第9話  ニュータイプ論

文字数 8,485文字

     ヘライザ崇


ユビキタス(ubiquitous)はラテン語で

をあらわす言葉。一般的な用語"ubique"に由来し、この語は宗教的な文脈においては「神は遍在にて御わす」を含意するにおいて用いられて
いた…。要は「いつも何処にでもいて、でも、何処にもなにもいやしない…」ってコトー!



前回の文書の取りまとめにおいて疲弊しすぎて現在こんな有様になってしまってます…。
最初だけ元気にみせたまで…。なので〜こんな状態でもやれることをー今回はやらせてもらいたく思います。それはプログからのサルベージ案件なんです。昔に書き散らかして放ったらかしにしてた駄文を引き上げてき〜て〜、それにチョイ校正加えての再アップです。丁度富野監督関係のが一件ありましたのでソレやらせてもらいます。当然な話として、とある系譜たるシリーズの②に向けての事前準備に他なりません…。

よっこらしょっと…


でわ〜、恒例の〜前説からやるよっと…。聖書はヨハネ福音書20:27から〜。
イエスは疑いを抱くトマスに次のように言ひましたとさっと…

汝の指ホばここに伸べて、わが手をとり、そして、この穿(うが)たれて出来たるの、
 この傷を見よ!、汝の手ホば伸ばし、我が脇にさし入れ、この傷跡を触れて確かめよ!』
『信じぜざる者になく、信ずる者へとなれよ…』*(改稿あり)


ヤッパすわらせてもらうわー…もぉ〜しんどい…
 「ヨッツごらしょっと」


復活後、イエスは、

使徒たちの前に現れたと聖書は記す。
何人おるねん?の話ではないか…。またぱっと見ぃでは、その人物がイエスであることが
直弟子たち彼等においてでさへ分からなんだらしい…。

  「?????」 「ヒィ〜ィィィィーッ…」 「 なんでぇーえ〜っ?!」

しかし、その件の人物の手足には、十字架に

穿(うが)たれたところの、(はりつけ)にされた際にできたその傷が、

あったとのこと。そして、彼の脇腹にも、槍に(いぬ)かれた際にできた傷跡が、もう生々しくも、痛々しい状態にて、とどめられていたのだ…。本当にこの男が復活した主イエスなのかどうかを疑ったのが、(さっ)したるのがえらく悪かった使徒トマス。彼は手や脇腹の傷跡をまのあたりに

、それを指先で実際に

、そうして、やっとこさ、初めて〜その人物がまさしくイエス本人であることを確信する。また信用したのでありました〜だ。気づいた人と、分からなかった人とがなぜかでてたんだね。それって、なんでぇ〜?…。



今回は前段の

がメインで、こっちにスポットは当てられる。
後段においても何かメチャクチャ重要なことを伝えてみたいなのだが今回は触れない。
それに関してはいつかまた別の機会に…。拝。
(↑ラザロのタイトルにてこれももう

。4F参照。)


Re: 再録、ニュータイプ幻想。

あの”ユビキタス”なるタームが、ITの世界でクローズアップされてきた時、自分はえらくビックリしたものだ。えらくオーソドキシカルな(orthodoxical)な語句が引っ張り出されてきたものだと思って。古めかしくも勿体付けたネーミングではないか。これはビジョン(予言)としての何らかの前触れなのではないのか?と自分としては覚えられていた。それが自分の耳に届きだしたのは90年代だ。そのスタートは80年後半らしいが。それに関しての技術革新は2021年の現在において尚も進展中であると…。

   やがてにはAIが個人秘書となることによって完成するのではないだろうか?。
   骨振動を拾うイヤリング型(レモ〜ン!)か、肩にとまる鸚鵡(オウム)が
   その完成型ではないのか!?。そんな風に思うのだが…。
                *こんなやつwww


この技術変革において連想として思い起こされた話が二つ。一つには『ガンダム』(1980年)。そしてもう一つが諸星大二郎のデビュー作である『生物都市』だった。人間がネットとつながることによって人類皆が一体化してしまう。そして、そのことによって、各個、個別ニーズがすべて自動的に不可分的に充足される。

されてしまう...。

実際上の要点は肉体としての。

(くびき)”から”制約(せいやく)”から

にある。老化等の肉体からの難儀やら、いろいろなお互いにおける通じの悪さ、立場によって異なる、考え方の違いによる齟齬から、それらによって引き起こる諍いから開放されることとなる。この事態は、各個の分け隔てたるものが一切解消されてしまってこそ、初めて達成され得るものになる。そのこと自体の原因でもあり結果ともなるのが、誰もがみな、溶け合って、遍く遍在して、共存しあっているの状態…。




             *本作品が公開されたのは1974年!。

長々と前振りをやりましたが、ガンダムにおいての「ニュータイプ」について語りをやらせて
いただきたく存じます。これは、この部分は、ほんと凄いんだ。瞠目に値するしろものだったんだ。これ単独のみにて取り上げ得るに適う!。アニメの表現においてこそ、それであったからこそ、可能となったとあるヴィジョン…。

恐らくは製作者サイドにおいては、そのことに、さしたる重要性は感じていなかったのかもしれない。あくまでも有効なる兵器としてのアイデアの一つにすぎなかった?。その以外の意義に関しては取り立てて別に気もとめていなかった。それはあくまで無意識の産物にすぎなかったのではないか?…。だからこそ正に奇跡としての結実だったのではないかと思うのだ…。

ある概念においてのニュアンスが、映像表現において、革新的な形で提示が為されていた。
そうとしか言いようがない。それは、ある概念の、具体的な映像による提示だったー!。

それが”ユビキタス”(ubiquitous)。


ガンダムは17歳のときみてた。全体的に面白かったけど、自分にとって最大の関心事は、
サイコミュ” なるテクノロジーと、それが実戦において実際如何に使われるかの映像
表現だった。その、それら(ビット)の変幻自在な運動においての攻撃力に魅了されて
いた…。これは、あくまで、感性、いや感覚における感受においての了解の話だ。
シビれるほどに新鮮で驚きを持って感じ、そして見入っていた...。
そして、いま、理屈が、その後を追う…。



これって『

』ってことになるのではないか?。自分がユビキタス(ubiquitous)で存在しないと制御は不可能じゃん。迎撃/攻撃目標たる対象(Object)に照準を合わせなければならないんだから...。それとも、そういった実務は

、主体たるもの(Subject)はあくまでも指揮者で足りるのか?。云わば「オーケストレーション」がその力の本領の発揮なのか?。多分、後者止まりなのだろう...。だったのだろう...。

ここで、自分としては〜、主体たるものの、

たる事態を想像したくなるわけさ。
自分が、そのビットの数だけ増えてしまうってこと。そうじゃないと生来の反射運動、
また努力の末に獲得されたアクションの型や、実戦における判断能力が無駄になる。
その人間としての意識が介在する余地がなくなる。つまりは手応えとしての自主性が
自在性が、居断たれなくなる程までに阻害されてしまう。

オーケストレーションではだめなのだ。断然こっちの方が自然な姿なのだから...。

更には、対象物(O)に対して、幾つもの違う視点から、総合的なる全容としての把握たるものができる。正に理想的なる認知が適うことの次元を開くのだ。これは、モーほんと、その意味たるものの懐の深さは、それをモデルとして獲らまえて!、あくまで何かの例えとして理解しなければならない。事はもう物理的な運動の認知だけには留まらないとすることができる。あらゆる種類のセンシングにおいて、その実際を/実体を把握する。否、多次元的に丸ごとそれを理解するに他ならず...。

*人間の認知能力にはレンジがあるのは知ってるね?。言い換えれば制約があるんだ。
 自然界に存在するすべての音が聞けているわけではない。色においても同じ。
 第三の力に関してなんか

でしかその所在たるを知り得ない。
*萩尾望都先生の作品である「スターレッド」において、火星人の認識が如何に地球人の
 ものと違うのかの説明描写がある。こういったことをヴィジュアライズをもってなされた
 作品は非常に少ない。←画像探したけどネットにはなかった。めんご。
*例えば”未来予知”はどういった仕組みにおいて、何を媒としてのセンシングになるのか?。

もう一回、くどくでゆく!。*未だピンとこない方がも多いであろうからに...。

3Dとしての存在物を、これを一瞥で、そのすべての形状を把握することはできない。
上下左右、あらゆる角度からすべてを微に入り細に入りで検証できてこそ、
その物体の形状を把握することが初めて叶う。
でもそれは未だあくまでも表面的な様子に過ぎない。
これには、X-Ray 等による内部構造に関してのスキャニング、
また、その動作においてのモニタリングにおいての情報等がまだ欠けている。
その対象自体の、Oの、全容としての理解の為には。
そうしてこそ、そこに現存する機工とての、仕組みたるもの理解、
また有機生命体としての構造把握と連携に関してが完璧に為されることとなる。

*これもまた、狭い狭い対象を認識するにおいてのほんの一(イチ)プロセスに過ぎない。
*問題は対象性が持たれる彼我たるものの分離にある。マインドによるアプローチでは
 多分、永遠のイタチゴッコになるのだろな...。

  更にその延長線上には神の眼、意識たるものがが想像できる。
  すべては彼の体の内のことに如かず。
  すべては彼の一部として起こり、また消失していっているまで...。
  だから、すべては、彼にとって知られるべきは、ただ知られてあるまで。
  自動的に即時即応にて理解されてしまってる。
  なんら装置やら機能やら中立ちを、経る、通す、頼ることもなく。
  内に含んで同体たるものなのだから完璧にその対象物は、
  己自体として把握されて知られるのみ...。
  *知るも知らぬも彼においてはなにも存在していない。
  *ときたるものの概念が元々からしてないのだから…。
  *最初から完全無欠なる存在として在る。在られている。

閑話休題!兎にも角にも、これが〈新人類〉たるもののビジョンなのか!と単純にすごいと
思った。ほんと、滅多にないことなのだが、その真に新規なることの出現には感心してた。
説得力たるものが自分には確実にあったんだ...。



攻撃は、対象(O)を、包囲する数多のビットによって、その空域のどこからでも多視点で尚且同時に行える。これはララーの操るエルメスだ。またそれらのビット、敵方が操作するビットからによる多数、同時攻撃を、完璧に防御ができてしまうことによって、防御が可能であることによって、守備方も、同じニュータイプであることがアピールされる。こっちの受けの方が、何故かアムロの操るガンダムとなっていた。*必然。誰によって構えられたるの?。



女が攻で、男が守りとなってたね。女が主導で男が受動とな!。「???」。
これはララーがシャアの代行者であったのだから、

であったとなるのだが…。
まあどっちでもいいんだけどね。とにかく、このセットでしか、ニュータイプたるものの
説得、表現はあり得なかった…。

次いでに些事なることなのだけど、ララアはなぜヒンドスタン系でアムロは日系だったのか?。終盤ガンダムが首なし、つまりは顔のない状態において戦っているのはなぜなのか?。
これらの問に関しては答えは出ないままだけれども、もうどうでもいい。仮説はあるが…。w

〈暗転〉

違うところから、一つはなしを持ってこよう:

人は自己中心的で始まる。これは子供ん頃の話だ。これは天動説だ。そして、いろいろと人生経験を積んでくると自分の非力さ無力さに気づき、また社会の強制力に負けて打ちのめされて、結果、自動説へと変わる。パワーバランスにおいて有利にして安全なる圏内に自分を置くようになる。

しかし、そう他人に人生を預けてばかりもおれず、やがて、主にも従にも、そのどちらか片方のみ、単独で、考慮することはできなくなる。その両者ともに活かすよう考慮して努力するようになる。この時点で変化が起こる。二重性の獲得だ。本音と建前のこと。外界に向けてはすべては仮の役者としての振舞いであると自覚された上で徹底される。本音としての自己は固く深みにて大切に守られるが自覚されてある。Win-Win の関係こそが、唯一の、長期を視野においての生存においての鍵であることを理解する。そうした状態を理解を獲得した上で、彼はバランスを調和を価値として生きるようになる。ここに『多重心』説が浮上してくることになる。これに於いて新たなる天動説へと彼は至り着く。戻ってくる…。*注意:これは頭でではないんだ。理屈においてではない。なにやら感慨として自然と持たれる一種の境地としての自覚としてでないと制御は無理なんだ…。

終局のビジョンは、愛が、関係を支配しだし、自他の境が無くなってしまうの状態。
すべて、自分と出会うヒトは、彼もまた自分であると、等価であると…。
誰もをそう認識しだし、これが矛盾にはまったくならない!。

夢のまた夢の。またまた夢夢夢...。多分、これは天国行ってからの話だろうな〜〜〜。w。

*この話はガンダムとは全然関係ない。
*なんで、この話もしたかと言うと、合流することになったから…。

舞台は宇宙だ。宇宙空間の意義とはなんだろうか?。
空間的な特異性もあるだろうが一番のポイントは『孤独』だ!。
ここには生命を支えてくれる他者、そうしてくれている環境などまったく存在しない。
 ”命あるものは居てはいけない” 場所なのだ。
そこに放り出されて在れば『絶対的な孤独』を味わい知ることとなる。
そして(神は遠く)ただ同胞(はらから)を、その彼等においての命の温かみだけを、
狂わんばかりに、恋い求めてしまうこととなる…。

この思いは、祈念は、やがてに、人間の認知能力を爆発的に発展進化させることとなった。
その死にものぐるいの、魂においての、あからさまにして赤裸々なる渾身の求め、叫びに
よって!。そしてそれは慈悲の思いからだったのだろうか…奇跡を叶えるべく、与えるべく
して門は開かれてあったのだった…。





*この考えは、子供ん時の想像に基づく。
 宇宙空間に独りいることを想像してただただ怖かった。

*スタージョンの「人間以上」を思うならば、
 この地上においても殺人的なまでの孤独は十分に成立するんだけどね…。
 自分たるものを抹消しない限り誰も平穏にでなんて生きてやいけない。

*進化は観念の累積としてではなく、あくまでも魂の祈念においてであるとしときたい。

**複数の魂たちの真実の願いにおける

においてのみ、だと思う。

***切なる祈り、その切なる願いにおいて、みなのこころが一つになる。

*発動発現召喚の起縁が正にこれなのだ…



〈暗転〉



***以降の内容は惰性でぐだぐだ書いただけのもの。
***あまり煮詰められてない。
***かなり中途半端。
***止めとき!。

自己観念。「私」という特別な存在としてあらんとする意識はマヤカシなもんらしい。
その誕生の由来には原罪よりも、かの名高き存在の転写であったことを自分としては
考えてしまう。神を越えようとしたもの…SAM、もしくは小松左京流でいけばルキッフ。
*脱線になるのと陳述はリスキーなので止めよう...。

とにかく”私”という観念だ。これの正体はエゴに他ならず。かなり異常なものであることは、
その傾向性を確認すれば誰もが思うところ。不思議なのは他人において、神経質なぐらい敏感に批判的になるのに、こと自分においてはまったくの無神経になること(バッファー機能)。

まあ、とにかく、その表れとして最も愚かしいものが戦争。狂気としての現れでしかない。
主体はグループ(国家)になるが、同じ原理だと思う。『殺すことなかれ』のキリスト教が、
十字軍で行なったことを考えれば、やはり狂気がその共同体を支配していたとしか思えない。
こういった場、状況、環境においてのみ、人はこれの異常性に気づく。骨身に沁みて思い知る。そして、やっとこさ、正気への道を模索することが可能な状態へと至る(帰る)。

ガンダムは初回で完了すべきだったと思う。
あのラストでは戦火をともに潜り抜けてきた仲間間で精神感応が可能になっていた。
自他を超えて、『一にして全、全にして個』(王蟲)の境遇に達していたのだ。
どれだけ感動的なエンディングであったことか...。
この内容を引き継ぐことができない以上、続けるべきではなかったと思う。
これは勝手な個人としての意見です...。


Re: ニュータイプ論。番外編:それぞ即ち『Swing-By…』


二部以降があり得るとするならば、ニュータイプのグループができて、
これがジオンと地球連邦に対する第三勢力となること。
その目標は人類を統一し、そのすべてを善導しようとする為になる。

その集団スケールは、かなり弱小にはなるが、戦闘能力は圧倒的だ。
全員がテレパスであること、認知機能の拡大が最大限に活かされる。
超高度な情報戦もあることだろう。

そして、新たな力として
*Swing-Byと呼ばれることとなる
準テレポーテーション/準サイコキネシス能力が発現する。

*近接する重力場に向けての自由落下が原理。
 こちらは質量NULで指定対象は∞とされる。w。
 恣意的に対象化されたあれやこれやが(自分含む)、
 NUL と ∞ に色分けされて(微調節も可)、その力学関係性において
 運動が発現



一人としてもう死を恐れるものはいない。機に際しては喜んで犠牲になることを受け入れる。
これが彼らの特異なる資質。肉体の死は存在自体の破壊ではないことを事実として
みんなが理解している。

また、彼らの弱点は絶対数の少なさのみ(ボトルネック)。
だが彼らは、徐々に支配を拡大していくことにはなる。
だって負け戦は一つとしてないのだから。ありえない…。

理想への到達達成がなされる期間があってもいい。夢のミレニアム。
しかし、それも、代替わり、時間の経過において崩れてしまう。
苦悩の時代を知らない新世代において、やはり伝えきれない内容が存在してしまう。
予期されなかった瓦解の展開。

やがては、彼らの理想おいて、すべての人類を率いることは、できないこと、
してはいけないことであることがハッキリと自覚される局面がくる。

時間跳躍能力の発現があり全てを見てしまう。
人類史における正気と狂気の循環が、

、その土台で、
これをスキップしての進化はありえないことが分かる。
*過去の改変は絶対にできないがルール。


彼ら(イニシャル)は、彼方、宇宙の深淵部へと、
超越存在(オーバー

/イデ)に導かれ、箱舟にて旅立つ。
当然、船名はカルナック(Karnak) 号。
後に、大いなる混乱を地球を含めての太陽系に残して!。

終劇


蛇足: 

Karnak の名に込められたその意味は(ひつぎ)だ。

幻の第三部は幻魔大戦化です。展開上、脚光があてられなかったダークサイドとの
関わりにおいてがテーマ。二極からの働きかけはどのレベルに存在しようが避けられない。
*山田風太郎先生が憑きにきてくださいます!。

更にその第四部はもう言語化、映像化不可能の領域。

いっそ真マーズをここでぶち込むか?...

当然に旧世界の支配者も登場させざる得ない。*パワーバランスのためにね。

ありがたいことに、役者は、すべて造形(され)済み。あとはその意味の解放まで。

これは…かな〜りの中二病、狂い咲き全開の内容ですね!。





               最初から言ってたでチョ〜?!
              あれやって疲れちゃってるんだって…
               ほんと〜にゴメンね〜m(__)m 


              ②やり始めてます。絵だけ揃った。









                   おまけ










          私めは新参者の

のひとりです!。
          どうか、ユアハイネス、ご掲載の、お許しをーーー!!!。
          ”いいね”を全動画に押させていただきまっすのでー!。





       こいつぁ〜もうあっしの手に負へる代物(しろもん)なんかではね〜でがんす。
     あいつらは、このあと、ただのんべんだらりってわけでもねへでがしょよ‥
   新たなる務め、それも

って思うほどまでのものが、控えてやがる。
       それだけは、もう、まったくもって、確かなことなんで、ありんす…。





                   z.z.z.z.z.z.




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