第21話  とある系譜③-1

文字数 11,489文字

   最終ステージ、セカンドインパクトによる爆心地跡、そこに地獄への門があった。



           この門に描かれてある紋章を抜き出したもの。

            そこの主たるものを表しているに違いない。

          これはセラフィム

使

たるものとしての形象だ。



         「何故に、地獄の主が、熾天使としてのものなのだ?!」。



            ならば、思い当たるふしは一つしかない!。
                 ”堕天使ルシフェル
           サタンたるものを構成する一翼としてのその存在。



           彼はかって天使長としての存在でであったそうな。
           その折には、十二枚の翼を有していたという。
           神の怒りに触れて、地獄に封じられて…ある。



エヴァにおいて、そしてリリスにおいて、このルシフェルとしてのコードが持たされている。



 旧劇において「初号機、まさに悪魔か!」」としてのセリフもご丁寧にも用意されていた。
   これは「

」べくしてのもーーのっ!




      すべての決着はこの門を潜り抜けてからのこと、その後のこととなる…。




                   〈つづく〉





あとがき:

基本ね〜【地獄】ってところは

であって、勇んで向かうところではないんだ。ましてや、そこの主としての顔が、ルシフェルとしてのものでああったならば表現者としては絶対に近づいていってはならない。あれは霊感、インスピレーション界にその居城を据えてあるものなのだからね。その行為はまさに悪魔に魂を売り渡すとしての行為にも他ならない。

補記:
※聖書におけるそれの表現をみるならば「Outer Darkness」としてのものになって
 いる。ヒトの生存圏からは

のこと。牢獄としての場所、領域、
 空間。ヒトが其処に至るということは、もはや絶望としての事態でしかありえないのだ…。
※悪しきものからの、それによる霊感に支配されて洗脳されてしまうんだ。対人間において
 ともなれば彼はもう圧倒的に優位なる存在になる。

がそれがない限りは、
 確実に負ける。取り込まれてしまふ…。
 
ならばだ、なにがそのことの見返りとして手に入るのだろうか?。

ヒトにとって(えき)なることなど



そこに救いにつながるものなどなにもあるはずがない!。

この作品には残念ながら神の存在はない。

もしなにかがいるとするならばそれは悪魔。

いやそれらしかおらんて‥割としっかり顕現してる。

ルシフェル系が八割、残り二割がアーリマン系(つまりは残酷系)

すぐ、手にとるように分かる。

だって、あれらは自己顕示欲が強いからね。

自分のことを名乗らずには、明かしせずには、おられないのさ。


  あのギドラのように…。



 
                   特別追加

       Re: あちら側からにおいての、その常套としての戦略手段、
           それはつまりは、”()()えっ()”のことになる…。

このことを簡単に言えば〜「

信じ込ませてしまう」。敢えてもって正しきことのその”逆”を教える。選ぶべきことのその反対を正解だとして信じ込ます…。洗脳、暗示、催眠が、それにおいての方法/手段/手管。それとしての作用、あり方は、千変万化してはいるんだけども〜、その本質は単にこれだけのことっと…。



既によく見たるの、よく使われたるるところの、喩えとしての絵だ…。これは何を表しているのかって〜云うと、海面上にでてある氷山の部分が、自分としてのその意識(の場)になる。では敢えてもってでこうした表現をすることの目的はなんだ?。これには三つの重要なるポイントがある。一つに自己としての意識の背景にはそれよりも遥かに大きいこころとしての摩訶不思議な領域を持つんだよと。自分が意識してあれるその世界はある意味全体においての本僅かなぶぶんでしかないんだよと…。また総体としての自己もまた本体たる海から現れいでたものなんだよっと…。その海こそが”one”なるものとしてあり、それとの連続性において自己たるものは成立してるんだと…。ここで表現を代えるのであれば、大河としての流れがあって、自己としてのその存在はだ、飛沫としての一滴でしかないってのも、確実に有効になるな。それは本刹那においての存在でしかなくして、ゆくゆくは大河としての流れに吸収されて一体化されてしまうものでしかないのだと…。

第三のポイントは、空、天としてのその領域の存在になる。これはもういっそのこと大宇宙のことだとしてとらまえるのが賢明であろう。そう、それこそがあの海さえもスケール的に、もう圧倒的に遥かに凌駕する巨大なる一切を含んでの The Only One としての世界のことになる。



これは以前、どっかで使ったモデルなんだが改めてここでも使ってしまおう。右側の三角錐としの部分が、海面上にて現れているところの自己になる。つまりはマインドとしてのフィールドがあって、その頂点に自意識、我としてのエゴが鎮座してあるのだといるのだと。この全体としての構造その出現と安定化恒常化こそが原罪においてのその結果なのだと、とりあえずはしておこう…しおいてもらおう!。

           ここの追記としての目的はこっからになる。

表現としての言葉において、物語にて使われるその設定において、それらすべてのものにおいては、背景になにかリアルなものを、現実としてあることとを含んでいる。つまりは

なっているのだ。※ここでちょっと脱線する。では、「空に浮かびながら咲いてある花」なんてのはどうだ?。そんなもんは現実には絶対にありえない。ならばだ、ことはどうなるのか?。貴方が誑かされてその暗示に支配されてしまってるまでのことなのだ。虚構としてのそっちら側にその意識としての所在を移してしまったまでのこと。ファンタジー。異世界。ロールプレイングゲーム…。

閑話休題。今回、特にここで取り上げたかったのは、深淵、アビス、奈落、地下世界、地下迷宮、ダンジョン、井戸の底(ねじまき鳥クロニクル)、深海、地底、等としてのものになる。これらは物語上の設定おいてよく使われるものとなっている。

何故にそこへとその深部へと向かうのか?。簡単に言えばそこは未知なるものとしてあるから。そして、きっとなにか

、隠されているに違いないと、どうしたものなのか、思われてしまっているからだ。いやハッキリ言うと〜、提供されている物語らが、そうゆう設定において造られてしまっているからなのだ…。

ある意味それは正解、事実なんだけども、ことは条件付きになる。其処へ底へ向かうことが上位において求められてあるそんな場合のみ。そんときには、もう魂が、其処へと向かうことをどうしても志向してしまうことになるであろう。上位においてのその意向だからだ。その場合にはきっと加護が其処に底に至るにおいても、きっと伴ってあることだろう…。

その行為が完璧に絶対にダメ、危険なる行為になってしまうのが、あくまでも

そうしてしまう、してしまっているケースになる。宝を求めてとか、財宝を価値あるものを探し求めての場合。亡くなってしまったヒトを現世へと連れ戻そうとする理に反する行いなんかもこれに入る。自己としての価値を上げる為に、クンダリーニを覚醒せんとしてヨガに取り組むもこれ。我欲、我執におてい、何かへの執着をもって、何かを得んとすることは、それも力づくで、反自然的な行いであろうとも、我が思いを果たさん、願いをなんとかせんとするその行為は、完璧に間違いとしての行いになる。万が一ことにおいて成功したとしても、予期せぬ反動が、それをしたことによって引き起こってしまう。しっぺ返したるものが、間違いなく来たらしめられてしまうことになる。確実にやられたと思うべくしての事態が伴ってきてしまう。もう絶対にそうなる。そして大いに自分としての行いを悔やむことに、後悔することに、絶望するようになる…。

地の底へ潜らんとすることは、こころの深海へと至らんとすることは、…それはある意味、現在自分がいる場所からすれば、そこへの道筋は地続きだからね、また重力による落下を羅針盤とすることができるから容易いことにはなってしまう、実現可能となってしまってるんだ。翻って、天としての、上位としてのその領域は、到達するには一切手立てがないではないか!。死んでからの、後の来世の話など、そんな悠長なことは言ってられんわいって、嫁物語には構ってはおられんし、構っておかれるか〜い!って…。

深みにあるその尊くしてまた貴重なるものとは、自分にとってのその一切の現実構成を果たしているところの、つまりは核とあるものは、神よりの分霊、分け御霊なんだけどね。それは魂だとか真我だとか、プルシャとしてのものだとして語られているものになる。それが本当に知れるってのは本当に理解がなされるっていうその事態ってのは、大河そのものと、宇宙そのものと、完璧に分断なくしての自己の存在だってことが体得されてときのことになる。ならばだ、もう分かるでしょう?。もうそんときゃ〜時間ってやつは消え失せてしまうことになる。自身において価値あるものとされてあったものがその存在意義を尽くにして無効化されてしまうであろうってことが…。つまりは人格はもはや消滅してしまわざる得なくなるであろうと…。それはそれで大いに意義深きことではあるにはあるであろう…。

さてっと、長々とやる、語るべきところでもないので、簡単にで行こう!。要は、誑かしをもって、詐術詐称をもって、向こうは、地獄へと、人類を、ヒトの子等を誘いたいのだ!。ただそれだけ…。地獄としての世界に引き入れて、底に、其処に、獄の中に、

んだ。それは…それも…よりにもよって、二重の世界構築においてで、それを為さん、果たさんと、しているのだ。つまりは観念幻想妄念としての物語としての世界、そして、現実さえも、そのものにおいてさえも、その地獄たるものを構築形成出現せんとしていっる〜…。

あのシンにおいての最後の落ちが正しくそれとしてのものであったのだ。アビスにおいても確実にそうなるであろう。では、それがそれらがいったい我ら観客において、事後においてどんな結果を影響をもたらす、残すというのだろうか?。

迷宮に囚われてあるが恒久的になるまで。魔術師たちに飼われてある従順にして純朴なるがままの羊に終わるまでのことになる。目覚めこそを、それに関わる気付きとしての一切を封じておいてやる。トラウマとしての連打、それの繰り返しをもって、

。ありがたいことに、ことのすべては、その犠牲者たち自身が、もう勝手に、自動的にて、ことの繰り返していってくれるではないか!。より洗練された形で、より精緻なるのより高度化されたる残酷残虐グロの描写を、その考案発明アイデアをもってして!、累積的なる効果を、成果を、もう放っといても行ってくれていっるーー。果たしてくれているじゃないか〜!。ほんともうこちらっからすれば、もう夢のようなはなしではないかー!!!。「ハレル〜ヤ!」。たしかにある意味、日本人はほんとステキさ、もうとてもともてもとても優秀(憂愁)だったのであっるーーー!。

全世界に向けてその呪は発信されている。そして大層な人気を評価を大金の還流をはたしているではないかー!。そしてだ、何よりも面白いのは、興味深いことはだ、それを、そのことをだ、今度はその彼の国たちにおいてのバカどもが、ことの真似を始めちまってるではないか!。「Good Job!!! Japoneeeeeses!!!」


[マタイ15:17-20]

  口に入ってくるものは、みな腹の中にはいり、

  そして、外に出て行く(排泄のこと)。

  しかし、口から出て行くものは心の中から出てくるのであって、

  それが人を汚すのだ。

  悪い「思い/想念」(殺意、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、誹り等)は、

  心の中から出てくるのであって、 これらのものが人を汚すのだ。


これは以前にどっかで取り上げた内容になるのだが、そんときには触れなかったことがある。
ことの実際はどうなっているのか?。どうゆう仕組みでどういった現象となるのか?。
どうしてそういった汚れとしてのものが我がこころの内より立ち現れてくるのか?
そのことの根源的なる原因はなんなのか?。

獣においての、それの為にあるプログラムの支配下に堕ちるが現象面。そのことにおいては人としての心のありようが、それにおいての選択が、決定が、行使が、関わってきてる。所詮は、とどのつまりは自分でそうなることを選択してるにすぎない。汚れとしか言いようのないのは、そっちの領域に、自己の立ち位置が、主客としての重心が、移動してしまい、”快”として味合われる、”是”として受諾されるをもって、獣次元にて、その存在は堕ちる、固定される、そしてその世界にての印象に染まることになる。つまりは癖づいてしまってて、もうそのパターンからは抜け出せなくなるのだ。異常なることが、おぞけるをもってしての反応が正当なることが、今や普通なることとして、恒常化していってしまうこともこそ汚れたるものの本質はある。その世界は至極平板にして単純なるの限りなのだが、バイタルにして、またビビッドな世界ではある。なんてたってそれはケダモノとしての内的世界なのだから。

無関係だと、抗うものだと、それからの作用は阻むべくしての、跳ね除けおくべきものとのインターフェイスが、実際に果たされてしまっている…。そのことの結果、そちら側としての、おいての支配プログラムに、取り込まれていってしまうことになる。その未知としてある味わいを、是としてしまう。快と、好だと、認識していってしまう…してしまっている。そして、忌むべきものとの関係が恒常的に、解き難きものとして、習慣化されていってしまうことになる。

ことは、後には、ヒステリーとしてのものに関係してくることになる。軋轢葛藤ジレンマの類だ。これは

関係だ?、

その間における葛藤だ?。すべては自己の内においてのものでしかない。そしてまたクンダリーニたるものによる影響も、そこには実際には働いてしまっている。また「性」は獣としての最強の最凶のプログラムとしてのものである。夢見へと誘うにおいて相乗作用がそこに働いてあるならば、催淫としての作用を受け入れてしまったのならば、もう100%汚染されてしまうことになる。ことは完璧に避けがたくなってしまう…。唯一助けになるのは理性と本質、魂においての選択嗜好だけなんだが…それらはほとんどのケースにおいて未発達のままだろうからね…未熟児のまま捨て置かれてしまってるから…役に立つ人は非常に少なかろ…。

また当然に未解決のままに放置されてあるトラウマってやつにおいての反芻行為も見逃せない。これは習慣というよりも「型」ににおいての強制力っていったほうがいい。そこにおいてかって味わった覚えた恐怖たるものを解かないことには、どうしても要素や状況が整ったならば、もう勝手に、

においての、それに基づいての新たなるドラマが、起こる、再帰されてしまうようなる。このことは避けられない!。注意するべきなのは型こそが強制力になってるってことなんだ。それは記憶に刻まれたある刻印となってしまっていいる”呪”と呼ぶべきもの。それが構成されるにおいての必要なるの一切を引き連れて、衣装替えをもって、来てしまうことになる…。

上辺の体裁は都度変更される、されてしまってくる。恐怖としての絶望をもう一度確認したいんだ。本来はそれの正体を知りたい、解消したいって求めにおいて反芻はなされている。でも、ことの背景の構造まで含めて、ことの一切の真実を見定めるって行為は大変なことになる。普通意識の表層からは除けられて、深層に追いやられて、忘れ去られてるまでの話しなのだ。ことの行為には、また確実に、真実に向かい合うべくしての勇気が、また誠実さが、いる。それらが試されることになる。難行としてのそれが、その作業が、どうしても必要になってしまう…。こういったことに関しては別途、違う稿において既にやったつもり。ヒントになればと思ってのイメージ止まりでしかなかってけどね。とにかくもうここでは繰り返さない。

追記:
トラウマとしての体験は、その刻印は、現実においてと映画アニメ等においての仮想現実としてのものに分かれる。例えば、自動車事故がいい例。バイクで電柱に突っ込んで大破したとか。原因は虚がどこかで入ってしまい制御不能になったから。そんで恐怖を伴っての大混乱の嵐に心中はなった。ことは元には戻らない。この彼は、その渦中に味わった恐怖によって、その記憶においいて、間違いなく、再び、自動車事故を起こすことになるであろう。保たれてある恐怖が、その刻印が故に。現実に投影されてしまってて、それがことをまた新たに招いてしまう。それとしてのドラマを彼が世界に投影することによって展開を創造していってしまうまで。これがトラウマの恐ろしさ。仮想現実においてとも同じ。ただし、こっちの方の質の悪いことは、その展開は増殖していってしまうてこと。これに関しては、どっかでシリーズとして連続的に、話してきている。自分において解き難くしてのトラウマを、よりパワーアップして、更に惨たらしく凄惨な形を持って再現するってことには、いったいどんな意味があるのか?。悪病の伝染行為でしかないではないか…。

ちょっと変な例をひとつ:
この自分にとっての解き難くしての記憶ってやつを。FRPって素材を知ってだろうか?。ガラス繊維をエポキシ樹脂で固めたもののことになる。基材としてのガラス繊維ってやつは硝子でできたか細い繊維の塊のようなものなのだ。細かい針でできたジャングルジム。これを手に持つと、それが肌に当たる触るとどうなるであろうか?。ものの見事に突き刺さってくるのだ。ちょっとした実験で接着剤の開発目的だったのだが、これを自分は素手でハンドリングしてしまっていたのだ。重さがあったこと、またその剥き出しの繊維が、あらゆる方向を向いていたってこともあって、持ったならば、もう置くことさえかなわないまでに手のひらに刺さりまくってしまっていたのだ。あれはまさに地獄としての体験だった。それ以降、トゲトゲ関係を目にする、思うだけで、頭蓋の内にては、正体不明の怖気だろうとは思うだが、勝手に、分厚くして、またチリチリと点滅するかのようなの内的反応が、起こってしまうようなったのだ。十数年を越えて、これは未だに続いてしまっている。なにをどうしても、この反応が起こることを止める、阻むことはできないのだ…。

さて、改めて、こころの奥底においては、何がいったいどうなっているのだろうか?。
各自が自己観察において、自分なりの解答を導き出す、見いださなければならない!。

トレードオフとしての事態がある。大事な統合に向かうに使うべくしての大切にして貴重なるマテリアルが、ただ無駄にされて、単に放散されてしまって、もうそれらは帰ってはこない。*ここでのマテリアルは物質性としての意味を込めてなのだが、それはこころたるものを構成してあるものでもあるので、メタ物質としてのものをも含めての物質性ってことになる。「大切なお金を湯水のようにバカスカ使って、無意味なることをやる。馬鹿げたことに、狂乱の乱痴気騒ぎに明け暮れる」これならば分かりやすい。何故かどうしたものなのか、ピンときてしまう。蕩尽においては、どうしてものなのか、そこには大いなる快感が覚えられてしまっているのだ。ポトラッチたるものがどうして必要なのか?。意思の貫徹ばかりもまたまずいから。これもまたエゴの強化のみに落ちやすいから。そこで工夫がいる。リセットが、気晴らしとしての息抜きがいる。それを上手に制度として意識的にカオス状態を獣次元の開放を一時だけ適うようにしてあげる。三歩進んで二歩下がるのその二歩に当たる行為。…いや、ちょっと違うな…意識的な解除をもって溜めを作るんだろう。そして、停止の反動をもって更に前進においての勢いを獲得する。簡単に言えばリフレッシュ。それがやはり健全なるを保つためには必要なことなんだろう…。ちょっと脱線してもたる‥。

統合へと向かうその努力は仕事はワークは苦しいが、その反対とししての、より分裂なるものへと向かうとしての事態は、その行為は、開放、自由なるもの、として受け止められることもできてしまう。しんどいのんは、頑張るのんはもういやなんだろう。どっかでいやになっちゃうんだろう。確かにそれは死ぬまで続く苦行だからね。もうどっかで一切を、投げ捨てたくなっちゃうんだ…。

ボトムには御大がいる。強力にして巨大なる吸引力、誘引力となって、そこに控えておられる。
そもれまた巨大にして超強力なる霊としてのものなので、ヒトが単独にてその意思に、その思惑にて逆らうこと、抗することは難しくなってしまう。向かうべく彼方にておられる方の、その方々の、庇護が導きがどうしても必要になる。

祈らなければならない…。





          この本はお勧めと言うか…絶対に読んどきましょう!。
      死して後にどういったことに、どういった生活になるのかについての
         本当によく出来た示唆、それとしてのお話しになっている。




今回は(もう本当に)ここまで。






稲垣早希ちゃん。その昔この娘のファンだったんだけど。プログ旅のころね。彼女がシンエヴァの完結編を観にいってきてその感想を述べているやつをYou Tubeで観たんだ。すんごい大絶賛だったんだ。「すべてがキレイに落ちがつけられていました」と。「自分としては大満足のものでありました」と。目をキラキラ輝かせながら満足感、至福感に満ち溢れして!。こういった現象こそが、この自分には、分からないんだ。まったく核心部においては、なんの辻褄もあっていないのに、それにも関わらず、何かが分かると、分かってしまうことができるんだと…そのヒトの頭の中ってやつが、わっかんない…。選挙権を持たせてはいけないタイプの人間でしたっと。



 劇場におけるその観客さん、バカたち…。自分もかってその中にいたんだけどね(旧劇)。






                もうじき出陣いたします。


前哨戦としてのものを(ハッキリ言って、それは創世記をヒンドスタン文化の見解の元に再構成したものになるのだが)、今それを熱心に作成中なんです。どうしても、それとの連携をもって③はやらねばならないんです。4Fに完成品は置きますけどね。
































最後に一つネタバラシを…

あれらはすべてネフィリムたちの死骸だ。
月のやつ(Mark.6)は、彗星の衝突によって月が形成された折に、
地球から持ち去られてしまってた個体。









もう一つ、ゼーレはエグリゴリ…。



見張りの天使。The Watchers



    The Seven


※この七はいろんな解釈が可能ではあるが、七大財閥コングリマリットのことだとしとこ。
※つまりは実際のこの世界における支配者たち...。

※これの影のスポンサー。



※命を未だ宿してあるエヴァに似たサイボーグとしての堕天使としてのその存在。
※もと天使。それとしての命を未だ生きたまま備えてあるので事のオリジナル?。
※これが人類に天界の知識を与えた。
※魔術、魔法、チャーム、文明(国家たるものの観念)、科学、そして法律、ルール、
 プロトコルと呼ばれてあるところの執行実行のプログラム、
 それらの構築手法その入力によっての人心の操作術そのものを!。

※この自分においての長きにわたる熟考の果に、たどり着いた結論は!。やはりそれらは
 精神的なリーダー、秘儀熟達者らのことになる。つまりは人間だ。彼らが特殊なのは、
 そうだなここはヨガ行者らにおいての伝承が参考になる。信仰において生きると変容と
 してのその変化の事態が起こるんだ。人間が変えられていってしまう。その結果として、
 対人において特殊な能力を身につけることになる。魅力磁力としてのものが存在において
 備わってきてしまうんだ。これが世に云うカリズマとしてのものの正体になる。特殊能力。
 別段、これは信仰以外においてでも起こり得ることなんだが‥。ことにおいて問題になる
 のが対異性においての話しなのだ。自分との交合に巻き込むことが殊の外、為されやすく、
 容易くなってしまうんだ。暗示、催眠、魅了、誘惑、セダクション…。暗にしての


 これを、この行為へと至る、走ることを、自分に押し止めようとするのは最早容易では
 なくなってしまってる。既になくなってしもとる。「もう我慢できんわい」と…w。
 

なので、それにおいて自分を制御してきたので、一旦その枷が外れた
 ならば、そういった機会が、もう簡単に、自分の手の内に入るようなる、なってしまった
 のならば、もうその禁を破る犯すことは逆らえない欲求となってきてしまう。ことにおいて
 この禁を破ることが回避できるものは、余程の恐怖を神において持つもののみ。
 たぶんそれができる人間ってのは、前世において、とんでもないしっぺ返しとしての
 苦しみを受けた人間ってことになんのではあろうが…。

※ここもう少し追記しておく。

ことは、セックスは!、相思相愛なることを絶対の
 条件にする。そして事後においてお互いに責任を持つってことが当然の副次的なる条件だ。
 この限りにおいては、こと男サイドとなれば、何人”妻”としての相手がいようが問題では
 ない。愛を媒としてのコミューンであるからだ。信仰の内に未だ留まってあるということ
 にもなる。ところがことが自分の欲情を満たすことのみおいてその能力をもって強制的に
 使われたとあったならば、それは大問題となってくる。そうなる前に、天界からの指導を
 目的とした介入があるはずなのだが、ことにおいてあくまでも我意を貫き通すともなれば、
 天と言えどもどうしようもなくなる…。示唆としての妨害を置いてやったにも関わらず、
 あくまでもその行いをするのであれば!ことは信仰外へのその重心の移行といった事態に
 なる。これが堕天としての呼ばれる事態なのだ。神と伴にあるといった領域外へとその
 重心を移すということは、反対者と立場を同じくするに違わない。ことの結果は明らか
 になる。庇護や導きを完全に失ったその彼らは、結果おかしなものへと、なっていって
 しまう。外道としてのものへと変わっていってしまうものなのだ、獲得してあるその能力
 は失われる。その輝きも消え失せてゆく。最後に残されるのは回心なのだが、これも、
 これは自力だは本当に難しいものとなってしまっている…。

※信仰において真剣に生きた生きてきたそのことの結果として秘儀熟達者と

ものら、
 その彼らが見張りの天使、The Watchers としてのものなのだ。ならばだ...分かるだろう?
 それらの者たちは、今も、今の時代においても、生まれてきているってことがだ。

※エノク書が書かれた目的は、その彼らへのブレーキとして働くべくものとしてあったんだ。
 そしてまた、貫徹のその暁には、エノクと同じステイタスに立てるってことのその可能性に
 ついてもだ。その道にあるべきと、自死としてのその貫徹を完全に果たせよとの示唆訓示と
 しての意味もそこにはあった。

※要は完全に(エゴにおいて)死に切るのは、生きたまんまでね、
 それはそれは大変で、また長くしてのときたるものが必要とされてくるまでの話しなのだ。






            コンピューターHAL、雄々しく現在稼働中‥



         ※あの作品中におけるリアルなキャラは


      他のすべての登場人物はお金払って雇ったまでの

達…。





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