ある特区への出張

文字数 3,738文字

「こんばんは、サガミ・シティホテルにようこそ。」

フロントのカウンター席に座っていた制服姿の女性が、ゆっくりとだが美しい流れで立ち上がり、お辞儀をした。
濃紺のスカートとベストの組み合わせに純白なブラウス、それにやはり濃紺の薄いスカーフが似合っている。

思わずスマホの予約画面を確かめる。確かに今、『サガミ・シティホテル』って言ったよな?間違いじゃない。 
でも予約案内文には『当ホテルは、自動チェックインとなっております。』と書いてある。

「あの、ここ(ホテル)は、自動チェックインじゃないんですか?」
「ええ、自動チェックインですよ。さあ、こちらへどうぞ。」
フロント係の女性は、にこやかにカウンターへ誘う。

「では、スマホの予約画面を拝見させてください。」
手に持っていたスマホをくるりと彼女の方に向けてカウンターの上に置いた。

長いまつ毛。その間に輝く青みがかった瞳で、スマホ画面の予約番号とQRコードを凝視している。

「ピロリン♪」

彼女は視線を僕に戻し、微笑んだ。
「お待たせしました。ご出発は明後日ですね。チェックインが済みました。これからアメニティグッズと、館内の施設をご案内します。」

ピロリン? 今確かにそう聞こえた。彼女は、アメニティグッズが置いてあるコーナーを指し示したり、タブレット端末を使って施設の案内をする。先ほどの電子音に疑問を抱きつつも、このフロント係の優雅なしぐさ、ライトブラウンでひし形ショートボブの美しい髪、白く透き通った小さな顔、ゆっくりとだが流暢の語り口に、見惚れ、聞き惚れていた。傍から見たら、さぞかしアホ面をしていただろう。

僕はカードキーを受け取ると、エレベーターで七階に上がり、カードキーと同じ部屋番号のドアにカードをかざした。
トランクを置き、スーツを脱いでシャワーを浴び、私服に着替えた。
今夜は食事をして寝るだけ。仕事は明日が本番だ。
このホテルのレストランは、パエリアが美味いと評判のようだ。ここで夕食を済ませ、外のバーで軽く飲もう。

午後九時。
二階にある南欧風のレストランに入る。座席は半分ほど埋まっている。宿泊客以外も利用しているらしい。

「いらっしゃいませ。」
入口のレジ横で迎え入れてくれたのは、先ほどのフロント係の女性だ。制服の上にエプロンを着け、その姿は機内食を配るキャビンアテンダントをイメージさせた。
窓側の二人がけのテーブルに案内される。

「レストランもご利用いただき、ありがとうございます。」
水の入った厚手のグラスをゆっくりと優雅にテーブルに置き、彼女は微笑んだ。
僕は、お勧めを聞き、言われるがままにオリジナルのパエリアと小皿料理を頼んだ。

少し食べ過ぎた。
腹ごなし方々、酒が飲める店を探そう。
梅雨の湿った風が時折吹くが、この季節にしては心地よかった。

飲み過ぎた。
明日のプレゼンのこと、本社に残してきた仕事のことをあれやこれや考え。
それに加えて、宿泊先の女性スタッフのことをあれやこれや考えているうちに、
ついつい、マティーニ、マンハッタン、シングルモルトのロックを三杯と酒が進んでしまった。

ふらつきながら歩いているのを自覚しながらホテルに帰る。
ドアには鍵がかかっていた。
ドアの横にスタンドの表示があり、「午前零時を過ぎたら防犯のために施錠いたします。宿泊の方はドア横のインターホンをご利用ください。」と書いてあった。

インターホンのボタンを押す。
「はい、ただいまお開けします。」
聞き覚えのある声だ。

すぐにガラスのドアに人影が映り、ドアが開いた。
「お帰りなさいませ。」
フロント係の彼女がにこやかに迎え入れる。もちろん制服姿だ。

僕は部屋に戻り、再びシャワーを浴び、備え付けのバスローブを来てベッドに倒れ込んだ。

午前三時。喉が渇いて目が覚めた。
確か、このフロアに自販機と製氷機があったはずだ。
僕は一瞬躊躇したが、バスローブ姿でカードキーを持って廊下に出た。

自販機コーナーに人影があった。
彼女だ。湯沸かしポットなどの掃除やセットをしているようだ。
「こんばんは。」
彼女は特に驚く素振りも見せずに、優雅な動作で作業している。
「こんな格好で廊下をうろついてすみません。」
「いえ、お気になさらず。」
そんな会話だけして僕は炭酸水を買い、氷をもらって、そそくさと部屋に戻った。

午前七時。
幸い、二日酔いにはなってないようだ。
僕はこのホテルで三回目のシャワーを浴び、ワイシャツとスラックスに着替えて昨夜食事をとった二階のレストランに下りた。

「おはようございます。座席がお決まりになりましたら、ビュッフェ用のトレーをお持ちいたします。」
そう案内してくれたのは、例の彼女だ。
制服のベストは着けておらず、ブラウスにエプロン姿だ。

和食中心に料理をとり、席に戻って食べ始めると彼女が日本茶を持ってきてくれた。

夜間帯のシフトなのだろうか。
それともちょくちょく仮眠をとっているのだろうか。
聞いてみたかったが、躊躇する。
笑顔を見せ、疲れを見せずに働くその姿を見ていると、そう聞くのが野暮に思えた。

午前八時三十分。
客先に向かうためにホテルを出る。
「いってらっしゃいませ。」
そう声をかけてくれたのは、やはりあの女性。
にこやかに。ゆったりと、流れるようなお辞儀。それに合わせて少し揺れるライトブラウンに光る髪。
「ありがとうございます。行ってきます。」
そう答えるのが精いっぱいだった。

得意先は精密機械の会社で、ウチ(わが社)では、その部品を卸している。
神奈川県のこの地域は、『さがみロボット産業特区』と銘うたれ、官民挙げてロボット産業の振興に力を入れており、関連企業も多い。

関係者を集めてのプレゼンは成功裡に終わり、あとは午後の商談を残すのみだ。
そこで、ホテルに忘れ物をしてしまったことに気づく。
商談用の部品のサンプルを部屋に置いてきてしまった。

慌ててホテルに戻る。
「おかえりなさいませ。」
「あ、ちょっと忘れ物を・・・」

彼女はやはり働いていた。エプロンを着け、フロントのスペースで業務用の掃除機を動かしていた。
いったい、いつ寝ているんだろう?

午後七時。
長い商談も無事終わり、ホテルに戻る。
「お帰りなさいませ。」
当然のように彼女がフロントで迎える。

その後も昨夜と同じだ。
ホテルのレストランでは彼女のサービスを受け、
外で飲んだ深夜帰りに、彼女にドアを開けてもらう。

そして翌朝の朝食ビュッフェも。

午前九時。
遅めのチェックアウトをする。
彼女にカードキーを手渡す。

「ご出張お疲れ様です。」
彼女はそう言ってカードを受け取り、それをじっと凝視する。

「ピロリン♪」

ピロリン⁉

「追加のご精算はありません。当ホテルのご利用、ありがとうございました。」
僕の驚きをよそに、透き通る声でそう答えた。

「あのー、ひとつお伺いしたいのですが・・・」
「はい、何でしょう?」
彼女は不審がる様子もなく、笑顔をくずさない。

「大きなお世話かも知れませんが・・・一昨日から見ていますと、ずっと働いておられるようで、休憩はとれているんでしょうか?」

彼女は、軽くお辞儀する。
「ご心配ありがとうございます。でも私は、休憩も睡眠も不要なんです。」
「え、どういうことですか⁉」

少し間をおいて、小さいつぼみのような唇から、秘密を打ち明けられる。
「私、実はAIのロボットなんです・・・この『さがみロボット産業特区』で生まれました。」

・・・私は声が出なかった。

青みがかった美しい瞳、ライトブラウンに輝く髪、白く透き通った小さな顔。そして、ゆったりとした優雅なしぐさ。確かに『人間にしては』何もかも、完璧すぎる。

多分、傍から見たら大間抜けな顔をしていると思うが、そのアホ面で彼女の顔を凝視するしかなかった。

彼女は、相変わらず表情を変えずに僕と向き合っていた。
・・・が。

彼女の頬が幾分赤くなり、プルプルと震え始めた。
そして、ついにプット噴き出し、アハハハと大声で笑い始めた。

「お客様、ごめんなさい! 冗談です。ウソですよ。」

僕は、そのリアクションにさらに呆然とする。
確かにその笑い声と表情は、人間のそれだ。
でも。

もし彼女が本当に人間なら、休憩も取らずに働き続けていることに対して説明がつかない。

「種明かしします。」
彼女は僕の疑問を察したのか、カウンター奥のバックヤードに一旦引っ込む。
そしてすぐに出てきた。もう一人、ホテルの制服姿の女性の手を引いて。

・・・再び三たび、僕は唖然とする。
彼女が二人いる! ・・・分身したのか⁉

「私たち、双子なんです。二人で、このホテルでシフトを組んで働いているんです。」
もう一人の彼女が軽く会釈する。

「では、ここでクイズです。」
彼女はいきなり切り出す。

「クイズ・・・ですか⁉」
「はい。一昨日から今まで、お客様は、いつ、どこで、私たちのどちらにお会いしたのか、言い当ててみてください・・・仮に私をA子、この子はI子とします。」

え!それは難問すぎる・・・

「あの、そのクイズに正解すると、何かいいことあるんですか?」
「もちろんです!」
彼女は人間の女の子っぽく、ウィンクした。

確かに難問ではあるが、絶対パーフェクトで答えてやるぞ、と気合いを入れ直した。
心の片隅で、この子たちは本当にAIロボットなんじゃないか、という疑念を抱きながらも。
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