第26話  ことわざ集

文字数 18,395文字



  ときを経て、ときを置いて、改めて、しっかりと、ハッキリと、意識されるべきなのは、
  ””なのだ。そして、それと同時に、自分が生きてきた、今も生きてある、””としての
  この世界のことをも〜でもある。その両者の関係性を、改めて、

、意識する。
        両者は分かち難くしてある、

なのだから!。
      ならばだ、以降の人生においては、もうことの事実を忘れることは、
                  決して許されない!。
     そして、もう、地獄たるものを志向する、嗜好することなどということは、
          絶対に、あり得ない、話し、なのではないだろうか?…。




        Re: 「

」を含む、故事・ことわざ・慣用句
を集めてみました。






天と地の両者は、共に、どちらも、その片一方のみにてでは、その存在は成り立たない、成り立ち得ない!。セット

。またどうしたものなのか、遠大にして長大なる断絶も、その両者間の間には横たわってあるんだ。ことの実際は、ご自身の目をもってそれらのダイレクトな印象の感受をもって、確認するにしかない。そこには自然とそうであることが確信されてしまって、あることだろう…。*理屈抜きで空を見上げてみればいい。たぶんながらくやってないでしょう?。

その昔には隣の家々も低く平屋で、また当然にビル群等もなく、日中は空があからさまに上空にて開けてあった。だもんで、どうしてもほっといても目に入ってくる…きてしまう…。絶えずいつもどこかで意識することとなってしまってた。でも今ともなれば、どうしたものなのか、疎遠としてのものへと関係たるものが、いたく薄いものになっちゃってる。ことの帰結として、危ぶむべきなのは、それが構えながらにして既に持ってある権威が、秘めながらにしながらも、既に最初からあからさまるままに明かされてある

、疎かにされていってしまうってこと。つまりは、目の真ん前にある真実に気付けなくなっていってしまうってことなんだ…。


                天と地たるものの別表現



これはあくまでもモデルとしてものでしかない。だから、これが天地としてのものだと言われても、もしかしたらピンとこないかも知れない。河の流れそのものが、それこそが、ことの本質なのだ。これならば、断絶たるものが何故に両者間にて備わってあるのかが一発で分かる。流れたるものに逆らって遡行するともなれば、そこにはとんでもない苦労が、また相当な、いやはっきり言えば、

がどうしても伴ってきてしまうことになるのはもうお分かりであろう。誰がそんなしんどい、面倒くさい、そして決定的なのは現実的にはなんのメリットもないことを、敢えてもってで、する/しうるのであろうか?。でもことは魂としての、それにおいての、帰巣本能に基づいての行動でしかないんだ。それが故郷への帰還を、どうしても希求していってしまうんだ。鮭の川登りなんかとことは全くのおんなじだー!。問題は、ことの事実、真実に確信的なるのは、魂においてで、それのみにおいてだってこ〜とー!。人工的なるがそれの特性としての人格においては、ちゃんとまともに機能してある人格ならば、そんなことに真剣にとりくむことなどまずできないであろう。(←現実においての実際を、その話しをするならば、

を志向する。真/善/美のみに真に価値を置くってゆう行動原理に支配されてあるまで。それにおいてのみこの自分は行動の選択を行ってあるまでだとしてもいい。)


         『はじめに神は天と地とを創造された』(創世記におけるその突端)

旧約聖書におけるその始まりは、天と地たるものの明確なる意識付けから始まる。それらの発生顕現においての根本原因として、既に、最初の最初に、「(かみ)御座(おわ)しますれり」たる事実を、読む者のその心への刻印を果たすべくして!。(←だからプログラムだっていってるんだ…。)

ここで最初のモデルの絵について説明するんならば、

、ことの核心としてのミニマムとしてのもの。その極点にしてまた極北になる。天地としての世界が垂直軸を媒としてのその両端にて創造されたのだと、このことのみが果たされたるのだと、いうことが〜、先ずはことの初めの、そもそもの始めに、その念頭において、しっかりと据えて刻みしておかれよとばかりに語られていんる〜!。ここ微妙なる説明になるんので注意してねw。たぶんね〜実体的なものはまだ何も出現はしていないんだ。ここに語られているのは、つまりは創造の光たるもの、それ単体のことなんじゃないだろうか?。つまりはある存在を起点とする源泉とするエマネーションの出現のことを言ってるんだ。だから、下降オクターブとしての神聖力のフローこそが主役なのだ。それは振動数を落としながら七つの階層をもってなるこの宇宙を創造していった。だから…真の主役はその力の源、源泉としての存在そのものってことにはなる。右の残り二枚の絵は、ことの背景に秘められてあることにおいても表してみたまで。とにもかくにも、左端としての二極が、(これにおいてはあくまでも

しかないからね)、まずはしっかりとそれ(創世記)を読むものの心に刻印が果たされるべきものとしてのその要点、その精髄になる。



これは冒頭の右端のモデルにて表したかったものと同じ内容が絵によって語られている。それは、各階層を樹のような何かでつないであるかのようものなのだ。この絵の中には複数種の樹の繋がりがあるかのように見える。各階層は下位の階層から栄養としての何かを受け取ってそれを滋養にして生えい出て、生存してある。トロゴを念頭におくならば、生存において、すべてを相互に

ってことになる。最下層の地べたとしてのものがこの地球、我ら人類の生存が繰り広げられてあるになる。補記:創造の光としての下降オクターブによってすべてが誕生した後は、帰還としての上を目指す、志向する、尊ぶとしての営為が、つまりは上へと伸びる/光の方へと顔を向けるが、既に最初から…自然なのだ…。


本稿は現在作成中の

としてのものだった。でも、本体のボリュームを考慮するならば、このおまけが埋もれていってしまうことの可能性がいたく、とみに高いと思われたので、別稿立てて、これを

としての役を、先鋒としての役割を担わせることに致しました。敬具 天村



            Re: やっとこさ、いざ、今、開幕!



(あお)いで(てん)()じず
天を仰ぎ見ても恥ずかしくないほど、心も行いも何らやましいことがないこと。

*そこにこの世界のすべてを創造しかつ治めておられる方をその存在を察する直感するから。
*狭い自己(観念)の内にて生きてるだけでは、このことの事実に思い当たれるわけがない。
*あるが当たり前は

としてない。心から感謝を愛を原動力として働け!。

(あり)(おも)いも(てん)(とど)
弱小な者でも懸命に努力すれば、希望を叶えることができるというたとえ。
蟻のように小さなものでも、一心に努力すれば願いは天に達するとの意から。
「蟻の思いも天に昇る」ともいう。

*ことここにおいては、貴賤も大小も多寡もなにも関係ない。
*何一つとして、お見逃しになられること、見逃されうことはない。
*決定的なる障害となるのは、先に褒美を、報酬たるものを、当てにしていることになる。
*一心不乱としてのその有り様、純粋なるがままにおいてともなれば、既に神も仏も成功も
 失敗もそこにはなにもない!。その思いが願いが天に届く届かないなど今はどうでもいい
 ことなのだ、いいはなし!。どこまでその熱意がやる気が根気が続くのか保つのかの話だ。
 それは実際にやってみてのこ〜とー!。多分…そんな悪い結果にはならないと思う。

(あり)(おも)いも(てん)(のぼ)

*だからこそあれら蟻等もまた今日までにおいても、その生存が適ってる続いているのだ。

意気(いき)(てん)()
意気込みが非常に盛んであること。 「意気衝天」とも。突くのこと。

*天にまで届く程までにも〜ってことなんだろね?!。
*滅多なことではそうはならない。ではこれがなったならどうなる?。
*天がそこにその思いを発している存在に気づくことになる。これは確か。
*ことによっては酔狂からか手助けさえしてくれることになるの

しんない。

一念(いちねん)(てん)(つう)

成し遂げようとする強い信念があれば、その意志は天に通じ必ず成就するということ。

*これも先と同じ。大事なのは何を慮っての、からの一念なのかだわ。
*我がこと、我がモノにおいての一念は、大した出力になることもあるまいて。
*それらも大切かもしれないが、そんな大したものでは実はないっと。

一葉(いちよう)()ちて天下(てんか)(あき)()

わずかな前兆を見て、その後の大事を予知するたとえ。

*ホント素晴らしい句…
*すべてのことは最初から、もう誰も彼にも知られるよう、知らされるようなっている。

有頂天(うちょうてん)になる
激しく喜んで大得意になること。
仏教で、三界の中で最も上位の世界の意から。

*仏教においても天って云う概念があるからね。

(うん)(てん)にあり

人の運命は天命によるもので、人力ではどうにもできないということ。

*天の歯車がまず回って、それによっての影響を、地として受け取ってあるまでなんだ。
*ならばだ、その作用たるものを研究せねばなるまいて。
*それは、あくまでも十把一絡げとしての盲目的なる作用力でしかない。
*それをどう活かせるのか?。逆らうこと、抵抗するすることは、無視すること特に愚か。

(うん)(てん)(まか)せる
運の良し悪しは人の力ではどうすることもできないと考え、成り行きに任せること。

*それはある意味無情なるままに作動してあるだけのシステムみたいなものでしかない
*有用なる者としてのその証をビーコンとしてその身に付けておかれることが最善かも。
*生臭いやつはだめよ〜…。

(かね)は天下の回り物

金というものはだ、人から人へと渡り回っていくものだから、
いつかはきっと自分の所にも回ってくるはずだから、
今は貧しくてもくよくよするなということ。

*方円の器。
*御大自らが、器としてのその絶対障壁になる。

(かん)(もっ)(てん)(うかが)
ストローの穴を通して、つまりは狭い見識で、大きな問題について勝手な判断を下すたとえ。
「管の穴から天を覗く」ともいう。望遠鏡も管のうち。

*実際に今自分がやってることさ!。

(こう)()()()げて身退(みしりぞ)くは(てん)(にち)なり

りっぱな仕事を成し遂げて名声を得たら、その地位にとどまらずに退くのが、
自然の摂理にかなった身の処し方であるということ。

*それは無心にしてまさに愛そのものとしての顕現でしかないからさ。
*ただ河の流れの如くして活動されてるまでのこと。
*留まる固執するしがみつくは人間だけがすること。

(こめ)(めし)とお天道様(てんとさま)はどこへ行っても付いて回る

どんな所でも太陽が当たるように、どこへ行っても食べることは何とでもなるということ。

*これもまた凄い真実を云うね!。

五十(ごじゅう)にして天命(てんめい)()

*これもちゃんと誠実に生きてきてこその五十なんだろね!。
*このひとの場合はちょっと早いわ‥。
*いろんなことが

と噛み合うその瞬間ってのが、やがてにはやってくるっと。
*そんでいろんなこと、過去としての出来事の、その意味が得心されることとなるっと。

習慣(しゅうかん)第二(だいに)天性(てんせい)なり

習慣はいつしか深く身について、まるで生まれつきの性質のように日常の生活に
影響を及ぼすということ。

*天としてのその性向性に合う形で。自己を整えてこそ初めてそう言える。
*菩提心において生きてあるだけの人となれたならもう勝手に自動的にいろいろやってるよ。

人事(じんじ)()くして天命(てんめい)()
出来る限りのことをして、あとは天命に任せるということ。
「人事」は人間の力で出来る事柄、「天命」は天の命令の意。

*ことの行く末を、そのことの成り行きは、天のご意向に委ねるが正解だろうね。
*ことを尽くしてあるその最中においては、神も仏もぶった切っておらんとあかん。
*とにもかくにも精も魂もそのことごとくが尽き果てるまでやったらんと…やってんと…。

*あっそうそう、なにをどうしても叶わんこともあるからね〜。
*そん時には、この現状が、主のご意思であるとして、甘受するにしかあらへんわ〜…。

(つる)九皐(きゅうこう)()き、声天(こえてん)()こゆ
すぐれた人物は、どんな所にいても、その名声は世間に知れ渡るというたとえ。「九皐」は
奥深い沢の意で、鶴がどんなに深い谷で鳴いても、その鳴き声は天に届くということから。

*天に届く、知られるってことは、世にても同じくなるって…ということで〜、
 そもれまた我が内のこと、ことにおいての反映でしかないんだ。
*なにも、ナニヒトツとして、隠されてはいない。すべては見る者/聞くものの前にある。

(てん)二物(にぶつ)(あた)えず

長所があれば必ず短所もあり、長所ばかりを備えた人はいないということ。
天は一人の人間にいくつもの長所を授けることはないとの意から。

*というか〜、天分は、両刃の剣なんだ。

天下(てんか)(まわ)()

天下の君主となる者は、次々と変わるものだということ。
また、貧富貴賎の運命は人々の間を回るというたとえ。

*天自体が変化変遷をしていっている以上、ことの反映は地上において必然として起こる。
*変わらないのは中心だけ。車軸の芯の部分だけ。
*だから、なにもの/なにごとにも執着しないで極力ニュートラルでいるほうが良いんだ。
*いざってときにおける融通性、フットワークの軽さが、生死を分ける。
*できるだけその身を

軽くしておいたほうが良い‥。

天下(てんか)()れて
世間を気にせずに、堂々と物事を行うことができる状態。気兼ねすることなく。

*サインだね。端的に、分かりやすく、知らしめて、くださってるんだ。

天機(てんき)()らすべからず

重大な秘密は絶対に洩らしてはいけないということ。
「天機」は、天の神が決めた機密の意。

*天機はあくまでもなんらかのなにかにおいてのチャンス。
*それはその当人においてのみにて知られる悟られるもののことになる。
*多分、分かっても分っていてもその発想を意識下に封じてしまうかもね。
*恐怖、怖じ気、心配、躊躇が故にだ。
*だから云うんだ。なにものにも、なにごとにおいても、執着してあらないようにって。
*それはまた彼ら彼女らの、その個人としての責任でしかない。
 あなたがその行く末を、その責任を、負う必要は、実はないんだ。

天才とは一パーセントの霊感と九十九パーセントの(あせ)である

*この霊感たるものが曲者。俳句における名句が生まれてくる瞬間が参考になる。
*なにがどうしたものなのか世界を「

感受できてしまっ

」だ。
*一体化してあった…。
*ならばだその主体たるものが重要になる。なにが、それを、そうと、観じたか?だ。

天災(てんさい)(わす)れた(ころ)にやってくる

天災はその悲惨さを忘れた頃に、また襲ってくるものであるということ。
油断禁物、用心を怠るなという戒めの言葉。 「災害は忘れた頃にやってくる」ともいう。
物理学者・随筆家の寺田寅彦の言葉とされる。

*人の心の隙を間違いなく突いてくる。実際は間隙ばかりだしね。それは見事に突いてくる。
*だから土台、ことは避けられないんだ。確実に、いつかは、やがてには、来たらむ。
*ならばだ、どうするのか?。想像力が大事かもね。
*あと、天に重きを置いて、善行を積んどくことが一番かも‥。

(てん)()()()(われ)()(ひと)()

悪事はいつか必ず露見するということ。 後漢の楊震(ようしん)が賄賂(わいろ)の受け取りを断った時の言葉。誰も知るまいと思っても、隠し事は天の神様も、地の神様も、自分も、それを仕掛けたあなたも知っているとの意から。 「四知」ともいう。

*これが現実。
*だから、あなたが敢えてをもって裁く必要はないんだ…。
*放っとけばいい。後の後に…、然るべくしての断罪としての調整作用は働くことになる。

天寿(てんじゅ)(まっと)うする

長生きして老衰によって自然に死ぬこと。寿命が尽きて死ぬこと。

*長生きしようとして長生きできるわけではない。
*死のうと思ってもそう簡単にことが運ぶわけでもない。
*とりあえずは生があるってことには、それが恵まれものである以上は、ただ感謝…。

天井(てんじょう)()らず
相場などが上がり続けて、どこまで上がるか予測がつかない様子。

*あくまでもたとえ。それには果がないって意味においての。

天地(てんち)夏冬(なつふゆ)(ゆき)(すみ)

まったく正反対なこと、非常に差があることのたとえ。

*これは格好の題材だ。なんのか?。二元論においての話しにおいての…。
*対立なんかそこにはないんだ。循環かフローがあるまでのこと。冒頭のモデルズ参照。
*ヒトが勝手に身勝手に対立なんて概念を持ち込んだり付与してるまで!。

、制約の言い換えなんだが、それもまた用い方一つで効能は違ってくる。
*裏切らないってことはだ、「そうせよ」との無言にての、示唆ってことなんだろう…。
*機械関係のはなしね。強固なる抵抗があるからこそネジは回って深く入り込むのだ。

天地(てんち)万物(ばんぶつ)逆旅(げきりょ)
この世のすべてのものは、うつろいやすくはかないということのたとえ。 「逆旅」は宿屋のことで、天地はあらゆる生物が生まれてから死ぬまでのわずかな間に泊まる宿屋に過ぎないとの意から。

*この解説の前半部はいらないな〜…。
*天地は‥ってことで、この現世を一言で表してる。これは芸術的なるまでに、卓見だ。
*聖書の創世記を読んだことのある人なんだろうな〜。

天道様(てんとさま)(こめ)(めし)はどこへも()いてまわる

どんな所にも太陽が当たるように、どこへ行っても暮らしていけるということ。

*これもクリスチャンならたいへん腑に落ちる話しになる。
*天に在す我らが父は絶えずいつも臨在されて遊ばす。すべてをご覧になっておられる。
*生きとし生けるものを養って下さっているわけだ…。

天道様(てんとさま)は(すべて)、お見通(みとお)しさね‥

お天道様は、人のすることをすべて見抜いているから、
悪事は隠し通せるものではないということ。

*これも上と同じく、我が内のこととしてすべてお知りになられてはいる。
*あとのことは、ご意思に基づいて活動してあるプラクリティによってのその采配による。
*細菌の体内への侵入に対しての免疫システムがとるその役割のことを思えばいい。
*癌細胞たるものの発生の事態ともなれば、ことは恐ろしくまた興味深いものとなる。
*ことは、フィールドにおいての是認が、そこには伴ってあるんだろね…。

天道(てんどう)()()

天は善人には幸福を、悪人には懲罰をもたらすというが、
現実には善人が不幸で、悪人が繁栄していることが多い。
果たして天は正しいのかどうが疑わしいということ。

*問うこと自体がバカバカしい。人智を超えたものであろうから。
*アーメンだけでいいのだ。「ご意思、ご意向のままに」で‥。
*すべてのおいてそう思えることができたとき貴方は初めて自由になれるのです(偽マザー)。

天道(てんどう)(ひと)(ころ)さず

天は人を見捨てるような無慈悲なことはしないということ。

*もっとハッキリと正確に言えば、天は帰還を求めるものには試練としての十字架の道を
 用意されるまでのこと。苦しみを乗り越えるに対しては褒美を、そして更なる十字架をも。

(てん)(くち)あり()(みみ)あり

秘密や悪事は、とかく人に漏れやすいということ。
まるで天や地が話したり聞いたりするかのように、話が広まるとの意から。
略して「天に口」ともいう。

*我が内のことであれば具にすべて既に知られているわけだ。
*お考え思惑において、それを然るべくしての者が知るよう、調整もされているわけ。

(てん)(くち)なし(ひと)(もっ)()わしむ

天はものを言ったりしないが、その意思は人の口を通じて伝えられるということ。
つまり、天の声である世論は真実を語っているということ。

*直接に語られることはもうないのだろう。聖霊が降臨されてしまてる以上は‥。

知るべきを教え、また世にて語るべきをインスピレーションとして吹き込むのだ。

(てん)二日(にじつ)()

天に太陽が二つないように、君主もただ一人だけで、二人存在してはならないということ。
「二日」は、二つの太陽。 「天に二日無し、土に二王無し」「天に二つの日無し」ともいう。

*二つの椅子に同時に座ることはできない(G)。
*人はなにかに、なにか一つだけに、仕えてあるのがいいと思う。

(てん)(まなこ)

天の神には人の行いをすべて見通す眼があり、そのよしあしに応じた賞罰を与えるので、
悪いことはできないということ…。



        Re: ちょい脱線。ここでちょっとティーブレイク。

       両陣営共に、よく

としての象徴、言い表しが登場する。
             たとえば絵にするならば、こんなの‥



これはセラフィム(熾天使)たるものを表してるらしい。この無数というか沢山の目ってのは何を意味しているのだろうか?。自分はそれらは共に

だとの考えに立つ。つまりは

ってわけ。だから、この自分が認識したこと、思ったこと、感じたことは、即座にして何一つ過つこともなく御大には知られてしまっているわけだ。ことにおいて以降どのように采配されるかは知らんというか、責任はないんだけどね…。←(ご自身の所有物なのでなにをどうしようが勝手。)



こちらはエゼキエル書にて言い表されたところの智天使。これにも目がたくさん

そうな。ならば、

ってことの事実までなんかもね。もしくはだ、間接的に〜で、御大が全知ってことの、なんでもかんでもあったことは知っている、見通されてあるってことの啓示までなんかもね。

  さて、あちら側様としてのイコンも見ておこう。何事においてもフェアじゃないとね…。
     いろいろ山ほどあるのだが、無難なので、通りがよさそうなやつでいこう。



もちらにおける無数の目は、もうハッキリ言うけど、気狂いとしての者達それの集まりでしかない!。分裂病として語られてある状態。意識の意志の片鱗さえ、もはや持ち合わせてはいない。烏合の衆としての吐き溜まり‥。

のままで、ただ衝動にのみ突き動かされて動いているまで。健全な魂にとってはウイルスみたいな存在になる。条件が揃えさえすれば、激烈にして猛烈な、爆発的なるまでの

、披露してくれることさえもなる…。基本、

、イカサマ野郎、ガイキチ、大嘘‥憑きさね〜…。今の政治家みんな‥。



ついでに日本の妖怪としての百目も観ておこう…



この妖怪は水木しげる氏によるオリジナルになる。ではだ、かの氏は、そこにどんな意味を込めたのか?。鵜の目鷹の目としてある、他者においての、その些事、末事、俗事、恥、醜聞、ゴシップ、あさましくしてのその行為、落ち度、失点、しくじり等に関しての、人々の好奇心の的となるするべくしての、知る暴く触れ回るべくしてのその執念、

、そういったことの達成においての()(かつ)え、これらの一切を含めるべくしての象徴だと思う。これだと基本、その行為の背景には分裂病としての症状が認められる。()い、つい、しょうもないこと、くだらないことに、下世話な話しに、首を突っ込んでいってしまう、どうしても。そういった人の性が目をもって表されてあるまで。もしくはだ、かの氏が戦争体験者であったことから、自分が死んだことが、それさえも理解できないままでいる、未だにこの世をうろついてる魂たち…。氏は無意味な限りのその死に様をたくさん見てこられたのだろう。それらは、死んだ人たちは、思考停止状態で、白痴かなにかのようにして、ただあるまで…。そんで暇だから、

、いろんなことに首を突っ込んでってしまってるのだ。霊体としてね。基本、ただ迷惑な存在であるだけの存在。いらぬ喧騒をもたらしてしまうまでのことっと。(気づいちゃう人ってのもいるんだ)。もし、それらが、あれば、いればの話しだが…。週刊誌等のルポライターらがそれらとしてのものだわ…。


追記:

分裂病とはよくいったもので、では、「

してあるのか?」。衝動たるものおいては、何かを欲する、なにかとしての状態を望む、いやむしろ絶対に必要とするとしての飢えが、願望が、こだわりが、そこには備わっている。いたくちっぽけで単純な内容でしかないのだが…はずなのだが…たとえば簡単なのでいくと〜、物事はなんの障害もなくスムースに進むのが当たり前、机の上にはホコリ一つ落ちてても困ると。それらは本来は嗜好において培われてきた習慣としての束、それの群れとしてのもの、自己において蓄積され、ある程度はまとまりにおいてコントロールされてあるべきものになる。微細な細々とした習慣/癖たるものが、ものらが、それらとしての正体。もう無数にそれらはあるんだ。

分裂病としての状態ともなると、各個のそれぞれが迎えてある日常の変化において、それらのすべてが、もうでたらめに、てんでばらばらに、完璧に野放しの状態のなりもてで、突発的に行動を起こしてしまっているのさ…。その有り様こそが、まさに分裂病と呼ぶべきものになる。

ポイントとして大事なのは、慮るべくしての全体、それは自己としての覚醒感ってのがあってこそできることになるのだが、まとまりとなる上においての核がもはや存在していない以上、まったく配慮がない、考慮ができなくなっているってことになる。それは外部との関係性/相関性において妥当なるあり方ってのが感じ取られる、把握されるものになるんだが…。

面白いのがさ〜、今の世界状況ってのが、まさにこれに、この病としての状態に近いんだ…。スマホを通してメディアや掲示板において、個人が簡単に、それも匿名で、参加できるようなってしまっているからね。もう誰もが皆好き勝手を自分勝手を

なってしまってるんだ。自前としての拡声器を、マイクを、手に入れてしまったってことになるんだろう。それら語られたるところのすべては、すべてまたたく間に蕩尽としての憂き目に会うばかりなのだが、それでもその発信はとどまるところを知らない。まったくもって全然知らない!。いやむしろどんどんと増えていってしまっている…。ストレスのせいさ、忍耐心のなさのせいでもある。また、しこたま

その頭ん中に仕入れてしまってるもんだから…。愚痴をこぼす、悪口を言う、批判することが常なるの、その習慣ばかりが強化されていってしまってるんだ。人類すべてが総ヒステリーとしての状態に現代はある。もう小さな人間ばかりなんだ…そればかりの世界となってしまってる。*主を失った見失ってしまった個人は小人としてのその存在になる。社長不在の会社みたいなもんさ…。

特徴的なるは、トリガーとなるべくしてのその状況の整いってやつが、それはあくまでも

だってことなんだ。だから、それがいつ始まるのか、起こってしまうのかは、誰も分からない。検討がつかない。誰も天で知らない分からないっと。たとへば、誰かがこちらを見た!。置いた荷物が安定せずに傾いてきて倒れた。そして中身が外の地べたに…。ほんの些細なこと、微分としての出来事の組み合わせ現れにおいて、自分の感情が極端に反応してしまう、揺れ動いてしまってる…。なにがどうカチリと噛み合ってしまったのかは、ことが単純すぎて、当の本人にも原因たるものがわからない…。分裂病…。

その彼ら彼女らが、その病の元に、ものを言ったりやったりをしてるんだ。それもあくまでも衝動的に自動的にであるにおいてで。その行為を行動を、どうしてもしてしまうやってしまうその動力/強制力たるものが、傲慢と卑屈としての二極としての感情の過剰なる高まり。その思いの往来往還、その振幅においてによってで、どうしてもそうなってしまう。してしまう…。誠に滑稽な限りである。ことの終局は、否定的なる感情の奔流の集まり、狂気としての群れへとなっていく、収斂してゆくことだろう。そして、完全に間違ったことを、群れとしてしでかす…決定してしまう。ベーシックインカム賛成!。そして…最終的に、破滅としての出来事が到来してしまうことになる…。

問題となってしまっているのは実はこの否定的なる感情との自己同一化なんだ…。そして、それとしての個人が、絶えず常にで野放しの状態になってしまってることにでもある。家が終わり、学校クラスが終わり、会社としての組織も終わり、行政も終わっており、国ももはや売国奴の群によっての為政となってしまってる。誰も彼もが根無し草とされてしまっており、窒息状態に追い込まれてしまっている。そこに、個人としての発信を叶えるスマホによってのおいての環境が出現した。より孤独にして孤立した、確実に不健全な個人としての生存へと、追い込まれていってしまってるんだ。

やっぱ、とにもかくにも、否定的なる感情への同一化が最大のリスクになる。その怒りや不満をもっての発散発信行為が、習慣としての強固なものになっていってしまうので…。やはり忍耐が、また自己に重きを置かず、他者への思いやり愛が鍵になるのであろう…。

追記:
他人に関しての無関心ってやつがまた一番厄介、危ない兆候でもある。出会う、心が触れ合う人々に対しては、興味を関心を色々ともってあげたほうがいい。今日はファッションテイストいつもと違うじゃんとか、髪切りましたね、そのお相手さんはどうやって見つけたの?とか、今日は冴えてるね、まっ、いろんな変化に気づいてあげて、それを言葉にしてあげればいいだけの話っと。





これはもう完全にあっちとしてのキャラ、その造形、イメージだ。このことは何を意味しているのか?。あの政党そのものがあっち系だってことさ。分かってたけどね…。自分としてはほんと不思議に思うんだけど、なにひとつとして、隠されてはいないんだ。すべては最初から明らかなるままにある。きっと自己顕示欲があまりに強いがあまりに…。当事者たちはなんも考えてないさ。金のこと、ご機嫌取りのことしか。

では、かってのあの太陽の塔のことはこの自分はどう観てるのか?。あれは表面の化粧を取り除くのならば、屹立した男根でしかない。あれの持つ意味は、あくまでも岡本太郎なる人物の自己アピールの垂れ流し。ここんところは先と同じくして自己顕示欲でしかない。かなり幼稚な、幼くしてのものにはなるが……。




          「閑話休題。天に関わることわざ関連に戻ろう!」。



(てん)三日(みっか)()れなし
人の身には、よいことばかりが続くものではないというたとえ。
晴れて天気のいい日は三日と続かないとの意から。

*降雨を必要とされているものたちもいるわけだしね〜。
*貴方一人だけの為に、この世界があるわけではないだよっと。
*共有のプラットホームとしてあるのがこの世界。

(てん)にも(のぼ)心地(ここち)
これ以上ないほどに嬉しい気持ちのたとえ。

*これって、経験者が

生まれた文句なんだろねっ。
*それとも先天的に知ってる。かってソコにいたことの記憶からなのだろうか?。
*天国って概念が輸入されたせいなのか?。
*自分にはこのことが普遍的に最高の気持ちってやつを表してるってのがよくわからない‥。

(てん)(とき)()()にしかず、()()(ひと)()()かず
戦いにおいて、いかに天候や気候の条件が良くても、地理的条件の有利さには及ばない。
その地理的な有利さも団結した人々の力には及ばないということ。

*これは戦いにおいての話しなのであろうが、天地の狭間にて、地にへばりついた状態にて、
 人としての営みがあって、なり難くして、また得難くしての和たるものが、人々において
 達成されたなら、庇護としての働きが起こるってことではないだろうか?。
*すべてはそれに向けてのお膳立てでしかないのかも知れない。
 
(てん)配剤(はいざい)

天の神は、善行に対してはよい報いを、悪行に対しては悪い報いを与えるということ。
「配剤」は薬の調合のこと。転じて、物事をほどよく組み合わせるという意。

*人の子自身においては、ことの良し悪しなんてもんは、基本、分かろうはずがないんだ。
*後の後のそのまた後に、やや程までなりとも、理解が適うってもんでしかない。

(てん)美禄(びろく)

天が与えてくれた有難い贈り物のこと。酒の異称。「酒は天の美禄」「美禄」ともいう。

*とはいえ、ご意向たるものの表しは、
 人の子らにとって分かりやすく、

、賜ってもくださっている。
*最近の自分においてのものとなるとっ!あの「忍び」における記録官吏の写真にな〜る〜…。

(てん)二物(にぶつ)(あた)えず

長所があれば必ず短所もあり、長所ばかりを備えた人はいないということ。
天は一人の人間にいくつもの長所を授けることはないとの意から。

*いくつ与えられてあったとて、すべては両刃の剣になってる。
*当人が会得すべきなのは、バランスをキーワードとしての適用。
*あと使わんことには活かさんことには、すぐ、なまくらになっちゃうからね。

(てん)(ひと)(うえ)(ひと)(つく)らず、(ひと)(した)(ひと)(つく)らず

人間は生まれながらに平等であり、身分の上下や貴賎などの差別はないということ。

*差別を必要とし、また求め、作り出しているのは人間本人になる。
*人の世においてともなれば、これが止むことは絶対に永遠にないであろう。
*事の本質が分かる、見抜ける人が、おられる、増えてゆくことを願うばかり。

(てん)(みずか)(たす)くる(もの)(たす)

天は、人に頼らず自ら努力する者に力を貸し、幸福を与えるということ。
「天は自ら助くる者を助く」ともいう。

*人事を、奮闘をもって、果たしてあらんことにはなんの話にもならんやろて‥。
*ある局面においては、神も仏も。そのこころにおいては、ぶった切ってしまっておらにゃ
 ならんやろて…。死中に入るその寸前においては、一言「アーメン」と…。

(てん)はお見通(みとお)
善悪の報いは必ず受けるということ。
天は全ての真実を見抜いて逃れることはできないということから。

*全知が何故に適っているのかを分かっとかなあかんて…。

天馬(てんま)(そら)()

天馬が、天空を自由自在に駆け巡るように、着想や行動が自由奔放である様子。

*天としての(くう)をだ。牽引を目的として差し伸べられてある手、力ってのもまたある。
*鎧潜水服としての自我、それからの軛を、解き放たれんことにはことは適わんて…。

天網(てんもう)恢々(かいかい)()にして()らさず

悪事を犯した者は必ず天罰を受けるということ。 「恢恢」は広大なこと。「疎」は粗いこと。
天の網は広く、目が粗いように見えるが、絶対に網の目から漏らすことはないとの意から。

*粗いのは人の意識の方になる。もうダダ漏れ…。
*マイクロビーズの大海の中にて人が生存してるって喩えは、皆様において通じたかしら?
*こころの中にまでそれが浸透してるから、知られんことは一つとしてないんだ。
*一挙手一投足のそのすべてが即座に、ことと同時に知られてしまってルー!。

(てん)(うら)まず人を(とが)めず

自分の身がどんなに不遇でも、天を恨んだり人をとがめたりしないで、
自己の人格形成に努めるべきであるということ。

*これ信仰者であればあるほど難しくなってゆく〜。
*とやかく云う、あれこれ思う、不満を呟いてあるその自分自身を、もう関知しない。
*アーメンで切り捨てる。無効化してしまう。
*ここでの人格形成ってのは、実際は、役者としての名優になるってことだからね。
*現場において、為されるべきことを為してあるまでの話しっと。

(のみ)(いき)(てん)()がる

誰でも一心に努力すれば望みを叶えられるということ。
一心に事を行えば、蚤のような小さなものの吐息も天に届かせることができるとの意から。

(ひき)(いき)さえ(てん)()ぼる

誰でも一心に事を行えば望みを遂げられるということ。 「蟇」は、ヒキガエルの別名。
一心に努力すればヒキガエルのような弱い生き物の吐息も、天まで届かせることができるとの意から。

*共に青息吐息 としてのものなんだろうね。
*役目を勤め上げるまでは死んでもらっては困るっと。

人衆(ひとおお)ければ(てん)()

人の勢力が強い時は、道理に背いても、一時的には、天の理に勝つこともあるということ。

*名解説としての文ですねっと。言葉をたすこと一切叶わずっと。

富貴(ふき)(てん)()

富や地位は天の与えるものであり、人の力ではどうすることもできないということ。

*これは違う解説を加えておこう。
*それらに関しては、天はまた人の世とは違った尺度を、持たれているっと。

俯仰、(ふぎょう)天地(てんち)()じず

自分にやましいところや恥じるところは何一つないということ。
「俯」はうつむくこと、「仰」はあおぐこと。
うつむいて地に恥じるところがなく、あおいで天に恥じるところがないとの意から。

*山上の垂訓における「天にも地にも誓ってってはならない」が思い起こされる。
*何故にイエスが、ダメだと言ったのかを考察することには大いに意義がある。
*そんなやつぁ〜、

ってことなんだろう…。

普天(ふてん)(もと)率土(そっと)(ひん)

全世界のこと。
「普天の下」は大地をあまねく覆っている広大な天の下、
「率土の浜」は地の果ての意。「普天率土」ともいう。
「溥天の下 (もと) 王土に非ざる莫く、率土の浜王臣に非ざる莫し」(原文)
 この広く大きい天の下、広い地の果てまで、

であり、
 そこにいる人は

だ、という意味。

*これぞ正しく聖書が語り教える内容になる。
*ただし、人としての存在ではないんだがね〜…。

(まこと)(てん)(みち)なり、(これ)(まこと)にするは(ひと)(みち)なり
誠こそが、この宇宙を支配する原理であり、
これを具体的に実現することが、人間の務めであると。

*言い換えると、
「神のみが真実であり、その事実を理解して、ご意向に沿うことこそが、人の生きるみちである」となる。儒教はキリスト教と

なんかね〜?。

(めい)(てん)()

運命は天が定めることで、人間の力ではどうすることも出来ないということ。

*作用転写運動展開に対して、受け身としてのこちらは、いろいろと反応をする、
 しているまでの話しなのだ。そこに狭量なる思いやら判断を持ち込んで、
 それらの下に、なんやらかんやら文句を言ったとて、しょうがない。ことは後の祭り。
*ヒトの子らに対しての〜、天の本質的なる求めは、愛の顕現であるってこともまた事実。
*でも変化としての伝動ベルトが働いて、回ってあるからこそ、そこに反応としての選択権も
 またあるって話し。機会を見逃してはならない。選択を直ぐに行わないと、流されていって
 もう二度と、その機会は、やってこない。自分の本心にだけ、従ってればいい…。

(りゅう)一寸(いっすん)にして昇天(しょうてん)()あり

すぐれた人物は幼少期からすぐれたところがあることのたとえ。
竜は一寸の大きさの頃から天に昇ろうとする気迫に満ちているということから。



学者(がくしゃ)()った天下(てんか)なし

学者は学問の上で政治を論ずるが、実際は理屈どおりにはいかず、
学者に現実の国家を治める能力はないっちゅうこと。

*もう一回上の絵を持ってこようとも思ったが、止めた。
*とにかく頭だけではなんの役にも立たないってことを、絶望感をもって語ってるまで。
*天に預かる

ってやつが必要なのよ。あのイエスのように…。

壺中(こちゅう)天地(てんち)(こちゅうのてんち)

俗世間から離れた別世界のたとえ。また、酒を飲んで俗世間のことを忘れる楽しみのたとえ。
中国後漢の費長房が、薬売りの老人が商売が終わると壺の中に入るのを見て一緒に入れてもらったところ、そこにはりっぱな建物があり、美酒や旨い肴が並んでいたので、ともに酒を飲んで外に出てきたという故事から。

*オタク?引き篭もり?…違うわな〜。ポイントは商売を生業としてる老人だってこと。
*解脱者だ…。壺中はその解脱者のこころの内としての世界を、表している。
*一緒に入れてもらったの部分は完璧に嘘だ。

修身(しゅうしん)斉家(せいか)治国(ちこく)(へい)天下(てんか)
天下を治めるには、まず自分の心と行いを正しくし、次に家庭を整え、
次に国家を治めて天下を平和にすべきだということ。

*世のシャチョサンたち皆に、これ読んでもらいたいアルヨ!。
*この辺から、いや既に、的はずれなやつが連続します。
*おもしろいから入れてみたまでのやつ‥。

(さけ)(てん)美禄(びろく)

酒は天が与えてくれた有難い贈り物である、と酒をたたえる言葉。
「天の美禄」「美禄」ともいう。

*ロマンチックな表現だわ…。この自分は酒は飲まんのだけどね。
 飲んでるときはいいだけど、後が、シラフに戻ってくるまでが、いたく不快なのだ…。

(よし)(ずい)から天井(てんじょう)(のぞ)

極めて狭い見方や考え方で大きな問題を判断することのたとえ。
葦の茎の小さな穴から天井の一部分を見て、天井の全てを見たと思い込むことから。
江戸いろはがるたの一つ。

*まさに、いまこの自分がやってることではないか!。

青天(せいてん)霹靂(せきれき)(せいてんのへきれき)

 晴れ渡った青空の下、急に雷が激しく鳴ること。
 思いもよらない大事件や変動が突然起こること。

*ノー・コメ。悪い冗談しかでてこない…。

天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)

天地の間に自分にまさる尊大な者はいないということ。
釈迦が誕生してすぐに七歩歩み、右手で天を指し、左手で地を指して唱えたといわれる言葉。「天下」は「てんが」とも読む。

*マハラジ参照。
*私が今ここに生きてこの肉体の内にて存在しているからこそ、あらゆるすべては、
 そのことに呼応するかの如くして存在してくれている。神も宇宙も、空さへも…。
*極論を云えば、すべては過去も未来も含めて、貴方一人の為

存在してるんだ。
*敗戦も、高度経済成長も、バブルも、コロナも、円高を経ての円安も、この天村も…。
*良いこと悪いこと、善きことよこしまなること、それらに対してあなたがどう反応する
 のか?結果どういった行動を選択するのか?それが適う機会/契機の、

でしかない。
*世界システム(プラクリティー)なるものが真に偉大にして恐るべきものなるは、
 ことのすべてが、全人類、個々において対して、同時に、適ってるってことなんだ…。
 

(てん)(つば)する

他人に害を与えようとして、逆に自分に災いを招くことのたとえ。
上を向いて唾をはけば、自分の顔に落ちてくることから。 「天を仰いで唾する」ともいう。

天罰覿面(てんばつてきめん)としてのそれの別表現か‥。

天秤(てんびん)()ける

二つのものからどちらかを選ぼうと、優劣や損得を比較すること。
また、対立する二つのものの両者に関係をつけておいて、
どのような情勢になっても自分に損がないようにすること。

*そうそうこれ加えたのは中和力としてのものの重要性をその特異性を訴えたかったからだ。
*中和力たるものの、それ現れの一つでしかないが…。
*バランスを保つための

たるものがそれ。
*それがどこなのかは渦中にその身を埋めんことには感知し得ないものだ。
*別称、「中庸を探る求むる」ってことにもなる。
*それ単独では存在し得ない。関係性のただ中にあってこそ、それは極点として存在しうる。
 そして奇跡的なる平衡としての常態をそのただ極小の一点にて、発生させうるんだ。
*つまりは、自分としての実体は

としての車軸そのものとしてあって、現実の
 あらゆるすべての一切からは身を引いてある思いとしてなんも持ってないってことが必要。
 とにかく流れには逆らわない。同体化しない。バランスによる平衡を探る‥。

(てん)(たか)(うま)()ゆる(あき)
さわやかな秋を言い表す言葉。 秋の空は高く澄み渡り、馬もよく食べて太るという意味から。 「天高く馬肥ゆる秋」ともいう。

*名文!。高き所に神ましておられして、すべてはつつがなく然るべくして収穫をもたらす。

(とも)(てん)(いただ)かず
相手を殺すか自分が殺されるかの関係で、共存ができないこと。
また、復讐せずにはいられないほど激しく憎むこと。
相手と同じ天の下では生きていけないとの意から。
不倶戴天(ふぐたいてん)」ともいう。

「父親のかたきと同じ天をいただくことはできない」が本来の意味。「探し求めて必ず殺せ」、とのこと。原文においては文章はさらに続いていて、「兄弟のかたきを見つけたときは、武器を取りに帰ったりせず、その場で殺せ」とも教える。一方、友人のかたきについては、同じ国に住むな、と説くだけ。相手が国外に逃げたなら、追わなくていいそう。
現代では、同じ世界に生きていたくないほど憎い敵の形容に使います。ところが、芥川龍之介は、なぜかこれを「不具退転」と書き、「絶対退かない」の意味で使っています。

*「二人の主」参照。


(はり)(あな)から(てん)(のぞ)

自分の狭い見識で、大きな物事について勝手な判断をするたとえ。
「管を以て天を窺う」ともいう。

*さっきもゆうたが、まさにいま自分がやってることではないか!。

(よる)()がり天気(てんき)(あめ)(ちか)(よあがりてんきあめちかし)

夜のうちに雨が上がり晴れた天気は、長く続かないということ。

*そんな

あらへんで〜って…。




あとがき:

昔は日常の生活文化の中にて、天を学ぶ意識する機会ってのが備わってあったのだ。儒教と天孫降臨を真とする天皇制が尊ばれていたからこそ。数百年を越えてのその伝統文化による効能もいまや廃れ行くままとなってしまってる。ことわ〜、あくまで抽象的な話でしかないので、サポートがないことにはなかなかに感得しずらい。それでも、

、決して意識することから外してはならないもののことではある。一助とするべく、それとなるべく、また本体としての稿への助走とすべく、これ作りましたんですわよっと…。


















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