ボックス席、 無自覚の告白

文字数 1,358文字

東北の地方都市に本社がある勤め先がオフィスを縮小し、在宅やリモートワークを超推奨としたため、僕は思い切って東北本線の支線にある田舎町に引っ越した。

今日は週一の出社日だった。久々に都会の空気に揉まれ、多くの人と接したことによる疲労感をともなって、家路に向かう始発電車に乗る。
各車両、座席はロングシートとボックス席の混在型で、あいにくロングシートは埋まっていたため、ボックス席に足を向けた。
若い女性が二人向かい合って座っている席があった。一人は文庫本を、一人はスマホを手にとって眺めている。
「ここ、いいですか?」と一応断ると、二人は顔を上げて会釈した。僕は文庫本の女性の隣りに座る。進行方向を前にした席だ。

ゆっくりと電車が動き出す。窓から少しだけ涼しさを感じる風が入ってくる。
今の会社に転職する前は東京で働いていたが、その頃はまさか、窓を開け夜風にあたる電車で通勤することになると想像もしていなかった。

市街地はすぐに消え、外は暗闇に覆われる。やがて、窓の外は車内の照明に負けない明るさで星が輝き始める。この景色は田舎町に引っ越したことで手に入れたお宝だ。
何気なく星々を眺めていると、三つの星で三角形が描かれているのに気づく。確証はないが、多分あれが夏の三角形というやつだろう。昔、プラネタリウムで観た覚えがある。星の名前は・・・ベガ・・・えーっと、あと二つ思い出せない。確か、天の川を横切っていたと記憶しているが、さすがにそれまでは見えない。

星空を眺めながら、今日の仕事のことを思い返し、そこから派生して前の職場での仕事を思い出し、そこで働いていた人々を、そしてその一人。短い間つきあっていた女性のことを思った。今、何やっているだろう。

僕は、意識を星空に戻す。過去のことは忘れて前を向くために、仕事を変え、住処を変えたんだ。

微かに天の川が滲んで見えたような気がした。

「星が・・・綺麗ですね。」
誰に同意を求めるでなく、声が漏れた。

相席の女性はそれぞれ、文庫本から、スマホから、顔を上げた。
やばい。『星が綺麗ですね。』って、暗に愛を伝える言葉だったっけ⁉
僕は、知らずに二人に向かって告白した?

あわてて取り消す。
「す、すみません。他意はないんです。」
二人は微笑む。この二人には会話がなかったので、たまたま乗り合わせた他人同士だろう。

文庫本の女性が本を膝の上に置く。
「多分それって、『月が綺麗ですね。』のことじゃないですか?」
ああ勘違い!
「た、確かにそうでした・・・すみません。」

スマホの女性が、笑いをこらえながら何やら検索している。
「ネットの情報ですけど、『星が綺麗ですね。』は、『あなたに憧れています』とか『あなたは私の気持ちを知らない』っていう意味もあるみたいですよ。」

二人の女性はクスクスと笑い、僕はボックス席に縮こまる。

二人は、文庫本とスマホをめいめいのバッグにしまい、窓の外の星空を眺める。
僕も釣られて夜空を眺める。

やがて、始発駅から三つ目の駅に着き、スマホの子が降りる。会釈してくれた。

さらに次の駅で文庫本の子が降りた。同様に会釈してくれた。

四人掛けのボックス席に一人残された僕。
まあ。
あと二駅分、星空を楽しもう。

こんな田舎だから、また会えるだろう。

今度も、二人一緒かも知れないし。
今度は、一人ずつかも知れないし。
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