第3話  誰かの逆鱗に触れるの絵

文字数 2,631文字

      それは間違いのないこと。確かなること…





荒ぶるお年頃の、誰かの娘さんに、この絵を見せたならば、多分…発狂する。

毎度毎度、会う(たんび)に、嘆息(ためいき)攻撃に(さら)されているのは「 どこのどいつだぁ〜い ?」。


       「 私だよ!!」


如何なる身分、境遇、そのしてきたこと、経てきたことに関わらず、

誰も、十字架からは逃れることはできない。

死の、その時までは、……無〜理(むぅうりぃい)〜…。


      「 ア”ーーーッ!」


相手の幸せを願って、つまりは、やがてには、

最初からの想定の通り、良き母に育つことだけを願って、夢見て、

自分は、ただひたすら平静を保ち、無言にて、耐え忍ぶしかできない。



の、如何なる出来事の往来であっても、

すべて、幸いなこととして受け入れれる心の態勢がある。

その中、その恵まれものとして得た、その内側にて、我独りのみが幸せで在るばかり。

命あって、在れることだけで、十二分に幸せだと自分には感じられている。



「わたしゃ〜、無理なこと、意味のないことは、せえへんのー!」。




終はり





ことはですね〜、娘が急に我儘のし放題になってしまったことに始まる。
中二の後半ぐらいからそれは恐ろしい加減で表面化し始める。
どうちゃらクラスでは虐めの張本人だったみたい。

そして、なんと、妻は、なんでもかんでも彼女の望みを叶えてしまうのです。
なんでもホイホイ買い与える。ギター何個、パソコン何台持ってるねん!。
そして化粧品関係…。金髪、酒盛り、奇妙キテレツなるファッション。

歌い倒しの、鳴らし倒しの、すべてにおいてパナしっ娘。
高校行けや。何校目なんかもう知らんけど…。
さらに門限なしの、深夜のバイトの、なんの躾も無しの、だらしない限りの…。

奥さんは、娘さんに、好かれたくって、愛情を深めてってもらいたいだけだ。
彼女は、後日、彼女に、大きく裏切られることとなるでしょう…。
息子にも…。


ボクからの介入、つまりはダメ出しは、一切受けつけません。

「猫の名付けも完全に無視されましたー!」。(悲)

だから、バランス調整で、娘とは距離をおくようになった。してる。

しかして、彼女の敵意を一身に背負うようになった。

 彼女個人にのみ伝えるべきは…

 「害児は害児のことを、ことさらに嫌う」だ。

  早く〜、その状態を脱するようにーーー!。父より。




脱線:

現行はですね〜、タイプ7としての、
まさにそのネガとしての傾向性の現れそのもの。
蟹座であること、巳年であることが、増幅というか、拍車を掛けていると言うか…。
なかなかに始末の悪い存在になっちゃってる。甘え

強いんだ。

ボクの実家関係で迷惑かけたこともあるし、かなりのダメージ喰らったとおもう。
だから自分としては強く出れないんだ。思えばこそ、しばきたくもなんだけれど…。

彼女が小学校低学年の頃、私に書いてくれた手紙を大事に保管してある。
その文章を悪いが、勝手に掲載させて頂こう。
現在の、あのような状態であるからこそ、興味深く読める分がある…。

『お父さんへ
 ごめんなさい。私は無いしきでよくためいきをついてしまうので、そこは、がんばって
 直そうと思いますので、もうしません。これからはいしきしてため息をしないように
 がんばります。それと、お父さんに生意きな事をよく言ってしまったのでひどくはんせい
 しています。本当にごめんなさい。本当にいつもありがとう。これからもよろしくね。
 気が向いたら話しかけてね。』

丁度その折も関係が悪くなってしまってた。母親への口の利き方、ため息をもって
不快感を表す習慣に関して、止めるよう注意したからだ。私は理屈は一切言わなかった。
態度で示したまで。子どもごころなりに堪えたのだろう、そんで手紙を書いてくれた。
関係は即座に回復されていた…。

まあ、本質と人格に関して理解するための一つの事例としてみてもらえればいいかな。
疾風怒濤の青春時代に、人格たるものが形成される。そのことの意義は、世の中を
渡るための、つまりは自分の要求を突き通す/叶えるための様式の獲得だ。

それはいいんだけど、必要なことなんだけど…すべてはその出来次第だろね…。

重要なことは「本質が主導権を握れてないと誤った方向に行ってしまう」だ。
でもこればっかりは本人次第の面がある。外からは誰も強制できない。

娘は現在、甘えが強過ぎて、我儘になり過ぎになってる。
このことの原因は実は定かではない。
可能性としては遺伝的要素、もしくは宿業のせいだろうなと観ているのだが…。

結果、本質は、本人自身からも見失われ、気づかずに、分厚い自我の鎧の下、
何処かへと埋没していってしまう。主となる重心が人格の方に完全に移ってしまうから。

このことは、本人の気づきを待つしかない。
なんらかのドラマにおいて自省が起こらない限りどうしようもない。

しかして…幸いに自分を改めようと思い得たとしても、既に獲得されてしまった習慣性から
逃れる為には、恐ろしい苦しみを味合うこと意外にその術はない。

すべては、やがてに、自然が、その独自のプログラムをもって矯正にあたることとなる。
アクティベイトされて人生の状況が一変してしまう時節が間違いなく到来する。
客観的には、これは幸いなことでしかないのだが…。

なんにしても、娘や/息子が、苦しむ人生を歩むのを喜ぶ親はひとりもいない。


 『やがてにの時の整い待つばかりかな猿滑』(崇)




リアル・リトル・ミー

 


しょうもない話はさて置き!

もう本当の締めだ。

それはそれは巧妙にして絶妙なるアプローチとなるよう仕組まれている。
絶対に防ぐことはできないようなっている。
神の、世界の、完全さをそこに思うのが観るのがいい。

ヒトの小賢しい知恵などなきものとして、完璧に届けられてくる。
その人間にとってなにが最悪か、どれが苦しみに繋がるかに従っている。
各人それぞれ、その内容は違うであろう。

ならば、これはありがたいことなのだと思って、そのダメージを受け入れるまで。
そのダメージのすべてを己が内にのみにて納めるまで。
その痛みの、苦しみのままに、のたうち回るのみにて、
絶対に想念は(理屈は)立ち上げないこと。

そのダメージは、その苦は、やがてには治まる。
跡形もなく消え失せるものでしかない。
あとはケロっとしておれる。

たぶん忍耐心を養うためとバッファーの破壊の必要性からの機会贈与でしかない。
ならば、ありがたいことだと思って、耐え忍ぶ。
これにも感謝して、「アーメン」と

唱えるまで…。』




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