連想のネットワーク
文字数 2,533文字
「おはよう。」
「おはようございます。」
「とうとう二人きりになっちゃったね。」
集合時間の六時をから十分待った。
あまり遅くなると、学校に行く準備が慌ただしくなる。
「走る?」
「そうですね、一応。」
「あー、でも、こんなに霧が出てちゃ、危ないね。・・・散歩にしようか。」
明るい照明のファストフード店も霧に飲み込まれ、ぼやけつつある。
私と先輩は、視界不良な『買い物公園』を一条通り、つまり駅の方に向かってゆっくりを歩き始めた。
「肺活量アップのために、朝のランニングをしよう。」
私がこの春入部した、吹奏楽部の部長が提案した。
「もちろん、自主参加だけどね・・・明日からゴールデンウィークまで。来られる人は、明日、朝六時。ミスタードーナツ前に集合。」
実は、今となってはその店が『ミスタードーナツ』だったか、他のチェーン店だったか、記憶があいまいだ。でもそのお店は、北海道の旭川で初めてできた、ファストフード店。しかも二十四時間営業だ。
買物公園のはずれにできた当時としてはおしゃれな店は、私が通う中学で、話題になっていた。多分、吹奏楽部の部長も、その話題性を餌にして、朝のランニングを提案したのだろう。
初日は、部員六十人のうち、二十人が参加。ミスド(当時はそんな略称は無かったけど)を出発して北に向かい、ロータリーを回って、石狩川を旭橋で渡り、しばらく堤防沿いを走り、再び旭橋を渡り、ロータリーに出て、買い物公園に入り、ミスドの前で解散。
お楽しみはココからだ。ミスドに入り、みんな、ドーナツ一個と飲み物のセットを買う。そこにいられる時間は限られているが、ドーナツを食べながらワイワイ話すのが楽しかった。
でも。
中学生の最大の敵は、早起きだ。オールナイトニッポンを聴いての六時集合はきつい。ミスドでのワイガヤも少しずつ、飽きが来ていた。
最初、二十人にいた『自主練メンバー』が十五人、十人、八人、五人と減っていった。言い出しっぺの部長なんか、たった三日で脱落している。それってどうなんだろうか。
でも、私は『ミスド前六時集合』を続けた。早起きは苦じゃないし(だいたい夜は九時ごろに寝る)、それに・・・
「おはよう。」
「とうとう、二人きりになっちゃったね。」
出だしに戻る。副部長の先輩が、ずっと続けている。
私は、先輩の提案のまま、日本初の恒久型歩行者天国『旭川買物公園』を一緒に散歩する。そこは普段の通学路だけど、深い霧が立ち込めていて、謎の世界に迷い込んだようだ。
しかも・・・となりに先輩がいる。
先輩は誰とでも、同じように人懐っこく接してくれる。まだ、楽器は始めたてで、サード・クラリネット・パートの端っこに座っている、こんな私にも。紺地に二本ラインの、学校指定のジャージが、私の地味さを増長している。
一方、先輩は、グレーのフード付きのトレーニングウエアを着ていたような気がする。
吹奏楽部の顧問の先生とか、迫りくる中間テストのこととか、コンクールの曲のこととか、私がついていけそうな話題を振ってくれて、話をしながら、旭川駅前まで歩き、ミスドの前まで戻ってきた。
「喉、かわいたね。入っていこう。僕が奢るから。」
「あ、自分で出します。」
私たちは、ミスドの店内に入り、飲み物だけを頼む。何とか割り勘にしてもらった。
メニュー表の中で目についた文字。
カフェオレ。
それがどんなものか、二人はまだ知らない。
先輩が、アルバイトのお姉さんに聞く。
お姉さんは、『ミルクとコーヒーが混ざった飲み物』と答える。
要は、コーヒー牛乳か?
それを頼んでみる。
ほどなくして、マグカップが二つ、カウンターに並べられる。
トレーに載せて、二人掛けの席に座る。
ランニング会が始まったころは、迷惑なくらい、私たちはワイワイガヤガヤと騒ぎながらドーナツと飲み物を楽しんでいたが、今はひっそりとした朝の店内。大きな窓の外は、霧がゆっくりと流れている。
「あったかいね・・・コーヒー牛乳みたいに甘くないんだね、これ。」
ひと口、カフェオレを飲んだ先輩が感想を漏らした。旭川の四月の朝は、まだまだひんやりとしている。
「あったかいです。甘くないけど、美味しい。」
私もひと口、カフェオレを飲んで、同じ感想を漏らす。先輩と同じことを言いたかった。
「君は偉いね。みんなどんどん脱落していくのに、ここまで続けて。」
私はその理由を言うことができなかった。
「先輩こそ、なんでここまで続けてきたんですか。」
「去年、予選で落ちちゃったしね。今年は勝ちたい。」
そうだ、先輩は吹奏楽一筋なのだ。私と真逆で、楽器も演奏も、ぴかぴかに輝いている。
マグカップをカウンターに戻し、店を出る。
「ゴールデンウィークまで、あと三日だね。明日もまた来る?」
「はい、来ます。」
あと三日も。あと三日だけ。
先輩と二人きりになれる。
ランニング会の最終日は、やはり霧の朝だった。
先輩と私は、買い物公園をゆっくり散歩した。
歩行者専用の道路の真ん中に、ノートを見開いたようなオブジェがある。その上に座り、ノートに書かれている文字を眺める先輩。私も近づいてノートに視線を落とす。このオブジェは、好きに落書きしてもいいらしい。先輩は、トレーニングウェアのポケットからマジックを取り出した。
『祝!ランニング皆勤賞!』
と、コンクリートのノートの上に書き、その下に私の名前と先輩の名前を書いた。
霧の中、ミスドに戻る。二人とも、カフェオレを注文する。
「あったかいね。」
先輩は、口元をほころばせる。
「はい、あったかいです。」
同じ感想を言い、私も精一杯、微笑む。
お店を出て、それぞれの家へ、反対方向に歩く。
「じゃあまた、放課後、部室で。」
先輩の姿が霧の中に消えていく。
「気をつけてね。」と、真っ白な霧の幕を背景に、明朝体の文字が浮かんだ。
時は経ち。
出勤前、私は『朝の1杯』を楽しむ。
そのカフェオレから、連想のネットワークが拡がる。
|
あったかい
|
甘くないけど、おいしい
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ミスド
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おはよう
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旭橋
|
ロータリー
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買い物公園
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朝霧
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コンクリ製のノート
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皆勤賞
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連想のネットワークは、今まですっかり忘れていた、優しい笑顔に辿り着いた。
「おはようございます。」
「とうとう二人きりになっちゃったね。」
集合時間の六時をから十分待った。
あまり遅くなると、学校に行く準備が慌ただしくなる。
「走る?」
「そうですね、一応。」
「あー、でも、こんなに霧が出てちゃ、危ないね。・・・散歩にしようか。」
明るい照明のファストフード店も霧に飲み込まれ、ぼやけつつある。
私と先輩は、視界不良な『買い物公園』を一条通り、つまり駅の方に向かってゆっくりを歩き始めた。
「肺活量アップのために、朝のランニングをしよう。」
私がこの春入部した、吹奏楽部の部長が提案した。
「もちろん、自主参加だけどね・・・明日からゴールデンウィークまで。来られる人は、明日、朝六時。ミスタードーナツ前に集合。」
実は、今となってはその店が『ミスタードーナツ』だったか、他のチェーン店だったか、記憶があいまいだ。でもそのお店は、北海道の旭川で初めてできた、ファストフード店。しかも二十四時間営業だ。
買物公園のはずれにできた当時としてはおしゃれな店は、私が通う中学で、話題になっていた。多分、吹奏楽部の部長も、その話題性を餌にして、朝のランニングを提案したのだろう。
初日は、部員六十人のうち、二十人が参加。ミスド(当時はそんな略称は無かったけど)を出発して北に向かい、ロータリーを回って、石狩川を旭橋で渡り、しばらく堤防沿いを走り、再び旭橋を渡り、ロータリーに出て、買い物公園に入り、ミスドの前で解散。
お楽しみはココからだ。ミスドに入り、みんな、ドーナツ一個と飲み物のセットを買う。そこにいられる時間は限られているが、ドーナツを食べながらワイワイ話すのが楽しかった。
でも。
中学生の最大の敵は、早起きだ。オールナイトニッポンを聴いての六時集合はきつい。ミスドでのワイガヤも少しずつ、飽きが来ていた。
最初、二十人にいた『自主練メンバー』が十五人、十人、八人、五人と減っていった。言い出しっぺの部長なんか、たった三日で脱落している。それってどうなんだろうか。
でも、私は『ミスド前六時集合』を続けた。早起きは苦じゃないし(だいたい夜は九時ごろに寝る)、それに・・・
「おはよう。」
「とうとう、二人きりになっちゃったね。」
出だしに戻る。副部長の先輩が、ずっと続けている。
私は、先輩の提案のまま、日本初の恒久型歩行者天国『旭川買物公園』を一緒に散歩する。そこは普段の通学路だけど、深い霧が立ち込めていて、謎の世界に迷い込んだようだ。
しかも・・・となりに先輩がいる。
先輩は誰とでも、同じように人懐っこく接してくれる。まだ、楽器は始めたてで、サード・クラリネット・パートの端っこに座っている、こんな私にも。紺地に二本ラインの、学校指定のジャージが、私の地味さを増長している。
一方、先輩は、グレーのフード付きのトレーニングウエアを着ていたような気がする。
吹奏楽部の顧問の先生とか、迫りくる中間テストのこととか、コンクールの曲のこととか、私がついていけそうな話題を振ってくれて、話をしながら、旭川駅前まで歩き、ミスドの前まで戻ってきた。
「喉、かわいたね。入っていこう。僕が奢るから。」
「あ、自分で出します。」
私たちは、ミスドの店内に入り、飲み物だけを頼む。何とか割り勘にしてもらった。
メニュー表の中で目についた文字。
カフェオレ。
それがどんなものか、二人はまだ知らない。
先輩が、アルバイトのお姉さんに聞く。
お姉さんは、『ミルクとコーヒーが混ざった飲み物』と答える。
要は、コーヒー牛乳か?
それを頼んでみる。
ほどなくして、マグカップが二つ、カウンターに並べられる。
トレーに載せて、二人掛けの席に座る。
ランニング会が始まったころは、迷惑なくらい、私たちはワイワイガヤガヤと騒ぎながらドーナツと飲み物を楽しんでいたが、今はひっそりとした朝の店内。大きな窓の外は、霧がゆっくりと流れている。
「あったかいね・・・コーヒー牛乳みたいに甘くないんだね、これ。」
ひと口、カフェオレを飲んだ先輩が感想を漏らした。旭川の四月の朝は、まだまだひんやりとしている。
「あったかいです。甘くないけど、美味しい。」
私もひと口、カフェオレを飲んで、同じ感想を漏らす。先輩と同じことを言いたかった。
「君は偉いね。みんなどんどん脱落していくのに、ここまで続けて。」
私はその理由を言うことができなかった。
「先輩こそ、なんでここまで続けてきたんですか。」
「去年、予選で落ちちゃったしね。今年は勝ちたい。」
そうだ、先輩は吹奏楽一筋なのだ。私と真逆で、楽器も演奏も、ぴかぴかに輝いている。
マグカップをカウンターに戻し、店を出る。
「ゴールデンウィークまで、あと三日だね。明日もまた来る?」
「はい、来ます。」
あと三日も。あと三日だけ。
先輩と二人きりになれる。
ランニング会の最終日は、やはり霧の朝だった。
先輩と私は、買い物公園をゆっくり散歩した。
歩行者専用の道路の真ん中に、ノートを見開いたようなオブジェがある。その上に座り、ノートに書かれている文字を眺める先輩。私も近づいてノートに視線を落とす。このオブジェは、好きに落書きしてもいいらしい。先輩は、トレーニングウェアのポケットからマジックを取り出した。
『祝!ランニング皆勤賞!』
と、コンクリートのノートの上に書き、その下に私の名前と先輩の名前を書いた。
霧の中、ミスドに戻る。二人とも、カフェオレを注文する。
「あったかいね。」
先輩は、口元をほころばせる。
「はい、あったかいです。」
同じ感想を言い、私も精一杯、微笑む。
お店を出て、それぞれの家へ、反対方向に歩く。
「じゃあまた、放課後、部室で。」
先輩の姿が霧の中に消えていく。
「気をつけてね。」と、真っ白な霧の幕を背景に、明朝体の文字が浮かんだ。
時は経ち。
出勤前、私は『朝の1杯』を楽しむ。
そのカフェオレから、連想のネットワークが拡がる。
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あったかい
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甘くないけど、おいしい
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ミスド
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おはよう
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旭橋
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ロータリー
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買い物公園
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朝霧
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コンクリ製のノート
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皆勤賞
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連想のネットワークは、今まですっかり忘れていた、優しい笑顔に辿り着いた。