第23話  とある系譜③-3

文字数 25,412文字

        Re: 完全なるいかさま。茶番としてのリリスの命名。

どうしてリリスなんてもんを引っ張り出してきたんだろうか?。そんなことをすれば、ことはもう完全にユダヤーキリスト教の教えからすればもう確実に逸脱していってしまう。もう完璧に異端としてのものになっちゃう!。”エヴァ”という呼び名を使うことからしてもうワケワカメ…。もうめちゃくちゃな話しになってきて、いってしまう〜。

エヴァンゲリオンとは日本語訳で”

”のことなんだ。ではこの福音とは、いったい何なのか?。天にその発信の源を持つ”

”のことでしかありゃしない…。英語で言えば、 「GOOD NEWS 」となりまして…「ちぇっ!」あんたら全員、人類として今ある皆様は〜、

許されて、も〜とるんですよ〜って。それ

‥。そんでから、心から、

となられたるところのイエスを信じる、それに連なるものと、

ならばぁ〜
だ、あの天国への入場さへもが叶ふ、適ってまふ!。新たなる肉体を備えた形にて果たされてしまうことに、なってしまうん

ー!ってことの、そのお伝えなんだわさ…。あんたら、ようは知らん分からんのやろ〜けれども、実はもうそないな風になるんハ、既に間違いのないこと、もう

確定事項】なってもーてるんですよ〜ってことの…その意味においての、そこんところを強調したってのお伝へとなっとんのや!。「はぁはぁはぁ」なんで‥今さら‥こんな話しを…それと〜そのことがまだ成就もされてもいないっちゅうのん、もうまた

やて、新たなる時代におけるの意味を添えての加えたっての

って…それはどうゆう意味においての、おいたって

お伝へな訳なんや?!



                             タカシ吠える!

とにかくにも背後にてすべてを操ってある

、イエスに連なる、連なってある、そのすべての伝統文化を、

破壊したい

にして、(くつがえ)して、みたいんだわ‥。人類が救済されてしまうことだけは、なんとしても、断固として、是が非でもーー、(はば)みたい。だからこそ〜

なんとか捻じ曲げたいんだ…、逸脱させたい、間違ったものにおいてで、それにおてでこそ〜、

してしまいたいんだ…。丁度体の良い材料、絶好の機会として、この作品はあった。

、あくまでも、利用されてしまってた、

、ことだったんだ…。



あれはリリスなんかではないな。冥界にて住まいしてあるイザナミ、オルフェウスの妻エウリュディケ、もしくはペルセポネとしての存在だよ。つまりは死して黄泉の世界にその居を所在を移したその領域に染まりきってある女だ!。※下半身からヒトを生やしてあるその不気味な姿からは”女媧(じょか)”があれのオリジナルのイメージだったってことが分かる。

考えられるのは悪魔の誘惑に惑わされて不道徳なる道へと、そちら側へと、勇んで傾いていってしまった、走っていってしまったそんな女のイメージだ。猥雑なる色付けを伴い持っている

としてのイメージ。童貞だからだ。そしてまたその自分が行ってしまったことを心底から悔やんでしまっている。かって生きた現世への未練を断ち切れないでいるそんな女。そういったものがどうしたものなのか彼においてはヒロインとして欲しいもとされてしまったいたのだ。疑似童貞だからだ。もう必須にして必然なるイメージとして結ばれてしまってた。またそれは、たとえ人としてある、それへと転じてあれる状況になったとしても、本質的には完璧に人の手によってでは救い難くしてのものでしかない。もう遠に手遅れと成り果ててしまっているそんな境遇にある女なのだ。そんな女がどうしても描く上においてのオブジェクトとして欲しかった。このチェリーが!。観客らのその甘っちょろい限りの(うぶ)なる心に、良心としての思いやりに傾きやすくしてあるだけの、その脆弱なるあまちゃんとしての感情、それに働きかけるかけてやる、強く訴えることができるとの計算のもとに…。※実際の表現においては、こういった要素は

あるまで。最初の要素においては、リリスとしての名を使うならば、その女の影には最悪としての存在を潜ませる暗示させることもまた可能となる。ハッキリいえばそれはサタンとしてのものになる。それが人類に対してなにをしたいのか、なにを目的にしているのかについては、各自がしっかりと、現実におけるその実相をもって知るべきこと、悟るべきことになる。



     えらく丁寧に描かれている。品よく格調高いと言える思えるほどまでに。
        登場するそのほとんどの人物はただの

のに…。


   それもそのはず。この二人は元夫婦だったのだから。つまりは実在としての人物。
    ご両親に関しての彼の記憶にあったそのお二人のイメージなのかもしれない。
    この彼にとって最愛の妻であったその女性は既に亡くなられてしまっている。


     メインのテーマはこの世の”(ことわり)”を超えること。それを覆すことにこそある。
      たとえそれが外道の法術黒魔術たるものをもってであったとしても!。
   そして黄泉の世界その住人となってしまったモノを現世に呼び戻してしまったのだ。



              当然な話し、それは

さ。
      これを暴いたとて、そこにあるのは数多の蛆ととぐろを巻いた毒蛇だけ。
        それらの寝床と成り果てている女の髑髏しかもうそこにはない…。

        「ガサガサガサ‥シャコシャコシャコ…シャシュシャシュ……」

其はこの世には属さぬモノであるがゆえに、こうして槍をもってして封じておかずばならぬ。
さもなくば穢を撒き散らかす恐るべくしての厄災それとしての源になってしまうのだから…。

        「ニュルン‥ニュュゥワ〜…ペチョペチョ…シャアーーー!……」

でっある以上、この槍たるものは特殊なもの、特別製でなくてはなるまい!。死霊としてのその存在を現世において

様する為にはだ!。特別なるもの至極特級クラスにおいての霊験あらたかなるものでなくばならない!。その超弩級の宝具としてのものをどこからか探してこなければなるまいて。そういったことは人の手には確実に、もう完全に余るので!。だがそんなものはない……どこにもない…まったくない……。あっ!そうだ

を持ってこよう!。

を使ってやろう。そうだそうだ、そうだのそうだ!。あの「神殺しの槍」こそが、今回のこの目的においては最適なのではないだろうか!?。もう良う分からんが、アレを使えば使っちまえばいいじゃないのー?あの「ロンギヌスの槍」ってやつをだ!。

〜だ!。きっとあれにはそういった効能も薬効も効き目も、きっとあんのに違いない!。いや…もうどんどんどんどん、そんな気がしてきた、してくる〜、してきてるー!してきても〜とんが〜〜なーー!。なんと!そうであったんかいな〜っと!そう

やな〜っと!。←(メチャクチャ安易。こういった発想においてなんの頓着もしなかったってことこそがバカの証拠その証しっと。)






               片山(健)先生ごめんなさい。


                    読 者

※ついでに「神殺し」においてのその意味は、イエス・キリストを屠った、亡きものにしたってことの意味ね。そのことにおいて使われた槍ってのには、もうなにか、とんでもない力が秘められることとなったって思っている方も多いがそれはまた違う。もう完璧に間違い。元々それは至極普通の一般の兵士が持ってた槍でしかなかった。きっとあまり手入れもされていないままのもので事前になってから慌てて穂先だけしっかり鋭くするべく研がれてたんじゃないかな〜。公儀刺殺人たるものにおけるその役目ともなれば、失敗することは絶対にできなかっただろうし、許されることはなかった。もしそんなことにでもなれば、そのお役目を間違いなく降ろされてしまうことになる…。だから即物的にぶっ刺して、それが致命傷にいたればなれば、もうそれだけで、十分だとしての代物だったんだ…。ことのあとにおいも、その槍の状態に関しては、なんの変化も変わりもあらず。何しろ、何よりもだ、イエスご自身が、ことにおいて、なんの抵抗も見せずに、

おられたのだから。だから、ことは、陳腐なまでの、その限りの、ごく普通の槍で十分だったんだ…。(ロマン性の剥奪を目的としてここ書いた。)

※この人は「

」ってのが好きなんだ。一撃ですべての敵を撃破してしまう破壊してしまうそんな超破壊光線としてのものが…。一瞬で形勢逆転を果たすべくしての兵器としてのイメージが…。重々しくズブリと突き刺さって、その身に深々とメリ込んで、そんでから最後には弾け飛んで、もうとんでもない大爆発を起こしてしまうそんな過激にして鋭敏なるイメージに惚れ込んで憑かれてしまってる…。それをやりたいが為に、やりたかったが余りに、アニメーターとしての仕事に着いたんだろな。オモコ強健在。



性格的には激情を備えてあるわ、いるわ。なんだろね…他のことの一切は、この表現を、最高に最上級の効果をもって果たしむる為の、材料、土台、舞台としてのものでしかないんだわ…。さすれば〜、槍たるものへのこだわりも〜、偏愛、その固執って事態にも合点ってやつがいくってもんなんではないだろうか?。※焦点がどうしても過剰なるまでにもメカ寄りなんだ。片端。実際には車に乗ったことのないメカニック。それもマニアと成り果てたるのそれとしての…。生の重心として定まってあるべきものが、その価値たるものが未だ無理解のまま、曖昧なまま、そんで結果、ことの逆を、その反対を、正反対を…。




アッハーハッ!」肝心なることが伝えておく語っておくべきことが抜けたー!

も〜て、いっるーー!。このリリスってのから人類が生まれたって〜事になってるじゃない。ならばだ、それは人類皆にとっての母ってことになる。では、それを十字架に掛けて槍をもって貫くってことにはだ、そこにはいったいどんな意味があんのだろうか?!。

   人類そのものを厭い憎み怖気をもって(ほふ)らんとするその態度表明じゃない?!。
      

根絶せんとするその意思表明としてのものでしかない!。




この自分を受け入れない、認めない、優しく迎え入れてくれない、そんな人間たちならば、もう自分の世界、この自分が生きてあるこの現実からは、消えて欲しい。全員消えてもらって構わない。結構ですと。ここには殺意へと容易く変わりやすくしてある突発性の激しい怒り、その衝動それにおいての激情たるものがある。「槍を今すぐこれへと持って参れ!」としての‥。つんまんない小児的な自尊心においての欲求不満それによる疼き痛み苦しみが鬱積してしまってる。ことの原因ってのは彼においての現実ってのがすべて仮想世界にその根をもつ、そちら側にて立脚するものでしかないからなのだ。読んだ漫画においてでしか現実を知らないみたいなことよ。読んだ小説においてでしかこの世に関してを分かってない。いや正確には、分かった気になってしまっているまでなのだ。極端なことを云うならば、それは、そこは、そんなもんは、観念においてのよっての

、神のまったく在さない非現実としての世界でしかないのに…。ことは未熟なままにあるその当人には分からないことになる。その個人の内面、主観的なる内的世界のことでしかないのだから…。そういった現実感覚を失ってしまい観念としてのイメージの世界へと自分の居場所を移してしまったものらは、まさに聖書にて語られてある(はぐ)彷徨(さまよ)いでたところの羊ってことになってしまう。そういった人間こそが、あの彼においてともなれば絶好のターゲットになるのだ。更に奥深くへと現実からは遠く離れた仮想としての世界へと連れ出されてしまうこととなる。いろんな凄いアイデア発想インスピレーションを餌にして‥。そしてハスナムとして叩き上げの存在へと作り変えられていってしまうんだ…。

人類にとっての母たるものを槍をもって磔刑に処する。それは本当のところでは死にゃ〜しないさ。でもその自分としての思いってやつはハッキリと行為において(あかし)しとかなくっちゃ〜…。ズブリと、渾身の力をもって、殺すつもりで刺さなきゃならない!。いいじゃないか、それは単なるイメージとしてのものでしかないのだから。お前のことをなんも分っちゃいない、お前の凄いとこ優秀なるとこを、なんも認めない、そんで批判ばかし言ってるバカで能無しのなんの苦労も知らない…そんな奴らの根源だって、それらの総体をもってしてのその暗示だと思えばいいんだよ…。

どっかでこの男はその彼の手中に落ちている。その彼としては〜だ、この表現者に興味があったわけではなく、彼が創るところのそのアニメ作品をもって、それを通して、それをもって働きかけることのできる観客観衆の方に関心はあったんだけどね。ことの効果、その結果においてさ…。

追記:

アニメーターという職業柄ってことにもその原因はあるんだろな〜。現在のその業界は閉じた巨大なシステムとしてのものになっちゃってるだろうからね。中の人間もおかしな加減で染められていってしまうんだろう。なんにおいても、どの業界においてもそうだろうが、かってのその昔とは違うんだって…。根本としてのことのすべての原因は、全体としての話にはなるのだが、

ヒトが育ってない、それとの関係において、それを意識して、確信確認しながら、

ことができなくなっているってことにこそある。

結果、

ってのが極端に疎かにされて、もう見失われ始めているんだ。「現在、極端にそれが弱まりつつある」。経済的成功、ポジション、ステイタス、外観の優麗さ、金銭の獲得のみに、その主眼は意識されて置かれてあるまで…。中身が、人間としての存在感が、著しく失われてしまっていることに、お気づきであろうか?。そして結果として、ヒトのこころは無自覚なるのそのままに、そのままにて、疎外抑圧劣化毀損されていってしまっているのだよ‥。だからもう真実がなにも分からないっと、分からなくなってしまった、しまってますっと…。だって社会全体がもうおかしくなってしまっているでしょう?‥。転倒倒錯錯誤の、それとしての、それにおいての、エキスパート、そんな人間ばかり、それとしての(たましい)ばかりに、なってしまいましたっと…。そんでいつ暴発するかわからない、そんな激情をみんなそのこころに絶えずいつも秘めていることになんだ…。

ハイ。ここまでは導入部。今回のテーマはクロスにおいてついて関して。

Re: つまりは磔刑につひてーー!。

すでに一回どっかでやったような気もするがこの作品においてもう一回やってもいいだろう。もうめちゃくちゃたくさん十字架が立ちまくっているもんね〜この作品においてでは。ここまでクロスを生やした映画ってのもないだろう…。だからだ、つまりは、彼は、確信犯として、それをやってたーってことになるんだ。きっとギネスに乗ることを、いつかは必ず、乗るであろうことをー見越しての〜のことだったんだろうなって思うんだ…w。

さて磔刑においてのその社会的なる目的ってのはなに?。我らが生きてあるこの共同としての社会、そこにおける秩序を乱す逆らう異分子としての存在を、強制をもって排除すること。つまりは、もう殺して、居なくしてしまうってこと。それもだ、その行為に伴って、更に付随的な目的ってのがまたあって、ことの再発を防止するを目的として、残りの皆に、恐怖をもってことの重大なることをことを直接に意識させる、実感してもらうだ。見せしめをもって殺すってことの本意は、実はそこにこそあるんのかも知れない。同じ真似を間違ってもすんじゃないよっと…。

※後は、これは難しい話しになるのだが、天に向かって、自らたるものの立場を、その方針たるものを、明確に証しするって意味合いもある。神たる存在もまた、ヒトの子等のそのあり方の選択をご覧になられているからだ。そのあり方において、また主ご自身も、対処を行われる訳なのだから。絶対律は天にこそ置かねばならない。それと鑑みて、正しいか、間違っているのか、罪としての行いなのかを

、ちゃんと判断しないとならない。善悪の判断がもうできるようなってしまっている以上は…。

Re: ここでエヴァにおける磔刑にされてあるシーンたるものを見てゆこう。

そうすることにおいて作者が十字架上にあることを、どんなことに、どんな風に観てたのかってのが分かる〜っと。彼自身がその十字架上にあるってことの体験をもってるんだ。まず最初は碇シンジ君だ。その彼にとってはエヴァそのものが十字架、十字架台としてのものになる。それとしてのものに封じられてしまってるんだ。その彼は親父さんの思惑、つまりは作者の思惑において。シンジ君はある意味実はいない。たんなるお人形さん。よくて親父さんのバックアップとしてのキャラ。だからもうやりたい放題。その親父さんの方は妙に守られていてかっこつけまくりなのとは対照的に。たんなるダミーよ、彼シンジくんは。作者本人の〜でもある。

物事のよく分からぬままのまた年端も行かない子供がいきなり生き死の瀬戸際たるそんな戦場に一人でたたされることなる。完全に不合理としての、そんなお話しの挙げ句に!。所詮そんなもんが役に立つ訳がないのだ。速攻ボコられてあっという間に沈黙、死んだにも等しい状態になりました〜だ。※ここはね〜、表にて、いろいろ名前がでるようになって、そのせいで批判殺到となってしまってたのだ。世間からの厳しい評価を、嫌になるほどもらってた体験がベースなんじゃないだろうか?。たしかに、ナディアは人まね小猿によるステレオタイプとしてのしょうもない作品だった。トップはあくまでメカ演出が担当で、話の本筋を考えた人はまた別にいる。フリクリにおいても彼が担当したシーンはワケワカメだった。あの人工衛星が落ちてくるやつ。そんでナオタ君がソレかっ飛ばすやつよ。アレみたときには、悪いが、あの陣内智則がよく使う、よく云うところの「はぁ〜!?」だったんよねー。彼はね〜前にもどっかで言ったんだが原作やってはだめなんよ。それとしての能力は残念ながらない。ならば彼自身が創ることを夢想するほどまでのよくできた原作ってのもまたなかったんだろうがね〜…。とにかく自身としてのその才能を活かせること

専念してあるべきヒトなんだよ。このヒトは。ことの奥深くしてのヒトの本質たるものがなにも本当には分かってない。その彼にとってのすべては、仮想空想としての漫画特撮小説世界に

準拠しているだけなのだ。だから一線たるものが分からない、それが引けないでいる…。

とにかくにも困ったことに社会的身分、その自分の仕事において、状況による要請たるものが、彼に働きかけることになった。なってた。自分の思いや都合などお構いなしでね!。経済つまりは収支たるものが評価におけるその絶対基準にして唯一の目安なんでね!。また同時に自分の傷ついたプライドを修復する必要が確実にあった、いってたのだ。そのためには、それは自分のオリジナルにおいて勝負するにしかなかった。なんかアンビバレントな様相とはなっていないだろうか?。こういった不合理なる、それとしてでしか思えないような状況下において、それの強制下にあることしかこの自分にはあり得ないんだってことが、彼にとってはひたすらに十字架にあるにも等しいなどと思えてたんじゃないだろうか?。そんときゃ〜ひたすらパニクってあるまでで、もうこんな風になって苦しんでたまでなのだ…

そしてこの自分にトドメを刺しにくるのは観客としてのそのものら、その彼等。彼らによってなる事後の評価、また最終的に観客動員数×の入場料その総額によって測られるところの社会的評価ってやつこそがーなのだ…。

旧劇こそが彼においてのその最高傑作になると思う。アスカ復活から初号機の勾留までがだ。その後にラストに向かうその流れにおいて、私小説としての世界に切り替えてしまったことが間違いであったと思われる。大いに惜しまれる。なんで、シンジに、姫(アスカ)を助ける白馬の王子役をさせなかった、任せなかったのだ?!。でも、その世界において、彼は正直に自身としての思いを、経験において味わった思ったことを、たとえそれが精神的虚弱児薄弱児としての、その無知の限りとしての、幼きままの乏しき内容のものであったとしても、どうしても皆にそれを吐露する、伝えずには、聞かせずにはいられなかったのだ…。そして、どうしてその事実がバレないと思ったのか?!。その余りにも無神経、厚顔無恥にして恥知らずなることが、その貴方としての現在の成り立ちであるってことがだ!。

       「 そういったことは他人に語ることではまったくない!。」

ことは二部にて構成されてた。シンジとミサトとの最後のかかわり合いと、謎の三人の少女を固定するをもっての、観客席のこの作品を見に来てくれている観客等、またそれ彼等が去った後の座席の全景シーンにて語られてあるシンジの独白においてで…。


なにを勘違いしたんだろうか、しているのか?。それをすることは単に甘えでしかないのに…。なにが「気持ちいいの?」だ!(怒)。そのお前こそが、かって一番気持ち良く感じてた、そういった人間、その張本人だったんだからなっ!。今更この純真にして愚かなだけの若人達を見下げるような真似をするな!。その立場へと自分の身を移すんじゃない!。ましてや、この作品はだ、お前が、お前本人こそが、創ったものじゃないか!。だから、そんな人間であるから、そんなもんにしかなれなかったからこそ〜、そちらっ側の手の中に、その内へと、落ちることになるんだ…。単にウルトラセブンの真似じゃん、ここって‥。「エピゴ、エピゴ、エピゴの塊!」。このひと離人症としてのきらいがあるわ…。

レイもカオルも、そちらあちら側としての、それの分身でしかない。

そしてエヴァシリーズそのものがネフリムとしてのもの。つまりは天使存在と人間の女とのその罪としての交わりの結果としての怪物のことになる。その存在自体がはあまりにも罪深くしてのものなので、神の名において断罪の天使等によって、彼らは殲滅させられてしまったものたちなのだ。だが、その

は残されていたんだけどね〜…。

Re: コラム。脱線話。ネフィリムそのものについて…
ネフィリムの本当を、そのもの自体に関しての本当を、もしこの自分が語るのであれば、皆を監視管理指導するそういった役目にある人間達が!本来は天を目指し尊んであるべくしてのその人間たちがだ!悪しき側へと堕ちたことによって引き起こった、その

になる。ことの結果としての影響力のその全体が、それそのものが、ネフィリムとして、語られるべきものになる…。かって絶対の規範規律、皆にとっての楔、枷としてあった、それとしてあるべくしてのものが、ものらが、突如、我が意において、その意識的なる選択において、変質してしまったことにより、その彼らがおさめてあった組織全体が、その国そのものが、同期同調して、同じくしてそれとしての同質なるものへと、その悪しくしてものへと、変質を果たしてしまったのだ…。こっちの方は否応もなく、自動的に、追従的なるの加減でぇ〜!。それほどまに彼らがもってあったカリズマは破格なるもの強力なものとしてあり得えてたんだよ…。※それを得たる得れたのは〜、神への真剣なる信仰の故に、そのお陰だったんだけんどね〜…。オモコとしての意見でしかありませんのであしからず。※(罪としての第二の重大事件になる。クンダリーニたるものがそのことに関与してあったであろうことはここでは割愛する。)

すべての構成が、ヒトを収めてあるその存在のすべてが、あちら側としてのものとして、その設定になってしまってる。どうしても世間に向けて自分の威信、プライドを賭けて、勝負するにしかなかったんだろう。その為に、ありとあらゆる奸佞を策略を計算を用いて当たらせてもらうが覚悟だったのだ。このシリーズの制作開始においてでは!。際どさ危うさもなに躊躇することなく採用させてもらった。あざとさの限りを尽くして、それをもって皆の注目をかっさらってやる!。それをするにおいては俺らガイナは選り抜きの天才集団なんだぜっ!。※宮崎駿にとってのラピュタに相当する作品だったのだ。

エロが金になることは、あの「俺の旅」が教えてくれている。また後人による「BE FREE!」がだ。それとあの「キューティーハニー」は凄くよかったエロかった!。また「まいっちんぐマチコ先生」におけるその視聴率、毎度毎度の終わることなく果てしなくなくなくしてのその再放送ごとの指数関数的なるあれのこれのそれの伸びがだ!。ことはだ、そのオタク心たるものに突き刺さる煽り立ててあるその微妙にしてなるエロさこそが成功の鍵になんる〜のだってばさー!。その心を過去に遡って読ませていただきました(サイキック崇)。w



こういったゲンドウによる薄笑い、その皮肉にして目前のことをあざ笑ってあるかのような態度が嫌いだ。なんでこういった演出にこだわるんだろうかね?。自分はすべてを見透かしているとでも?みなの分からんようなことまで先の先まで読んでいるんだよっとでも?。安生、あざとくをもっていかせてもらいます〜としての宣言なんよこれは‥。確信犯としてのもの‥。最近のアニメなんかでもこの演出はよく使われているね。ことはヒトの浅はかなるがままのその傲慢としてのあり方、それをカッコいいと思う風潮としてのものでしかないな。人間としての弱さを隠しもってのその虚勢としての”嘘”でしかな〜〜いっと。

この加減にも、あちら側への、その立場としての立脚具合が、知れようってもんなんだ。

ちょっとしんどくなってきたのでこの辺でこの話しは一旦停止と致します。

全体の三分の一も行ってないんだけどね。

予定ではあの量産機による弐号機蹂躙に関してもやるつもりなんだ。

とてもチャレンジングでしょう?

あれはね〜美樹ちゃんの惨殺シーンをアスカでもってやりなおしたまでのことなんだ。

単なるデビルマンの焼き直しさ。体裁変えての二番煎じ。

狂人に落ちた人たちによってではなくて、グール(屍食鬼)そのものらによってとしたんだ。

どうしてもそれをやりたくってしょうがなかったんだろな〜…

これこそがトラウマたるものの恐ろしさだ。

そうそう十三号機がどうしてダブルエントリーになってのかって云うと〜…

そこは地獄じゃん。入場するんならどうしてもそこの主たるものの許可認可が同伴がいる。

その内、その圏内においては、

そこのなんのだから。

ガイドとしてのものがどうしても必要になってくるんだ。

またそのガイドをかってでた存在としては、どうしても人類の丸ごとをそこへと引き入れたい、引き込みたくってしょうがないもんだから、だからこそ御大みずからがその役をかってでてきたまでなんだけどね〜…。



固く強くキツく

結ばれて

って!



絵が凄まじくたくさんあんだけど〜。


どうしよう?


もうやめとこか?。


つづく。 

この稿内において…


いや、やっぱり別稿立てるわ〜。

量産機ものはごっついボリュームになりそうなので。


草々








               元の

収まりましたっと‥


    見ての通りすべては茶番でしたのよ〜、そうだったのざぁ〜ますのよ〜っと。
   すべては偽装猿芝居

としてのものでしかありませんでしたーっと。


           もう一切の偽装、誤魔化しは不用となりたる。


       いざ、黄泉の国そのものとしてのこの我を、曝けい出さん。


       しかと迎え入れてあげずばなるまいて…直接我が腕をもってで!



         この美しくしてのその姿は幻影としてのものでしかない。
          だから自分は、「(たぶら)かしをもって」って云うんだ…



               ダブルエクスプレッショニング。
         シンジの記憶にあるその思いとしての投影その切り替わり。
   かつそれは明らかにレイでありまたカオルでもあるところの存在でもあるんだって。
       真実のところ、これはルシファーとしてのものが背後にて存在している。
          同体であることを、如実にこの絵こそが明かししてくれている。
    
         ※全体的にこの自分の解説は物語の中にはいない。あしからず。    
    

          シンジ「僕は死んだの…?」
           レイ「いえ、全てが一つになっているだけ。
              これがあなたの望んだ世界、そのものよ」
           レイ「


          シンジ「いけないのか?」
           レイ「


          シンジ「僕一人の夢を見ちゃいけないのか?」
           レイ「それは夢じゃない。ただの現実の埋め合わせよ(代用品よ)」
          シンジ「じゃあ、僕の夢はどこ?」
           レイ「それは、現実の続き」(現実こそをその苗床として)
          シンジ「僕の、現実はどこ?」
           レイ「それは、

よ」
          シンジ「でも、これは違う。違うと思う」
           レイ「他人の存在を今一度望めば、
              再び心の壁が全ての人々を引き離すわ。
              また、他人の恐怖が始まるのよ」
          シンジ「いいんだ…ありがとう…」



       あっちのミサトとの会話もそうなのだが、これにおいても過ち嘘がある。
                 それも決定的なるものがだ!。
         いいんだじゃないって…ことは抜本的なる解決なんかどこにもない。
           ことは悪夢としてのループにしかなってないじゃないか!。

一人になりたいっていって一人になったら、今度はつまんなくって寂しくておもんなさすぎて‥、そんでまたその他人の輪の中に戻れば、くだらない低能のクズばかりなんでまた絶望する。もううんざりだよ。こんなんばっかしじゃないか。これの往還としてのものでしかない。それとしての、それとしてでとしか、すべてはあらないじゃないかー!。「違うんだ」。本当のことを教えてあげよう。その他人の中に、自己の中にても備わってある根付いてしまっているその同じパターン(どどめ色)を観て、それを嫌って、憎んでいるまでのことでしかないんだ…。真に対処すべきことなのハ、実はその自分の中にある、その傾向性質習慣においてとなる。これが為されないその限りにおいては、ことは無限地獄としての現れとなってくる。エクソダス、ことにおいてのその解決法はあるにはあるんだが…。それは確かにある…。でもたぶんそれは君にはできないよ…。そこまで真剣な話とはならないだろうから…。まず日々の出来事、事柄に埋没しすぎてるし。それらでもう頭の中はいっぱいだ…。中身なくして忙しすぎるんだ…。神にぃぃぃー、その導きを〜〜〜求めなさいぃぃぃぃぃーーって…。(これもまた超破壊光線としてのものになる。)

 Please forgive me. For I've forgiven those who humiliated harmed me enough so badly!

       滅ぼしとしてのその力の作用に対して創造としての生成力が勝ってあること。
      愛においてそのパワーが一切を支配して平定してしまってある状態こそを作れ。
          論より証拠を一切に先行する絶対のガイドラインとして持つこと。
        苦しみにおいて語るんじゃなくって、理解されたることにおいて語れって。
                それこそを表現において為せって!。

                  

!。


           この旧劇は興行成績的にはよくなかったのであろう。
      だが世間におけるその注目度関心度はうなぎ登りとなっていってしまう。
          ※謎解きが多大に過分に残されてしまっていたのでね!。
  そして、ことの結果その名誉回復を目的としてあのシンシリーズたるものがあったのだ。

        夢の中で、更に精巧にして精緻なる夢をつむいだとてなんになる?。
      その行為行いこそが、あなたがあれの術中にはまってあることの証なのだ。
        過酷なる現実をすべて味わい尽くして、それをくぐり抜けるをもって、
              夢から覚めることこそが課題となのだ。
        全力を上げて毎日を励んであればいい。ぶっ倒れるほどまでに。

          いまやれ、すぐやれ、できるまでやれ、必ずできる!(永守重信)

  エゴとしての自分を捨てて誰かへの愛をもって仕事に精をだすことこそが脱出の手立て。
        一切自分を憐れむな!もっと可愛そうなヒトは一杯山程いる。
        忍耐忍辱、そして正体不明にしてなるなにかへの感謝こそが鍵。
     正直にしてあからさまなる求めにこそ応えてくれるその正体不明なるものこそが。

                 回心こそがことの決定打になる。
       世界の背後におられるいるものの存在に気づく、確信することにおいて。
          まずは選ばなければならない。そのあなたの価値観たるものを。
            この世の栄華栄達を人格において願って生きるのか?。
        それならばより人格を高度に洗練された形に強化してあるまでのこと。
        それとも本質が願い求めることにおいてこの自己たるものを生きるのか?。
            ならば苦しみを糧にできるようならなければならない。
           それに際しても喜び感謝できるようならなければならない。
                   するとどうなるのか?。
         親しくして近くある人々の苦しみもまたうよく分かるようになるんだ。
         どうしたものなのか、もうかってにそれをなんとかしてあげてるんだ。 
         いかに大変仕事としてそれがあったとしてもなんの苦労も最早感じない。
                為すべきことをただ為してあるまで…。

             後者を中心に、

神に祈り求めるのが正解。
                   後は聖霊が導いてくれる。
              あなたが真剣に祈り求め、また努力するならば…。

    
    あれの、あのシンの結末となるならば、彼は観客を贄として捧げてしまってるよ‥。
           それも無自覚、無責任にも、その限りにおいてで。
        ゆくゆくは彼は永井と同じ結末、それと同じ状態顛末になる。断。

            なんら命の宿らぬそんな作品作りばかりとなる…


               実際、既にゴジラがそうだった。
              シン・ウルトラマンも確実にそうだろう。




         この女がいったい何を行っているのかお分かりですよね?
           一人たりとてその魂を取り逃がしたりはしない。
       私と共に一緒に、我らの領界へと参らん、そこへと持ち帰へらん‥



              そして至極悪趣味なることの結末。
         万感の至福の思いの中にあって自らの首を掻っ切る切られる。
            彼においてのその狂気の表現その噴出でしかない。



我が内に迎え入れたるの魂、ことの後に改めての虚無の中へとすべて投げ捨て入れたらん‥



      空虚、無駄、ナンセンス。泡沫となりて一切は暗黒の内へと消え去りぬ。
           我が役目はこれにて完了、終了となりたる…。

               狂ってる。そして卑怯だ!。
         自傷行為をもってしてのその退場の幕引きのありかたがだ。



        それも派手派手しくえらく勿体つけての演出をもってしての。



       遠うに御大とされては現場からはもう退場されてしまってたんだけどね。
         何処だろか?…おそらくはシンジを取り込みきったその時点だろ。
         既にこれは単なるハリボテとしてのその抜け殻、残滓、棺桶…。



            この十字架は誰においてのものなのだ?。
       蕩尽され無へと帰した人類らへの手向けレクイエムとしてのもの。
          それとなくしての一種の”呪”としてのものになってる。
                 観客等に向けてだ…。



    「 えっ……これって‥ぜんぶ‥僕がやった・やってしまったことなの?……」

                  「そうだよー!

           「このバカの阿呆の低能精神薄弱虚弱児がーーーっ!」。

      この絵をここにおくってことには、かなりの勇気が‥悪意がいるねっ!。
           やったのは、この自分(天村)なんだけんどね〜…。




旧劇におけるこのラストシーン、実はここだけは完璧にリアルとしての

だったんだ。アスカ役の女優さんが

終幕を演じてたんだ。

もらってたんだ。すんごい安上がりな

!。ここの背景は単に絵を貼ったまでのものでしかない。完全にストップモーションだった。ことにおけるその裏方の話しってやつをするならばだ、この役者さんはその舞台に上がるその直前まで大いにボヤきまくられて、おられてのおらしゃって、おられとったんだわ〜…「待ちがながすぎるー」って。「なんぼほど待たせてくれんのよ!「くりゃりんこなのよ!」って‥「

!」って…。

そんで憂さ晴らしにペットボトルの伊右衛門飲みながら、煎餅かじりまくられて、あそばして、おらっしゃられて、られたりましてたっちゅ〜わけなんですわ〜…これが君〜‥。しかしだ、二三年は確実に遊んで暮らせるだけの、この役におけるその給金報酬分前のことを思い、思い出して、その逸りて乱れんばかりのヒス‥いやその乱れ給ふるそのおこころを、落ち着けにて、あそばして、おらっしゃって、られたりましてたんですのよーーっと…。先の弐号機蹂躙のシーンにおいてなんか、あそこ、”腕パキ”、自分のパート撮り終えたその直後には、猛ダッシュかまされての、速攻で退出されて〜の、なんと、その足で、美顔エステへと向かわれてしまわれておらっしゃってよっとりましたんですでぇ〜っと…。メンゴ。ここ語りはふざけているが、実は冗談じゃないからね!本当のこと、事実だったからね!。だからこそ、その証拠に、ここにあるアスカの表情をみてよ!すんごく不機嫌、ご機嫌斜めでしょ〜?。そういったああいった加減事情において、こういう具合になられて、しまわれて、も〜とった、ちゅぅわけなんですわ〜…。



                これ一発で決めてやる‥



             しっかり溜めて、間をおいてっと‥



             上こそが〜本当のセリフなんだー!。
    このシーンにおいてのその役者さんのこころの内は当然また別でした〜っと。




            死の世界を暗示するその月をバックに立つ女。
            こいつは意外とリアルな存在なのかも知れない…
            黄泉そのものを体現してあるってことをもって。




            〆緊急の解毒用としてこの絵だしときます。
                  ナニコレ薬局
              
                  聖女神ララー







                   サンキュー








補足: 

これは読むな!。絶対に読んだらだめよ!っと。後悔するよ!っと。

Re: 冒頭の福音における「罪の許し」に関して。
    あそこあそこ「

」のとこ…。

ユダヤーキリスト教の中でともなれば原罪としてとらまえられ語られてしまっている。

でも「これって一体なんなのか?」「原罪とは一体どういうことなのか?」との問が、当然に起こってきてしまう。我ら日本人からすればそこにある文化伝統からすれば、筋違い、根本違いとしてのものだと考える向きもでてきてしまうんだ。あの馬渕さんなんかもどちらかというと不愉快なる概念、観念であると捉えられている面がある。どうも否定的に見てられる。それはあくまでも西洋文化における、そこにおいて独特なる、日本人からとってすれば肌に合わない考えでしかないとされてしまう、そう思われてしまうことにもなりやすい。ハッキリいえば旧約における「禁断の樹の実」をどうしたこうしたの記述のことなのだ。それに類する神話を日本人は持ち合わせていない。世界各国何処を見渡してもこの話しはないんだ…。何処の国の神話を調べてみてもその同じ話はでてこない。ないんだ…。

だから自分としてはこの概念に対しては、それをまずことの理解をするためには、アプローチそのものを換えてもらわなければならないんだろうな〜って思うんだ。ではどうするのか?。

三つのことにおける自己の判断をもって。それら三種をすり合わせる、重ねて観ることにおいてだ。そうするとおぼろげなれども確かに

ってことは確実に得心がいくことになるであろう。

その一)
まずは思い出すべきなのだ。自分がこの世に生まれてきてから、そこそこの年齢に達するまでのことを。実際に関係を持った外の世間にけるすべての人達に関してを。その

関係性において、自分はどういったことを感じてきたのか?覚えたのか?よく思ったのか?。そこには良いことと悪いことがあったはずなんだ。では特に不愉快に感じたこと嫌だと感じたことに関して。それらとしての感受となったことには何が原因だったのだろうか?。

その二)
ヒトの

において総括する。自分が生まれてきてから今日に至るまでの、世間の世界の変化ってことでも十分に間に合う。どういった変遷をたどってきているのか?。なにを目的動機として社会は時代は動いているのか?。流行は?はやりは?。そして何よりも何故にいつまでたっても戦争はなくならないのか?。どうして為政者らはいつの時代においてもバカばかりなのか?。軍部における司令らもまた皆そうだ…。

その三)
ではこの自分としての人間は果たしてどうなのだろうか?…。これは自己に対し徹底的に冷酷にしてシビアーな観察眼をもって客観的に行わなければならない。また、そういった内観における情報をたくさん長期に渡り蓄積しなくてはならない。そしてとどのつまり何を自分の中に観る?。

その四)
これはことにおける補助となるべきもの、いや絶対に、これがなくては、ことの一切が胡乱にしかそれとしてのものとしかならい…。

良心と、ちゃんと機能してある理性知性だ。これらがなくては何も総括できないんでね…できなくなっちゃう…。

追記:
では健全な成長を迎えていない本質とはなんだ?。どうしてそうなった、なっている?。親に問題があるあった。その事情は色々考えられるのだが、一つ単純なケースを…。厳しすぎたんだ、しつけにおいて…。恐怖をもっての強制をやりすぎた。結果、身内による虐待となってしまっていた、そう感受が子供において為されてしまっていた。もう一つ別の側面可能性から言うならば、二極からの波動に敏感なのだ。どちらも魅力として本質には感受されうる。でっどっちが優勢となるかなのだ。下手な方を選ぶ嗜好志向するならばしたならば、本質は病的な発達を遂げることになるであろう。健全に成長してある本質、それを備えてある、持っている。持ってある人間は、大変に貴重な存在なのだ…。伴侶ににはこういった人間に恵まれることを心底願う願ってありましょう!。

さて、解答となるであろうものを挙げてみよう。

人間以外の他の動物においてでは、絶対に起こり得ない、しえないことをこの人間ってやつはやってるな〜ってことが一つ。このことはその表現を代えるのであれば、人としての本能が機能していないってことになる。もしくは本能が壊れている?。もしくは相応しくしてのものを現在構築獲得中であると。とにかく、あれば便利にして適正なる縛り、制約たるものが、この人間にはまだないんだ。備わってない。だからそのことは無軌道となりやすくしての自由ってもんんがあるってことも言えるんだが…。そのことの簡単な証拠をあげるのであれば、みんな勝手なことをしてるじゃない‥。我儘がそれを貫くことがヒトの本拠なんだ…。

全体としての最適化に自己としての重心を置くってことになんだろうなと思う。それもできれば愛の思い、それへの価値においてで。

個人としての個性を大事にしましょう。野心的にあれよ。自己において欲求を願望を真剣に追求しましょう。あなたは自由を目指す、求めるべきなのだ!。これらが場合によっては簡単に過ちとしてのものになりやすいってことはお分かりでしょう?。単にわがままなるに堕ちやすいんだ。要はそこには対外的なる配慮を踏まえたバランスってやつが同時に絶対の前提になってくるはずなんだが…。

フェームFame/ Irene Cara(1980年)
https://www.youtube.com/watch?v=_fkpjx2NXug
https://www.youtube.com/watch?v=KL43yaB0q4I
映像音楽、いや物語自体にも問題はない。問題はこれはあくまでも作られたものでしかないってことなんだ。シーンの、その断片の継ぎ接ぎ。アクターたちは皆すべてことにおいてのプロでしかない。その内心実態はクールそのもの…。つまりはだ‥楽しくしてあるその世界は、作り物、偽物、嘘としての世界でしかないんだ…。つまりはワンダーランド…。
    ♪ I’m gonna live forever I’m gonna learn how to fly (High!) ♪
      私は永遠に生きるのよっ‥ 高く高く飛ぶこってことのその実際を学ぶ‥
その願いは正しいものでありながら、やってることはそれの真逆としての行いでしかない…。

もうひとつ‥
Xanadu / Olivia Newton
https://www.youtube.com/watch?v=dKSB2O2Shts&t=222s
これらもまた大いにしてなる、美しく、また派手派手しくしての虚構、それによってのこそをもって作り上げられたる人工世界、それによっての(たぶら)かし」にしかあらず…。アメリカ〜ナらがどうしてそんな狂気としての世界を作ってそこへと雪崩れ込んでいったのかは既にどこかで説明したはずなんだな〜‥。つまりは、あの移民時代に発狂しそうになるまで、

だったんだ…。ここにある映像において注目すべきなのは、すべてのアクータたちは、もう死ぬほどの練習を積み重ねてきてるってことなんだ。そしてそんなことを一切おくびにもだなさいし、見せもしない。プロとしてのその根性の剥き出し‥まさにそれとしてのその塊としての極地として全員がなってる。もう飛んでもない舞台芸術としての作品になってるー!。(役者として名を上げる、成功する為だ)。

追記1:では日本人はどうだったのだ?。暇ではなかった、暇だとは思わなかったのか?。
おそらくは自然の懐に抱かれたままにその生活は成り立ってたんだ。環境に溶け込む、それに逃げ込むにおいて、無事たりえてた。健全でありえていっ

んだ〜…。それもまた世界においても非常に稀なる豊かなる自然に恵まれていたなればこそ!。それを自ら破壊してあるならば、日本人としての健全性もまた確実に失われることとなる。

追記2:ことは単に、情緒と呼ばれてあるまでの、その特殊な情動としての世界にて、染まって、狂ってを、して、あったまでなのだ…。でも確実にマインドの縛りを突破できてたところに妙味はあった。情緒的な世界、情緒的なるもってなるその世界への没入。暮れゆく空、囲炉裏端の炎、寝るまでの、眠りにつく前、ほん僅かの時間帯において、正体なくしてのその夢想としての陶然とした世界にて浸って狂ってをしてあったまでなのだ。どうしたものなのか、至極幸せに感じつことができてたんだ……。

ご参考:情緒においてのその世界に遊ぶ。それにおいて狂となりて喜悦、愉悦たるのを覚える。
なんのことかサッパリだろうから、このことにおける極北としてのものを紹介しておく!。
民謡における「磯節」がまさにそれにあたる。ありゃ〜お座敷歌だ。密室歌謡。ある種、人工的なるであるが余り、危険な側面を持つ。トリップ歌謡、トリップ技工。

https://www.youtube.com/watch?v=yKaBgHE3_08
https://www.youtube.com/watch?v=1bc2QOPpps4
https://www.youtube.com/watch?v=2yVXs1Qiepk
最下段のがまだ一番自分のイメージに近い。もし自分がこの歌を歌ったならそれは”外道”のものだとして禁じられてしまうことになるであろう。”左”っ側へと振り切れてしまってるとして。

蛇足:これとしての状態に入ったとき、そのときは、あの石川さんと岡山は倉敷に遊びに来てたんだが、自分だけがその世界内に入ってることに怒った彼女に、揺り戻されるをもって、その夢からは引き戻されてしまってた。なっかなかに、それとしての時間帯、世界に入ることは難しいのに。今日日(きょうび)は…。

とにかくにも、もうまとめる、人類にはなにか

があるんだ。それはぼんやり、おぼろげなれども、確信することができるであろう。ことは同時に自己たるものに翻ってきて、この自分としての人間にはどこかおかしな、致命的な欠点としてのものがあるってことが思いしらされてしまうわけなのだが!。

先人の総括としては、それは「眠り」としての、その

状態が、恒久的になってしまっているが為だってことなんだ。意識がもう曖昧なもんだから、胡乱でしかないから、あるものを見ないで、ないものを観てそれを現実だと思ってしまう。ちゃんと伝えているのに話しているのに、その耳はまるで聞いていない…。自分としての欠点は目覚めてある状態が殆どない。あっても本短い間でしか持続できてない。だからこそー判断をいつも間違ってしまっているのだーーー!だとかね…。


だらだら話してきたが、ここにある、これらのすり合わせにおいて浮かび上がってくる問題たるものの、その原因こそが本当の問題なのだ。それはなんなのだ?。どうしてことのすべてが始まってしまったのか?。当然にその原因は人類こそにあるのであろう。悪い習慣がその身についちゃったことにはね!。

※追記。
人間以外の動物においてでは、確かにそこにはなんらかの限度限界たるものが備わってある。本能におおいてのその制御下にあるってことが分かる。つまりは、人間だけが異常なのだ、突出しすぎている。その節度たるものをわきまえない、わきまえきれない自由度、メチャクチャさにおいてでは。

それを表現として「罪が入った」ってことにしているまで。なかなかに的を得た表現となってるのではないだろうか?。

ことは全人類において遍く普遍的なることになっているのだ!。どこでも争いや紛争を行っているしね。だからね、ある程度大人になってくると、人類たるものに後ろめたさみたいなものを感じちゃうようになるんだろさ。そのヒトがまともであればまともである程に…。そしてその思いにおいて自己を外すわけにもいかない。五十歩百歩の違いしかそこには認められないだろうしね…。

どうもうら悲しさ、

としての思いばかりが募っていってしまう。
一種の絶望感ね。幸福に向けての元気がやる気がでない…。
簡単に言えばこの社会にもこの自分にも絶望してしまっているわけさ。

これは健全なれば、万人おいての気持ちともなろう…。

これが原罪としてくくられてあるものの正体。


天としては、それとされましては、まずはこのコンプレックス(心性としての混乱状態)を解除することから始められないと思われたわけさ。それもただの人間が行ってもそれは意味がない。天に所属する、上位界に属する存在が、行ってこそのその効果になるっと。

それで独り子としての御子は、天降ってくるにしかなかったんだ。

許しを伝えるために

実際にご自身とされての権能においてことを実際に白紙に戻すべくして。

無条件にことは行われたので、許されたものの立場なれば、

って強く厳命されたわけなのだ…。

最後の方は余計なつけたりだったねっと。

おはりっと…。

敬具っと‥。

名無しの権兵衛でしたっと。


補記:

Re: このコンプレックス(心性としての混乱状態)…

この一言で片付けるのは乱暴かとも思いましたので〜、少し言葉をついでおきます…。成長するに従って、これは小学校高学年から大学生の間のことになるのであろうが、混乱をきたしてしまうんだ。何がどうなっているのか分からない、辻褄がどうもあってないって。また自分がこれから生きていくにおいてのその外界の人間の社会に対して脅威を不安を心配を、プレッシャーたるものを、いたく覚えてしまうことになる。ここにも混乱が避けがたくして起こってきてしまうことになるんだ。そうだね〜…現行においての、その致命的なる欠点問題は、ことに関してを正確に正しく教えてくれる、生徒の側に親身になってついてくれる教師ってのがまったくの不在っだことになる。だから、子どもたちは自力でことの整理、理解ってのをやるしかなくなるんだ。あくまでも子供の主観においてそれをやらざる得ないもんだから、それが上手くいくはずがない。

ことにおいての本質を語るのであれば、自己たるものの本質としてのその良心。これが感じ覚えることと、実際の社会のあり方が矛盾しているんだ。これこそが混乱の原因、それそのもの。簡単に言えば、良心としての価値と、社会が要請くること、そこにおいて価値として経済を動かしているものとの間には矛盾がある。人類は一家を語りながら博愛の精神を宣いならが、マウンテングに明け暮れている。やれブランドだのステイタスだのリア充だの…。

現実は恐ろしい勢いで進展していっており、また自分においてもモラトリアムにいつまでも留まり続けることなどできないありえない。結果、いろんなことが未消化のままに社会へと出ていかざるえなくなる。ここに本質としての自己は埋没してしまうっていう事態が起こってきてしまうんだ。対外的にしてなる自己が、社会的価値において要請されてある自己のみが自分としの主軸になってしまうんだ。世が求めることを世が認めるその価値を自分は尊び、守り、支えなければならなくなる。

でも、自分としての思いはやはり残ってしまうんだ。こころの中に、奥底に。そして…それにおいての求めが埋められることを必要としてしまう…。でも、それもまた表にて然るべくあることによってでしか埋められるはずがない。ことはなんだって実行によって、外界への作用においてそのことへの反応において、得られるものでしかないのだから。だから、うじうじ自身のこころの内だけで思ってたって、願ってたって、それもあくまでもボンヤリと、たにんの創った夢でしかないものに共感してたって、そんな中途半端の限りにおいてでは、その自己としての思いが願いが求めが、満たされるわけがないんだ。

ここに問題の未消化未解決、根幹におけるその問題こその放置としての事態が起こってくる。もう既にきてるんだ。この事態をコンプレックス、混乱混沌だと呼ぶ言うことの理由も分ってもらえるだろう。

本質と人格はコインの裏表としてのものでしかない。でも敢えてをもって言うのであれば、
本質こそが真の主体としてあるべきものになる。これがおざなりにされ、見捨てられてある
ならば、貴方においては、もう絶対に真の人間としての満足が、喜びが、あり得ようはずが
ないではないか…。うら悲しさ、うしろめたさ、そして結果としての無責任、無神経…
他人に対しての思いやりのなさ…ヒステリーとしての否定的な感情に動かされてでしかない
大勢としての思いに迎合、それにて染まったままであるのみ‥。

原罪は原因に関しての物語りでしかない。その後に真に問題となるのは、問題とされるのは、その原因こそを

ある。分離こそが既に問題なのだ。ならば統合こそが貴方の手によって為されるべき解決としての策、あるべくしてのその目標努力になるのだ!。誰もそのことの結果においては、責任をとってはくれないのだから。

ことの終局、ことの煮詰まりとしてが先の思いとしてのものになる。これは混乱によってのブレーキとしてのものになる。ここに、カンフル剤としてのものが、

どうしても必要になってくる。(外部からのショックがいった/いるのだ)。なので〜、ジーザスが天より参られまして〜、私はあなたがた人類を「許す」と、お伝えをされてから〜、では統合の為には、実際には、何をどうすべきなのかを、語ってくださってたまでのことなのだ…。

















罪を(原罪としてのなにかを)犯したことにより人類は全体性から零れ落ちた。
断罪として天界(エデン)から放逐された。自然と自動的にで‥。
そんでもって、我ら人類は今現在この地球にて生存している。
ここへとその存在は移されてしまったのだ。
※(ここんところは某らかの事件の

だととらえたほうがいい。)
これをもって刑の執行はなされた!。果たされた!。完了した!。
あとは、ここ地球上においての生活において、天界への帰還を目指すべきなのだが、
そのことにおいての無理解としての状況が各個においてブレーキになってしまっている。
誰もが皆が混乱に陥ってしまっているのだ。
為すべきことがもう分からなくなってしまってる。
ことの原因、起源たるものが、とっくに忘れ去られてしまったのだ。
もうハッキリとは意識してない、意識し得ない。
そんなこんなが為に混乱としての事態が人の子らの間では生じてしまっている。
ことのこの混乱たるものの核はいったいなんだ?…。
罪としてのなんらかの行為を、先祖としての誰かが行ってしまったってこと、
その記憶その自覚にこそある。
このことを、実は、なんとなくではあるが、こころの奥底においてでは知っている。
ぼんやりと…至極曖昧なさまにではあるが…。
うしろめたさ、汚れてしまったとの思い、
なによりも神によって裁断されてしまったことによる


この思いこそを、まずは断たねばならぬとの思いをイエスは持たれたのだよ。
これこそをまずは解消してしまわないことには、
前向きな一歩が、彼らにおいては踏み出せないのではないのか?と。
そんで、裁断そのものの執行者である上位界におけるその権威としての自分が〜、
「ことが果たされた以上、あなた達は同時に、罪の精算をもう行ったにも等しい」のだと…
「私(達)はもう、既に、あなたたちヒトの子を許してある」のだと…
そう直接に伝えにこられたまでの話しなのだ。

、えらくこっぴどく叱られてしまった子供みたいなもんなんよ‥私達は。
※これはね〜私達人類のそのこころの奥底に、その

刻まれてある、
 決定的なるトラウマになるんだ…。

だから延々と再帰してくんだ…、きてるんだ…。親や先生や上司や、嫁や旦那、仲間の誰それから…。このトラウマたるものは

解かねばならない!。それは真の大人になるためには必須のことなんだ。それはイエスに預かることによって

…。

これはことの起源においての話し。それとはまた別に、この地において、人の子らが犯してきた罪としてのその総計その蓄積がある。これらにおいても精算する必要があったので、ご自身を十字架上へとその身を投げて与えられたのだ。精算の為のその対価として…。ここにおいて凄いのが、大変興味深いのが、ことは過去未来をひっくるめての人類が犯した罪の総体に対しての対価だったってこと。もし、人が彼に連なり預かるならば、彼の磔刑以降のその生存であったって〜、ことの対象には含まれてしまうんだってこ〜とーー!。

でっ、あるならばだ、でっあったれなれば〜だ!
再び元いたエデンとしての上位界に戻るべくして、帰還するべくして、
前向きに、なによりも晴れ晴れとした思い気持ちにて、あらゆるすべての努力を、
然るべくしての生存たるものを、この地にては、

と…。

その要点は:

ことの一切の根源は神なのだと知りまた理解すること。
それに依らねば何一つとして正しいことは為しがたしだとゆふことも…。
またそれとしての本質は愛として語られてあるまさにそれそのものなのだと(まさに鍵。)
貴方は、貴方の内においても、それを、顕現させねばならないんだよっと。
時を経るに従い、生存を重ねる中で、それをより大きく育てていかなければならないとも。
あなたが出会う触れ合う人々の一切を、愛を表すにおいての運命の相手だと知り悟り、
相対してあるときには、ことを行うにおいてのその絶好の機会だとしてとらまえなさい。

人懐っこくあればいいだけ…。

でも、もし相手からのことへの反応が、期待はずれであってもそれはそれで許してあげる。

そのままを受け入れてあげる。

静かに、愛をもって、微笑みをもって、そのままにしといてあげる…。







おしまい





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