第8話 とある系譜①
文字数 19,405文字
*三回シリーズ。
Re: 映画「禁断の惑星」
謎の古代惑星クレルにおけるその文明の頂点は『
この映画は完璧だ。自分としては、何一つとして文句を付けるところがない。
今日に至ってでさえ、尚も!。製作者サイドがみな成熟した大人だったのだ…。
物語の主軸はことの原因究明。物語としての”枠”たるものは、完璧にシェークスピアの「テンペスト」。所詮は人物間における
*その筋書きは、実は至極ありふれた世間一般のものでしかない。世にては掃いて棄てる程までにありふれた内容なのだ。でっあるからこそー、観客は登場人物らへの感情移入が容易く出来てしまうようになっている。話の進展に伴って、各登場人物の内に働くその思い、その感情を、自動的に、自然と、理解すること、察知するができる。同じ思いを既に経験してきているから。そしていつしか強い関心を持って惹きつけられてしまっている〜!。「ダイヴイン」。あなたたるものは消え失せてしまい、その意識は、映画たるその装置、それが紡いで見せる夢の操られ人となってしまっている。もうそれは同体であると言ってもいいだらろう...。
*「そうだそうだ」「分かる分かる」の感情移入が簡単できないと、客は不興を買ってしまう。飽きを覚える。すべては
*「悲劇」としての、その古い酒が/見世物が、繰り返されて、その見た目を新たに変えて、
何度も何度も再登場再上演されてくるのは、
*原因そのものは遠に判明してる。内省たるものをしっかり行った経験者らならばみんな分ってる。だが根本的に、ヒトが性分として備えたるの、その「業」は、たとえ幾代を経たとしても消えてなくなることなどない。時をおいてはまたもや、またしても、その同じ傾向性に支配されてヒトは同じ過ちを繰り返すこととなる。そして新たなる悲劇が惨劇が登場してくることとに、再現されてくるとこになる。
*だからこそー、何度も何度も、その装いを改めて、その都度その都度、その時代に合わせたものへと適応させられた形でー、業がヒトの心において果たす、その自動性たるもののを、その避け難きなることをー、具体的な事例をもって、知らしめておこうとの努力がなされるのだ。そのことの危険性、結果として周りの人々が被る悲劇、悲惨に関してを、ハッキリと例題をもって、表現することによって、広報せんと、自覚を促さんしての企てなのだ。
*演劇の本来的な目的は、観衆らにおいての教養知性智慧の育成を娯楽において果たすだ。
面白いだけではなく、手応えのあるもの歯応えがあるものがやはりニーズだったのでは?。
そして、なによりも、人間としての正しい生き方においては、業たるものこそが、克服され
ねばならないとの警告、訓示、呼びかけだったのではないのか?。
*ことはダイレクトに疑似体験をもって、第三者の目をもって、吟味されることとなる。
*今はそんな思惑で製作はされてないだろな〜。「金儲けのツールとして、すべては如何にあるべきか?」へと主眼はそれオンリーに移ってしまってるような…。評価成功はあくまで”入り”のみで測られてしまってる。下方八割にのみターゲットは絞れられてある。何をどう使おうがどうしようがコッチの勝手。評判になりさえすればこちとら本望なのだ。あとの事なんか観衆が後で裏で被る悪影響なんか、知ったこっちゃねー!。制作資金はなんでチャイナマネーなの?。如何に観客動員数を担保するかしか念頭にはないからだろね。彼の国の俳優いつもいるね。なんでハリウッドがゴジラなの?。他国よりの本土侵略を未だ経験したことがないから?。
閑話休題。愚痴ダダ漏れとなりそうなので話を戻します。ドラゴンボールも問題だったな…。
その”業”たるものが、この映画作品においては具体的にはどんもんだったのか?、
それを具体的に確認して参りましょう…。
老科学者たる父親は、美しく成長した一人娘を、ずっと自分の手元においておきたい。
なんと彼女は今は亡き妻の若かりし頃とそっくりではないか!。だからよけい彼女を愛し、
そして執着してしまう。そんで離れたくない。本音を言えば、娘を他の男の元などに嫁がせ
たくはないー。できれば生涯二人きりで、ここクレルにて生涯暮らしていたい…。
*これは大変分かりやすい。お気持ちはよく分かりますがそれは土台無理な話し。今ともなれば雛には遠に立派な羽根が生え揃っており、もう自由に空を飛ぶことができるのだから。この子がヤンキー娘であることからしても、もはや誰にも彼女の行動は止められない。このことだけはもう絶対に確実なることなのだー!。父親の悲しみ避け難し…。
*愛する伴侶を喪失してしまう。これは老齢の男性にとっては致命的な事件である。喪失は欠損は、何かで無理やり埋めるようなことをしてはならない。考えてはならない。観念でもってそれを埋めてはならい。その送り出しにこそ相手を慮ってのやるべきの課題たるものがあるのだ…。
話のにおいて、若く頭脳明晰なる
恋心たるものを、その二人の男性に抱くこととなる。二人を共に。そんで、そんな彼女の様子に移り気なる様子を察して、父親は、この二人の若者対して
*父親としてのジェラス。「娘さんを私に下さい」は本音としては聞きたくない。だってかわいいかわいい愛娘なんだもん。彼女がいなくなれば、自分は、本当に天涯孤独と成り果てる。この感情の反応は完璧に自動性なるものと言える。執着するものにおいてそれがいざ他人に奪われるような事態となれば、強烈な怒り、相手への憎悪が
*またこの遠い異国からの来訪者たる二人の男達が、まさに夢に描いたかのような、純粋培養にして、つまりはシミ汚れの一切ない、穢れをまったく知らない、世間なれしてない、(まるでマリヤ様みたい)、この若く美しい娘を挟んで恋のライバル関係ともなってしまう。これも普遍的にして日常的なドラマ。あらゆる男性にとっての
*よく出来たもので、この二人はタイプが異なるよう設定されている。キャプテンは勇敢さのシンボルとして。かたや副キャプテンの方は知能知性において秀でたるを表わすタイプとして…。変換するならば:
責任の重みにおける誠実さ、そして実行力、そして勇猛果敢なることが証しされたるヒト。
そして、マインドの機能が、際立って最高度に訓練されて発達したヒトになるのかもね。
*アメリカ文化における価値観、
*娘は多情にして好奇心旺盛で二人の男性の両方ともに気を引くようなことをする。
二股かけます。
*でも、お話しの展開の展開において、副キャプテンは、自らを
*スター・トレックの雛形なので、Mr.スポックが自分を犠牲にして死んで、
キャプテン・カークが生き延びたってな展開。このパターンは何度も作中でなされてた。
ステルス・ポジティブ・レインフォースメント。
*老科学者たる父親は、クレル星と心中する。我が身もろとも爆破することを決意した。自分の娘を含めて、今現在ここに生きている人々を救う為に。惑星ごとでしかシステムは破壊できなかった。惑星爆破の操作を単独で行う…。その間に、人々は宇宙船によってクレルを脱出していた…。
*自分の隠された欲望によって、その自動的処理の流れにおいて、あわや娘までも、自分は殺してしまいそうになっていた。そんな自分が恐ろしくなった。同じ原理にて、クレルの人々もお互いに殺し合い、そして滅んだのであった。すべての舞台裏のカラクリが暴かれ明かされたのならば、その舞台そものを消し去ることによって、終劇へと至らねばならない。もうそれの役目は済んだのだから。観客たるものたちを日常へと誘 い送り出してあげなければならない...。無事、家に帰してあげなくちゃいけない…。
*あの老科学者としての父親は最後は高潔なヒトのまま、それにおいて死んだ。彼の名誉を保つ上で最善の選択だ。でもこれは違うだろうね。そこにある真の意味は「老父たるあの男は今後
*妻に先立たならば男性はすべてこの喪失を受け入れるしかない。気持ちよく彼女を送り出してあげる。開放してあげる。感謝の思いをもて。でっその欠損は埋めない。してはならない。(するなら犬猫にしときなさい。)そんな事をする必要は実はまったくないのだから。何故ならば、あなたの思う感じてた”それ”は、元から存在などしてはいなかった...。当然な話としてあなた自身も本当にはここに存在などしてはいない...。彼方の反映。それの析出その結果...。
〈暗転〉
Re: コラム(Aパート)。
♪「光の国から僕らの為にー、来〜たぞー我等〜の、ウルートーラ〜…」♫
自分としては、今回特に強調して説いておきたいことがある〜!。「なぁ〜に〜?」(読者担当パート)。それは「
例えばウルトラマン。その正体は”阿羅漢”であることを前にどっかで指摘した。そんで怪獣等は天変地異等の災厄だと。そんでもって宇宙人は外つ国からの”侵略者”であると。これらは現実に起こったこと、起こること、実際に実在する
先ず先に現実がある。ヒトはその事を知らず分からず仕舞い。そんな形で進行してる。
もしくは既に起こった。とにかく
そったらば、なんで、ウルトラマンは、あの様な姿デザインで、巨大な体、またスペシャ〜ルな能力を身に着けているのか?。多分、密教の修行において獲得される超常能力の保持者であることの暗示。またそれを恵徳出来た事自体、ヒトとして偉大なる事の表明。それは一種の咒術であり魔法と呼ぶに相応しい力。常人と比べれば、そのパワーは桁外れであることの
ではまた何故に”
大日とは「大いなる日輪」。もとはヒンドスタンにおける太陽を司る毘盧舎那如来 のことになる。密教の教において大日如来は宇宙の真理とされ、宇宙そのものがまさに体現している。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされる。だからすべての根源、支配者にして創始者とされる。
「無相の法身と無二無別なり」。姿・形の無い永遠不滅の真理そのものと不可分である。
↑言い回しが???。要は”一体”、”同んなじ”、”同体”なんだってよー!。
大日如来と弥陀は別々でなく、弥陀 は大日の智用の表現、大日は弥陀の理体を表すとされる。密教では大日と阿弥陀とは同体なのだ。すべての如来たるものは実は大日如来のアバターでしかないのだ…。←だからウルトラマンたるものは沢山いるのだ。みな兄弟として。w。
大日如来は、この宇宙にあまねく広がる点では超越者だが、万物と共に在る点では内在者とされ、「万物を総該した無限宇宙の全一」、全一者であり、万物を生成化育することで自己を現成し、如来の広大無辺な慈悲は万物の上に光被してやまない…。
薄々勘付かれている方もおられるでしょうが、これって...。
三身即一(trikaya)って言葉がある。
法身・報身・応身と捉えての三身が実はそのまま実は同体であるの意味らしい。
もう遠に勘付かれている方もおられるでしょうが、これって...。
ヴァイローチャナの起源たるアフラ・マズダーに遡るまでもなく、三位一体としての”神”と同義として捉えることが可能なんだ。ことは文化的な差異だけってか?。
え〜っと、この機会に、次いでに、あることを強くアピールしておきたいねん。その存在を表すに、なにを採用するとしても、それは、ともかく、決して、太陽とイコールとすることは絶対に出来ひんねん!。それは完璧にして圧倒的な間違い。農耕民族としての発想としては分かるが、それではポイントが狭すぎるー。とにかく、それは
*** 『真実 は〜唯一 つ!』 ***
大事なのは、真実にして事実のみ!。これのみにてで十分だ...。違う?。
それは表現として「光の下に、ものを確認する」に如かず。*これも
光あってこそ、初めて、ことはー、現実として明るみに出され得る。光の元にあったならば、
今という時点においては、嘘偽 り、もしくは迷妄としての幻
真実が現実があるのみーみーみーみーみー…(エコーを伴ってのフェイドアウト)。w。
妄想が紡がれ、それがあたかも存在のものかのようにして認知認識されてしまうのは/いるのは、その個人が暗箱の中にいる状態にあるってことに他ならない!。このことは、当の本人の
意識をもって、その明智としての光において、明らかにされねばならない。確信を伴っての
究明たるものが本人において為されなければならない。事実は現実は”一つ”っ切りー!。
真実や事実以外に関心ってあります?。
〈暗転〉
Re: でわ〜改めてー「禁断の惑星」に再アプローチ。
今度は抜けたことを意識しながら、もう少しくどくでいきます...。このSF映画はメルクマール(然るべくの達成点)、マイルストーン(後人が拝すべくの道標)と認識されるべき作品だと
思う。もうその出来栄えはほぼ完璧。*イドの怪物だけ、CG使って表現のやり直しが必要と思われる。*何より呼称が間違ってる。あれイドじゃない。*それにおいての表現を徹底するならば、物質化さえもそれによってなんでもなされるとすべきだった。要は一種の神 化だ...。
先ずクレル星人とは何だったのか?。誰だったのか?。どうして彼等の文明は絶滅を迎えて
しまったのか?。高度な科学技術によるあの奇跡の達成には、何を思うことができるのか?。
端折る。彼等は遠い未来の人類のことでしかない。マインドの発達にのみ特化した存在。良心とか魂の発達に関しては棚上げにしてきてしまったのだ。クラークの作品におけるオーバーマインドの概念と同じ。それは正しい進化の筋道ではなかった。なので、進化の袋小路へと究極的には至ってしまう...。
近似としてはエグリゴリらも似たような存在だ。天界の出自なので秘儀奥義に通じている。でも全一に仕える身分であるを、自身の意思もて、それに属して在るを厭いて、逸脱したるの存在。その結果として物質世界での生存へと堕ちた。生命は”全一性”においてでしか正しく生きながらえることはできない。なので己がその行いその選択において、同じく、やがてには完全に滅び去る...。
クレル星人が全滅したその後に、もう一度、もう一つの同じ様な事件がクレルにて引き起こる。地球から一群の移住が行われたのだ。その人達がある時に同じ原因にて全滅してしまう。あの科学者としての父親と、その一人娘だけを残して…。
*類似のパターンが変奏においてそのスケールを変えて何度も何度も繰り返されてしまう。
*見た目は大きく違ったとしても本質においては同じものだとみなし得る。ことは捉え難く、
取り敢えずで、”業”と呼んだり、”トラウマ”と呼んでみたりするまで。
惑星クレルの別の表現は絶海の孤島となる。それとしての設定だ。超科学によってすべてオートで保守運営メンテされる機械仕掛けの巨城であるとも言える。あくまでも世間から、切り離された、隔絶された特殊環境であることを意味しているまで。
その城の王(支配者)として、年老いた一人の男が娘と伴に隠遁生活を送ってる。彼は僧侶なんかではない。出自としては元は科学者だ。それもいたく優秀なタイプだった。
*ここんところは重要になる。彼は知性において非常に発達したマインドを持つ人間だ。そんな彼が、社会から切り離された環境において生きることになったことを本心としては喜んでいる。現在の生活には至極満足している。
「何故だ?」
嫌になってしまっていたんだろね。世間たるものが。その中に生きることが。
「何がそんなに煩わしかったんだろうか?」
人間関係がだ。その欲と野心が渦巻く、あくまでも、いつまでたってもあさましいだけの、そのままの人間たちとの関わりそのものがだ!。もう厭わしくって厭わしくって、もう我慢できんようになってしまってた...。彼の役どころは老齢ってこともあり、これまでに様々な経験を経てきていることが前提となっている。またハイソな身分であって、生活中心は、これまた
隔絶された研究室の中が殆どであったのでは?。学内ってのも熾烈な権力闘争の場でしかないからね...。
「そんで?」
願えよさらば与えられんってことで、その願いとしての理想の環境たるものが手に入る。彼が優秀であることのの証だ。しっかりした貢献としての実績があり、よって社会的名声をも勝ち得た成功者として認められている。そうであればこそ、そういった我儘も可能になってた。彼は自身のサンクチュアリーたるものを、城を手に入れたのだ。そうして、すべては彼の願うところの、そのままになされる世界っとなった…。
「そんで、ならば、その状況たるものは何を表している?」
これは、彼の城とはいってもその正体は、広義においては、父なる立場の人間が管理支配する治外法権としての「家」ってことになるんじゃないかな〜?。お話しの都合上、設定は極端な方へと振れてしまっているが、すべての老齢の男性においての、その内面世界ってものに、その城たるものは還元されうるんじゃないだろうか?。一戸建てに住んでて家族が同居していれば、もうそこはもう彼にとっての城さ。そこには何故か封建的な父親像ってのがどうしても見透かされてしまう。
そんな社会的成功者たる彼には、至れり尽くせりとして整った社会サービス群がサポートしてくれている。アマゾンとかウーバーイーツとホームメイドとかetc。お金があれば「呼べば応える魔神群」(作者崇)といった状況なのだ。彼にかしづくロビーは、実際には単なる雇われ人としての
でっそんな彼の管理下には、うら若き娘さんが一人、囲われているっと。一種、囚われの姫様みたいにして。彼が大切に育ててきた。管理の目がよくゆくようになっていた。そして世間一般との関わりが完全に断たれた遮断された環境にあって育つことが出来た。もう完璧なる箱入り娘だ...。そんな彼女は養護者たる父親に逆らうことはできない。タイミング的に、今がまさにとても若くて美しい時にあたる。内側より異性たるものを追い求める、その衝動が昂じて高まりゆくまさに恋の季節の渦中。それの到来の時節に彼女はいるのでありました〜だ...。
さて、人間模様としての横軸はこれぐらいにして、ことの謎解きにおけるその原因とは
なんだったのか、それの内容を見ていこう。その前に...。
Re: コらム(パートB)。 *Cまであります。
SFのことを山脈に例えたヒトがいたな。それは、サイエンス(科学)とフィクション(空想)に支えられた所に結ばれる稜線なのだと。それの偉業と、連綿と紡がれてある様をもって山脈の稜線としたのだろう...。自分の実感としては、ことはすべて、ノンフィクションでしかない。だからこそ意識的無意識的含めて発信がなされてあるのだ。そのことにおける核心たる部分を抽出してこれを他人に伝えるにおいてはどうしても何かの例えを持ちうるしかなくなる。だから目的が達成されるのであればその衣装はなんだていいはずなんだ。それはインスピレーションにおいて自然と決まるもの。サイエンスは厳密さをリアルであることを説得するにおいて、最も有効なるレトリックであるに過ぎない...。
〈暗転〉
閑話休題。種明かし的には地球文明たるものの遥かなる先の未来における姿がクレルとなる。
もう既にこれは言った。その、ある時点において、人類のすべては一夜にして一瞬にしてすべて滅んでしまう。すべての機械設備たるものにはまったく破損はなく、かってのままの状態に保たれたままにて。これも既に言ってる〜!。
その地を、われわれは訪問する。そして実地に、自分の生身において、かってそこにあった悲劇たるものを追体験する。その疑似体験をもって、我々(現代人)は、未来において、そういった事態にならないよう、至らないように注意しなければならないよって…。
なんか当ったり前のこと言ってんなーって思われている方…。いや、そうなんだ。その通り。
でも敢えてで、この然るべく整えられたの筋道ってやつを確認しときたいんだ…。そういった
訓示、もしくは教唆めいた意味があって、なんらかの言葉をもってだけでは伝えがたい重要なる意味をニュアンスを伝えるべく、表現ってやつはあるべきなんだ。読者/観覧者らに、ことに関しての危機意識を植え付けようとしてくれているんだ。事前準備さ。この役割こそが、
表現たるものの本来あるべきの姿なのだと思う…。
ぼくは辛いんだ悲しんだ苦しんだ寂しいんだ孤独なんだじゃないんだーーーって!!!
そういうのは早く大通りに出て、自らの口から、「助けてー」って叫ばなければならない。
直接、誰か適切なる人に伝える必要があるまで...。*映画でそれをやんなよー!。
先ず、最も肝心なることは「何故、
そりゃ~「誰もが願うことだからだろ」とか「出来たら面白いじゃん」では答えとしてはだめ。弱い。なにか切実なる事情があったればこそ。だからこそ真剣にその技術の完成は求められた。おそらくはこの技術の開発こそが全人類の幸福に利する、人々を真に救済する/できるものとの考えがあったればこそだ。
何故ならば人類はずっと愚かな行為を繰り返してきているからだ。群れとしての行動においてはこれは何故かいつも必然となる。絶えずいつもってわけではない。平和で健全な時期もあるがそれは長くは続かない。社会的にストレスを溜め込み不穏なる状態へと至ってしまう。欲求の不完全燃焼の為にだ。充足を来たらしめ得る真に実りある生活の欠乏がことの原因だ。その仕組みに関してはフランケン博士がどっかでやってくれているからここでは繰り返さない。要は結果としてヒステリー状態になってしまうまで。これの特徴は皆もなんとなく分かって分かっているだろうが怒りだ。なんでもかんでも目に障るもの気に障るものを口撃攻撃したくなる。障るってのもその誰か何かに対しての妬み嫉み嫉妬の感情の高まりの性さ。こいつは完全に
群れとしての最小単位は「家」になる。ここにおいても色々と面倒くさいキナ臭い話してっのは起こってくる。人間関係ってのはほんと難しい...。否むしろ独自の/自身の経済圏を背負っての国と国との関係ってのにおいてこそ、その愚かさ故の問題ってのは露骨に現れてきてしまう...。静かに放っておいてはくれない。自分の支配圏に取り込めたくなる。領土を奪いたくなる。侵略戦争を行いたくなる...。これの本質も獣としての原始的なプログラムに基づいての行為でしかない。テリトリー戦争は動植物においては生存における基本原理だ。生きるにおいて良い目のできる場所を押さえよだ。我等のみにてで。この地球圏における低レベルの有機生命体においては至上命題あるに過ぎない。でも
追記:その感性も一種、メタとしての”何か”からの反射作用、意思表示なのだ。
そんで一つの解決の為の構想が持たれた。それの達成が祈念されるようになった。
すべての人類を強制的に頭良くしたら問題は自然と解決されるのではないか?。
知能や知性を、理性たるものの力を大幅に向上させる!。
脳髄の機能を大幅に人工的に進化させればいいのではないか?!。
もしこれが達成されたならば:
もう愚かな獣じみた行為を強要するプログラムの支配からは完全に離脱できる?。
本能による支配は理知の光において解消され、新たなる曙としての地平が出現する?。
それの結果として、戦争のない平和な世界が達成されるのではないか?。
そして誰もが皆、生きるにおいて平等で、真の幸せたるものを享受することが適う?。
この夢をクレルの人々はある科学技術の達成において叶うものと信じていたのだ。
それは言ってみればテクノロジーを媒とした”魔法”になる。
それを成し遂げるにおいての技術要素は二つ。
一つには「人工的に知性や知能、精神力を向上させる」だ。つまりは科学技術によって強制的にヒトの知的能力を進化増強させる。人為的に恣意的に『超人』を創造する。付随的な技術的達成事案がまた一つ。「センサーデヴァイスにおいてヒトの心たるもが完全にモニターできなければならない」だ。インターフェイスが完璧なものとしてあらねばマンマシンとしての融合は不完全なものになってしまう。
*後者の達成の方が至難だろう。設定においてはこれは過不足なく完璧なものとされている。
このテクノロジーは格別に重要なので違う表現にて繰り返えさせていただいとく:
「特定の人物のこころを完全にスキャン/プロヴィングできる。
しかもその情報を十全に読み解いた上で更にマシーン言語へと翻訳することが可能」
*真に決定的なるパラダイム・シフトはこの達成があってこそ
人にもできるが、完璧に出来る人はもうこの世のヒトではないのでやってくれないのよ...。
*ここのボトルネックは、科学のメスが入るのは
制限付きが示唆されていることに感心する。だからこそ禁断の技なのだ...。
そうなってから、そうしてからならば、やっとこさ、自分の思い描くことを誰を気にする
こともなく誰をはばかりこともなく完全に自動的に具現化実現化することができるっと。
デモなので思念することを機械に読み取らせて3Dイメージを結ばせて見せている。
このお人形さんは博士のイメージでしかない。彼の思い通りに願うがままにしゃべる
アクションをさせることも可能だ。あの「夢見る機械」を連想してしまう...。
さて、その二つ目としての達成たるものは、イメージの具体化/実体化を果たす上で必要
とされる「エネルギーの調達と確保」。それの供給システム。クレール星の地下には巨大
な動力炉が存在する。それをもってクレル星の地核からエネルギーを調達して貯蔵してい
る。もしくは何らかの増幅をしてんのかものね...。
見よ。このスケール感における演出を!。
この圧倒的なる巨大さにエネルギーの莫大なるを一瞬で直感してしまう。
本当に、よくここまで、効果的なセットが考案できたものだ。
これにおいても思うことを上げとくと:
エネルギー問題の解決がなされていたんだ。科学技術の発展において。
あの目的においては、無尽蔵とも呼べるエネルギーの獲得と制御が前提だった。
もう世界創造において神が振るわれた力にも等しいものでなくちゃならない。
ならばだ、もうそれは神にも等しい力を獲得したと、行使できるようになったことになる。
*エネルギー問題をどうするか?。これも切実なる人類に突きつけられてある課題だ。
*現実的には、地球の内部の地核からか、外部の宇宙空間から蓄積した太陽エネルギーを
送電するかの二択しかない。
*本件においては、自然、地球内部から莫大なるエネルギーを調達するに絞ってあるね。
*おそらくは、これが現実的な結論なんだろう。
*常温核融合炉における開かれた未来の達成を暗示しているんだろうね…。
*現在ドラスティックに人工強制削減計画たるものが進行されているともとれるのだが、
これも一つの方策だね。なんにおいても言うことだけど、要は足し算と引き算だけで
考えてみるべきなのだ。変動たるものも前提にしてね...。
Re: イドの怪物
さて
その魔術とでも呼ぶしかない技術達成とは、さていかなるものであったのか?。
そのシステムはヒトの思いや願いに対して如何なる反映を見せるものであったのか?。
実は魔術と呼ぶのは正確ではない。それの最終到達点としては間違いなくそうなるであろう
との個人的な総括なのだ。実際の映画の中においては、それは一種のサイコキネシスの範疇
にてで終わっている。求める事態の達成においてことは、あくまで自然と起こるまで...。
例えば誰かを憎むようになった。そしてその相手はこの世から消えてしまえばいいと思った。
するとこの思いや願いを叶えるべくエネルギーの実体化が起こる。そしてそれは当人を離れた
ところ、当人の関与のないままに、その持たれた思いを遂げるべくの行為を自動的に開始して
実行する。
*JOJOにおけるスタンド全般、特にシアハートアタックが思い起こされる。
劇中においては、地球からやってきて煩い蝿ども(調査員)がすべていなくなればと、博士は
ついマジに思ってしまった。すると、博士が眠りに入った途端、すぐさま宇宙船を乗組員共々
破壊するべく、力が具現化して船を襲ってきた。
これは観衆においての了解がしやすいようにとの演出でしかない。
本来的には、これに姿形は現段階においてはない。ただのエネルギー、力の集結のみ。
左奥は何重もの分厚い鋼鉄の扉。それを破って押し入ろうとしているところ。
灼熱していてもうじき突破されてしまうことが分かる。基本それは無限のエネルギー
たるものを背景にして、その個別の目的に合わせて小出しにしているに過ぎない...。
本当にこれは、化け物、怪物と呼ぶに相応しい存在なのだ…。
ヒトの狭量なる思いのそのままに、それを叶えるべくして、無尽蔵のエネルギーが実体化をもって暴走して、しまくる。これがクレルの悲劇の正体。細やかな制御が効かなかったので
その当人さえも巻き添え食らって殺られってしまってた...。
あのインターフェイスの為の装置はヒトのマインドの例えに過ぎない。それはいつの日にか、
無尽蔵の力を手に入れてその求めるままを為すことができるようになると。いかなる制約を
伴うこともなくで。それは良い面と悪い面が出てくるだろうね。先ず何よりも、何がー、願うかにもよる...。
ことはマインドの話しだけではないのだ。それは所詮は表面上の、舞台としての誂えの出来でしかない。その舞台上の景色を真に現出させている本源/本体たるものはまた別にある。こころの深部において所在する魂や良心、本能やら感情、そして生体エネルギーやら摩訶不思議なるクンダリーニやらになる。かなり複雑にして多層。個人差がまた大きい。更に粗きもの精妙霊妙なるものも交えて種々交々。外部外界とのインターフェイスにおいて、それらのすべてが反応してる。その結果がマインドの翻訳をもって意識としての舞台に
この辺に関しては「夢」たるものを思い出すのがいい...。誰もが夢を見てるはずだ。
その流れは誰がコーディネートしているのだろうか?。
夢は、夢を見るもの対して徹底的に、それが夢であることがバレないように細心の注意と考慮をもって構成されている。(誰に?何によって?)その欺きとしての配慮、その冴えたるものは、ほんとに絶妙にして狡知を極めたるものによるとの印象を自分なんかは持つ。
マインドの仕組みを完璧に理解する知ったものによる演出であることに間違いはない。
日常において既に実際起ったこと、そして思ったこと、つまりはそれらの記憶を元に、
構成は然るべくなされているのだ。
ある種の自動性を獲得しての心配、恐怖、願望、欲望、焦がれ、執着…。
そしてなによりもそれらの基盤としての獣としての本能、生命力。
マインドはー、あくまでそれのそれらの共犯者に過ぎない。
容易くジャックされて、迎合してしまってて、支配されているまで。
メタ(上位の権威)だからだ。
ほんと滑らかにしてスムースな構成だ。そう思いません?。
絶えず、いつもーではないが、
その正体の最たるものが、あくまでもその一つのものとして、生殖へと向かわせるべくして幻想としての思いを充填してくれている。
それは別に本当のリアルとしての異性である必要もないんだ。
観念的な対象であったってかまわないんだ...。
それは蛇みたいな挙動を示す正体不明の力。
ほんと分厚くって弾力的で艶かしくも逞しい限りの動きだ...。
客観的には、それの実際は、幻力たるものの源泉として認識されている。
ヒトに幻想を持たせることよって、なにかの、ことの然るべく事態へと、
誘導する力...。主観的観念世界にその存在を封じ込めようとする働きなんかもね…?。
世間にあって満ち足りる、満足する、刺激的に感じる、最高だと思う。
もしくは何かに、恋い焦がれる。憧れる。ロマンを感じる。魅せられる。
これは、その夢見が、現実においてでさえ、目覚めていてでさえ、
続いていることの証でしかないんだ...。
あなたは今、今日現在、寝るところもなく食べるものにありつけない人達のことを
思ったことがあるだろうか?...。恐ろしい数で増えていっている。この日本において…。
だから〜知恵の実の成果であろうマインドだけでは事足りないんだ。
秘書が如何にずば抜けて優秀であっても、真に実務を担うあれやこれやの重鎮たちが
バラバラで統一が為されていないのであればパフォーマンスは旧来のままに引きずり
下ろされてしまう。
この秘書が自分の立場をわきまえずに我こそが主であるなどとホザキ出した日には
もうことの成り行きは目も当てられないものになるのは必定にして確定となる。
こういった状態が常態となった日にはもうお互いを
なってしまう。辱める。侮蔑する。侮る。差別する。これも行き場のない解消の目処のない
ストレスが原因なのだ。人工進化において、マインドが今よりも明晰になったならば、
もうそのより鋭くなった感受性において、攻撃性はより激化することになるだろうね。
その方策も、悪辣さを極めたより入念なるものになってゆく。
もう既になってる?...。
補足:
マインドは後天的な機能で、それは基本ロジックをベースにしている。
プログラム、プロトコルでそれは溢れてる。分別の塊だ…。
コンピューターは、特にOSは、後追いで、マインドたるものを、
人間自身にて、無意識無自覚にて再現したものなのだ。
人間がー、自らの構造、その全容をー、それを外部に再現をするにおいて理解する。
そのプロセスの一環として備えられた展開なのだ。*自然の導きによってね。
ロボットは肉体構造の模写へとやがては行き着く。それが羅針盤が指し示す方向。
だからPCにおけるOSは、
マインドたるものを、その秘書的役割をメインとして再現したものに過ぎない。
また各モジュール間における中継ぎを目的としての翻訳機でもある。
この秘書が人格を手に入れた時点で、AI、次はヒトのもつマインドの構造分析その再現を、
そのAI自身が行うようになるだろう。しばらくは、あくまでも脳における電極変異における
把握に基づいての理解でしかないだろうが。それでもかなり近いものになるであろう。
とにかく学究研究を行う主体自体が、切り替わるの事態が、もうすぐ到来する。
そして新たなるセンサーの登場をもって、
対象領域を広げる深めることになるだろう。その進展の結果として、理論的には、
ヒトのマインドに限りなく近いものをAIは手に入れることとなる。
ここは AI の独自進化において、クレルの考案は射程距離内に入ったであろう
ということをいいたかったまで。サンキュー。
言いたかったことの半分にも満たないのですが、これにて禁断の惑星に関しては閉めます。
後日に気が向いたら追加します。それにしても既に長過ぎますよね。内容ないにも関わらず。
〈②へと続く〉
付録として:
Re: コラム(Cパート)。
クドイようですが、再度改めて。
表現されたる表象のすべては「何か」現実に有ったこと/起こったことが、その折に、
選ばれた人において鋭敏に感受されたその対象に関してが、例えをもって再現されたものだ。
その時節に持たれた印象の再投影を目的として表現たるものは生まれてきている。
*この事においては成功不成功、巧拙、上手下手のがやはりある。
*またそこにある潜む重要な本質自体を、抽出できたのかできなかったのかってのも。
*やはりメタ存在からの誘導において、ほぼ無自覚に無意識に自動書記されてものが
一番いいのかもしれない...。
*絵やお話しが作者らを使ってかってに現れてくるやつ。
*表現っていうのは、かってあった/起こった、何某かの事実/真実において、
その構造、枠、機構ってものだけを抽出してきて、それはそのまんまに保って、
衣装だけを変えた付け替えたってもんなんだ。
*そこには現実においてあまり注意のいかない察知し得ない実体実相たるものが、
あるってことを表しているんだ。
*そうまるであの第三の力みたいに知覚不可能なる干渉力の諸在に関してを...。
ただね〜…外形の伝播ってのにおいてはエラーたる事態が起こるんだ…。
メジャーとして既にあるイメージにに引っ張られることによって。
それじゃ〜訳にたたないので本源へと遡る必要がでてくる。
すると、この外形を採用することは無茶だったな〜ってことが分かるんだ。
そういった間違いや失敗が繁盛になされているんだな〜って思い知ることになる。
伝言ゲームの顛末を思うのが一番分かりやすい。
あのゴジラシンギュラなんてのがまさにそうだと思う。
エゼキエル書のケルビムみたいなものにすれば良かったのにって。
もしくはブルトンとかプリズムとか、カドがデザインとしては適正だと思う。
阿羅漢、仏は地より天に向けて上昇進化した存在。
天使は天界より地に降り立った存在。人類を導くべく。
ところで空海さんは景教(キリスト教)の秘儀を学んだそうです。
洗礼を受けたとの説まである。
803年、空海(弘法大師)は最澄と共に入唐し、景教を身につけ、
潅頂(頭に潅ぐの意で、キリスト教の洗礼)を受け、
「遍照金剛」という洗礼名を受けました。 ← これは一つの説に過ぎない。
だからウルトラマンには阿羅漢と天使の二重性を見ることもできるはできる。
背景を知らないとある種の混乱が生じてしまうが行き来をさせることができるんだ。
ここでメフィラス星人。
あれは堕天使としての悪魔。ヒトの子を誘惑するものとして登場する。でも元は天使なのだ。
だからウルトラマンと戦うことは基本避けたい。同種で力は拮抗するから勝負にならない。
人間を媒として争い合う関係なのだ。
昔は時の加護があった。メタからの庇護導きもあった。
当人たちにその自覚はなかったかもしれないが、そうした出来上がりだったのだ。
だからこそ今尚あれらの作品は命を宿しているのだ。
でも今はそれはない。製作者らの頭の中にはビジョンたるものが存在していない。
芸術はもう死んだのだ...。
最後に一つ皆様に向けて課題を残しておきます。
コロナは人工のウイルスだ。もう確定。ヒトの手が入ったのは「感染率をマキシマムに上げるには?」の部分。ことは受容体との相性を良くすればいい。磁性の力を採用すればいいだけ。「では実際に、ヒトの体内にて、その構造システムに対して機能する実行プログラムは?」。それは異物であればあるほど人体に対して未知であればあるほど結果は興味深いものになるであろうだったんじゃないかな?。線路の上にこの石置いたらどうなるどうかな?ぐらいの子供の好奇心程度の発想でしかなかった。穢らわしくって忌まわしいコウモリ起源であればきっとおもしろい...。なにより今手近にあるじゃんって…。流石にH5N1型を使うのは止めておこう。ことが派手派手しくなりすぎる...って。
これは何か別の進行している、これから起こる、何かの事態の転写として現存してきてる...。
この見方を持っておいてもらいたいからこの話をしてる...。例えばだ、かっての外来種の繁殖は、ex琵琶湖のブラックバス、異国からの侵略の進行の反映として現実に起こっていたことなのだ。自分の世界においては、これは知らせ、予兆、兆しとして認識されている。自然な現象でありながらも、それは何かを伝えてきていた...。
注:それが確実なものであるとは言いません。でも可能性としてはこころに留めおくべきかな〜と思うばかり。かなり真実を突いている場合が多いので...。サンキュー。
話を戻して、では「 コロナは何の事態の転写なんだろうか?」。多分、それは強制的な避け難き展開として起こる。誰も嫌も否も言えない選べない。何かとの結合としての事態なのだろうな...。その相手方はコロナを観る限り間違いなく歓迎することのできないものになる。もしかしたらが、獣の刻印のことになるのかもしれない...。*スマホが既にそうなのかも?。
666のことはさて置いといて、獣の刻印とは、マインドの
転写されてくる、その作用としての”枠”たるものは、本質的には同じものなのだ。ただスケール差において、その外見、見た目、その効能は、それの圏内において働く物理法則は、至って違うものとなって現れてくる。太陽系と原子構造のモデル比較を思い出してね。似て非なるは、その世界が属する階級において物理法則がそのレベルおいて規定されてしまっているまで...。
あとがき:
素晴らしい映画作品。よくぞあそこまでの程のものを
*昔の映画やTV作品はどうして、ディズニー含めて、いい作品ばかりだったんだろうか?。
*製作者側に優秀なる人材が揃っていたから。その彼等を育てた時代や環境がよかったから。
*良心たるもが、言わずもながらのことだが、誠実に尊ばれ大切な価値基準とされていた。
*視聴者たる観客らも、それが価値とされてあることを本心としては強く望んでいたから。
*本作品は自分にとっては刻印となった映画の一つ。
*すべての偶然は必然たるものとして備えられてある…。
今振り返っても既に完璧な作品と思える。そのあまりの完成度の高さ故にか続編としての
構想が持たれることになったのだと思う。同じフォーマットにての、別のお膳立てをと。
それこそがあのスター・トレックであったのであろう。
お話しの殆どが推理小説仕立てだった...。
最後にもう一個課題。これって何を表しているんでしょうか?。
またもや性懲りもなく...。
49年経った今でも未だデビルマンをやりたいのか?。
それも更にスケールアップしてパワー増強してだってー!。
ほんとに日本人が今やるべきことなの?
これが視聴者が求めているものなの?
第三次世界大戦の開戦に加担するつもり?
なんにおいてもそうだが「願えよさらば与えられん」だ!。
②③は手を抜きます。
抜きたい…
Re: 映画「禁断の惑星」
謎の古代惑星クレルにおけるその文明の頂点は『
ヒトの願いを具現化する
』そのテクノロジーの完成だった。だがこの技術課題の達成後、クレル星人達は一夜にして、忽然と
、その姿を消してしまう。すべての機材をその関連施設をそままに、完全なる無傷のまま残して!。この映画は完璧だ。自分としては、何一つとして文句を付けるところがない。
今日に至ってでさえ、尚も!。製作者サイドがみな成熟した大人だったのだ…。
物語の主軸はことの原因究明。物語としての”枠”たるものは、完璧にシェークスピアの「テンペスト」。所詮は人物間における
エゴの確執
を引き金として引き起こされる悲劇
がテーマ。至って人間臭い確執たるものを、SFにおいてのみ叶えうる大掛かりな設定舞台において増幅して見せたまで。*その筋書きは、実は至極ありふれた世間一般のものでしかない。世にては掃いて棄てる程までにありふれた内容なのだ。でっあるからこそー、観客は登場人物らへの感情移入が容易く出来てしまうようになっている。話の進展に伴って、各登場人物の内に働くその思い、その感情を、自動的に、自然と、理解すること、察知するができる。同じ思いを既に経験してきているから。そしていつしか強い関心を持って惹きつけられてしまっている〜!。「ダイヴイン」。あなたたるものは消え失せてしまい、その意識は、映画たるその装置、それが紡いで見せる夢の操られ人となってしまっている。もうそれは同体であると言ってもいいだらろう...。
*「そうだそうだ」「分かる分かる」の感情移入が簡単できないと、客は不興を買ってしまう。飽きを覚える。すべては
既知たる
をベースとして含んで持ってなければならない。ここに、その目的において有効なるフォーマット、馴染んだ話し、枠、原型、アーキタイプ、神話が採用されることとなる。それはあくまでも古い酒
なのだ。器のみが新調されて提供されるまで…。*「悲劇」としての、その古い酒が/見世物が、繰り返されて、その見た目を新たに変えて、
何度も何度も再登場再上演されてくるのは、
解き難き難問たる
が、それが本来的に表わすべき対象として、製作者らにおいてはしっかりと意識されて、自覚的にで、持ち込まれるからだ。←ならばそれを根底から解くをもって
広報すればいいと個人的には思うんだがね...。*原因そのものは遠に判明してる。内省たるものをしっかり行った経験者らならばみんな分ってる。だが根本的に、ヒトが性分として備えたるの、その「業」は、たとえ幾代を経たとしても消えてなくなることなどない。時をおいてはまたもや、またしても、その同じ傾向性に支配されてヒトは同じ過ちを繰り返すこととなる。そして新たなる悲劇が惨劇が登場してくることとに、再現されてくるとこになる。
*だからこそー、何度も何度も、その装いを改めて、その都度その都度、その時代に合わせたものへと適応させられた形でー、業がヒトの心において果たす、その自動性たるもののを、その避け難きなることをー、具体的な事例をもって、知らしめておこうとの努力がなされるのだ。そのことの危険性、結果として周りの人々が被る悲劇、悲惨に関してを、ハッキリと例題をもって、表現することによって、広報せんと、自覚を促さんしての企てなのだ。
*演劇の本来的な目的は、観衆らにおいての教養知性智慧の育成を娯楽において果たすだ。
面白いだけではなく、手応えのあるもの歯応えがあるものがやはりニーズだったのでは?。
そして、なによりも、人間としての正しい生き方においては、業たるものこそが、克服され
ねばならないとの警告、訓示、呼びかけだったのではないのか?。
*ことはダイレクトに疑似体験をもって、第三者の目をもって、吟味されることとなる。
*今はそんな思惑で製作はされてないだろな〜。「金儲けのツールとして、すべては如何にあるべきか?」へと主眼はそれオンリーに移ってしまってるような…。評価成功はあくまで”入り”のみで測られてしまってる。下方八割にのみターゲットは絞れられてある。何をどう使おうがどうしようがコッチの勝手。評判になりさえすればこちとら本望なのだ。あとの事なんか観衆が後で裏で被る悪影響なんか、知ったこっちゃねー!。制作資金はなんでチャイナマネーなの?。如何に観客動員数を担保するかしか念頭にはないからだろね。彼の国の俳優いつもいるね。なんでハリウッドがゴジラなの?。他国よりの本土侵略を未だ経験したことがないから?。
閑話休題。愚痴ダダ漏れとなりそうなので話を戻します。ドラゴンボールも問題だったな…。
その”業”たるものが、この映画作品においては具体的にはどんもんだったのか?、
それを具体的に確認して参りましょう…。
老科学者たる父親は、美しく成長した一人娘を、ずっと自分の手元においておきたい。
なんと彼女は今は亡き妻の若かりし頃とそっくりではないか!。だからよけい彼女を愛し、
そして執着してしまう。そんで離れたくない。本音を言えば、娘を他の男の元などに嫁がせ
たくはないー。できれば生涯二人きりで、ここクレルにて生涯暮らしていたい…。
*これは大変分かりやすい。お気持ちはよく分かりますがそれは土台無理な話し。今ともなれば雛には遠に立派な羽根が生え揃っており、もう自由に空を飛ぶことができるのだから。この子がヤンキー娘であることからしても、もはや誰にも彼女の行動は止められない。このことだけはもう絶対に確実なることなのだー!。父親の悲しみ避け難し…。
*愛する伴侶を喪失してしまう。これは老齢の男性にとっては致命的な事件である。喪失は欠損は、何かで無理やり埋めるようなことをしてはならない。考えてはならない。観念でもってそれを埋めてはならい。その送り出しにこそ相手を慮ってのやるべきの課題たるものがあるのだ…。
話のにおいて、若く頭脳明晰なる
二人の
若い軍人さんが登場してくる。クレルの遺跡においての事件を調査する目的で、遥か地球より態々やってきた。娘は、生まれてこの方、父との二人暮らしだったもんだから、未知なる世界からやってきた来訪者たる彼等に、俄然強い興味を持ってしまう。若く精悍なる異性たるものにーだ。これまで異性との対面の機会はなかった。だから当然な話として性的にも
惹きつけられる。劇中の経過において、自然な流れとして、恋心たるものを、その二人の男性に抱くこととなる。二人を共に。そんで、そんな彼女の様子に移り気なる様子を察して、父親は、この二人の若者対して
内心焼きもちを焼く
こととなる。*父親としてのジェラス。「娘さんを私に下さい」は本音としては聞きたくない。だってかわいいかわいい愛娘なんだもん。彼女がいなくなれば、自分は、本当に天涯孤独と成り果てる。この感情の反応は完璧に自動性なるものと言える。執着するものにおいてそれがいざ他人に奪われるような事態となれば、強烈な怒り、相手への憎悪が
自然と
掻き立てられてしまうこととなる。ここでイエスの言葉を挙げておきましょう「自分より、力づくで何かを奪わんとする相手方には、あえて抵抗してはならない」。*またこの遠い異国からの来訪者たる二人の男達が、まさに夢に描いたかのような、純粋培養にして、つまりはシミ汚れの一切ない、穢れをまったく知らない、世間なれしてない、(まるでマリヤ様みたい)、この若く美しい娘を挟んで恋のライバル関係ともなってしまう。これも普遍的にして日常的なドラマ。あらゆる男性にとっての
本質的
にして本能的な価値観
なんだろね…。貞操観念ってのはだた一人を一生の伴侶とするの意思表示だかんねー。*よく出来たもので、この二人はタイプが異なるよう設定されている。キャプテンは勇敢さのシンボルとして。かたや副キャプテンの方は知能知性において秀でたるを表わすタイプとして…。変換するならば:
責任の重みにおける誠実さ、そして実行力、そして勇猛果敢なることが証しされたるヒト。
そして、マインドの機能が、際立って最高度に訓練されて発達したヒトになるのかもね。
*アメリカ文化における価値観、
神話
になる。頭だけでは駄目だよっと。キレイ事だけでは駄目よんと。ハッキリ具体的なアクションをもて実証してみせないさよと。好きだと言うなら愛しているなら今ここで、その一物を、固く猛々しく勃起させて見せてみなさいよ!だ。w。ワイルドさ/野性的なその振る舞いにこそ勇猛なることの証しが察せられる。己が命を賭してでも皆の命を救わんとした者こそ、真のリーダーとして誰もが認めるものなのだと...。*娘は多情にして好奇心旺盛で二人の男性の両方ともに気を引くようなことをする。
二股かけます。
ことの
具体的な要因たるやはいつでも女
!。*でも、お話しの展開の展開において、副キャプテンは、自らを
あの装置
の被検体とすることによって、結果亡くなってしまう。中途退場を余儀なくされてしまう。クレル人の滅亡に関しての真実をキャプテンに伝えてから
。キャプテンは最後まで生き延びる。締めくくりにおいては、晴れて無事娘とカップルになるみたいな様子が伺えた。*スター・トレックの雛形なので、Mr.スポックが自分を犠牲にして死んで、
キャプテン・カークが生き延びたってな展開。このパターンは何度も作中でなされてた。
ステルス・ポジティブ・レインフォースメント。
*老科学者たる父親は、クレル星と心中する。我が身もろとも爆破することを決意した。自分の娘を含めて、今現在ここに生きている人々を救う為に。惑星ごとでしかシステムは破壊できなかった。惑星爆破の操作を単独で行う…。その間に、人々は宇宙船によってクレルを脱出していた…。
*自分の隠された欲望によって、その自動的処理の流れにおいて、あわや娘までも、自分は殺してしまいそうになっていた。そんな自分が恐ろしくなった。同じ原理にて、クレルの人々もお互いに殺し合い、そして滅んだのであった。すべての舞台裏のカラクリが暴かれ明かされたのならば、その舞台そものを消し去ることによって、終劇へと至らねばならない。もうそれの役目は済んだのだから。観客たるものたちを日常へと
*あの老科学者としての父親は最後は高潔なヒトのまま、それにおいて死んだ。彼の名誉を保つ上で最善の選択だ。でもこれは違うだろうね。そこにある真の意味は「老父たるあの男は今後
独りだけで生きる
ことを前向きに受入れて、そうすることを自覚的に選択した」だ…。だから実際には現実には彼は未だ生きている。*妻に先立たならば男性はすべてこの喪失を受け入れるしかない。気持ちよく彼女を送り出してあげる。開放してあげる。感謝の思いをもて。でっその欠損は埋めない。してはならない。(するなら犬猫にしときなさい。)そんな事をする必要は実はまったくないのだから。何故ならば、あなたの思う感じてた”それ”は、元から存在などしてはいなかった...。当然な話としてあなた自身も本当にはここに存在などしてはいない...。彼方の反映。それの析出その結果...。
〈暗転〉
Re: コラム(Aパート)。
♪「光の国から僕らの為にー、来〜たぞー我等〜の、ウルートーラ〜…」♫
自分としては、今回特に強調して説いておきたいことがある〜!。「なぁ〜に〜?」(読者担当パート)。それは「
すべての
物語たるものにおいて表現されたるものは(例えばキャラや事象やアイデアは)、間違いなく、何らかの現実を、もしくはその断片たるものを背景として持っているー」だ。例えばウルトラマン。その正体は”阿羅漢”であることを前にどっかで指摘した。そんで怪獣等は天変地異等の災厄だと。そんでもって宇宙人は外つ国からの”侵略者”であると。これらは現実に起こったこと、起こること、実際に実在する
なにかの
転写における析出なのだー!。先ず先に現実がある。ヒトはその事を知らず分からず仕舞い。そんな形で進行してる。
もしくは既に起こった。とにかく
無から有は生み出せない
のだ…。そったらば、なんで、ウルトラマンは、あの様な姿デザインで、巨大な体、またスペシャ〜ルな能力を身に着けているのか?。多分、密教の修行において獲得される超常能力の保持者であることの暗示。またそれを恵徳出来た事自体、ヒトとして偉大なる事の表明。それは一種の咒術であり魔法と呼ぶに相応しい力。常人と比べれば、そのパワーは桁外れであることの
表明
なんだ…。ではまた何故に”
光の国
”からなのか?。そこは宇宙の中心としての真言密教においてご本尊として崇められる大日如来がおわす世界だからだ...。大日とは「大いなる日輪」。もとはヒンドスタンにおける太陽を司る
「無相の法身と無二無別なり」。姿・形の無い永遠不滅の真理そのものと不可分である。
↑言い回しが???。要は”一体”、”同んなじ”、”同体”なんだってよー!。
大日如来と弥陀は別々でなく、弥陀 は大日の智用の表現、大日は弥陀の理体を表すとされる。密教では大日と阿弥陀とは同体なのだ。すべての如来たるものは実は大日如来のアバターでしかないのだ…。←だからウルトラマンたるものは沢山いるのだ。みな兄弟として。w。
大日如来は、この宇宙にあまねく広がる点では超越者だが、万物と共に在る点では内在者とされ、「万物を総該した無限宇宙の全一」、全一者であり、万物を生成化育することで自己を現成し、如来の広大無辺な慈悲は万物の上に光被してやまない…。
薄々勘付かれている方もおられるでしょうが、これって...。
三身即一(trikaya)って言葉がある。
法身・報身・応身と捉えての三身が実はそのまま実は同体であるの意味らしい。
もう遠に勘付かれている方もおられるでしょうが、これって...。
ヴァイローチャナの起源たるアフラ・マズダーに遡るまでもなく、三位一体としての”神”と同義として捉えることが可能なんだ。ことは文化的な差異だけってか?。
最大公約数たるもの
で観るならば、まったく同んなじ。あったりまえと言えばあったりまえ。そうそう色々おられても困るし。地球は一つ何だし。でっ、あるならば、すべての宇宙を創造したものになる。それと、つまりは全宇宙と、それそのもの自体と、多分、同体!…。え〜っと、この機会に、次いでに、あることを強くアピールしておきたいねん。その存在を表すに、なにを採用するとしても、それは、ともかく、決して、太陽とイコールとすることは絶対に出来ひんねん!。それは完璧にして圧倒的な間違い。農耕民族としての発想としては分かるが、それではポイントが狭すぎるー。とにかく、それは
光において
のこととして把握せなばならない...。なにごとにおいても
そうなんだが、*** 『
大事なのは、真実にして事実のみ!。これのみにてで十分だ...。違う?。
それは表現として「光の下に、ものを確認する」に如かず。*これも
間接的な
対象化になる。光あってこそ、初めて、ことはー、現実として明るみに出され得る。光の元にあったならば、
今という時点においては、
影
は存在し得ない。ただ一つの
真実が現実があるのみーみーみーみーみー…(エコーを伴ってのフェイドアウト)。w。
妄想が紡がれ、それがあたかも存在のものかのようにして認知認識されてしまうのは/いるのは、その個人が暗箱の中にいる状態にあるってことに他ならない!。このことは、当の本人の
意識をもって、その明智としての光において、明らかにされねばならない。確信を伴っての
究明たるものが本人において為されなければならない。事実は現実は”一つ”っ切りー!。
真実や事実以外に関心ってあります?。
〈暗転〉
Re: でわ〜改めてー「禁断の惑星」に再アプローチ。
今度は抜けたことを意識しながら、もう少しくどくでいきます...。このSF映画はメルクマール(然るべくの達成点)、マイルストーン(後人が拝すべくの道標)と認識されるべき作品だと
思う。もうその出来栄えはほぼ完璧。*イドの怪物だけ、CG使って表現のやり直しが必要と思われる。*何より呼称が間違ってる。あれイドじゃない。*それにおいての表現を徹底するならば、物質化さえもそれによってなんでもなされるとすべきだった。要は一種の
先ずクレル星人とは何だったのか?。誰だったのか?。どうして彼等の文明は絶滅を迎えて
しまったのか?。高度な科学技術によるあの奇跡の達成には、何を思うことができるのか?。
端折る。彼等は遠い未来の人類のことでしかない。マインドの発達にのみ特化した存在。良心とか魂の発達に関しては棚上げにしてきてしまったのだ。クラークの作品におけるオーバーマインドの概念と同じ。それは正しい進化の筋道ではなかった。なので、進化の袋小路へと究極的には至ってしまう...。
近似としてはエグリゴリらも似たような存在だ。天界の出自なので秘儀奥義に通じている。でも全一に仕える身分であるを、自身の意思もて、それに属して在るを厭いて、逸脱したるの存在。その結果として物質世界での生存へと堕ちた。生命は”全一性”においてでしか正しく生きながらえることはできない。なので己がその行いその選択において、同じく、やがてには完全に滅び去る...。
クレル星人が全滅したその後に、もう一度、もう一つの同じ様な事件がクレルにて引き起こる。地球から一群の移住が行われたのだ。その人達がある時に同じ原因にて全滅してしまう。あの科学者としての父親と、その一人娘だけを残して…。
*類似のパターンが変奏においてそのスケールを変えて何度も何度も繰り返されてしまう。
*見た目は大きく違ったとしても本質においては同じものだとみなし得る。ことは捉え難く、
取り敢えずで、”業”と呼んだり、”トラウマ”と呼んでみたりするまで。
惑星クレルの別の表現は絶海の孤島となる。それとしての設定だ。超科学によってすべてオートで保守運営メンテされる機械仕掛けの巨城であるとも言える。あくまでも世間から、切り離された、隔絶された特殊環境であることを意味しているまで。
その城の王(支配者)として、年老いた一人の男が娘と伴に隠遁生活を送ってる。彼は僧侶なんかではない。出自としては元は科学者だ。それもいたく優秀なタイプだった。
*ここんところは重要になる。彼は知性において非常に発達したマインドを持つ人間だ。そんな彼が、社会から切り離された環境において生きることになったことを本心としては喜んでいる。現在の生活には至極満足している。
「何故だ?」
嫌になってしまっていたんだろね。世間たるものが。その中に生きることが。
「何がそんなに煩わしかったんだろうか?」
人間関係がだ。その欲と野心が渦巻く、あくまでも、いつまでたってもあさましいだけの、そのままの人間たちとの関わりそのものがだ!。もう厭わしくって厭わしくって、もう我慢できんようになってしまってた...。彼の役どころは老齢ってこともあり、これまでに様々な経験を経てきていることが前提となっている。またハイソな身分であって、生活中心は、これまた
隔絶された研究室の中が殆どであったのでは?。学内ってのも熾烈な権力闘争の場でしかないからね...。
「そんで?」
願えよさらば与えられんってことで、その願いとしての理想の環境たるものが手に入る。彼が優秀であることのの証だ。しっかりした貢献としての実績があり、よって社会的名声をも勝ち得た成功者として認められている。そうであればこそ、そういった我儘も可能になってた。彼は自身のサンクチュアリーたるものを、城を手に入れたのだ。そうして、すべては彼の願うところの、そのままになされる世界っとなった…。
「そんで、ならば、その状況たるものは何を表している?」
これは、彼の城とはいってもその正体は、広義においては、父なる立場の人間が管理支配する治外法権としての「家」ってことになるんじゃないかな〜?。お話しの都合上、設定は極端な方へと振れてしまっているが、すべての老齢の男性においての、その内面世界ってものに、その城たるものは還元されうるんじゃないだろうか?。一戸建てに住んでて家族が同居していれば、もうそこはもう彼にとっての城さ。そこには何故か封建的な父親像ってのがどうしても見透かされてしまう。
そんな社会的成功者たる彼には、至れり尽くせりとして整った社会サービス群がサポートしてくれている。アマゾンとかウーバーイーツとホームメイドとかetc。お金があれば「呼べば応える魔神群」(作者崇)といった状況なのだ。彼にかしづくロビーは、実際には単なる雇われ人としての
お手伝いさん
か、職場における部下としてのイエスマンになる。シリ/アレクサみたいな本当のAIを表しているのかもしれない。でっそんな彼の管理下には、うら若き娘さんが一人、囲われているっと。一種、囚われの姫様みたいにして。彼が大切に育ててきた。管理の目がよくゆくようになっていた。そして世間一般との関わりが完全に断たれた遮断された環境にあって育つことが出来た。もう完璧なる箱入り娘だ...。そんな彼女は養護者たる父親に逆らうことはできない。タイミング的に、今がまさにとても若くて美しい時にあたる。内側より異性たるものを追い求める、その衝動が昂じて高まりゆくまさに恋の季節の渦中。それの到来の時節に彼女はいるのでありました〜だ...。
さて、人間模様としての横軸はこれぐらいにして、ことの謎解きにおけるその原因とは
なんだったのか、それの内容を見ていこう。その前に...。
Re: コらム(パートB)。 *Cまであります。
SFのことを山脈に例えたヒトがいたな。それは、サイエンス(科学)とフィクション(空想)に支えられた所に結ばれる稜線なのだと。それの偉業と、連綿と紡がれてある様をもって山脈の稜線としたのだろう...。自分の実感としては、ことはすべて、ノンフィクションでしかない。だからこそ意識的無意識的含めて発信がなされてあるのだ。そのことにおける核心たる部分を抽出してこれを他人に伝えるにおいてはどうしても何かの例えを持ちうるしかなくなる。だから目的が達成されるのであればその衣装はなんだていいはずなんだ。それはインスピレーションにおいて自然と決まるもの。サイエンスは厳密さをリアルであることを説得するにおいて、最も有効なるレトリックであるに過ぎない...。
〈暗転〉
閑話休題。種明かし的には地球文明たるものの遥かなる先の未来における姿がクレルとなる。
もう既にこれは言った。その、ある時点において、人類のすべては一夜にして一瞬にしてすべて滅んでしまう。すべての機械設備たるものにはまったく破損はなく、かってのままの状態に保たれたままにて。これも既に言ってる〜!。
その地を、われわれは訪問する。そして実地に、自分の生身において、かってそこにあった悲劇たるものを追体験する。その疑似体験をもって、我々(現代人)は、未来において、そういった事態にならないよう、至らないように注意しなければならないよって…。
なんか当ったり前のこと言ってんなーって思われている方…。いや、そうなんだ。その通り。
でも敢えてで、この然るべく整えられたの筋道ってやつを確認しときたいんだ…。そういった
訓示、もしくは教唆めいた意味があって、なんらかの言葉をもってだけでは伝えがたい重要なる意味をニュアンスを伝えるべく、表現ってやつはあるべきなんだ。読者/観覧者らに、ことに関しての危機意識を植え付けようとしてくれているんだ。事前準備さ。この役割こそが、
表現たるものの本来あるべきの姿なのだと思う…。
ぼくは辛いんだ悲しんだ苦しんだ寂しいんだ孤独なんだじゃないんだーーーって!!!
そういうのは早く大通りに出て、自らの口から、「助けてー」って叫ばなければならない。
直接、誰か適切なる人に伝える必要があるまで...。*映画でそれをやんなよー!。
先ず、最も肝心なることは「何故、
あのような
技術の実現化を求めたのか?」。そりゃ~「誰もが願うことだからだろ」とか「出来たら面白いじゃん」では答えとしてはだめ。弱い。なにか切実なる事情があったればこそ。だからこそ真剣にその技術の完成は求められた。おそらくはこの技術の開発こそが全人類の幸福に利する、人々を真に救済する/できるものとの考えがあったればこそだ。
何故ならば人類はずっと愚かな行為を繰り返してきているからだ。群れとしての行動においてはこれは何故かいつも必然となる。絶えずいつもってわけではない。平和で健全な時期もあるがそれは長くは続かない。社会的にストレスを溜め込み不穏なる状態へと至ってしまう。欲求の不完全燃焼の為にだ。充足を来たらしめ得る真に実りある生活の欠乏がことの原因だ。その仕組みに関してはフランケン博士がどっかでやってくれているからここでは繰り返さない。要は結果としてヒステリー状態になってしまうまで。これの特徴は皆もなんとなく分かって分かっているだろうが怒りだ。なんでもかんでも目に障るもの気に障るものを口撃攻撃したくなる。障るってのもその誰か何かに対しての妬み嫉み嫉妬の感情の高まりの性さ。こいつは完全に
獣的な
反応に起因する。こっちが飢えている時に獲物にありついている他の動物を目にしたときには、ラッシュがかかる。全力を上げてそいつからその獲物を奪えのプログラムが立ち上がるからさ。群れとしての最小単位は「家」になる。ここにおいても色々と面倒くさいキナ臭い話してっのは起こってくる。人間関係ってのはほんと難しい...。否むしろ独自の/自身の経済圏を背負っての国と国との関係ってのにおいてこそ、その愚かさ故の問題ってのは露骨に現れてきてしまう...。静かに放っておいてはくれない。自分の支配圏に取り込めたくなる。領土を奪いたくなる。侵略戦争を行いたくなる...。これの本質も獣としての原始的なプログラムに基づいての行為でしかない。テリトリー戦争は動植物においては生存における基本原理だ。生きるにおいて良い目のできる場所を押さえよだ。我等のみにてで。この地球圏における低レベルの有機生命体においては至上命題あるに過ぎない。でも
ザアダムの感性
においては、これは本意には反する内容でしかない。なぜか厭わしいもの穢らわしいものとして感受される。だからいつも苦しむ。ときを置いてはそれはまた繰り返されてしまってる。突破ができないもんだから...。人類は無知の状態から脱することが中々出来ないもんだから...。追記:その感性も一種、メタとしての”何か”からの反射作用、意思表示なのだ。
そんで一つの解決の為の構想が持たれた。それの達成が祈念されるようになった。
すべての人類を強制的に頭良くしたら問題は自然と解決されるのではないか?。
知能や知性を、理性たるものの力を大幅に向上させる!。
脳髄の機能を大幅に人工的に進化させればいいのではないか?!。
もしこれが達成されたならば:
もう愚かな獣じみた行為を強要するプログラムの支配からは完全に離脱できる?。
本能による支配は理知の光において解消され、新たなる曙としての地平が出現する?。
それの結果として、戦争のない平和な世界が達成されるのではないか?。
そして誰もが皆、生きるにおいて平等で、真の幸せたるものを享受することが適う?。
この夢をクレルの人々はある科学技術の達成において叶うものと信じていたのだ。
それは言ってみればテクノロジーを媒とした”魔法”になる。
それを成し遂げるにおいての技術要素は二つ。
一つには「人工的に知性や知能、精神力を向上させる」だ。つまりは科学技術によって強制的にヒトの知的能力を進化増強させる。人為的に恣意的に『超人』を創造する。付随的な技術的達成事案がまた一つ。「センサーデヴァイスにおいてヒトの心たるもが完全にモニターできなければならない」だ。インターフェイスが完璧なものとしてあらねばマンマシンとしての融合は不完全なものになってしまう。
*後者の達成の方が至難だろう。設定においてはこれは過不足なく完璧なものとされている。
このテクノロジーは格別に重要なので違う表現にて繰り返えさせていただいとく:
「特定の人物のこころを完全にスキャン/プロヴィングできる。
しかもその情報を十全に読み解いた上で更にマシーン言語へと翻訳することが可能」
*真に決定的なるパラダイム・シフトはこの達成があってこそ
やっと
なされうる。人にもできるが、完璧に出来る人はもうこの世のヒトではないのでやってくれないのよ...。
*ここのボトルネックは、科学のメスが入るのは
あくまでもマインドのみ
であること。制限付きが示唆されていることに感心する。だからこそ禁断の技なのだ...。
そうなってから、そうしてからならば、やっとこさ、自分の思い描くことを誰を気にする
こともなく誰をはばかりこともなく完全に自動的に具現化実現化することができるっと。
デモなので思念することを機械に読み取らせて3Dイメージを結ばせて見せている。
このお人形さんは博士のイメージでしかない。彼の思い通りに願うがままにしゃべる
アクションをさせることも可能だ。あの「夢見る機械」を連想してしまう...。
さて、その二つ目としての達成たるものは、イメージの具体化/実体化を果たす上で必要
とされる「エネルギーの調達と確保」。それの供給システム。クレール星の地下には巨大
な動力炉が存在する。それをもってクレル星の地核からエネルギーを調達して貯蔵してい
る。もしくは何らかの増幅をしてんのかものね...。
見よ。このスケール感における演出を!。
この圧倒的なる巨大さにエネルギーの莫大なるを一瞬で直感してしまう。
本当に、よくここまで、効果的なセットが考案できたものだ。
これにおいても思うことを上げとくと:
エネルギー問題の解決がなされていたんだ。科学技術の発展において。
あの目的においては、無尽蔵とも呼べるエネルギーの獲得と制御が前提だった。
もう世界創造において神が振るわれた力にも等しいものでなくちゃならない。
ならばだ、もうそれは神にも等しい力を獲得したと、行使できるようになったことになる。
*エネルギー問題をどうするか?。これも切実なる人類に突きつけられてある課題だ。
*現実的には、地球の内部の地核からか、外部の宇宙空間から蓄積した太陽エネルギーを
送電するかの二択しかない。
*本件においては、自然、地球内部から莫大なるエネルギーを調達するに絞ってあるね。
*おそらくは、これが現実的な結論なんだろう。
*常温核融合炉における開かれた未来の達成を暗示しているんだろうね…。
*現在ドラスティックに人工強制削減計画たるものが進行されているともとれるのだが、
これも一つの方策だね。なんにおいても言うことだけど、要は足し算と引き算だけで
考えてみるべきなのだ。変動たるものも前提にしてね...。
Re: イドの怪物
さて
根本的な話
としてクレル星人は何を達成しようとしていたのか?。その魔術とでも呼ぶしかない技術達成とは、さていかなるものであったのか?。
そのシステムはヒトの思いや願いに対して如何なる反映を見せるものであったのか?。
実は魔術と呼ぶのは正確ではない。それの最終到達点としては間違いなくそうなるであろう
との個人的な総括なのだ。実際の映画の中においては、それは一種のサイコキネシスの範疇
にてで終わっている。求める事態の達成においてことは、あくまで自然と起こるまで...。
例えば誰かを憎むようになった。そしてその相手はこの世から消えてしまえばいいと思った。
するとこの思いや願いを叶えるべくエネルギーの実体化が起こる。そしてそれは当人を離れた
ところ、当人の関与のないままに、その持たれた思いを遂げるべくの行為を自動的に開始して
実行する。
*JOJOにおけるスタンド全般、特にシアハートアタックが思い起こされる。
劇中においては、地球からやってきて煩い蝿ども(調査員)がすべていなくなればと、博士は
ついマジに思ってしまった。すると、博士が眠りに入った途端、すぐさま宇宙船を乗組員共々
破壊するべく、力が具現化して船を襲ってきた。
これは観衆においての了解がしやすいようにとの演出でしかない。
本来的には、これに姿形は現段階においてはない。ただのエネルギー、力の集結のみ。
左奥は何重もの分厚い鋼鉄の扉。それを破って押し入ろうとしているところ。
灼熱していてもうじき突破されてしまうことが分かる。基本それは無限のエネルギー
たるものを背景にして、その個別の目的に合わせて小出しにしているに過ぎない...。
本当にこれは、化け物、怪物と呼ぶに相応しい存在なのだ…。
ヒトの狭量なる思いのそのままに、それを叶えるべくして、無尽蔵のエネルギーが実体化をもって暴走して、しまくる。これがクレルの悲劇の正体。細やかな制御が効かなかったので
その当人さえも巻き添え食らって殺られってしまってた...。
あのインターフェイスの為の装置はヒトのマインドの例えに過ぎない。それはいつの日にか、
無尽蔵の力を手に入れてその求めるままを為すことができるようになると。いかなる制約を
伴うこともなくで。それは良い面と悪い面が出てくるだろうね。先ず何よりも、何がー、願うかにもよる...。
ことはマインドの話しだけではないのだ。それは所詮は表面上の、舞台としての誂えの出来でしかない。その舞台上の景色を真に現出させている本源/本体たるものはまた別にある。こころの深部において所在する魂や良心、本能やら感情、そして生体エネルギーやら摩訶不思議なるクンダリーニやらになる。かなり複雑にして多層。個人差がまた大きい。更に粗きもの精妙霊妙なるものも交えて種々交々。外部外界とのインターフェイスにおいて、それらのすべてが反応してる。その結果がマインドの翻訳をもって意識としての舞台に
析出
として、立ち現れているまで。この辺に関しては「夢」たるものを思い出すのがいい...。誰もが夢を見てるはずだ。
その流れは誰がコーディネートしているのだろうか?。
夢は、夢を見るもの対して徹底的に、それが夢であることがバレないように細心の注意と考慮をもって構成されている。(誰に?何によって?)その欺きとしての配慮、その冴えたるものは、ほんとに絶妙にして狡知を極めたるものによるとの印象を自分なんかは持つ。
マインドの仕組みを完璧に理解する知ったものによる演出であることに間違いはない。
日常において既に実際起ったこと、そして思ったこと、つまりはそれらの記憶を元に、
構成は然るべくなされているのだ。
ある種の自動性を獲得しての心配、恐怖、願望、欲望、焦がれ、執着…。
そしてなによりもそれらの基盤としての獣としての本能、生命力。
マインドはー、あくまでそれのそれらの共犯者に過ぎない。
容易くジャックされて、迎合してしまってて、支配されているまで。
メタ(上位の権威)だからだ。
ほんと滑らかにしてスムースな構成だ。そう思いません?。
絶えず、いつもーではないが、
某らかの思惑において
、当人を誘導すべく機能している。その正体の最たるものが、あくまでもその一つのものとして、生殖へと向かわせるべくして幻想としての思いを充填してくれている。
何かに
「自ら向かいして合一を
果たせ」「自らを開いて
それを受け入れよ」。こういった思惑が、メッセージとして伝えられ、そうさせるべく働いている。それは別に本当のリアルとしての異性である必要もないんだ。
観念的な対象であったってかまわないんだ...。
それは蛇みたいな挙動を示す正体不明の力。
ほんと分厚くって弾力的で艶かしくも逞しい限りの動きだ...。
客観的には、それの実際は、幻力たるものの源泉として認識されている。
ヒトに幻想を持たせることよって、なにかの、ことの然るべく事態へと、
誘導する力...。主観的観念世界にその存在を封じ込めようとする働きなんかもね…?。
世間にあって満ち足りる、満足する、刺激的に感じる、最高だと思う。
もしくは何かに、恋い焦がれる。憧れる。ロマンを感じる。魅せられる。
これは、その夢見が、現実においてでさえ、目覚めていてでさえ、
続いていることの証でしかないんだ...。
あなたは今、今日現在、寝るところもなく食べるものにありつけない人達のことを
思ったことがあるだろうか?...。恐ろしい数で増えていっている。この日本において…。
だから〜知恵の実の成果であろうマインドだけでは事足りないんだ。
秘書が如何にずば抜けて優秀であっても、真に実務を担うあれやこれやの重鎮たちが
バラバラで統一が為されていないのであればパフォーマンスは旧来のままに引きずり
下ろされてしまう。
この秘書が自分の立場をわきまえずに我こそが主であるなどとホザキ出した日には
もうことの成り行きは目も当てられないものになるのは必定にして確定となる。
こういった状態が常態となった日にはもうお互いを
貶め合う
が恒常的な日常になってしまう。辱める。侮蔑する。侮る。差別する。これも行き場のない解消の目処のない
ストレスが原因なのだ。人工進化において、マインドが今よりも明晰になったならば、
もうそのより鋭くなった感受性において、攻撃性はより激化することになるだろうね。
その方策も、悪辣さを極めたより入念なるものになってゆく。
もう既になってる?...。
補足:
マインドは後天的な機能で、それは基本ロジックをベースにしている。
プログラム、プロトコルでそれは溢れてる。分別の塊だ…。
コンピューターは、特にOSは、後追いで、マインドたるものを、
人間自身にて、無意識無自覚にて再現したものなのだ。
人間がー、自らの構造、その全容をー、それを外部に再現をするにおいて理解する。
そのプロセスの一環として備えられた展開なのだ。*自然の導きによってね。
ロボットは肉体構造の模写へとやがては行き着く。それが羅針盤が指し示す方向。
だからPCにおけるOSは、
マインドたるものを、その秘書的役割をメインとして再現したものに過ぎない。
また各モジュール間における中継ぎを目的としての翻訳機でもある。
この秘書が人格を手に入れた時点で、AI、次はヒトのもつマインドの構造分析その再現を、
そのAI自身が行うようになるだろう。しばらくは、あくまでも脳における電極変異における
把握に基づいての理解でしかないだろうが。それでもかなり近いものになるであろう。
とにかく学究研究を行う主体自体が、切り替わるの事態が、もうすぐ到来する。
そして新たなるセンサーの登場をもって、
対象領域を広げる深めることになるだろう。その進展の結果として、理論的には、
ヒトのマインドに限りなく近いものをAIは手に入れることとなる。
ここは AI の独自進化において、クレルの考案は射程距離内に入ったであろう
ということをいいたかったまで。サンキュー。
言いたかったことの半分にも満たないのですが、これにて禁断の惑星に関しては閉めます。
後日に気が向いたら追加します。それにしても既に長過ぎますよね。内容ないにも関わらず。
〈②へと続く〉
付録として:
Re: コラム(Cパート)。
クドイようですが、再度改めて。
表現されたる表象のすべては「何か」現実に有ったこと/起こったことが、その折に、
選ばれた人において鋭敏に感受されたその対象に関してが、例えをもって再現されたものだ。
その時節に持たれた印象の再投影を目的として表現たるものは生まれてきている。
*この事においては成功不成功、巧拙、上手下手のがやはりある。
*またそこにある潜む重要な本質自体を、抽出できたのかできなかったのかってのも。
*やはりメタ存在からの誘導において、ほぼ無自覚に無意識に自動書記されてものが
一番いいのかもしれない...。
*絵やお話しが作者らを使ってかってに現れてくるやつ。
*表現っていうのは、かってあった/起こった、何某かの事実/真実において、
その構造、枠、機構ってものだけを抽出してきて、それはそのまんまに保って、
衣装だけを変えた付け替えたってもんなんだ。
*そこには現実においてあまり注意のいかない察知し得ない実体実相たるものが、
あるってことを表しているんだ。
*そうまるであの第三の力みたいに知覚不可能なる干渉力の諸在に関してを...。
ただね〜…外形の伝播ってのにおいてはエラーたる事態が起こるんだ…。
メジャーとして既にあるイメージにに引っ張られることによって。
それじゃ〜訳にたたないので本源へと遡る必要がでてくる。
すると、この外形を採用することは無茶だったな〜ってことが分かるんだ。
そういった間違いや失敗が繁盛になされているんだな〜って思い知ることになる。
伝言ゲームの顛末を思うのが一番分かりやすい。
あのゴジラシンギュラなんてのがまさにそうだと思う。
エゼキエル書のケルビムみたいなものにすれば良かったのにって。
もしくはブルトンとかプリズムとか、カドがデザインとしては適正だと思う。
阿羅漢、仏は地より天に向けて上昇進化した存在。
天使は天界より地に降り立った存在。人類を導くべく。
ところで空海さんは景教(キリスト教)の秘儀を学んだそうです。
洗礼を受けたとの説まである。
803年、空海(弘法大師)は最澄と共に入唐し、景教を身につけ、
潅頂(頭に潅ぐの意で、キリスト教の洗礼)を受け、
「遍照金剛」という洗礼名を受けました。 ← これは一つの説に過ぎない。
だからウルトラマンには阿羅漢と天使の二重性を見ることもできるはできる。
背景を知らないとある種の混乱が生じてしまうが行き来をさせることができるんだ。
ここでメフィラス星人。
あれは堕天使としての悪魔。ヒトの子を誘惑するものとして登場する。でも元は天使なのだ。
だからウルトラマンと戦うことは基本避けたい。同種で力は拮抗するから勝負にならない。
人間を媒として争い合う関係なのだ。
昔は時の加護があった。メタからの庇護導きもあった。
当人たちにその自覚はなかったかもしれないが、そうした出来上がりだったのだ。
だからこそ今尚あれらの作品は命を宿しているのだ。
でも今はそれはない。製作者らの頭の中にはビジョンたるものが存在していない。
芸術はもう死んだのだ...。
最後に一つ皆様に向けて課題を残しておきます。
コロナは人工のウイルスだ。もう確定。ヒトの手が入ったのは「感染率をマキシマムに上げるには?」の部分。ことは受容体との相性を良くすればいい。磁性の力を採用すればいいだけ。「では実際に、ヒトの体内にて、その構造システムに対して機能する実行プログラムは?」。それは異物であればあるほど人体に対して未知であればあるほど結果は興味深いものになるであろうだったんじゃないかな?。線路の上にこの石置いたらどうなるどうかな?ぐらいの子供の好奇心程度の発想でしかなかった。穢らわしくって忌まわしいコウモリ起源であればきっとおもしろい...。なにより今手近にあるじゃんって…。流石にH5N1型を使うのは止めておこう。ことが派手派手しくなりすぎる...って。
これは何か別の進行している、これから起こる、何かの事態の転写として現存してきてる...。
この見方を持っておいてもらいたいからこの話をしてる...。例えばだ、かっての外来種の繁殖は、ex琵琶湖のブラックバス、異国からの侵略の進行の反映として現実に起こっていたことなのだ。自分の世界においては、これは知らせ、予兆、兆しとして認識されている。自然な現象でありながらも、それは何かを伝えてきていた...。
注:それが確実なものであるとは言いません。でも可能性としてはこころに留めおくべきかな〜と思うばかり。かなり真実を突いている場合が多いので...。サンキュー。
話を戻して、では「 コロナは何の事態の転写なんだろうか?」。多分、それは強制的な避け難き展開として起こる。誰も嫌も否も言えない選べない。何かとの結合としての事態なのだろうな...。その相手方はコロナを観る限り間違いなく歓迎することのできないものになる。もしかしたらが、獣の刻印のことになるのかもしれない...。*スマホが既にそうなのかも?。
666のことはさて置いといて、獣の刻印とは、マインドの
延長線のもの
としてプログラムされた量子コンピュータの支配下に全人類が入ることではないのか?。元々マインド機能のメイン推進力は、自分の説としては、獣としての獣性のことでしかないのだから。それをより強力にシステム化した外部のAIと連結されてしまう。もうそうなっているとも言えるのだが。人類にとってメタマインドとなるAIの支配下に入る。これはもう獣レベルであることに、恒常的に縛られてしまうことを意味する。もう完全にパターンに拘束されてしまい、脱出はもう完全に不可能になってしまう。社会性という名のしきたり、習慣性の罠に落ちることとなるので...。そうじゃないと売ったり買ったりができないので...。転写されてくる、その作用としての”枠”たるものは、本質的には同じものなのだ。ただスケール差において、その外見、見た目、その効能は、それの圏内において働く物理法則は、至って違うものとなって現れてくる。太陽系と原子構造のモデル比較を思い出してね。似て非なるは、その世界が属する階級において物理法則がそのレベルおいて規定されてしまっているまで...。
あとがき:
素晴らしい映画作品。よくぞあそこまでの程のものを
用意しておいてくれた
なーと感嘆するばかり。自分は小学生の高学年ぐらいにTVで観た。完全にこころは鷲掴みされてしまう。すべてが工芸品だと言える程までの出来栄えだった。引き会えたことの奇跡に、自分のあの時点のあの状態において、そこに備えがあったことにー、メチャクチャ感謝しているー!。*昔の映画やTV作品はどうして、ディズニー含めて、いい作品ばかりだったんだろうか?。
*製作者側に優秀なる人材が揃っていたから。その彼等を育てた時代や環境がよかったから。
*良心たるもが、言わずもながらのことだが、誠実に尊ばれ大切な価値基準とされていた。
*視聴者たる観客らも、それが価値とされてあることを本心としては強く望んでいたから。
*本作品は自分にとっては刻印となった映画の一つ。
*すべての偶然は必然たるものとして備えられてある…。
今振り返っても既に完璧な作品と思える。そのあまりの完成度の高さ故にか続編としての
構想が持たれることになったのだと思う。同じフォーマットにての、別のお膳立てをと。
それこそがあのスター・トレックであったのであろう。
お話しの殆どが推理小説仕立てだった...。
最後にもう一個課題。これって何を表しているんでしょうか?。
またもや性懲りもなく...。
49年経った今でも未だデビルマンをやりたいのか?。
それも更にスケールアップしてパワー増強してだってー!。
ほんとに日本人が今やるべきことなの?
これが視聴者が求めているものなの?
第三次世界大戦の開戦に加担するつもり?
なんにおいてもそうだが「願えよさらば与えられん」だ!。
②③は手を抜きます。
抜きたい…