あの夏の追体験

文字数 1,041文字

あの夏、僕は初めて恋をした。
正確に言うと、僕と恋をしてくれる子に初めて出会った。

初めて、好きだ、と言えた。
初めて、私もよ、って返事をもらえた。

初めて、映画に言った。涼しくて、夏のデートにぴったりの場所だっていうことを知った。
初めて、一緒に花火を見上げた。行き帰りは混んでいて大変だったけど、とにかく彼女とはぐれないよう、必死に手を掴んだ。

そして、僕らは、星空が見下ろす海辺で、初めてのキスをした。
唇が離れると、彼女は、うつむいて黙り込んでしまった。

「どうしたの?」
「私ね、今、いけないことを考えてしまったの。」
「なんだい、それは?」

「私、この夏、君と初めて恋をした。
 私に好きだって言ってくれて、初めて私もって言えた。
 初めて、映画館でデートした。涼しくて、ホラー映画のスリルも楽しめた。
 初めて、彼氏と花火大会に言った。行き帰りは人が大勢いてちょっと怖かったけど。
 君は、ぎゅっと手を握ってくれて嬉しかった。
 ・・・そして、こんなにいっぱいのお星様に見守られながら、初めてキスをした。」

彼女に僕と同じように感じてくれていたことが嬉しかったが、ちょっと疑問を感じた。
「それ僕たち、いけないことをしているのかな・・・キスのこと?」

「そうじゃなくって・・・多分、この夏の『初めて』は、どれも思い出として残るんだろうなって思うの・・・でもね・・・私たちがずっと一緒にいるよりも、別れてしまったときの方が、ずっと心の中にドキドキが強く残ってるのかも、て考えてしまったの。」

僕にはこの先、二人がどうなるかなんて考えたこともなかった。そして、確かにずっと一緒にいると、ドキドキなんて感情は忘れてしまうのかもしれない。

「この夏、『初めていけないことを考えた』ってことも思い出にしていいんじゃない? 」
「そいういう考え方もあるのね。」
「正直、僕には先のことはわからない・・・だけど、今のことならはっきりわかる。ドキドキしている。」
「そうね。私もドキドキしている。」

結局僕たちは、その後もずっと一緒に人生を歩んでいる。
だから、別れてしまった時、『初めて』の思い出に、どれだけドキドキが残っているのかはわからない。

一緒に暮らしていくうえで、確かにドキドキすることはなくなった。あの頃の『初めて』も、穏やかで懐かしい思い出だ。

結婚十年目の今年の夏、僕は妻に提案した。
映画を見て、花火大会に行って、そして海辺に行こうって。
ドキドキの思い出を追体験するために。

「それ、いいわね・・・もう、ドキドキしている。」

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