第24話  とある系譜③-4(★)

文字数 21,632文字

未完だけどここまでだけでもう公開に踏み切る。おそらくは構想の九割ほど…。実はコレやっててつまんないんだ。そのわりに熱心なんだけんども‥。そして、精神衛生上

よくないんだよ〜‥これやんのわ!。だから道連れたるものを求む!側に置いといてっ誰かにいてもらわなあかんわけなんだよ〜。一緒に苛まれたってー(悲鳴)よろしくたのむハ〜…ハハハハハ‥ワーハハハハ〜。読むよりも書くほうが遥かにずっとずっときついんだかんねっ♡!

ところでっ!話しは変わって、この娘がでているあのアニメ、あれ、あれはあかんよ!。絵柄に騙されちゃ〜だぁ〜アッメッ!っと。これの作者には、「お前は話しを作るにおいて、いったい何をやっているのか、チャンとわかってるんだろうな?!」って言いたい問いたい

。当然にこの彼は、確信犯としてやっているはずなんだがね...。お前もあの

としての存在なのか?!。

ってのはなんなんだろうか?って思うんだが…やはり社会的な評価を得たかった、この一言に尽きるんだろな〜…。漫画家として成功したかった。生活がちゃんとできるようにしたかった。そして、できうることならば、もう超有名になってメッチャ大金持ちになりたい!。そしたらば、きっと幸せになれるんのであろう‥なっと。まっこんなとこ…。

その目的願望の達成において彼がとった戦略たるものが、これがまた禁じ手、人の世のタブーにおけるそれがひとの心に対して持つインパクトそのものの利用だったのだ。ネットにおいてその闇の部分おひてそこにおいてのみ、囁かれ語られて伝えられてきているヒトが犯す罪深くしてのその行い、それを題材としてストーリーの題材として埋め込むことだったのだ…。真に悪魔的な発想妄想においてハリウッド、ロサンゼルスで行われていると

、幼児を〇〇の上○○してその上でその子の脳下垂体を取り出すってやつ。若返りの霊薬として珍重されてるとかなんとか…。恐怖を体験させることによって特殊なホルモンが生成されるってこと…。

もしこの創作物が作者の内より自然とわき起こってきたものであったならば彼は病気。
もう完全に、あちら側に、魅入られてしまっている、そんで取り込まれてしまっている、
そんな人間…。あとでどっかでやるが社会的成功をおさめるためには二つしかその方法は
ない。これはその内の一つ、そっちにおいてのありかただ…。



                   〈暗転〉






   もう観客らには最初から脅威となるべくの敵の襲来であることが知らされてあった。
    凄いよね〜ここの特殊エフェクト…時間的にはほんの僅かでしかなかったのだが。
      もうとんでもない資本と労力がこれやる為には必要だったはずなんだ。
         このドス黒くしてのカラーリングがすべてを物語っていた。

   レスキューとしてのものなどではなく、抹殺殲滅こそを目的としてのその部隊。
    なので、そこにあった作画における要求はとにかく禍々しくしての重厚感。
 そして最早一人たりとて逃げることの叶わぬ鉄壁の布陣としてのもの、それによる囲い。
    これが一つの意思のもと統率がなされてある軍事行動であるってことが分かる。
      では、何処の誰が、これらとしての戦力を軍備を、用意したるのか?。



                   繰り返す。
  これは鉄壁たるをもってしてなる非情にして残酷なる囲いとしての布陣であったのだ。
   つまりは、ここに、世界そのものを地獄界として変容させ、

顕現させる。



     純白とされての、その翼を広げての、空を舞う禿鷹たち、悪鬼羅刹の群れ。
  鳥葬としてのあれらによってのその行為が、儀式とされての陵辱が、今これから始まる。
         アスカの乗る弐号機を”(にえ)”として、”供犠(くぎ)対象(たいしょう)”として。

      当然、彼女に感情移入してあるそのすべてのものたちを観客を、(ともがら)に…


                    〈暗転〉


白骨をもってしてなるその外殻外構‥そして嫌らしくしてのその赤い唇が、耳まで裂けて広がってあるこの口元が、彼等の正体を、その性質を、端的に表している。つり上がって見開かれたままの目、まるで硝子のレンズかのようだ…。その大きな目には瞳はなく、非常に残酷、また冷酷にして薄情、いやむしろ悪意に満ち満ちている存在だってことが分かる。これは云わゆるところの地獄の亡者だ。餓鬼、悪鬼、羅刹、地獄の断罪人、それ

としての存在でしかない…。


      拷問の為の、その刺殺を目的としての得物をも、ちゃんと持っている。


その彼等にとっての本来の獲物は地獄に堕ちた罪人たちだってことになってるはずなんだが…


  本件においての彼等の出番、その用向きはまた別。その本来の目的とは違ってるんだ…。

※全体的に、この作品においてでは、転倒倒錯夢想としての、(つまりはあるべきのその逆を、逆さまを敢えて持って志向してしまう、やってしまう)、そのヒトのそのこころとしてのあり方、傾向、癖、嗜好ってやつを、その実例たるものを、観てゆく、確認してゆくことこそが、この自分においての課題になっている…。サンキュー。

              量産機としてのエヴァシリーズ。
       こいつらのデザインのベースとなっていたのは間違いなくこれ。



      

シーボーズ。なんのこた〜ない。(たん)

()まいしてある、
    そちらっ側に(ぞく)する、化け物共なんだよ〜ってことのメッセージでしかない…
       端的に言えば、「悪魔亡者」としてのものでしかないんだよって…

      と言うことはだ…エヴァたるものが実際は何であるのかってことも、
        分かる、察することが適うってな話なんじゃないだろうか?。
     要はこれもまた「デビルマン」としての作品、あれの焼き直しとしての作品
             

ってことなんだ…。



          初号機エヴァをもってしての、それによっての断罪!。
             ゲンドウは彼自身のことでしかない。
  でもこれは、

としての、

をもってしての

でしかありゃしない。



要はフィクションなんだから、自分の妄想内においての出来事としてでしかないんだよっと…
だから、もうあまりことの真実に関してを、ことの本当を、ことの実際に関してを、この自分に聞いてくるなと、追求追撃せんといてくれって。*(なんかのインタビュー記事でこんなこと言ってた)。なんたる欺瞞!なんて醜く姑息な限りの、また狡い、さもしい自己慰安を、彼はすることか!。製作者、表現者には、ある程度の責任ってやつが、間違いなく、確実に〜、付きまとうことになる。無責任のまんまで、これはあくまでも自分ってやつにおいての、その表現物でしかないんで、最早無関係なんです〜ってことだけには絶対にならない!。自身にて掘り下げをもって、ことにおいての意味ってやつを実体を究明するその義務必要性がある。


      こいつらは

においても

登場してきてる、使われていた。







かぶった

ってのがそれれにおいての秘められたるモチーフ。蛇トカゲ爬虫類がそれにおいてのコード。地を這ってあってあるべきものが翼をはやして大空天空を駆けて飛ぶ、疾走、滑空してあるってゆうそんなイメージが欲しかったんだ(何故?)…。この化け物の体内に入って、その戦場たるものへと向かうんだ〜。悪ふざけもいい加減にしとけって…。も〜めちゃくちゃ悪趣味なる諧謔をもってなるその設定なのだ‥。それをもってしての観客らに向けての、暗にしてなる、秘して秘されてこその華よとばかりの伝達啓示暗示演出となっていたんだ…。そりゃもう悪い冗談も程々にしとけよって言いたくなるんのよ!。あれ(戦艦)のデザインはもうほんとうに酷いものでしかなかったな〜。ほんとセンスの欠片もなかった。そりゃ〜そうなるんは、そうなってしまってたのは、しょうがない話しだったんだけどね…。コンセプトが、そのデザインに対しての要求や思惑たるものが、もうあまりにも酷かったもんなんだから…。


             さて今回のテーマはこいつだ!!!



    実は、これらそのものが、既に元からコードとしてのものでしかないのだ。
   なので、そこに秘されてあるもののその本当の姿を。ご覧いただこうかなと思う。
       

九体

、揃えさせていただきましたーっと。敬具





           

と確かにここはなってるな〜‥
         

が、登場してきてしまってるんのだから‥
         もう

効かない。お前に逃げ道はもうないよ…。

こいつらをもって未だうら若くしてある美しく活発な女の子が虐殺蹂躙されてしまうことになるんだー!。こいつら地獄の亡者どもらには元々活動限界なんてもんがあるはずがないだ。いつ果てることもな永遠の責め苦こそがそれらに付与されてあるその境遇にいるのだから…。そこに以前にはあった、あるべくしての現実は、いつのまにか、地獄としてのその世界と、置き換えられてしまってた。ではそれをやったのは誰なんでしょう?。

コードに対してまた違った新たなコードをもって来るってのは〜…これが実の真実、本当なんだよって言ってもことは完結せず、もはや無限循環、無限地獄としてのその堂々巡りにしかならない…。よりあちら側とのシンクロ率をあげての、より多くの情報量を伴ったものであったとしても…。なので〜、こっからはやはり我が言葉をもってよってで、

、その真に

ものを、その行為を、やらせて‥させて、もろ〜たろやないか〜と…、もうそうさせていただきますわっと…。www。

相乗効果を果たするべきものとしてあそこはあった。そんなものとなってしまっていた。あのデビルマンにおいてのトラウマと相補的に更にその刻印を、その傷を、深くするべくものとして…。要は二段構えとしての効果が、効能が、あれの本領なのだ。恐らくは、確実にそれを狙ってのことだった…。そうなることを画策をしたもの、その真の実行犯は、人間としての彼ではな〜〜いっと…。


心理的なダメージとしては、こちら(デビルマン)の方が遥かに大きい。そしてより深い…。そのある種、行間においてで、より多くを語る伝えるその手法においてでは…。でも、この旧劇を観覧するにおいて、そこにあったことを、起こったことを、より実相において、現実に即して、明確に語る明かしてしまうとならば、先行して受け取られてしまっているその傷が、より深く深刻なものとされていってしまってたのだ。間違いなく…。かって植え付けられてしまったそのペインボディとして結実したるところのその傷跡が、完全に賦活化、活性化を果たしてしまうことになるなってたんだ。もしくは、その視聴者が未だバージンであるならばだ、また新たなる宿主として、それとなるべきものを手に入れられるまでの話しだった…。それはそれで意義はある。多大に過分に大いにある。これこそが悪しき循環としてのその実例その最たるものになる。見渡せば、既に多いんだ。多すぎるんだって。冒頭にあげたあの作品もそうだが、直近で一番有名なのが、かの進撃の巨人ってことにはなるわな〜…。

ことは習慣としてのそれの発生の次元を越えたる現象になる。

習慣たるものの習得とはまた次元が違ってる。

まずトラウマの強制刻印をもって、その印象を視聴者閲覧者らのそのこころに”枠”を”フレーム”を定着させる。そして改めて、新たなる装丁衣装を着せ替えての作品をもって、ことの反復、その追体験をさせる。反復によっての、それの再活性化、更なる強化/深化/深刻化を狙って求めての展開となる。

これが世間の注目を引く浴びるにおいてでは、至極有効な方法になるんだ。もうメチャクチャ効果があるんだ。さてそれは何故でしょう?。ここに関してはあなた自身で考えなければならない。ヒントとしては人は辛いものを好むじゃない‥カレーとか麻坊豆腐とか七味唐辛子系ね。辛いに対しての脳波反応は苦痛に対してのものとおんなじなんだ…。そしてどうしたものなのか、人間ってやつは、苦しみこそを、それこそを愛する?愛してある。それに執着してあるっていう事実、その現実ってのが、もうかなりに実際にはあるんだ…。後もう一つ、

(愛のことだよ)自らの内から立ち現れてくる、噴出顕現してくるものでしかなく、よそに外に他人に求めるものではないんだ。だから永遠に満ち足りない出会うことがない適わない。そんで、

こっちの感情の味わいを後生大事にでかなんだか知らないけども執着してしまっているんだ。こと対象としては、真逆のものなんだけどね。とにかく感情に味わい深く響く働いてあるものであれば、もうなんだって構いやしない、OKなのかもしれない…。

誰かが至極かわいそうな境遇にあって、その状況たるものがますますエスカレートしてゆく。
そんな展開をあなたは外野で観てるんだ。どうしたものなのか目を離せない。
ことの行く先を見定めるまでは毎回それを観てしまってる。

これを意識的にもしくは無意識において戦略的に利用してある作者は、自らはそのことにおいての加害者の立場に立てる。更に立ちながら、ことのすべてに対して、まったくの無自覚でもいられるのだ。

その衝動が、その表現に向けての情熱が、どこから得られているのか分っているのだろうか?。

その暗く意地のことごとく悪くしてのその情熱が!。

恐らくは社会的名声や金銭的成功の目的を名目にして、そうすることにおいて、ことの実際たるものは当人においてさへも秘匿されてしまっていることだろう。

でもね、それは彼としてのその存在、その霊感に触れてこその結果でしかないんだ…。

トラウマによって発生してあるそのペインボディこそが、ことの一切を生み出してあるその原因なのだ。ことは悪夢の反芻としてのものでしかない!。それをもってしの先の刻印それの残留、改めての活性化され、よっての更なる深刻化と…。

これは解かないとならないんだ。トラウマとしてある未消化としての刻印を、その構成を!。

(実際、今自分は、その作業

皆様に向けてやってるつもりなんだけんどね〜)

じゃないと、ことは、繰り返され続けるまでのこととなる!。

それも

忌まわしくされてのしての更に強烈なるインパクトを備えたるものとなってその表現の再帰が、復元が、復活が、行われてしまうまでのことなのだ。

それは自分の作品は一切フィクションだ〜、それでしかないんだからね〜で片付けることなど、絶対にできないものなんだ。作り手においても、また視聴者らにおいてでさへも!。

根本的にそこに未消化にされてあることの事実をハッキリと知る見定める必要があんだ。

その傷たるものの残留は、なにを意味するのだろうか?。
それは次点においてはなんの原因になってしまうのであろうか?。

迷宮としてのその観念仮想の世界の中への封じ込めがしやすくなる。

それは迷妄なる主観、主観的なイメージにおいての思い込み、その世界でしかない。

ことの実相は、ことの真実であると言えるのが、実際は加害者と被害者のこの二者を自ら好んで演じあげているだけのことなのだ。本人にその自覚はまったくないであろうが…。だが実際にはそうなのだ!。だからこそ、そのつまらん遊びは止めにしてしまわなければならない。意味なく罪深くしてばかりのその夢見、その夢からは、覚めなければならないのだ。

(ことはその夢見だけにおわることはない!。確実に、突発的にして無軌道なる
 衝動に突き動かされて、実際の行為へと、実行に移されることとなってしまう!!。)

考えてみなければならない。思い出さねばならない。あの作品においてなにがこの自分にとって面白かったのか?と、どこに、その魅力たるものが、面白みたるものがあったのか?を!。

夢から覚めたなら、それらあれらにおいてのどこもかしこもが、感覚的な洗練しかなかったってことが分かるであろう。単にこの自分は”誑かし”にあってたまでのことだったと…。


ことの一切のその背景には、憎むべき、真に呪うべき存在がいることに気づくこととなる。


向こうからの、強烈な攻撃手段として、実に巧妙なる作戦として、それは現在使われている。

バカなハスナム共をその依代にしてだ。

自分の観覧におけるその体験にて、ここは書くつもりなんだ。

誰も彼においても同じことにはなってはいないだろうけどね…。


Re: 真説 エヴァ弐号機の覚醒! 〜「ママじゃないし、パパなんやけんど!」〜

語られてあったストーリー、その流れを、そこに語られてあった設定を、この自分は無視する。何故ならば、ことのすべてが、製作者ら側にあってもよく分ってない、分ってはいなかったからだ!。ことはあくまでも断片としての庵野の持ってあったインスピレーションであったまで。その映像イメージでしかなかったのだ。だから、あとは下手なつじつま合わせで、物語りの詳細をつめる、設定を考案してたまで。それら担当のスタッフが、右往左往させられていたまでの話しなのだ…。



弐号機においては誰がその真にしてなる覚醒に、関与していたのか?。彼女の母親なんかじゃない。そんなわけがあるはずないじゃないか。あそこにて出現していたのは彼女の親父さんなんだよ。息子に対しては母親が、娘に対してはその父親が、ことにおいては対応対処すべきもんなんなんじゃないだろうか?。

ことあるごとに出現して出現させて見せるこの十字架たるものの意味はなんだ?!誰かが何かとの引き換えに、自己の命を差し出す、贄として提供してあることのサインだ。ではこのときに立ったこの十字架は、誰がそれにおいて磔刑と処されていたのか?されるのか?。これはもう完璧にアスカなんかではないんだ…。己が命を賭けての、ことが決死の戦いであることのそのサイン。誰かが必ず死ぬこととなるんだ…。そうであるからこその十字架、その意味になる…。



勝ち気な性格のそのまんま、やりたい放題をし尽くして、彼女としての我儘を貫き通してきたアスカではあったが、とうとう世界との兼ね合いが、うまくいかなっていってしまう。(ここ娘読んでるか?)。どうゆうことなのか世界とのシンクロ率がほぼ00%としてのその事態になってしまいましたっと。これぞ放蕩娘としてのアスが演じるところのキャラクターになる。そんで、ことがすべてなんにも上手く行かない行かなくなってしまいましたので〜最早自暴自棄と成り果ててしまいましたっと。色んな意味でやつれはて疲れはてて、そして弱りきってもふてます〜っと…。ことのその問題は原因はどこにあったのでしょうか?!っと。そんな生き方してたら、やがてにはそうなるもんだと相場は決まってますやん…。して、職務放棄を選択してあったアスカではあったが、そんな我儘を組織が許すわけもな〜くー、強制的にで現場へと連れ戻されたっと。その運びと確実になる。これが今ある社会としての実体なんやでー!っと‥。


まずはその体の状態の回復。肉としてのその構造組成を万全にすべくしてのメンテナンス。

そういったことは薬や移植をもってすれば如何様にでも容易く計らう取り繕うことができる。

そうして然るべくしての調整が果たされた後に強制的に再び戦場としての現場に投入される。

 ※ここにおけるシンジ君は部外者としての存在、異物なのだ。


  ならば、さてならば、このシンジ君はだれなんでしょうか?。誰を投影すべきな
  んでしょうか?。相手の状況にお構いなく、そちら側の意向はお構いなしで、
  そんなもんなんら関係なくして、恣意的にアチラとの関係を構築せんとして
  センズリを行うってどうゆうことなんでしょうか?。ことはバーチャル個人
  としての、その仮想世界内においての達成のことにしかならんて…。
  答えは庵野自身であり、またオタクとしての、その来場が想定されてあるであろう
  観覧者らとしのもの達でしかない。第三者に見られたって、ことはお構いなし
  であるってことがもう深き夢に落ちてあるってことの最たる状態その表しなんだ。
  それも、もう既に〜

で、それであることを選んでしもてるんだ…。



もう誰もこの私を守ってくれる、気にかけてくれる、面倒をみてくれる人ってのはいないのね。私は見限られ、見捨てられてしまったわけだ。親兄弟友達から、そして世間から、
この世界そのものからさえも!。



そんなこころの状態にありながら、そんな気弱な絶望の思いにて苛まれて、ただひたすらに自分の中に、自己の殻の中に、閉じこもってありたい、いたいとの思いだけにあったのだが!、更に、尚も、ボコりボコられてとしての展開へとなてゆく、そうした戦場へと、その修羅場へと追いやられていってしまう。その真っ只中へと

、放り出されてしまったのでありました〜だ…。駄目のどん詰まりとしての状況を(庵野は)迎えてたっと。




そこに颯爽と登場‥いや急ぎ全力もって、何処からともなく駆けつけてきたのがアスカの

。きっと煉獄界からだろうな〜、

娘の身に起こってあった出来事に関して、彼らとしてのその動静が知れてあったんだな〜これがなんと‥。そして

なんと!、魂だけのその姿となって、それにおいてでもってで!してで!!。

ことは

の顕現となるんで、その父親たるものを表すにおいては、デビルマンとしての姿が一番ふさわしいものになるんだ…。だってこのデビルマン(人間サイドにその重心を移してある元罪人)であってこそ、アスカの父親にふさわしいものとなるんのだから…。オモコ健在なり!。また弐号機としてあれることができるのだから…っと。まっとにかく、ことの最中において、アスカは、ただひたすらに、ボコリボコられてあるわけ、ボコられまくられていることしかできずませんでした〜だ。もう延々と悲鳴を、必死になって、挙げていたまででありました〜だ…。だって、そこは、戦場なんだから…自らが死ぬか、もしくは敵をすべて殲滅するまでは、終わりが来るわけがないんだ…。



他所のお話しの混ぜ繰りにはなっちゃうのだが、その状況において何が起こったのかを伝えるにはこれが一番わかりやすい。またことにおいての実際をその実相を悟っていただくにおいて。ことの事実を伝えるにおいてでわねっ!。


      実は、「お父ちゃん参上!」としての展開その事態でしかなかったんだ…。
             そうとして

物語だったんだー!


    ならばだ、それはそれで、それなりに、やはりなんらかの切っ掛けがいるな。

Re: 

シンクロ率の回復、100%達成の真実。


なんのことはない。追い詰められての絶望のその果に、アスカは人格において


無自覚の内に!。そのときのアスカの思いたるものとは?!、それとしてあり得るものと
ななれば!、それはたとえば……

「今度、生まれ変わったなら、私は、

、無条件で、直接関わる
 そのすべてのヒトを、その他人たちを、人々を、愛してあげる〜〜〜!」

「それもよ…、そんな自分をよ〜、その相手が、その人たちが、喜ぼうが嫌おうが、
 

ーーー
!」(引くべきならばちゃんと引く)とか……

「我が渾身の、それをもってしての抱きしめをもって、我が思いの丈のそのすべてを込めて、
 そのすべてを預けて、私の全力の抱擁によって、そのサバ折りをもって、それらのすべて
 をもってし〜て〜、抱きしめてあげて〜〜…(ゼイゼイハーハー…)‥あんたらの体中の、
 そのすべての骨を、もう

の、

に、ゆわして、あげんのだからーー!」。

そんで、

、聖霊の干渉がそこに起こったわけなのだ…。魂においてのこの世への、肉体においての再誕(リセット)が起こって、そして、世界は斯くして、しかるべく、主の采配、お求めにおいて、動き出す…。※ならばだ、あの冒頭の弐号機の覚醒、それを表すピンクの十字架は、あれの屹立は、アスカの人格の死を、その事態の達成のことを、表していたってことになるな…。





  

交代となりまして〜の、そのドラマがその事態が経緯がありまして〜の、
    起こりよりまして、十字架もちゃんと立ちよりよって、そんで結果こうなった。
  「よ〜もまぁ〜うちの大切な娘を虐めてくれてはりよりましたなーーー」って。
  「これからそのことの落とし前を、しっかりと、つけさせてもらいますぅ〜」って…



よっく考えてみてよ〜

やるべきなのではないんのかと、それともはたしてあの弱り目祟り目としてのアスカに、もしくは彼女の女親に、これが、こんなことが、はたして出来うるもんなんかいなーをっ!…



           どっちが貴方においては、

のかを…


     その昔、鈴ノ助殿より学び修めし業物、奥義『十把一絡げ真空殲滅斬!』

    怪神鬼神乱馬の如くして、その怪力無双の限りを尽くされておられましたっと。


















       あの状態のアスカに、こんなことができるはずがないんだ。
真に信頼を寄せる、寄せうるに足りる存在が、助けに来てくれたことの喜びは理解できるが。
 ここにおいての展開その真に主たるものは、やはりその

なくてはならない。






 ♪「(あっちへ〜こっちへ〜)

‥」(夢の4倍/原マスミ)
          https://www.youtube.com/watch?v=CNtAjXqYf9E
これら量産機らと勇ましく戦ってあるところのアスカも、特別なるテイストにおいて描かれている。ここだけ絵柄が違う違ってる。殊の外、丁寧で落ち着いたタッチとなっているんだ。とても表情が上手く描かれている。センスがある人。先のゲンドウと綾波を描いたのと同じ人間が担当しているはず。誰?。ことのその戦闘の開始時におけるアスカがこれ。


    言ってはなんだがこりゃ〜「ヘノヘノモヘジ」としてのやっつけの作画だ。

  同じ人がやったはずなんだ。緩急というか手を抜くべきところではしっかり抜くっと、
  抜ける人っと。非常にセンスがあるひとだと思う。誰?。庵野ではないな…。

     比べるのなら戦自との戦闘開始時のやつとしてのこの絵の方だろな。

 とどのつまりはファンデーションのありなしを、それつこてるかつこていないかの話しを
    この自分は言ってるだけなのかもれない。おまえは飛雄馬か!?…WWW。


オット抜けた。上のシーンにおけるアスカの真の本当の状態は、お父さんに背負われた形でのものだったんだ。だって彼女は弱り果てて、まともには動けないし、敵方の標的はアスカそのもの彼女自身なんで、どうしてもそうならざるせざるを得なかったんだ。だからこそ〜、

その状態で、親父さんは戦わなければならなかったんだよ〜…。だからこそ〜体があっちいったり、こっちいったりに、なってしまってたんだ…。そのことがあそこのモーションにおいては暗に、庵野にて〜、示されていてたんだよな〜これが君〜…。かって「子連れ狼」に似たようなシーンがあったような?。ありました。これ…



           オリジナルにおいても同じ設定があったわ。凄くない?



            「おんぶしたまんまで戦ってやがんの〜」



Re: 正調、五木の子守唄

ここでインタープレイとしての歌を挟み込みます!。必ず聞いといてください。
そんで、そこにある歌詞の意味をも、しっかりと理解しておいてね!っと。
画像に歌詞をはめ込みますんでね〜!。

https://www.youtube.com/watch?v=r16_GLtalZM
https://www.youtube.com/watch?v=1CV1BQPkRUM























































           https://www.youtube.com/watch?v=ghv0R-TInXI









          https://www.youtube.com/watch?v=SUkUzsFyoFU







          https://www.youtube.com/watch?v=P8PYQvl5HP4












                   [メンゴ...]

  






























そうそう聞いたところの話では、かってのその昔、アスカの親父さんは所属してたその部隊においてでは、「B-29さん」と呼ばれていたそうな。「びーにじゅう

さん」と‥。なぜにそう呼ばれていたのかと言うと〜B-29の大編隊による東京空襲が

瓦礫の下から、それらを

退

にして、「(こんなん)関係ない!」と宣いながらにして、地上に這いでてこられてきたそうなのでございます。そのことに〜、このネーミングは起因する、由来するんやっと‥しても〜てます…。ま〜実際に〜そういったことが、

あったのかというと!、そゆうわけでもなかったんですがね〜…。彼が対人において持たれていたあるそのイメージその印象が、また実際に備え持ちておりたるのその執念、根性らが、ものすごく凄まじいものであったが為に、まさに、いせもう絶対に、そうしてあったでおじゃるであろうと…、そうであったおったにてでごわすと…完全にもうそのときの彼はそんな具合であったるに相違あるまい!…と、思わずにはいられない、おれぬおられぬおりゃれんて!、もう悪いがしょうがない、そうせずにはいられないものであった、そふなのでー、あったのだから〜…。Mr. B-29、たしかに彼は皆から、特に天村からは、

呼ばれておった…。※本当はテニスのクラスにおられるおばちゃん、いや

につけたコードネームなの。もう破格としてのその根性なんで、そんで、そないなあないなこんなイメージが湧いてもたるの訳なんでごじゃりまするっと…。
ひっどいがに股なんだよな〜この方がまったー!。
























活動限界‥ヒトとしてのその肉体ならば、そこにはおのずから、それがあることは当然の話し。集中力、それの持続力、つまりは体力。これらには確実に限界たるものがある。それは生きてある

なのだ…。どっかで、世界そのものが、反転を、させられてしまってたのだ。ここの、この舞台そのものが、地獄そのものへと、それとしての世界へと、変容されてしまってた。だからこそ、量産機らにおいてはあの活動限界なるものが存在しなかったのだ!。S2機関なんてもんはバカな観客らに向けてのおためごかしとしての屁理屈、帳尻合わせを目的とした嘘以外のなにものでもありゃしない…。(本源から切り離されたならば、それとの関係を自ら離れてしまったならば〜、生は不十分にして不完全なるものになる。ここんところをお忘れなく。)その領域にあっては、もしそこにあったならばだ、彼らはもう永遠の存在、まさに不滅としてのその存在になる。その地獄たるものを構成してあるそのものずばりだからだ。それそのものと言ってもいい存在。簡単にすれば「まさにそ〜れー!」。でっあるならばだ、誰かが黒魔術を使って、それをこの現世にて顕現出現させよりよったってことにはなるんだが〜…。ではそれはいったい誰なのか?。ゼーレ

天使として在った、それとしてかって有り得た存在だろう。(この作品においてはそれは庵野なんだが〜)それ以外には絶対にありえない!。天界においての叡智たるものが、それに基づいての特殊な業法たるものが、どうしても、そのことの実現の為には、いったであろふからに〜…。※当然にこの

そのことに手を貸してたであろうってことには‥






実際に目の前でやって見せて〜、そんで更には言っても聞かせて〜、(そんで、そうしてから)更に(そのものにも)実際にやらせてみるんだって〜それをさせてみるっと。そうしてから、更の更にハ〜、褒めてもやらねばならないんだっとさ〜。そうしないことには、ひとたるものは、

もんなんだって〜、そうでもせんことにはだ、まったくもって、ちょっとも動かない、なんの役にもまったく立たない生きもんなんだってさーー!。つまりはだ、真に、本当には、役に立つような人間としては、ありえないし、なりえない、それとしての働きたるものを、まったくもって果たさん、してはもらえない、そういった生き物なんだってゔぁさーー!って…。山本五十六

、そう仰られて、ましてたんだよ〜、きっみ〜…。





















                  〈リアル暗転



           いまあちらっ側と、こっちの世界を入れ替えた。
    反転、封印封殺を目的としての、その獄舎たる地獄の、地上世界における顕現。
              そこにいた人間は、そのままに…




      と云うかだ、

その世界から

ならばだ、
   自ずと活動限界たるものが自然と現れてくる、訪れてくるのは当然の話しなのだ…。



        ここでBGMとしてHymn of the Cherubim No.14が入る



         https://www.youtube.com/watch?v=OPlK5HwFxcw
                Composer: Tchaikovsky

(曲が流れる中)あったりまえなんだけど、あまり意識されていないであろう事柄について。あらゆる制作作品は、つまりは映画にアニメにそして書かれたところのそのすべての物語は、更には絵画等におけるそれら芸術作品、音楽における楽曲も含めて〜、それらのすべてに言えることなんだが作者はその作品内においては「神としての存在」なんだ。だから!作品中においてのことであればもうなんだって彼のお望み通りのことができてしまう。いとも簡単に!…誰にとやかく云われることもな〜くっにだ。声優さんらも含めて、すべてのスタッフは、あくまでも彼の命じるままを、仕事としてこなしているまでの話しなのだ。内容に関しては、我関せずとしての姿勢を貫いてあるまで。その彼としての創作物がーだ、世間一般にて、広く受け入れられるか、受け入れられないはさておいといて!ここの、この事実だけは、しっかりとハッキリ覚えておかなくれはならない!。なんだってできるんだって…。たとえば男友達との‥いや自分の

においてのあくまでも馬鹿げた妄想話しを、女の子の意匠を衣装を着せ替えもってで、さもその女子等においての日常だとして提出することだって、いとも簡単にできてしまうんだ〜。なんだって”彼”においては、できてしまうんだーーって!。……ここの「

」ってのが一番危険なことなんだ。そうなりやすい。何故か?。なぜならば〜、ハスナムとしてのその”極致”へと、なりやすくなってしまうからなんだ。考えてみたまえ…そうだ、ここで、例えとしてのものを、「若くして社長に就任したヒト」においてとしてみよう!(王様としてでもいいだがね‥)。設定を変えちゃう。二代目か三代目さんってことなのがいいな。なんらかの予期せぬ事態出来事ってのがあって、どうしてもその彼は会社において社長(王様)としての立場につくことになるんだ、いやもうなったんだ。ここでのその彼は、たいへん若い、あまりさして苦労をしてきていない人間だとしておこう。ある程度の専門知識には通じてはいるかもしれないが〜、現場においてのことはあまり経験を踏んでいないので本当のところは分っていない。こういった彼が、会社において指揮を振るうともなれば、どういったことになるのであろうか?。そして一番重要なことなのが彼の内面においてどういった変化が起こる、起こってしまうのか?だ。そばに大変人間のできた、そして現場に通じてあり、また管理能力の高い番頭さんが親身になって付いてくれていることを切に祈るばかりなのである。自由には大きな責任がともなう。もしそのことを意識しないままやりたい放題をしてしまうならば、それは単なる狂人としてのものにしかならない。実際にそうだ。

追記:
現代において漫画家や作家として若くにして売れっ子になっちゃった人たちってのは〜(アイドル連中も含む)確実に頭のおかしい人間になっていってしまうことであろう。傲慢としてのその極みに、その極致としての存在に、なっちまうからさ〜…。実はこのことは避けられないんだ。避けられなくなってしまうんだ。若ければ若いほどに!。←世界理解がまだ至極曖昧だから。なにを真に恐れ敬うべきなのかがまったく分っていないから。自らを戒める規律タガたるものもまた絶対にいるんだってことがーーだ!…。※真に恐怖し畏れ敬うべきものの存在を知らず覚えず分からずして‥そして良心においての価値、それにおける喜び、それらこそがのみが叶いうる道徳力たるものの獲得強化、徳たるものの蓄積…。まったくもってワテ・ワケワカメっと。

追記の追記:
まずは「自分ひとりだけ」との思いにて、現実と悪戦苦闘するのを積み重ねるのが一番。それが先。その後に、世界に伝えねばと、伝えるべきこととして、自分の中にて結実してあるもののみを表現してくれればいい。要領よく、計算において、なんでもかんでも作品を組み立てるようになったらもうおしまいさ‥。かっての『ノーマン・ロックウェル』なんか、高名を博してのその後には、実際にそうなってしまていってたよ…。このことは、この事象は、彼のみに留まることにはあらずっと‥。

追記の追記のそのまた追記:
次点におけることの最悪なるは、成功している世にて評判になっている世間にて評価されているもてはやされているものを、お手本にするってのが、あれら、

においの定法でありまた定石だってこと。ことは増殖していってしまうんだ。悪貨は良貨を駆逐する。…いやもう飽きたて、この展開を見るのは…。


             これは”つなぎ”としてのものになります。

ところで、これの次の第25話にてゾンビ映画を取り上げるのだが、一瞬それをもって、ことの意味を充填する、読者の皆さんには察してもらおうかなとも思ったのだが…、ことはゾンビどころの話ではないんだ。あれらをもってしても全然足らん足りない、まったくもって間に合いません!。なので〜、いたく面倒くさい限りの〜、まったくもってやりたくない、バンされたくないんだがな〜の仕事を、するはめになった。なっちゃったんだ。これほんと嫌々だからね‥。

さて、あれら、量産機らとしてのものが本当のところ一体何者であるのか?、その正体がいかなるものであるのか?については、既に冒頭で明かしてある。もう完全に魔界においての住人達らでしかないのだ。あれらにおいての造形は、もうヒトの手による考案を離れて、そのもの自体が、形象化を果たしてしまってる。つまりは、見た目がもうそれそのものとしておんなじなんだ。魔界としての、本物としての地獄が、この現実の世界にて、出現を、その顕現を、果たしてしまっていた…。※ここだけは奇跡としてのその出来栄えなのだ。悪い限りにおいてのね。

あれらの投入の目的は初号機の勾留がメインとしてのものにはなる。そして、初号機を使って、人類を丸ごと、全人類のそのすべてを、大海としてのその全体性へと、個人としては非在とならざる得なくなる、成立し難くしての状態へと、強制的に、還元を、果たしてしまう…。これこそが真の目的に当たる。それを果たす為にこそ、そういったデタラメとしての事態を強引に叶える為にこそ、魔術たるものの適用が、それによる超自然力の獲得こそが、彼らの投入においての、真の目的だった…。

いや、実は、ここんとこにおける内容は、すべて、デタラメ尽くしなんだ…。物語内で語られてある説明セリフにはなんの説得力もない。ことのすべては、描かれたるところの、その映像表現のみにて、理解は、なされるべきこととなる。もう

よ…あれらが告げるところの、そのエンディングってやつは…。

その碌でもないエンディングってやつにおいての前哨戦として、その前触れ、意味合いの強化強調として、そのエンディングたるものの真の意味合いを既にここにおいて込める確定しとく、その為にこそ、弐号機を完膚無きまでに

としての展開が、どうしても必要だったんだ。それはもう倒すとか動けないようにするとか、飢えを満たすとかの、単なる勝ち負けの次元の話しではなかったんだ。

人が生きるにおいて大切にしている、その希望を預けてある、その一切の価値を、徹底的に踏みにじる、根底から破壊し、更には、貶める、辱める。陵辱してやる!。お前らは、もう、クズ鉄以下の存在としてでしかない。そのあるのが当たり前かのように思ってる存在意義ってやつがもとから全くなかったんだってことを、骨身に染み渡りてて、骨の髄にまで然と至り届くべくして、味合わせてやらぁ〜。万が一、もし死んでしまったのならば、それで意識を失ったとしてもだ、それでもなんとかやりくりをつけて、意識を取り戻させてやるよ…。その上で、惨たらしくしての、非人道的なるのその考案の限りをつくして、陵辱しまくってやる…。生まれてきたってことを心底から後悔することになるであろうよ...。

あくまでも悪趣味にしてグロテスクなるもの。悪ふざけとしてのものでしかないこのナンセンス。つまりは狂気だ!。それらのみをもってこのシーンは色付けされるべきなのだ!。そうしてこそ、あののエンディングとしてのものへの流れが完璧となるのだ!。









































                 「 再起動警報発令ー!」
           ” お〜い、おま〜ら、茶番はもう終わり。終わりだ。 ”
             ” 飽きたも飽きた、も〜飽き飽きだ!
             ” さっさと起きて、仕事しや〜がれー!!!






             「待ってました!」っと‥そのお声掛けをだ。



      これからお前を、

ってやつに
、たった込んでやるからな〜‥


                   〈暗転〉


                ここでちょっと脱線‥

彼が(こおむ)りまた今ともなれば偏愛(へんあい)してやまないトラウマの数々…。それらはもういたく根深くしてのものと成り果てており、また既に取り消せなくなってしまっているそんなしろものなのだ。(その作業をする暇がなかったのかな?)。簡単に言えば、バカな映像表現、B級アングラ映画をも山程見てきてしまっているのだよこの彼は!。それは当然複数にもう山程もたれている/あるのは確かなことなのだが、これはもう確実であろうとされる作品が一つある。ルイス・ブニュエルによる「アンダルシアの犬」がそれ。エヴァの制作において、この映画からの刷り込みは、隠された基調音となって、(無自覚ながらも)されて、なって、も〜て、持ち込まれてたっと…。



70年代が特殊な時代だったのだ。ことは日本にだけに留まる話しではなかったのだが。昭和においての爛熟期であり、また頽落としてのその色合いが、既に色濃く影を落とし出していたのだから。シュールレアリスムがなにやらトレンドとしてもてはやされてしまってたんだ…。この映画の冒頭、お話に関してまだ何がなんだか分からぬままに、この女性はいきなり眼球を剃刀で切り裂かれてしまう。そんなシーンでことは始まるんだ。それを観客らは見せつけられてしまう!。でもなんの感情もその女性は見せはしないんだ。傷口から溢れ出る液体にのみカメラの焦点は当てられてあるまで‥そして暗転!。



基本ストーリーなんてもんはまったくないんだ。この作品には。思わせぶりばっか。けったいにして奇妙な映像表現が延々とコラージュされてあるまで。そういった作品になるな。その冒頭に関しては、監督は後付の説明として、ビジョンたるものの奔流をそれをもって表したかったらしいのだが…、ふざけるな!っと‥。悪意としての悪趣味の限りをもってしてのキャッチーなるを目的とした「釣り」でしかないではないか!。

とにかく、観客らに向けてのインパクトを、それのみを、冒頭においては特に考慮してあったまで。トラウマに完璧に至るほどまでのものを、観客らには与えたかった。それこそが本作品の制作においての本当の動機。それこそが目的としての映画でしかありゃしない!。エヴァにおいても、この作品において果たされてあったモチーフは、その再帰再現が、それとしての恣意的なる取り込みが、洗練と脱色を果たし終えた上でで、しっかりと、事細かに、行われてあった…。

いつのころのどこからかなのかは知らないが、タブーを犯す、禁忌をあえてもって破るが人にとっての楽しみになってしまってる。行き詰まり過ぎて、他にはもうなんの楽しみもなくたってしまったからなのだ。だからこそ!暇つぶしとして違反に走る、そんな罪深きことを敢えてもってでしてしまうようなことになるんだ。そうすることに、急かされてしまっているまでなのだ!。罪深き具合のその如何において、それこそが、何故にか、世間で〜は、突出した才能のメジャーとして、評価されるようなってしまってる。※ここ三百年のスパンにおいて…世界規模においてでは‥。





                   〈暗転〉









                   〈暗転〉












                    〈暗転〉          








                   























                   〈暗転〉































                   〈暗転〉
   
             











                「 庵野シンジくん…」







                   つづく‥






             「さぁあ!、〈締めくくり〉に入るぞ!









        なんと、この儂までもが、炎で、焼かれても〜とんがな!
        しかし儂はこれぐらいの火ぃ〜では、

せぇ〜へん
       そして、しも、させも、も〜しませんしてもいません!。(?)


   何故ならばぁ〜儂はもう既に灰の如くしてのその存在でしかないんやっちゅうねん
      もう既に焼かれすぎても〜とんがーなっ!ちゅふ

やねん…


                 「こっらーーー!」
           「 いま〜 ごっつぅふ、熱かったんやぞーーー!

    ※手持ちのお蔵としてあった絵を、この際、使わせてもらいました〜っと‥。




                   付録


         もともとのネタとしては、こういった展開だったんだ…













           そりゃ〜お蔵にするわ、なるわな〜でしょう?

  これを有効にするためには三打目が必要なんだけど、もうやる気が失せちゃったんだ〜
  云わゆる俗に言うところの”天丼”をもって強制的に笑わしたろと、考えてたんだわさ〜。
     そして、とうとう今回無事に、この

を完成することができましたっと。



         CommandoKommandohって、言ってるんだと思うんだ。
   参考「Magma Magma Magma !, Mechanic Destructive Kommandoh... 」(M.D.K.)
         https://www.youtube.com/watch?v=Obbb29GqzM0



             そんでまったくもって〜同んなじ展開‥。


         今回は計

やらせてもろたったことになんる〜。敬具







                    おまけ




エンディングにおける、この磔刑の特徴はなんなんであろうか?!。真説としてのネフリム、それの死骸に(当然人工的な加工が施されたものにはなるのだが)収まってあるのが我らが碇シンジ君!…彼はそこにあるそこに進行してある状況が、一切わかっていない。分かるはずがないのだ!。いったい今ここで、何が起こっているのか、全く分からないままに〜もう既に十字架の上へと運ばれてゆくのだ!。磔としての憂き目にあうだなんてことまったく思っても考えてもいない。そんな個人としての思いや考え、都合なんてもん、お構いなしで、ことはただ粛々と進んでゆくまでの話しなのだ…。では、このシンジとは、いったい誰?のことなのか‥。どうして作者はこの彼を、残酷な十字架にかけることに、執心してしまったのか?!。



ことの後のエンディングで語られてある理屈は(知恵の実と生命の実の両方を共にのところ…)すべて

としてのものでしかない。シンジが神に等しきものになっただって〜、そこへとたどり着いた着けたってのは、すべて眉唾。そんでもってもうこれ以降は永遠に、時の果てまで、それを超えてさえも、存在し続けるだって〜…。究極の個人としてのそのリアルな夢の中、超よくできた仮想空間に閉じこもってるまでってな事態でしかない。あれは…。ことの実際、その実態は、あのどっかで既に貼ったと思うのだが、諸星大二郎氏が描いたるところの「夢みる機械」、その世界としてのものでしかないやないかーっ!。あれのどこにいったい救いがあるのだ?!。



       作者と主人公間におけるその分離が著しいのだよこの作品わ!。
  自己とその投影物が寸分違わずピッタリとあってあるのはこういったシーンのみ…。
そこにかってに起こり、自然とこの自分が巻き込まれてしまっているその状況、それそのものと真剣に格闘する中、状況たるものにおける事実を真実を、僅かなれども、段々と、知ることが、理解することができるようなるものなのだ。もしかしたら、それはあまありに拙い限りのものでしかないかもしれない。不十分の限りにして、至極曖昧なものでしかないかもしれない。だが確かにことは適うこととなるのだ。その理解認識において、それに基づいて、人は、彼は、自己の進む道を自ら選択しなけらばならないのだ!。※ここはヘーゲルが説明するところの精神の発達その道筋を参考にしていただきたい。自分の言葉ではあまりにも寸足らずの説明不足だわ…ここ…。とにもかくにも我らがヒーロ、碇シンジ君は、ただただ哀れな、かわいそうな存在でしかありえないな…。まだ覚悟が足らなすぎる…。

セフィロトの樹は、世界樹としてのものでしかない。それはまた人間そのものでもある。それは可能性としてのものでしかないが、確実に、この宇宙の本質を、それそのものを描くにおいての

となる。あれを自身の内にて、顕現させるには、そんな大掛かりな仕掛けや、たいそうな状況を必要とすることはない。それは、空に夢想するものなんかではなくて、地にある目の前の現実そのものを、そのまんまを、嘘偽りなく、誠実に生きる、問題に対して奮闘してあることにおいて実現されうものなのだから…。その決意こそが、十字架にあるこそさえをも厭わない、いやむしろ敢えてをもって受け入れる、その覚悟なのではないだろうか?。


キリストにつながるものとなることによって、信徒らはみな一樹とならん…

そうしてこそ、そうあれてこそ、改めて、

調

(かへ)ことができるっと。














                  おまけのおまけ






                 の、そのまたおまけ



           本来、あるべきであったであろうその展開。

       では、なぜに、シンジは白馬の騎士にはなれなかったのか?!

              シンジこそが、この自分こそが
    救われるべき、認められるべくものとして、構想がその夢想がされてあったからだ!
              (彼の無意識の内にてはだが…)
         彼こそが、このお話しにおける真の

だったのだから!。
                  そしてまた…、
 本当の本当に可愛そうなのは生まれてきてからずっと可愛そうだったこの

なのだ!
 テレビの中におけるアニメ特撮SFの世界にしか価値と見なせるものはなかったんだぞー!
     たしかに、こどもんころは、ごっついええもんには恵まれておったんやが、
    年を経るに従い、それらもやがてぃには、尽きていってしまいよりよったんや〜…
                    (by誰か)


   結局は、倒錯としてのその嗜好が幅を利かせるそんな風な人間になっちゃったんだ。




                父さんのその最期として


                  ありし日の父さん


                  ただ去り逝くのみ..


                娘に一言 ”さらば” と..



                  再び黄泉の国へ‥。







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