調べようもない。
 
信子は心の中で思った。

「これは心くんの出番だ!」

 (つづく)





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